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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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シューベルトの旅

フランツ・シューベルトは、ウィーンで生まれ、ウィーンで暮らし、ウィーンで死んだ。その人生の拠点は、ウィーンという街からついに出ることがなかった。
もし演奏家として活動していたならば、モーツァルトやリストがそうであったように、演奏旅行に明け暮れる、という人生もあったかもしれない。しかしシューベルトは、当時の作曲家としては極めて珍しいことに、プロの演奏家としてのスキルをほとんど持っていなかった。
考えてみれば電車も飛行機もない当時、最も速い移動手段は馬車。時間も費用も馬鹿にならない。一般市民がおいそれと旅行に出かけられるはずもない。
シューベルトもそんな「小市民」的な一生を、狭いウィーンの中で送ったというイメージが定着している。

ところが実際には、シューベルトはしばしばウィーンを離れている。ざっと下にまとめてみた。

(1) 1818年7月~11月 ハンガリー・ツェリス

(2) 1819年7月~9月 シュタイアー、リンツ

(3) 1820年7月 アッツェンブルック城

(4) 1821年9月~10月 アッツェンブルック城~オクセンブルク城

(5) 1823年7月~9月 リンツ、シュタイアー

(6) 1824年5月~10月 ハンガリー・ツェリス

(7) 1825年5月~10月 オーバーエスターライヒ大旅行

(8) 1827年9月 グラーツ

(9) 1828年10月 アイゼンシュタット


音楽家として独立した1818年以降、ほとんど毎夏ウィーンをあとにし、その滞在は数ヶ月に及ぶことすらあった。2度のツェリス行きを除けばオーストリア国内にとどまってはいるが、少なくとも「ずっとウィーンに閉じこもっていた」イメージとは大きく違う。
なぜシューベルトは旅立ったのか、そしてそれはどんな旅だったのか。次回以降の記事で、その足跡を少し詳しくたどってみたい。
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  1. 2018/02/23(金) 22:30:28|
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