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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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ベートーヴェンとシューベルト

狭いウィーンの街とはいえ、大貴族をパトロンとし人々の尊敬を集めたベートーヴェンと、友人たちの閉じられたサークルで細々と創作活動を行っていただけのシューベルトとの間に、具体的な接触があったのかどうかははっきりしていない。
「ベートーヴェンの後に生まれた者に、何ができるというのだろう…」
という嘆息混じりの台詞を後世に伝えたのはコンヴィクト時代の親友シュパウンだが、本当にそのような言葉を吐いたかどうかはともかく、少年時代のシューベルトの偽らざる心境であったことは間違いないだろう。
47歳年上の老師サリエリに比べて、26歳差(1770年12月生まれのベートーヴェンと1797年1月生まれのシューベルトはほぼ26歳の差といってよいだろう)のベートーヴェンはシューベルトにとってもっと近しい、「父親世代」ロールモデルだったに違いない。その圧倒的な創作力と影響力に、限りない尊敬と畏怖と、そしていくぶんの煙たさを感じていたのは想像に難くない。

二人の数少ない接点といえるのは、シューベルトがピアノ4手のための『フランスの歌による変奏曲』D624を、出版に際してベートーヴェンに献呈していることだ。とはいえこのときに作曲家同士の直接のやりとりがあったかどうかは定かではない。これに関連して、「ある日シューベルトがベートーヴェンを訪ね、自作の変奏曲の筆写譜をおずおずと差し出したが、ベートーヴェンは作曲上のいくつかの誤りを発見して指摘し、シューベルトは恐れ入って逃げるように帰っていった」というエピソードが時折伝記に登場する。これはベートーヴェンの“無給の秘書”シントラーが語ったエピソードで、他のシントラー証言と同様に信憑性は限りなく低い。晩年のベートーヴェンがシューベルトの歌曲集の譜面を見て「シューベルトには神々の火花が宿っている」と評した(「神々の火花」といえば『第九』のテキストに出てくる言葉だ)とか、病床のベートーヴェンをシューベルトが見舞ったとかいう逸話も、「こうだったらいいな」という後世の願望が反映されたもの、と考えるのが適当かもしれない。

ベートーヴェンがシューベルトをどうみていたかはわからないが、シューベルトはたびたび友人宛の手紙でベートーヴェンについて言及している。

歌曲では新しいものはあまり作っていないが、その代わり器楽ものはずいぶん試してみた。2つの弦楽四重奏曲と八重奏曲を作曲し、四重奏をもう1曲書こうと思っている。この方向で、なんとか大交響曲への道を切り開きたいと思うんだ。―ウィーンのニュースといえば、ベートーヴェンが演奏会を開いて、そこで新しい交響曲と、新しいミサ曲からの3曲と、新しい序曲をかけるということだ。―できることなら、近い将来僕も同じようなコンサートを開きたいと思っている。
(1824年3月31日、シューベルトからローマ滞在中の友人クーペルヴィーザーに宛てて)

ここには、偉大な先達の影に嘆息するだけではない、意欲的で野心に溢れた若者の姿がある。そして宣言した通り、翌年夏のオーバーエスターライヒ大旅行の間に「大交響曲」に着手することになる(この「グムンデン=ガスタイン交響曲」は、現在ではD944の大ハ長調『グレート』と同一視する説が有力だ)。

 * * *

巨匠は1827年3月26日、嵐の晩に力尽きた。3日後の葬儀でその棺を担いだシューベルトは、いよいよベートーヴェンの後継者として名乗りを上げようとする。
それまでシューベルトが主要な器楽曲の調性としてはほとんど選ぶことがなかった「ハ短調」。ところが1827年を境に、堰を切ったようにハ短調の鍵盤楽曲が増えていく。それはあの『運命』交響曲や、最後の作品111を含む3つのピアノ・ソナタ(作品10-1、作品13『悲愴』)でベートーヴェンが用いた調性でもあった。いくつかの試作の後、ハ短調→ハ長調というベートーヴェン的な調性配置を持つ即興曲D899-1が完成し、そして最晩年のソナタD958へと結実する。それは音楽上の「父」ベートーヴェンへのオマージュであり、その高い壁をついに突破する記念碑的な作品であった。

友人に宣言したもう一つの目標、ベートーヴェンと「同じようなコンサート」はその一周忌の命日に実現する。1828年3月26日、楽友協会ホールにおいて、全曲シューベルト作曲による個展演奏会が開催された。D929のピアノ・トリオをプログラムの中心に据えた当夜は大評判となり、シューベルトは名実ともにウィーンにおけるベートーヴェンの後継者として認知されたのだった。
しかしシューベルトの個展はそれが最初で最後だった。8ヶ月後、シューベルトは31歳10ヶ月というあまりにも短い人生を終える。病床で熱に喘ぎながら口にした「ここにはベートーヴェンが眠っていない」といううわごとを聞いた次兄フェルディナントの尽力により、亡骸はヴェーリング墓地のベートーヴェンの墓の隣に改葬された。中央墓地に移転された今でも、ベートーヴェンとシューベルトの墓は名誉区32Aの中央に並びその威容を誇っている。
ベートーヴェンの葬儀を終えて、「この中で最初にベートーヴェンに続く者に乾杯」と声を上げたシューベルト。それは図らずも自分への餞の言葉になった。

ベートーヴェン・シューベルトの墓
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  1. 2023/10/21(土) 23:14:36|
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