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ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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林悠介インタビュー (2)ウィーンらしさ、とは

(第1回はこちら)

佐藤 今回シューベルトをご一緒したいなと思ったのには、やっぱりウィーンの音楽っていうものを理解している人っていうのはすごく僕の中では大事なことだったので。それが何なのかっていうのは、難しいところなんだけど…どう思う? ウィーンの独特の音楽の伝統、語法っていうか。
林  確かにあるとは思うよね、やっぱりウィーンらしさ、ウィーンならではというか、ウィーンだけのものっていうのは。やってみてくださいって言われるとものすごく難しいことなんだけど。そのあと僕、オーケストラの仕事でドイツに移ったけど、ウィーンの作曲家、モーツァルトとかハイドンとかシューベルトとかやると、全然感じ取り方が違うんだよね。
佐藤 そうなんだよね。
林  求めている音も全然違うし。だからなんだろうな、音楽ってすごく幅があって、懐が深いというか、いろんな解釈があって、どれが正しいと断言はできないけど、やっぱりウィーンの作曲家に合う、ウィーン風の演奏スタイルは確実にあるよね。それが他の町や国で必ず喜ばれるかどうかわからないけど。
佐藤 確かにそれはそうだ。
林  やっぱり9年間住んでいた身からすると、そういうスタイルや音色、センスに接するとやっぱりその、ほっとするっていうか、これだよなっていうような気持ちになる。
佐藤 僕は逆にドイツ時代が先にあってさ、5年間ドイツにいて、その後ウィーンに行ったので、その違いみたいなものを強烈に感じたっていうか。
林  そうかもね、ドイツが先だと特に。
佐藤 ウィーンは、音楽を聴く機会がすごく多い街で。例えばオペラとかオーケストラとかいっても、もちろん全部ウィーンの人たちがやってるとも限らないし、ウィーン風なわけでもないんだけれども、たまにウィーンフィルとかあるいはシンフォニカー(ウィーン交響楽団)とかを聴くと、なんか独特のセンスがあるよね。音色感もちょっと違うところがあるような気がするし、他の街とはどうも違う感覚があるような…何なんだろうなと思うんだけど。僕はウィーンで勉強したのは2年間だけだったから、長くいた人はどう思うのかなと。ドーラ先生は別にウィーン出身というわけではないよね?
林  そうそう、ロシア系の人だから。
佐藤 ウィーンの伝統的なことについて指導があったわけではない?
林  そうだね、指導があったわけじゃないけど、とはいえやっぱり長年住んでるから、ものすごく影響というか、共感してる部分はあったんだなって、離れてから感じたね。
佐藤 なるほどなるほど。
林  同じロシア系で、同じ年代の先生とかと比べても、全然アプローチが違うなと思う。やっぱり長年住んで、それこそウィーンフィルも何回も聴いてるわけだし、あと同僚の先生たちもウィーンの人が多かったから。アルバンベルク・カルテットのピヒラーとも仲良かったし、そういうところから、先生自身も学んでたみたいだから。
佐藤 そうなんだ。なんかウィーン時代の思い出とかあります? 一言では言えないと思うけども。
林  それこそコンサートをいっぱい聴けたのは、すごく良かったなと思う。当たり前のようにウィーンフィル聴いて、オペラにしても、もちろんお金なかったから立ち見が多かったけど。そういうのを聴いて感動した思い出とか…あと、ウィーンも最近はいろいろ変わったけどやっぱり昔のものが残ってるね、旧市街だったり。それこそ、父親の影響で僕も「冬の旅」を散々CDで聴いたけど、冬に自宅に帰るとき、当時結構郊外の、Ober St.Veitっていう地下鉄の終点の近くに住んでたんだけど。
佐藤 おお、だいぶ遠いね。
林  帰り道に雪の中歩いていると、ふと「冬の旅」のメロディーが浮かんできて、ああこういう雰囲気っていうか空気感なんだなって、はっとする瞬間とか。だからといって簡単に演奏に生かせるわけじゃないけど、その感覚を味わえたっていうか、覚えられたっていうのは、大きいかな。今でも自分が演奏していてそういう記憶が蘇ってくると、やっぱり楽しいし音楽が身近なものに感じるかな。
佐藤 うーん、長年住んだ人ならではの感覚だね。

林悠介インタビュー2


佐藤 ウィーンを離れるきっかけになったのは、オーケストラに入るっていう。
林  そうね、コンサートマスターになりたいっていう夢が元々あって。それこそ日本を発つときに、原田先生に「ただ留学しても意味がない、何かはっきりした目標を持ちなさい」と言われ、「ヨーロッパのオケのコンサートマスターになりたいです」と話したら、「おおそれは立派な夢じゃないか。必ずやりなさい、やり遂げてきなさい」と言われ出てきたんだけど。
佐藤 へえ。
林  だけどウィーンの先生も教え子にコンサートマスターは多かったけど、それに特化した先生ではなかったし、僕もコンクールに挑戦する傍ら室内楽にも力を入れていたんだけど、ある程度の年齢になって、どうしてもコンサートマスターに挑戦してみたいなと思って。ドイツ、オーストリア、スイスのドイツ語圏のオーケストラで、コンサートマスターの募集のかかっているところはレベル関係なくほとんど全部応募してみたんだけど、20箇所出して、確かオーディションの招待状が来たのが2箇所で。
佐藤 うーん。
林  もともとドイツは書類選考が厳しいけど、オーケストラの経験がほとんどない人がいきなりコンマスに応募しても難しいと思うよ。でもドイツはなにせオーケストラの数も多いから、その招待してくれたオーケストラもドイツで、早速オーディション受けに行って。
佐藤 もう最初から第1コンサートマスターで。
林  そう、そこは運良くそれで受かったけど、今思うと経験がない人をよく取ってくれたなと思うよ(笑)
佐藤 すごいな。そのコンサートマスターの試験って、試験勉強とかどういうことをするの?
林  いわゆるオケスタ(オーケストラスタディ)ね。コンサートマスターだと有名なソロの部分の抜粋。ウィーンの音大でも教えてくれる先生がいて、授業の枠で個人レッスンもしてもらっていたよ。
佐藤 ああそうなんだ。
林  うん。クロイザマーというウィーンフィルのメンバーの先生に習ってた。
佐藤 それってみんな取らなきゃいけないの?
林  みんな取らなきゃいけない。数ゼメスターは。
佐藤 じゃあみんなとりあえずはやってるんだね。どのくらいやったかは別にして。
林  別に演奏は義務じゃないから、ただレッスンを聴講してサインだけもらえばいいんだけど、せっかくだから僕は順番を待って演奏するようにしていたよ。あ、でも卒試でもオケスタを弾かなきゃいけないのよ、ウィーンは。トゥッティのオケスタと、最後の修士の試験は、コンマスのオケスタ弾かなきゃいけない。
佐藤 なるほど。じゃあみっちりやらなきゃだね。
林  あと大事なのは必ず一次予選に出るモーツァルトのコンチェルトね。でも実際のオケのオーディションだと、コンクールと全然違って時間がすごく限られていて、5分くらいしか弾けない。全曲通して弾いた中で総合的に見てもらえるわけではなくて、「はい次の人」って呼ばれて、ぱっと弾いて、最初ミスしたら「はいおしまい」って世界だから。
佐藤 (笑)
林  それは言い過ぎだけど。最初から、限られた時間で見せなきゃいけないっていうのはまた違うトレーニングが必要なんだよね。だから人前で弾く練習も繰り返したけど、最初はなかなかうまくいかなかったね。オーディションはやっぱり独特の雰囲気があるし、衝立があって向こう側が全く見えないこともある。
佐藤 あ、ブラインドでやるんだ。
林  ブラインドでやるオケもあって、逆に何か変な感じだった。
佐藤 そうだよね(笑)どこ向いて弾けば良いのか。
林  衝立の向こうがどのくらいの広さで、何人が聴いているのか全然見えない。ある意味コンクール以上に緊張したかもしれない。
佐藤 そうか、なるほどね。一番最初に行った街はどこ?
林  レックリングハウゼンというドイツの西部の街で、ドルトムントやエッセンの近く。あの一帯はルール工業地帯といって以前は石炭工業で栄えていたんだよ。だから、ウィーンから来たこともあったと思うけど、あまり街並みが美しいとは感じなかったかな。
佐藤 (笑)
林  僕が在籍していたオーケストラは、そのレックリングハウゼンのシンフォニーオーケストラが、隣町のゲルゼンキルヒェンという町の歌劇場オーケストラを吸収合併してできたオーケストラ。歴史的にいえば労働者の街だけど、かつてのドイツの政策で、娯楽と芸術的な施設を各都市に作ろうというものがあったらしく、サッカー場と歌劇場をドイツ各地に作ったらしいんだよね。それこそ、ゲルゼンキルヒェンにはシャルケっていう、僕がいた頃に内田選手が活躍していた有名なサッカーチームがあって、日本人ファンも時々見かけたよ。
佐藤 はいはい。
林  サッカーチームと歌劇場が地方都市にも揃っているのが、ドイツらしいところだね。
佐藤 面白いね。日本だとさ、工業都市とか労働者の街っていうのはあんまり文化的なことをやらない。なぜかっていうとナイトライフみたいなものがなくて、朝早く工場行って、仕事終わったら帰って寝るだけだから。
林  うん。
佐藤 だからレストランとかが閉まるのも早いし、夜にコンサートを聴きに行くような文化が生まれないっていう話なんだよね。コンサートを聴きに来る人たちっていうのは割とホワイトカラーで。
林  そうか。
佐藤 大都市で、あんまり朝早く仕事に行かなくてよくて、そんなに疲れずに夕方仕事を終えた人たちが、その後繰り出してコンサート聴きに行く、みたいな感じだと。そこらへんがやっぱり違うよね。娯楽としての歴史の長さもあるんだと思うけど。

(第3回につづく)
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  1. 2023/05/04(木) 23:08:43|
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