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ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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即興曲の起源 (1)クラーマー

ツィクルス第3回では「即興曲」を取り上げるということで、まずはこのジャンル全体について解説しておきたい。

即興曲、あるいは原語でアンプロンプテュという妙に可愛い語感の読まれ方をする場合もあるが、impromptuはもともとフランス語である。promptuの部分は、英語のpromptの語源にもなったラテン語のpromptus(用意できた)を元にしているので、これに打ち消しのimが接頭されて、「用意できていない」という意味合いになる。類義語のimprovise(即興する)はprovidere(予見する)が語幹になっているので、「見通しが立っていない」という意味になり、impromptuとは若干の意味の違いがあるようだが、実際にはほぼ同義として扱われている。

器楽曲のタイトルとして使用されるようになったのは19世紀のはじめといわれているが、その起源ははっきりとはわかっていない。
私の知る限り、最も古い使用例として確認できたのは1815年3月号の"Allgemeine musikalische Zeitung"(「一般音楽時報」、以下AmZ)の新譜カタログ(Google Books)に掲載されている、ヨハン・バプティスト・クラーマー Johann Baptist Cramer (1771-1858)の「クトゥーゾフの勝利、ピアノのための即興曲」(La Victoire de Kutusoff, Impromptu p. le Pforte.)という作品である。
「クラーマー=ビューロー60の練習曲」でピアノ学習者には馴染み深いクラーマーは、ドイツで生まれたが生涯のほとんどをイギリスで送った。クレメンティに師事しピアニストとして活躍、ウィーン訪問時にはベートーヴェンのライヴァルと目され、技巧面ではベートーヴェンより勝っていると評されるほどのヴィルトゥオーゾだった。後年はピアノ製作・楽譜出版業でも成功し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番をイギリスで出版するにあたって、「皇帝」(Emperor)の標題を与えた張本人でもある。
同じ年度のAmZのカタログには、「ピアノ・ソナタ (イ短調) 『究極』 作品53」(すごい標題だ)も並んで掲載されていて、Wikipediaによるとこれは1812年の作品とされているので、件の即興曲も1812年頃に作曲されたのかもしれない。タイトルにあるミハイル・クトゥーゾフ Mikhail Kutuzov (1745-1813)はロシアの軍人で、チャイコフスキーの序曲「1812年」でおなじみのナポレオンのロシア侵攻(1812)でロシア軍総司令官を務め、ナポレオンに歴史的敗北を与えた数少ない人物として知られている。この曲の楽譜を入手することはできなかったが、他の資料によると、ヘンデルのオラトリオ「ユダス・マカベウス」の中の合唱「危難を顧みず」(Disdainful of Danger)に基づく、という副題が付いており、この合唱曲の編曲のようなものなのではないかと推測できる。当時ロンドンに住んでいたであろうクラーマーが、ロシア侵攻の帰結にどのような思いを抱いていたのかわからないが、おそらくはクトゥーゾフの戦功を祝う意図で書かれた曲なのだろう。
1815年までに出版された音楽著作物、音楽作品をまとめた、"Handbuch der musikalischen Litteratur oder allgemeines systematisch geordnetes Verzeichniss der bis zum Ende des Jahres 1815 gedruckten Musikalien, auch musikalischen Schriften und Abbildungen, mit Anzeige der Verleger und Preise."(Google Books)という滅茶苦茶長いタイトルのカタログが1817年にライプツィヒで刊行されている(編者はアントン・マイゼル)。この中にも「クトゥーゾフの勝利」は掲載されていて、フランスのAndré社とウィーンのRiedl社から出版されているとのこと。更に、「ヘンデルのエアによる即興曲」という作品も別に載っていて、かのBreitkopf&Härtel社から刊行されているが、これはタイトルが違っただけで、やはり「クトゥーゾフの勝利」と同じ作品を指していると考えられる。つまりこの曲は1817年の時点でフランス、オーストリア、ドイツで別々に出版されているわけで、当時かなり人気を誇っていたようだ。
このカタログでもうひとつ気になるのは、「クトゥーゾフの勝利」の項目にImpromptu. No.13とあることで、文字通り解釈すれば即興曲第13番という意味になる。すなわちクラーマーはこの作品の前に「即興曲」というタイトルの作品を、あと12曲書き上げていたことになる。
クラーマーの「即興曲」としては、他にPTNAのピアノ曲事典に「音楽の題材による即興曲、手記風の資料」(Impromptu sur une matinére musicale, donnée à la memoire Op.93)なる作品が掲載されているが、作品の内容については手がかりがなかった。作品番号から考えると、「クトゥーゾフの勝利」より後の年代の作品と思われる。

クラーマーの「即興曲」の存在は、現在刊行されている音楽事典などではほとんど触れられておらず、クラーマーがどのようないきさつで「即興曲」というタイトルを自作に冠することになったのか、全くわかっていない。「クトゥーゾフの勝利」の楽譜はバイエルン国立図書館などに蔵書があるようなので、何かの機会に是非見てみたいものである。

「即興曲」の暫定創始者・クラーマーの話題でかなり長くなってしまった。次の記事では、シューベルトの即興曲の先行作品として語られることの多いヴォジーシェクについて取り上げたい。
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  1. 2015/02/16(月) 19:27:06|
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コメント

即興曲 Op. 93

Impromptu Pour Le Piano sur la Matinée Musicale donnée à la Mémoire de Beethoven, composé et dédié à Franz Liszt par J. B. Cramer, Op. 93 (Mayence, Anvers et Bruxelles: Chez les fils de B. Schott, 1841, Plate 6335) の楽譜がベルリン州立図書館のウェブサイトで公開されています。
http://resolver.staatsbibliothek-berlin.de/SBB0000E25F00000000
  1. 2015/02/18(水) 20:09:53 |
  2. URL |
  3. Erakko #GsReAQyQ
  4. [ 編集 ]

Re: 即興曲 Op. 93

Erakko様
貴重な情報ありがとうございました!
譜面をパッと見た限りでは、序奏+主部の幻想曲風の曲ですね。
1841年の作品ということは、既にショパンの即興曲も発表されていますが、出版年やタイトル・献呈先(リスト)から推察するに、例のボンのベートーヴェン記念碑設立のためのアルバムに寄せられた曲なのでしょうか。
PTNAのピアノ曲事典のタイトルはかなり不正確なようです・・・
  1. 2015/03/15(日) 00:07:08 |
  2. URL |
  3. Takashi Sato #-
  4. [ 編集 ]

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