6つの大行進曲 Six Grandes Marches D819
作曲時期不明 出版:1825年5月(作品40)
1825年、ザウアー&ライデスドルフ社から「作品40」として出版、医師のI.ベルンハルト氏に献呈された。6曲セット(初版時は2分冊)という規模は超級で、合計の
演奏時間は60分に達する。
注目すべきは、この曲集に冠された形容詞が
Grandes(大きい)というだけで、「軍隊行進曲」や「英雄行進曲」のように性格を表したものではないということである。1曲1曲の規模は、他の行進曲より確かに大きく、場合によっては主部がソナタ形式ともいえる充実した内容になっている。そのこと以上に、ひとつの形容詞で括ることができない、多様なキャラクターの行進曲の集まりであるということもこの曲集の大きな特徴といえるだろう。また、4小節や8小節といった基本楽節で割り切れない変則的なフレーズのつくりも行進曲としては異例で、身体性に縛られない自由な音楽の飛翔が感じられる。
第1曲(変ホ長調)は泰然たる祝典行進曲の趣があり、勢いのある付点のモティーフや素速い3連符の同音連打は金管のファンファーレを連想させるが、ところどころに現れる短調のエピソードにシューベルトらしい柔らかな感受性が宿っている。トリオは変イ長調で、トレモロ+ピツィカートの伴奏型の上で息の長い旋律が歌われる。
第2曲(ト短調)は異色のデモーニッシュな行進曲で、容赦のない刻みに乗ってプリモとセコンドが激しく掛け合いをする。ト長調のトリオでは付点リズムを伴うスタッカートのメロディーに繊細なハーモニーがやさしく寄り添う。曲集中最も短い曲である。
第3曲(ロ短調)は2/4拍子、行進曲というよりも「
エコセーズ」に近いリズミカルな舞曲風小品である。セコンドの4小節の前奏は確かにロ短調で、主部の終わりもロ短調だが、プリモのメロディーの始まりはニ長調、その後嬰ヘ短調・嬰ヘ長調・ト長調・変ロ長調など、さまざまな調性へどんどん転調してゆき落ち着きがない。ファンファーレ風の間奏が導くトリオはロ長調、ギター風の伴奏に乗って旋律が歌われ、時折借用ドミナントの和音がそれを彩る。
第4曲(ニ長調)は再びファンファーレで始まり、祝祭的な気分を放出しながら明るく進行していく。トリオはト長調で、コラール風の旋律とスタッカートのバスがどこかモーツァルトにも似た古典派的な印象を残す。
第5曲(変ホ短調)はアンダンテという遅いテンポ、そして陰鬱な曲調から、記されていないが
「葬送行進曲」であることが明白である。全声部のユニゾンや音のぶつかりが不気味な雰囲気を演出する。トリオは変ホ長調で、張り詰めた緊張感がふっと和らぐが、異世界へのワープのような突飛な転調も待っていて油断できない。全曲の中で最も長い演奏時間を要する。
第6曲(ホ長調)は華麗な終曲。軽やかな付点リズムが支配的で、躁的なほどの明るさと勢いで突き進んでいく。繰り返し記号の外にコーダが設けられており、派手に主部を閉じる。セコンドのオクターヴのファンファーレに続いて始まるトリオはハ長調で、ロッシーニのオペラの二重唱を彷彿とさせる屈託のない旋律が続いていく。
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- 2021/11/30(火) 23:01:18|
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シューベルトのピアノ独奏曲のうち、作品リストの大勢を占めるのは
「ドイツ舞曲」「レントラー」「ワルツ」といった3拍子系の舞曲であり、その総数は数百にのぼる。だが、連弾曲となると舞曲はぐっと少なくなり、同種の作品は7曲を数えるのみである(
「ポロネーズ」(10曲)も舞曲の一種ではあるが、独奏用のポロネーズはない)。それに代わって連弾曲リストの筆頭に挙げられるのが17曲の
「行進曲」である。そのうち14曲が生前に出版されている。
D番号 | 曲名 | 初出 |
---|
D602 | 3つの英雄的な行進曲 | 1824年出版(作品27) |
D733 | 3つの軍隊行進曲 | 1826年出版(作品51) |
D819 | 6つの大行進曲 | 1825年出版(作品40) |
D859 | 葬送大行進曲(ロシア皇帝アレクサンドル1世の崩御に際し) | 1826年出版(作品55) |
D885 | 英雄大行進曲(ロシア皇帝ニコライ1世の戴冠に際し) | 1826年出版(作品66) |
D968B(D886) | 2つの性格的な行進曲 | 1829年出版(作品121・遺作) |
D928 | こどもの行進曲 | 1827年作曲 |
「行進曲」は集団の歩調を合わせる目的の実用音楽であり、もとは軍隊で用いられたが、次第に儀礼的な性格を帯びるようになる。性格や目的に応じて、
「軍隊行進曲」「トルコ行進曲」「結婚行進曲」「葬送行進曲」「祝典行進曲」などの形容詞が冠されることも多い。行進曲が性格小品のジャンルの一角を占めるに至ったのには、シューベルトの連弾行進曲、とりわけ
「軍隊行進曲」の果たした功績が大きい。当然ながら2拍子系で、大規模な複合三部形式(A[||:a:||:ba:||]-B[||:c:||:dc:||]-A[||:a:||:ba:||])をとるという点は全作品に共通しているが、そのテンポやキャラクターは実にヴァラエティに富んでいる。
こうした4手のための行進曲がどのような機会に作曲されたのかは、全くといって良いほどわかっていない。
グラーツのパハラー家に贈った「こどもの行進曲」D928を除けば自筆譜も残っておらず、シューベルティアーデで頻繁に演奏されたということもないようだ。ただ、
1818年と
1824年の2度のツェリス滞在のあと、
シューベルトは行進曲を含む多くの連弾曲を携えてウィーンに戻ってきたというシュパウンらの証言があり、D602・D733・D819といった主要行進曲セットはエステルハーツィの令嬢姉妹と過ごした夏の所産の一部だろうというのがドイチュをはじめとする研究者の見解である。しかしこれらすべてをツェリスに関連づけてよいのかどうか、ウィーンでの日常の中で書かれたという可能性もまた否定できない。
いずれにせよ、生前に次々と出版されたという点をみても人気のジャンルであったことは間違いなく、出版社からの委嘱に応じて書かれたのかもしれない(とりわけロシア皇帝関連のD859・D885はその可能性が高い)。連弾は、ピアノを手に入れた市民たちが
自宅で楽しめるエンターテインメントであり、集団の歩調を合わせるという行進曲の本来の用途から言っても、2人の奏者が拍感を合わせてアンサンブルを楽しむのに適した曲種だったのだろう。決して技巧的ではないが、客人に聴かせるにふさわしい豪華さやスペクタクルにも富んでいる。
その一方で、
独奏用の行進曲がほとんど残されていないという事実もまた興味深い。長らくソロの行進曲はD606の1曲しか知られておらず、D757Aは1988年に新全集に収録されるまでは存在すら知られていなかった。ドイチュ目録にはもう1曲、ト長調の行進曲D980Fの存在が記されているが、どういうわけか現在に至るまで発表されていない。
「行進曲」と「舞曲」は両方とも、ステップという
身体の運動に根ざした楽曲であるが、2手では「舞曲」が多く「行進曲」はわずか、4手では「行進曲」が多く「舞曲」は少ない。この「ネガ/ポジ」の関係を念頭に置きつつ、第15回・第16回の公演をあわせてお聴きいただきたい。
- 2021/11/29(月) 19:15:49|
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インタビュー第3回はこちら)
崎谷 実は
シューベルトを弾かせていただくのは本当に久しぶりで、ご迷惑をかけないようにと思ってるんですが。
佐藤 以前はどんなものをお弾きになったんですか?
崎谷 19番のソナタ(D958)。
佐藤 ああ、c-mollのね。
崎谷 そう、c-moll…(笑)以上、みたいな。
佐藤 以上! なるほど。
崎谷 大きいレパートリーはそうですよね。あとシューベルト=リストをちょっと。
佐藤 ああ。
崎谷 それから、室内楽でヴァイオリン・ソナタとか、「鱒」をやったりとかはありましたけど。あとファンタジー、連弾の(D940)。
佐藤 おお。f-mollの。
崎谷 それは
居福(健太郎)さんと。
佐藤 へえ! それはまたすごい組み合わせだね。どこで弾いたんですか?
崎谷 ヤマハホールさんで。確か浜松アカデミーの絡みだったんじゃないかな、上野優子さんと居福さんと私で演奏会をするというので。
佐藤 なるほど。そのときはどっち弾いたんですか? 下(=セコンド)?
崎谷 上(=プリモ)弾きました。
佐藤 上弾いたんだ。シューベルトについては、こんな作曲家だなあとか印象ありますか?
崎谷 結構ね、シューベルト、生徒には弾かせるんですよ。好きなんですよね。
佐藤 ほう。
崎谷 でもね、すごく私の中では
難しい…ダイナミックレンジで表現する方なので。
佐藤 うーん。
崎谷 それが、そこまで許されないというのがあって、上限が特に。ただ、こう、なんでしょうねえ…シューベルトのイメージですか…(笑)もうそれは先輩に語っていただいた方が。
佐藤 いやいや、正しいこととかじゃなくて、どう考えているのかをね。皆さん結構面白いことをおっしゃって「ああ、なるほど!」って思うので。
崎谷 演奏の目線でいうと、とにかく決めたらダメだなっていうのがありますね。決め打ちして、こう弾くんだっていうふうにやらないという。
佐藤 はあー、なるほど。
崎谷 動詞が存続形、みたいな…
佐藤 なるほどなるほど。
崎谷 理詰めでああやってこうやって、というのじゃなくて、もちろん実際演奏するときには計画構築はあるんですけど…。まあたとえばお茶を入れるとしたら、お茶を入れてお茶を飲むんじゃなくて、お茶から立ち上る湯気をね、顔に浴びながら。
佐藤 湯気(笑)
崎谷 そういうところを楽しむ。香りとか、熱さとか。でももちろんお茶はあるんですけどね。
佐藤 (笑)
崎谷 抽象的で申し訳ない(笑)。だからお茶の味をどうこうっていうんじゃなくて、そういうところでやらなきゃいけないのかなあと。a-mollの16番のソナタ(D845)とかも、結構好きなんですけど。情熱は、非常にある人だったと思うんですね。ただ、その表し方が、普通の人が情熱を表す表現とちょっと違うのかなっていう。
佐藤 うん。
崎谷 内面に秘めるっていう、本人は秘めてるつもりじゃないと思うんですけど、なんかちょっと違うんですよね。そんなふうにしか言えないですけど。
佐藤 なるほどね。
崎谷 シューベルト今回15回目でらっしゃいますよね。
佐藤 そうなんです。
崎谷 もちろん他の作曲家も弾いてらっしゃると思うんですけど、シューベルトをお弾きになるときに特別な部分というのはありますか?
佐藤 僕自身はね、シューベルトは共感する部分が多いので、全然難しいと思わないの。
崎谷 ああ。
佐藤 もちろん弾くのが難しいっていうことはあるかもしれないけど、表現で「これはどういうつもりで書いたんだろうな」って思うようなところがほとんどないんですよね。
崎谷 なるほど。
佐藤 他の作曲家には、多かれ少なかれあるんです。「この人なんでこんな音書いたんだろう」とか、「なんでここにフォルテって書いてるんだろう」とか、思う瞬間っていうのが楽譜のあちこちにあるんだけれども、そういうのがあんまりないので、なんかすごく自然に「ああそうだねそうだね」って思って弾いていってるかな、演奏者の視点としては。というか、僕はどちらかというと、どうも
作曲家目線らしいんですよ。
崎谷 ああ。
佐藤 だから自分がこの主題で曲を書き始めたらどう書くだろうか、って考えるんですよね。で、「たぶんここはこうは書かない」っていうところが、あるんですけど、それがシューベルトの場合はないっていうか。
崎谷 へえ。
佐藤 もちろん僕にはそんな能力はないから、同じようには書けないですけど、もし思いついたらこれを採用しただろうなって。
崎谷 ああそうなんですね。
佐藤 でも、もちろんシューベルトにもいろんなフェイズがあるし、今言ってくれた、動詞が存続する感じってすごくよくわかるけどね。
崎谷 そうですか。
佐藤 それこそ今日崎谷君がレコーディングされていた
ブラームスも、シューベルトのことが好きというか、よく調べていて。
崎谷 うんうん。
佐藤 シューベルトの自筆譜をずいぶん持ってたんだよね。あと、その当時シューベルトの未完成の曲なんてほとんど出版されてなかったので、ウィーンのそういうのを持ってるコレクターから貸してもらったりして、ブラームスの筆写したシューベルトの楽譜っていうのが大量に
楽友協会に残ってるのね。ブラームスは亡くなる前に資料を全部寄贈したので。だからそこからブラームスがインスパイアっていうか、ヒントを得て作曲したものが結構あるし、シューマンも実はそうなんだけど…シューベルトの知られていなかった曲から、かなりいろんなものを取っていったな(笑)という感じがあるんですよね。
崎谷 なるほど。
佐藤 だからある意味では受け継いでくれたところもあると思うし。あとはなんといってもシューベルトは
ベートーヴェンと同じ時代に生きてたので。
崎谷 ああ、そうですよね。
佐藤 ほとんどベートーヴェンと人生はかぶってたわけじゃないですか、もちろんずっと若いけれども。だからベートーヴェンへのコンプレックスっていうかね。
崎谷 うーん。
佐藤 ベートーヴェンはシューベルトのことはほとんど知らなかったかもしれないけど、シューベルトはすごく意識していて。それこそc-mollのソナタはすごくベートーヴェンチックな、ベートーヴェンみたいな曲を書こうって思って書いたんだろうなっていう感じですよね。
ベートーヴェンのソナタ全集もここで録ってるの?
崎谷 そうですね。
佐藤 どのくらい進んでるんですか?
崎谷 ちょうどヘンレ(原典版)の1巻が終わったところで。
佐藤 おお、切りの良いところですね。
崎谷 前期から中期に差し掛かるところまで弾かせてもらって、だんだん一番難しいところに差し掛かってるというか。後期ももちろんいろいろあるんですけど、ある程度自分の考えでやればいいのかなって思ってるんですけど。中期の、特にOp.31の3曲(第16~18番)に取り組むにあたって、どういうふうに作っていったらいいんだろうっていうのに一番悩んでるかもしれないですね。
佐藤 うんうん。
崎谷 私はやっぱりテンポに興味があるんで、
テンポをどういうふうに設定するのか。たとえば第18番のソナタ、慣例的に最初ゆっくり始まって、だんだん加速していくじゃないですか。
佐藤 第1楽章ね。うん。
崎谷 でも僕の中であれは納得できなくて。楽譜にはそう書いてないから。
佐藤 そうだね。
崎谷 だからそういう折り合いを、どういうふうに考えてたんだろうって。
佐藤 ああ、「折り合い」ってわかりますね。
崎谷 一方でテンペスト(第17番)は、明らかに緩急で書いているから、そういったところも18番でもあえて採り入れても良いのかなとか。だから去年の12月にはそうやって弾いたんですけど、変なことするねって言われて。
佐藤 ああそうなの?
崎谷 でも演奏家としては、ちょっと新しいアイディアでやってみたいなあと(笑)
佐藤 ぜひいろんな試みをね。もともとなんでベートーヴェンの全集を録ることになったの?
崎谷 そのレコード会社が全曲ものをやるという、たとえば巡礼の年とか、他の方がやられてるんですけど、そういう方針だったので。
佐藤 なるほど、そういうことだったのね。
崎谷 僕ハンガリー狂詩曲(リスト)弾いてたんで、ハンガリー全曲とか言われたんですけど、ハンガリー全曲はいいやと思って。
佐藤 それはなかなかつらい感じですね(笑)
崎谷 素晴らしい名盤もあるし、ハンガリーは。ベートーヴェンだってもちろん名盤あるんですけど、まず自分の勉強になるし、そのときは特にベートーヴェンが自分の中で非常に共感する作曲家だったんですよね。
佐藤 うん。なるほど。
崎谷 ルヴィエ先生もベートーヴェンがお好きで、よくレッスンされてましたし、恩師の迫先生も、松方ホールで全集録られてて。そういった影響もあり、ベートーヴェンやりたいですって言ったらすんなり通ったということなんですけど。ただ、自分自身は、得意か苦手かって言ったら、
あんまり得意じゃないですよね、ベートーヴェンは。
佐藤 え、そうなの?
崎谷 たぶん。好きですけどね、好きですし勉強になってますけど、なんでしょう、まあ
ブラームスの方がやはり得意かな。ベートーヴェンは自分で聴いて、もうちょっとなんとかならんかったのかなって思うことは多い。
佐藤 ああそうなんだ(笑)
崎谷 それはこれからの課題ですけど。
佐藤 どのくらいのペースでここまで録ってきたの?
崎谷 12年から19年まで、7年かけて5枚。
佐藤 じゃあ十分に時間はかけつつ。でも1番から順番に出してるんだもんね。
崎谷 そうですね。だから本当はソナチネ(やさしいソナタ)を最初に弾いておかなきゃいけなかったんですけど。19・20番(作品49)ね。
佐藤 実は僕も全部録りたいと思っていて、僕は全然遅いペースでまだ2枚しか録ってないので、これ一生かけて終わるのかみたいな感じになってるんだけど(笑)。僕は最初に21から23を録ったんですよ。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21-23番ほか佐藤卓史(ピアノ)
Tactual Sound TSCP-0001
定価¥2,500+税
崎谷 それはなんでですか?
佐藤 ちょうどそのあと全国ツアーをやろうと思ってて、そこで有名な曲を8・14・21・23って弾くんだったので、そのプログラムの中で、自分が特にしっかり勉強したワルトシュタイン(21番)とアパッショナータ(23番)は録りたいと、じゃあ間の22も録るか、みたいな感じで、ゆくゆくは全部録るつもりでそこを録ったはいいものの、ウィーンのそのCDを録ったスタジオがそのあとなくなっちゃったりとかいうことがあって。
崎谷 ああそうなんですか!
佐藤 しばらく難航した挙げ句、2018年に、今度は12から15を録ったんですよ。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第12-15番 佐藤卓史(ピアノ)
Tactual Sound TSCP-0002
定価¥2,500+税
崎谷 なるほど。12から15。
佐藤 というところで今止まっていて、さあ次どこに行こうかなと。間のね、同じ作品31のあたりをいくか。そうすると中期がほぼ揃う。
崎谷 そうですね。
佐藤 あるいはまた全然違うところを攻めていった方がいいのか、いろいろ考えつつ、ちょっとあちこちを摘まんで弾いてみては「うーん」って腕組みをしてるんだけど。
崎谷 シューベルトは全部出されてる?
佐藤 シューベルトはね、セッションで録ったのはシューベルトコンクールのご褒美で録っていただいた単発のディスクしかないんです。
崎谷 そうなんですね。
佐藤 でも一応このシリーズは全部ライヴ録音してるので、それこそちゃんと自分で編集を覚えて、リリースしないとと思ってるんですけど、まだ長い道のりです(笑)
崎谷 それは当然出さないと。
佐藤 ちょっと崎谷君を見習って頑張らないと、と今日思いました。
(インタビュー完 ・ 2021年8月18日、ヤマハアーティストサービス東京にて)
- 2021/11/27(土) 23:33:04|
- シューベルトツィクルス
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(
インタビュー第2回はこちら)
崎谷 でも、私らから見たら5つ上の世代ですけど、佐藤先輩といえば大スターですよ。
佐藤 とんでもない。
崎谷 音楽的にもですし、活動の内容とか、すべて含めて、理想的だなと。
佐藤 いいよ僕のこと褒めないで。
崎谷 そりゃご本人はいろいろ思うことはあるでしょうけど、本当に尊敬できるっていう言葉がすっと出てきますね。僕は、先輩のように演奏一本ではとてもやれないと思っているので、演奏ももちろん大事なんですけれども、基本的にはどこかで指導しながらっていうことを軸に。
佐藤 そうそう、指導するのに、やっぱりこれまでの留学の経験とかは役に立ってます?
崎谷 そうですね、経験、うーん…
佐藤 どんなことを教えてるの?
崎谷 今教えている大阪教育大の学生は、理解力がある子が多いので、もう思ったことを言ってますけどね。基本的にどういう付き合い方をするのかが難しくて。
佐藤 ほう。
崎谷 要するに、
奏法をいじるかいじらないかって話ですね。
佐藤 はいはい。
崎谷 月一で来る生徒はいじれないんですよ、奏法。
佐藤 そうですよね。
崎谷 普段の先生のやり方でやってもらって、補強するしかないんですけど。でも、じゃあ奏法をやろうとなったら…
前腕を、4つに分けて、役割をあてて考えたりするんですよ。
佐藤 前腕を4つに分けるの?
崎谷 そう、前腕の最初のところ、手首側は、横に回転する。
佐藤 ほう。
崎谷 中央の、2番目のところは、上下に動かすと。3番目のところが、前後に。鍵盤の奥と手前です。
佐藤 なるほどね。
崎谷 で、肘に一番近いところは、横移動。というふうに分けて考えて、いろいろ論理を言うわけですよ。たとえば、
鍵盤の上にアナログ時計を置いて、このフレーズは、5時方向から逆時計回りに…
佐藤 あ、それはすっごいわかりやすいね!
崎谷 そういう論理を教えるっていうのが私のやり方ですね。
佐藤 へえ! すごいねそれ。
崎谷 研究してるんですけど、もっとわかりやすい言い方はないのかなって。
佐藤 プロフェッショナルですね。
崎谷 そういう研究が結構好きなんですよ。まあ、似非研究者ですけど(笑)
佐藤 いやいや、それはすごい良い先生ですよ。
崎谷 ただ、体重が僕あるんで。
佐藤 うん。
崎谷 こう、学生はやっぱり軽いんでね、体重が。
佐藤 (笑)そうだね。
崎谷 正味言ったら僕の2分の1以下ですよ。
佐藤 (爆笑)やっぱり女の子が多いの?
崎谷 まあそうですね。だから体重はセクハラになるからもちろん聞いたらダメなんだけど(笑)、そうなると、ちょっと軽い人の気持ちがわかりたいなっていうのが最近ね。
佐藤 あっはっはっは…
崎谷 いや僕が軽くなりたいっていうのもあるけど、軽い人がどうやって音を出してるんだろうっていうのは、指導者としては研究しないといけないなって思ってるんです。
佐藤 なるほど。確かに体格とか骨格って変えられないから、自分に似てる骨格のピアニストを見つけて、その人がどうやってピアノ弾いてるのかなっていうのを見るとすごく勉強になるよね。
崎谷 そうですね。
佐藤 でもみんなそれぞれ違うのに、同じように弾けば良いとは教えられないし、気になるところですね。
崎谷 難しいです。
佐藤 ぜひ指導法の本を書いたらいいんじゃないかな?
崎谷 そうですね(笑)研究がしっかりできれば。
ピアノと友だちになる50の方法
チェルニー活用法佐藤卓史・著 小原孝・監修
ヤマハミュージックメディア
定価¥1,600+税
佐藤 この間ヤマハさんのお仕事で、チェルニーの本を書いて欲しいって言われて。
崎谷 見ました。
佐藤 テクニックの分類をして、「音階を弾くときにはこういうことに気をつけましょう」みたいな簡単なことを書いたんだけど、とにかく言葉で説明するのがものすごく難しくて。
崎谷 難しいですよね。
佐藤 弾いてみせればこういうことだよって言えるんだけど、「手首をこの辺まで持ってきたらどう」とかいうことを、誤解しないように言葉にするってすごく難しいなあと思って。
崎谷 テキストと映像とを組み合わせてくれれば良いですよね。限定のYouTubeリンクを張って、とか。
佐藤 そうそう。まあそこまでしても違うメソッドの人はまた違うことを言うだろうし。
崎谷 違いますもんね。
佐藤 誰にでも当てはまるようなことを言うのは難しいよなあと。
佐藤 教鞭を執りつつ、
演奏活動も意欲的に。
崎谷 年に2回は、違うプログラムを作って頑張ってリサイタルをしようと思ってるんですけど。
佐藤 それ大変だよね。
崎谷 今兵庫県に住んでいまして、兵庫県はすごく文化を応援してくれる県なんです。
佐藤 ほう。
崎谷 都道府県でいうと、1人あたりの予算が3番目なんです。
佐藤 へえ。
崎谷 東京がもちろん1番なんですけど。私ももちろんこうやって東京で録音させていただいたりとかもあるんですけど、地元を大事にしていきたいと思っていまして。リサイタルをしても、そんなにたくさんの人が来るわけじゃないんですけど、ただやはり小中高生に聴いてもらいたいと思って、神戸のリサイタルには無料で入っていただけるように、ということはやっているんです。
佐藤 へえ、素晴らしいね。
崎谷 じゃあそこにどう引っ張ってくるのかっていう課題ももちろんあるんですけど。
佐藤 見てると、崎谷君はだいたい
王道の曲を弾いてるなっていうのがあって。
崎谷 あははは。
佐藤 なんかさ、変な曲を弾く人っているじゃないですか。誰も知らない、「何それ?」みたいな曲を。そういうのじゃなくて、いわゆるメインレパートリーを攻めてるなあって。
崎谷 自分はコンクールを結構長く受けてたので、そういったところをちゃんと勉強できてないと思っていて。
佐藤 え、そうなの?
崎谷 やっぱり飛び道具的な、リストの「ドン・ジョヴァンニの回想」とか。
佐藤 まあでも「ドン・ジョヴァンニ」も別に変な曲ではないよね。
崎谷 変な曲ではないですけど、今はそういうのじゃない曲を勉強していきたいっていうことと、あとは
世の中の流れにちょっと逆らいたいっていう思いですよね(笑)
佐藤 ほう。
崎谷 裾野を広げるという意味で、わかりやすく、簡単に、短く、展示的にやっていくという流れは、それはもちろん誰かにやっていただかないといけないんですけど。でも私がやりたいことではないっていう気持ちが明確にあって。
佐藤 なるほど。
崎谷 この前のプログラムは1853年に作られた3曲を並べて。ブラームスのソナタ3番とリストソナタと、シューマンの「暁の歌」。
佐藤 うん。
崎谷 シューマンが全部絡んでるわけですよね、出会いの中に。
佐藤 そうだね。
崎谷 それを並べて、舞台上でどういう反応が起こるかっていうことを、自分は楽しみにしてるんですよね。ブラームス3番を弾いて、リストを弾いたあとに、シューマンに入る瞬間どんな思いがするんだろうと思って舞台に乗るという。
佐藤 素晴らしいね。
崎谷 そういう楽しみがないと、モチベーションが沸いてこないというかね。
佐藤 基本的にロマン派が好きなの?
崎谷 ロマン派の、
ブラームスがやっぱり好きなんじゃないですかね。自分に合っているような。
佐藤 そういえば、あの
「ドン・ジョヴァンニの回想」のYouTubeは、自分で考えたの? 誰かこういうのやったら良いよっていう人がいたの?
崎谷 いやいや。それこそ兵庫県で、若手の支援のための動画を募集してると。それをさせていただくときに、やっぱり面白いものをやろうと。さっきの話とも繋がるんですけど、ただ見せるだけではダメだろうっていうのはあるんですよね、自分の中で。背景を理解してもらうとか、それに付随する楽しい話を…
知的好奇心をかき立てたいっていう思いがあるので。
佐藤 うん。
崎谷 たまたま前年にこぢんまりとですけど、
オペラで指揮をする機会があったので。
佐藤 それもすごいよね、なんでオペラの指揮をしてるんだろうと思って。
崎谷 いや家内がね、オペラ伴奏の仕事をしてたりするんで。
佐藤 ああそうなんだ。
崎谷 そのご縁でというか、初めて振らせてもらって。
佐藤 初めて振ったのがドン・ジョヴァンニっていうのも、ものすごいオペラ指揮者デビューですね。
崎谷 ピアノトリオですよ、編成は。いきなりオケは無理ですから。
佐藤 にしたって歌い手はみんないるわけじゃない。
崎谷 いや、まあ、付き合っていただいたんですけど。たまたまそういう素材の写真もあったので、組み合わせてみたら面白いんじゃないかと。
佐藤 めっちゃ面白かったよ(笑)
崎谷 古い動画だけではダメだっていうレギュレーションがあって、新しいものを組み合わせてくれって言われたので、鍵盤を見せるという。あれはね、
アテレコをしたんですよ。ワイヤレスのヘッドフォンで自分の演奏を聴いて。
佐藤 難しそうだよね!
崎谷 そう、大変だった。演奏はここ(ヤマハアーティストサービス)で録ったんですよ。
佐藤 うん、見た見た。
崎谷 で、それにアテレコで指を合わせるっていう。
佐藤 大変ですよねそれ。昔のカラヤンのミュージックビデオみたいな。
崎谷 そんなのあるんですね。
佐藤 ああ知らない? カラヤンのミュージックビデオってたくさんあるじゃない、あれは全部アテレコなんですって。だから音は音で別に録ったのを流しながら、指揮をしてるふりをして、みんな弾いてるふりをしてるっていうことらしい。
崎谷 なるほど、まあ映像で見せるならそうなりますね。
佐藤 いやあでもすごい労作だなって思って。ほんと多才だよねえ。
(つづく)
- 2021/11/26(金) 20:32:42|
- シューベルトツィクルス
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インタビュー第1回はこちら)
崎谷 そのあとに藝大に行って。
佐藤 そうそう、それこそルヴィエのところで勉強して、あれだけコンクールの賞歴もある崎谷君が藝大に行くんだ!って僕は割とびっくりしたんですけど。
崎谷 藝大で
迫昭嘉先生に教えていただいたことはすごく大きかったですね。
佐藤 へえ。
崎谷 特にテンポの作り方というのが。
佐藤 ほうほう。
崎谷 フランス的というか、ソルフェージュ的なテンポの考え方は、基本には
メトロノームというものがあって、その中で音楽が起こっていくという。一方でドイツ的な、伝統的な考え方としては、Andanteで3拍子だったらこんな調子で行くんだとか、共通認識みたいなものがあるじゃないですか。
佐藤 はい。
崎谷 歴史的にはそういう伝統的な考え方の後に、メトロノームができて、それにテンポを合わせていく。もちろんルヴィエ先生の演奏にも揺らぎはあるんですけどね、基本的にはメトロノームでオーガナイズされている。それが軸になっているというところと、全然違う、迫先生の演奏を聴いたときに、衝撃的でしたよね。
佐藤 ははあ。
崎谷 感覚的に同一のテンポがそこにあって、自由に揺らいでいくという。アーティキュレーションとか強弱とかはだいたい楽譜上で決まってて、その度合いを演奏家の裁量で決めますけど、
テンポの調整に関しては全く白紙委任なわけですよね。
佐藤 なるほど。
崎谷 全く統一したテンポで弾くっていう考えもありますけど、そこをいかに柔らかく独自に、でも怒られない程度に(笑)やるのかっていう研究を。コンクールで減点されないとかいうこととは全く別の、その揺らぎをどう作るのかっていうことが、自分の中のテーマになったんです。
佐藤 面白いねそれは。
崎谷 迫先生は具体的に何かおっしゃってたわけじゃないですけど、横で聴いてて、全く追いつけない6年間でしたね。
佐藤 藝大に6年もいたの?
崎谷 6年いたんですよ。藝大の方がパリより長いんです。
佐藤 うわあ。やっぱり藝大行って良かったですか? そんなこと聞いちゃいけないかな(笑)
崎谷 まあ、先生とレッスンが良かったのはもちろんですけど。これからクラシック音楽ってなかなか大変だという中で、ある程度演奏家が文章を書いたりとか、自分の言葉で考えをしっかり伝えていくっていうのが大事かなと。
佐藤 うん。
崎谷 先輩も本であるとか解説文とか、お考えをしっかり出されていて、しかもそれが研究に基づいているということがこれからの時代に必要なんじゃないかなと私も思いまして。それで軽い考えで、博士まで。
佐藤 すごいよね、
博士課程修了というのは。なかなかいないですよ。
崎谷 まあ迫先生と2年で終わるっていうのは短いなっていうのが一番の理由でしたけど。
佐藤 でも皆さん修士でも2年じゃなく、もうちょっと長くいるよね。僕は大学院行かなかったからよく知らないけど。
崎谷 そうですね。だから行って良かったんですけど、もう1回ぐらい留学できても良かったなあと思うところもありますね。
佐藤 確かにね。
崎谷 博士課程の在籍中に、ヤマハのマスタークラスの先生やらないかって声をかけていただいて。2015年ぐらいですかね。その仕事が始まったこともあって、時機を逸してしまったんですけど。
佐藤 わかるなあ。僕も自分が留学するときは結構決意を固めて行った覚えがあって。それこそ演奏活動が始まってたので、藝大の学部生のときに。
崎谷 そうですよね。
佐藤 周りの先生方には「早く留学したら」みたいなことを言われるんだけど、行き先も決まってないし、今やっている活動を全部捨てて行くのは結構勇気の要ることで。
崎谷 はいはい。
佐藤 でも、とにかく演奏活動に忙殺されるだけみたいな生活になっちゃってたので、このままずっと日本にいたらそれこそダメだなあと思って「えいやあ」で全部うっちゃって(笑)。それでも僕は高校から藝高なので、結局
上野に7年いたんですよ。
崎谷 はいはい。
佐藤 7年は長かったなと。もうちょっと早く海外に行けたら良かったなというのは僕はありますね。藝大の頃も、いろんな外国の先生のレッスン受けたりしたんだけど、この人にこれから何年間かつきたいかっていったら、良いレッスンだったけどそこまではね、みたいなこともあって。なかなか決まらなかったですね。
崎谷 ハノーファーはなぜ選ばれたのですか?
佐藤 それはもう、
アリエ・ヴァルディにつきたかったからというだけの理由で。
崎谷 ヴァルディ先生は日本に来られたときにレッスンを受けて?
佐藤 いやレッスンはね、僕は日本では受けてないんですよ。
崎谷 えっそうなんですか。
佐藤 浜松のピアノアカデミーあったじゃない?
崎谷 ありましたね。
佐藤 あれをね、たまたま1日だけ聴きに行ったの。そしたら、アリエ・ヴァルディがレッスンしていて、名前は知ってたので、どんなレッスンするのかなと思って行ってみたら、すごい良い感じだったので、「この人につきたい!」と思って。
崎谷 へえ、そうなんですね。
佐藤 それで調べたらゴスラーっていう、ハノーファーの近郊の街でマスタークラスをやっているというのが分かったので、そこに申し込んで。それこそルヴィエ門下で、その頃ヴァルディのクラスにいた先輩の菊地裕介君も手助けしてくれて、無事取ってもらった、という流れ。
崎谷 そうだったんですね。
佐藤 ハノーファー時代は僕もちょくちょくパリに行ったりして、よく遊んでもらってたよね。
崎谷 はい。でもパリの頃はむちゃくちゃな生活でしたね。
佐藤 そうなの?
崎谷 高校卒業で留学して、まあ早かったんですよね。一人暮らしが全然出来なかったので。
佐藤 19とかだもんね。確かに難しい。
崎谷 ユーロも今では考えられないレヴェルで高い時期で。
佐藤 高かったねえ(笑)。パリとかロンドンとか、大都市は物価もね。
崎谷 高いですもんね。
佐藤 その点ドイツ語圏は軒並みそんなに高くないので、そういう意味では僕はあんまりそういう大変な思いをした経験はないんだけど。
崎谷 うーん、
あんまり良い思い出はないですね。よく「パリなんて良いじゃない」って言われるんですけど。
佐藤 (笑)
崎谷 お金持ってる人はいいかもしれないですけど、うちはサラリーマンの家なんでね。音楽二世でもないし。
佐藤 ご両親とも全然音楽なさらない?
崎谷 全く。
佐藤 うちと一緒ですね。
崎谷 ああ二世じゃないんですね。
佐藤 でも、パリで僕がすごくよく覚えてるのは、今の僕の奥さんのお母さんが「フランスの傘が欲しい」って言ってて。
崎谷 ああ。
佐藤 遊びに行ったときに、どこかに傘売ってないかなって言って付き合ってもらって、デパートあちこち探したんだけど、どこにも売ってないっていう。
崎谷 そう。
傘売ってなかったですねえ。
佐藤 一日中、パリじゅうのデパートに行って傘を探すっていう。あれに付き合ってもらったのすごくよく覚えてる。あのときはご迷惑をおかけしました。
崎谷 いえとんでもないです。たぶんプランタンと、ラファイエットと、ボンマルシェも行ったんじゃないかな。無かったんですよね。
佐藤 無かったよね。それもさ、「傘売り場はどこですか?」って聞いたら、8階ですっていうのに、その建物には7階までしかないとか(笑)、カフカ的不条理みたいな世界で。
崎谷 そのあとカントゥで会いましたよね?
佐藤 会ったっけ?
崎谷 カントゥで優勝されたときに、私も行ってて。
佐藤 あ、会ったわ。
崎谷 一緒にピザ食べましたよね。
佐藤 そうだわ。その写真あったね。
崎谷 あのときね、モーツァルトの(協奏曲)17番弾かれてたでしょ。本当に素晴らしくて。いやあこういう風に弾けたらいいもんだと思いつつ、やっぱり僕はもうモーツァルト弾かなくていいやと思って。
[
▶佐藤の演奏するモーツァルト:ピアノ協奏曲第17番のCDはこちら]
佐藤 何言ってるんですか。
崎谷 こんなに弾ける人がいるなら、僕は違うところで勝負しようというね。そういう思いにもなりましたけど。
佐藤 で、そのあとウィーンで会ったと。
崎谷 ウィーンで。そのあとも何かでご連絡はしたと思うんですけど。
佐藤 うん。でも全然会ってなかったよね。もう9年かあ。
(つづく)
- 2021/11/25(木) 14:08:48|
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佐藤卓史シューベルトツィクルス第15回公演ゲストの崎谷明弘君にお話を伺いました。
長い付き合いですが会うのは9年ぶり。積もる話をいろいろと…
佐藤 今日はここ(ヤマハアーティストサービス東京)でブラームスのレコーディングを終えられた直後ということで、お疲れのところすみません。
崎谷 いえいえ。ありがとうございます。
佐藤 マイクも全部自分で立てて、しかもこのあと編集も自分でするの?
崎谷 一緒にやっていたレコード会社が今忙しくなってしまって、なんとか自分でできないかと思って。
佐藤 自分でやるってすごいですね。
崎谷 いやあ、まだまだできてないんですけど。少しずつ経験を重ねて、勉強しながらって感じですね。
佐藤 最後に会ったのは…2012年?
崎谷 本当に。先輩はそのときウィーンにいらっしゃって。
佐藤 そうです。
崎谷 僕はもうヨーロッパから帰る直前だったんですけど。演奏会でちょろっとウィーンに行ったときに、ご馳走になりまして、ありがとうございました。
佐藤 いえいえ(笑)何食べたんだっけ?
崎谷 たぶんシュニッツェル?
佐藤 シュニッツェルか。僕も今そんな記憶が蘇ってきました。あのときはまだパリに住んでた?
崎谷 そうですね。
佐藤 何年間いたの? パリに。
崎谷 4年です。
佐藤 ああそうなんだ。
崎谷 ヨーロッパ4年しかいなくて。先輩はハノーファーのあとどこでしたっけ?
佐藤 そのあとウィーン。
崎谷 直接?
佐藤 うん。いつから髪型はこれになったの?
崎谷 あっはっはっは。髪はいつだっけ、一昨年ぐらいじゃないですかね。
佐藤 ああそうなんだ。
崎谷 博士論文書いて、パーマにしようかな、みたいな。
佐藤 博士の感じに。
崎谷 ハカセ太郎じゃないですけど。
佐藤 あっはっはっは!
崎谷 間違えられるんですけどね、はっはっは。
佐藤 いや、知らない間に崎谷君が爆発していたからどうしたんだろう、心境の変化があったのかなと思って。
崎谷 なんかね、ヘアスタイルをいろいろ相談して…とにかくかみさんに「坊主だけはやめてくれ」って言われて。
佐藤 (爆笑)
崎谷 最初はアフロみたいにしたかったんですけど。
佐藤 アフロ。
崎谷 それはすごい時間がかかることがわかりまして、髪にも良くないと。で、結局こんなのに落ち着いたんですけど。
佐藤 なるほど。わかりました。でもプロフィール写真はアフロっぽいよね。
崎谷 そうですね、この髪にするとセットして1ヶ月ぐらいが良い状態で、あとはちょっとハゲが見えるみたいな。垂れ下がってくるんで。
佐藤 (笑)なるほどね、髪の重さで。
崎谷 気にしてるんです。もう30になりましたからね、先輩にお会いしてたときはまだ20代前半だったのに。
佐藤 僕も20代だったよ。でも一番最初に崎谷君にお会いしたのは
2002年とかですよね。
崎谷 はい。七尾のとき。
佐藤 あのときは、…中学生?
崎谷 中学生でした。七尾のコンサートのコンセプトが、日本音コンの第1位と、学生音コンのそれぞれの部門の第1位を集めて演奏会しようということだったので、先輩が高3で音コン優勝されて。
佐藤 でもコンサートは次の年だったから確か僕は大学1年生だったんだよね。
崎谷 そうです。だから僕は中2ということですね。5つ離れてるので。
佐藤 そうだ。でもね、僕はその頃既に崎谷君の名前は知っていて。
崎谷 え、なんでですか?
佐藤 コンクールでなのかな、だから「ああ、これがあの崎谷君か」って思ったのを覚えてる。
崎谷 いやいや、先輩の名前はもう轟いてましたよ。もう、演奏もびっくりしましたね、あのコンサートのとき。途方もないなと思ってました。
佐藤 そんなことはないけど。で、崎谷君といえば若い頃から活躍していて、良い教育を受けてこられたんだなあっていう印象があるんだけど。
崎谷 まあ、先生方のおかげですね。
佐藤 もともとはピアノはどうやって始めたの?
崎谷 もう無理矢理やらされてただけですけどね。
佐藤 ああそうなの?
崎谷 最初はヤマハの幼児科に2年ぐらい行ってて、それからジュニア専門コースっていうのがあるんですね、ピアノを結構バリバリやるみたいな、それに進んで。だからピアノをちゃんとやったのは小1からです。
佐藤 そうなんだ。
崎谷 でも、ピアノの道に進むかずっと迷ってたんですけど。
佐藤 じゃあこどもの頃からピアノ一筋というわけでも。
崎谷 高校ぐらいまで、勉強で行こうかなっていう思いもありましたね。でもPTNAの特級のときに、
ジャック・ルヴィエ先生が審査にいらっしゃってて。
佐藤 はい、はい。何か賞をもらったんだよね?
崎谷 ルヴィエ賞。ルヴィエ賞っていうのは、ルヴィエ先生のレッスンを受けられるという権利で。
佐藤 ほうほう。
崎谷 そこで レッスンしていただいて。ルヴィエ先生はとても理論立てて教えて下さるので、非常に新鮮でしたね。それまでの先生にもすごくお世話になってきたんですけど、どちらかというと感覚的におっしゃる方が多かったので。ルヴィエ先生みたいな先生のところで勉強できるなら、賭けてみてもいいのかなと思って、パリへ。
佐藤 いくつのときに留学したの?
崎谷 19ですかね、高校卒業して、1年間ルヴィエ先生の枠が空いてなかったので、次の年に入試受けて。
佐藤 ふむふむ。じゃあほぼ大学の、学部生の時期をパリで過ごしたと。
崎谷 はい。それからなんとかここまで、止めどきを失って、と言ったら怒られるかもしれないですけど、続いてしまったのかもしれないです。
佐藤 その感じは僕もあるなあ。ルヴィエ先生の教えで今すごく残ってるものってありますか?
崎谷 ルヴィエ先生のレッスンは、いわゆる基礎的なこと、
「高度な基礎」って僕は呼んでるんですけど。
佐藤 高度な基礎。
崎谷 ピアノをどう弾くのか、というよりもまず楽譜ですよね。楽譜に忠実であるということ、一口では難しいんですけど、まずは正確に表現できるか。たとえば4分音符の長さはどこまで伸ばすのか。フレーズ、アーティキュレーションをどのように表現するか、たとえばスラーはきちんと閉じなければいけないし、スタッカートの書いていないところで、たとえば2音にスラーがかかっていたときに後ろの音符がスタッカートになってしまわないとか。具体的ですけど。
佐藤 はいはい。
崎谷 非常に単純なことなんですが、それらを組み合わせていく、さらに音楽の流れの中で実現するというのは、すごい難しいことだと思うんです。
佐藤 確かに。
崎谷 だから「高度な基礎」と言っているんですけど。そういう点で、楽譜を見たときに、困らなくなりましたね。だいたいこういうふうに弾くんだっていう想像がつくんで。そこからさらにもう一歩二歩、音楽的なこととか、背景がどうとか、そういうことも考えていかなきゃいけないんですけど、まずは基礎がしっかり入っていることが大事であると。
(
第2回へつづく)
- 2021/11/24(水) 22:11:48|
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佐藤卓史シューベルトツィクルス第15回公演ゲスト、崎谷明弘君との9年ぶりの再会+初リハーサル+インタビューの模様です。どうぞお楽しみ下さい!
- 2021/11/19(金) 21:48:33|
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