ピアノ・ソナタ 第18番 ト長調 Klaviersonate Nr.18 G-dur D894 作曲:1826年10月 出版:1827年4月(「幻想曲、アンダンテ、メヌエットとアレグレット」作品78として)
この大ソナタは、シューベルトのコンヴィクト時代からの親友、
ヨーゼフ・フォン・シュパウン に献呈された。シュパウンはこの作品についてこんな証言を残している。
ある朝彼に会うと、ちょうどソナタを書き終えたところだった。つっかえながらもその場で彼が試演してくれたその曲に、私がすっかり夢中になったのを見て、彼は「気に入ったなら、君のソナタにしよう。君に喜んでもらえるのが僕は一番うれしい」といって、ページを切り取って、私に献呈してくれた。それが作品78だ。 なんと美しいエピソードだろうか。
シュパウンは後年こうしたシューベルトのさまざまな思い出を回顧録にまとめていて、それによって我々もシューベルトの人となりを知ることができる。何も書き残さなかった悪友ショーバーとはえらい違いである。
シュパウンは出版に際しての公式な「献呈許可」を1826年12月15日に認めており、そこには「フランツ・シューベルトの
第4ピアノ・ソナタ 」とある。
しかし実際には、これはシューベルトにとって
3曲目 の―そして生前最後の―ピアノ・ソナタ出版となる。なぜ「第4ソナタ」なのだろうか?
シューベルトの死の直後にペンナウアーから出版された
変ホ長調D568のタイトルは「第3グランド・ソナタ 」 となっている。ということは、1826年4月にD850のニ長調ソナタが出版されたあと、12月までの間にD568の出版契約を締結した、ということなのではないだろうか。だがD568の出版は遅れ、その間にシューベルトは他界してしまった。
D894は1827年4月にハスリンガー社から「Museum für Klaviermusik ピアノ音楽の博物館」というシリーズの第9巻として出版されたのだが、そのときのタイトルは
「幻想曲、アンダンテ、メヌエットとアレグレット」 となっている。おそらく急に降ってわいたような出版話だったのだろう。それにあたって、「ピアノ・ソナタ」では売れないから、タイトルを変えさせてくれ、という提案をシューベルトは受け入れたようだ。この作品は
4曲からなる小品集 として世に出たのである。
「幻想」ソナタ という愛称は、この初版タイトルに由来している。ただ第1楽章の冒頭に記された「幻想曲、または:ソナタ」という副題が、この作品の本来の姿を物語っている。
1825年以降の大ソナタへの取り組みの成果が結実した大作であるが、全体としては非常に穏和で、見方によっては冗長な印象も拭えない。
その一因は、
「繰り返し」の多さ にある。もともと繰り返しの多いシューベルトであるが、この曲では半ば意図的に繰り返しが多用されており、小さなモティーフから大きなセクションに至るまで、あらゆる要素は「繰り言」のように必ず反復される。だからといってシンメトリカルな楽節構造になっているかというと必ずしもそうではなく、「字余り」のような楽句もあって、音楽がドライヴするのを阻んでいる。
もうひとつ、この作品は
「和音」 の響きが支配する箇所が多く、シューベルトの本領である旋律の美しさでぐいぐい引っ張っていくようなところは少ない。減衰していくピアノの音にじっと耳を澄ますような、静的な音楽が聴き手の時間感覚を惑わせるのだ。
あわせて、両端楽章の左手の5度の響きの連続がいかにも
「田園」風 で、シューベルトならではの舞曲のリズムも相まって、田舎の鄙びた空気が濃厚に漂ってくる。「幻想」というニックネームがなかったら、きっと「田園」ソナタと呼ばれていたのではないだろうか? 大自然に身体ごと包み込まれるような安らぎと喜びを感じさせるこの作品が、夏の旅行中に書かれたというようなエピソードがあれば納得できるのだが、この年シューベルトは
どこにも出かけられずにウィーンに留まっている 。
一方で
リズムの分割 に関する探求は前作D850よりもさらに進んでいて、第1楽章の11:1の鋭い長短のリズム(12/8拍子にベートーヴェンの「熱情」第1楽章からの影響を指摘する説もある)で和音が交代する第1主題はピアノならではの書法だし、第2楽章の反復時のリズム変奏の手法も手が込んでいる。
第1楽章 の第1主題、前述の和音が静かに交代するさまは瞑想的で、「幻想」のイメージはここから生まれたのだろう。ニ長調の第2主題では左手にシチリアーノ風の踊りのリズムが現れ、音楽に活気を与えている。確保時にメロディーは16分音符で細かく変奏され、それが下行音階へ続いてゆき、激しいドッペルドミナントの和音へなだれ込む。展開部は第1主題と第2主題をバランス良く扱っており、対位法的・和声的な盛り上がりもあり、規模的にも全く不足のない、充実した内容となっている。ただ、同じ要素の反復はやはり多く、いくぶん冗長な感じも否めない(なおこの展開部の構成は
D568の第1楽章の展開部 と酷似しており、D568がこの時期に改訂された可能性を推測させる)。再現部では第1主題部をぐっと短縮して、第2主題以降を主調で再現する。コーダも相変わらず繰り返しの連続で、次第に遠ざかって消えていく。
第2楽章 はニ長調で、ABAB'A'のロンド形式、あるいは展開部を欠くソナタ形式とも考えられる。A部はそれ自体がabaの三部形式で、本作の中では珍しくシューベルトらしい歌心が発揮された美しいメロディーだ。B部は一転して激しい和音の打撃と不安げな楽想が交互に登場する。反復される間に主題は細かい変奏を纏うようになる。
第3楽章 はロ短調のメヌエット。典型的な複合三部形式である。厳しい和音の連打で始まる主部のデモーニッシュさは、すぐにニ長調の優雅な衣に隠れてしまう。トリオはロ長調で、レントラーの趣が強い。再現時には嬰ト長調(!)に転調する。
第4楽章 はABACAのロンド形式のフィナーレ。のんきな調子の主題で始まり、合いの手のように現れるタタタタという和音連打(前楽章から引き継いだ要素である)がやがて主要なモティーフになっていく。最初のエピソード(B)はハ長調、シューベルトの好きなダクティルスのリズムに乗って無窮動のメロディーが続いていく。2番目のエピソード(C)は変ホ長調だが、ハ短調とハ長調の副エピソードを伴った長大なセクションである。ここでもダクティルスのリズムが支配的で、B部とのキャラクターの違いが明確化されない。ロンド主題にも反復時には細かい変奏が施されるものの、全体的にずっと同じようなことをやっているような、田園風景がどこまでも続いていくような長閑な印象を残したまま、静かに曲は終わっていく。
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2021/05/31(月) 22:45:21 |
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ピアノ・ソナタ 第9番 嬰ヘ短調 (断章・未完) Sonate (Fragment) fis-moll D571 作曲:1817年7月 出版:1897年(旧全集)
アレグロ 嬰ヘ短調(未完) Allegro (Fragment) fis-moll D570-1 作曲:1817年? 出版:1897年(旧全集)
前述した嬰ヘ短調ソナタ の、未完の両端楽章とその補完について解説したい。
まずは
D571 のオリジナルの内容を改めて確認しておこう。
【提示部】
[1]-[4] 前奏 嬰ヘ短調
[5]-[19]
第1主題 嬰ヘ短調
[20]-[27] 第1主題の確保 嬰ヘ短調
[28]-[43] 推移部1 嬰ヘ短調→イ長調
[44]-[53] 推移部2 イ長調が確定→ニ長調へ
[54]-[69]
第2主題 ニ長調(途中ニ短調・変ロ長調を経過)
[70]-[91] 第2主題の確保 ニ長調(途中ニ短調・ヘ長調を経過)
[92]-[99] 小結尾 ニ長調→
1番括弧[100]-[101] →嬰ヘ短調 :||
2番括弧[100]-[105] →ヘ長調→ホ短調→変ホ短調→
【展開部】
[106]-[113]
新主題登場 変ホ長調 調号変更(♭3) [114]-[120] 変ホ短調→変ト長調→変ハ長調
[121]-[128] 新主題の確保 変ハ長調
[129]-[130] 変ハ長調→変イ短調→
[131]-[135]
調号変更(♯3) 嬰ト短調(異名同音)→ホ長調→嬰ハ短調→
[136]-[141]
ロ短調のドミナント が定着 [141]で中断
さまざまな調性に転調していくのはソナタの常であるが、この中では展開部に入る直前、2番括弧の半音階的な転調が最もラディカルで、それ以外は近親調間のオーガニックな転調である。
さて、シューベルトは
展開部の末尾まで書いたところで中断した というのが通説だが、問題はここが嬰ヘ短調(主調)のドミナントではなく、
ロ短調(下属調)のドミナント だということだ。このまま再現部に入るとなると、この楽章は
「下属調再現」 をとることになる。
下属調再現とは文字通り、第1主題の再現を本来の主調ではなく下属調から始める方法のことで、有名な例は
モーツァルトのソナタK.545の第1楽章 である。ここではハ長調で始まった第1主題が、再現部ではヘ長調になっている。
モーツァルト:ソナタK.545 第1楽章 提示部(上)と再現部(下) すると、提示部「主調→属調」(I→V)と再現部「下属調→主調」(IV→I)が
相似形 となり、そのままそっくり提示部を5度下(4度上)に移調すれば再現部の出来上がりになる。推移部での転調の取り消しを考えなくて良いので簡単、とよく説明されるが、
実際のK.545はそんなに単純なつくりにはなっておらず、ちゃんと作曲者が介入 して第1主題の間で主調に戻り、そこから転調せずに第2主題をハ長調で再現する。
シューベルト作品ではヴァイオリンとピアノのためのイ短調の「ソナチネ」D385の第1楽章が下属調再現をとるほか、D575のロ長調ソナタ第1楽章の初稿で下属調再現を試みたことが知られている(直後に中断)。しかし決定稿ではこのアイディアを捨てて普通に主調で再現部を開始している。
D571の場合は短調であり、提示部では嬰ヘ短調の第1主題に対して第2主題はニ長調(平行下属調、
長3度下の長調 )で提示されるので、下属調再現をするにしてもそのまま移調してOKというわけにはいかない(ロ短調の平行下属調はト長調)。
では現在最も普及している、ヘンレ版ソナタ集第3巻で
パウル・バドゥラ=スコダ が披露した補筆はどうなっているのだろうか。
【再現部】 ※バドゥラ=スコダ補筆
[142]-[145]
調号変更(♯2) 前奏 ロ短調
[146]-[160]
第1主題 ロ短調 (下属調再現)
[161]-[168] 第1主題の確保 ロ短調
右手をオクターヴ上で弾くヴァリアント(アドリブ) [169]-[184] 推移部1 ロ短調→ニ長調(提示部と相似)
[185]-[194] 推移部2 ニ長調→嬰ヘ短調
(★[193]で提示部から逸脱) [195]-[210]
第2主題 嬰ヘ長調 (途中嬰ヘ短調・ニ長調を経過)
調号変更(♯6) [211]-[232] 第2主題の確保 嬰ヘ長調(途中嬰ヘ短調・イ長調を経過)
[233]-[242] 小結尾 嬰ヘ長調→嬰ヘ短調
[243]-[252]
第1主題によるコーダ 嬰ヘ短調
調号変更(♯3) [193]で転調に少し手を加えることで流れを変え、第2主題を
嬰ヘ長調(主調嬰ヘ短調の同主調) で再現することに成功している。第2主題から小結尾までは提示部をそっくり移調しただけだが、この部分については全く異論はなく、誰が補作したとしても基本的にはこうなるはずだ。第2主題の中での調の揺れ動きも、嬰ヘ短調・ニ長調・イ長調と既に提示部に登場した調性をたどり、有機的な構造になる。
ウィーン原典版の
マルティーノ・ティリモ の補筆は、間違いなくこのバドゥラ=スコダ版を下敷きにしている。第1主題前の4小節の前奏を割愛していること、第1主題の音域が違うこと(この思いつき的な改変はいただけない)、また推移部2の転調時のアルペジオの音が若干違うこと(これはティリモ版の方が優れていると私は思う)が挙げられる程度で、あとは
「ほとんど同じ」 である。コーダで第1主題を回想するという発想も同じだ。
私はこの曲をこれまでに3度取り上げており、そのつど異なるヴァージョンの補筆を披露してきた。
【2013年 横浜市港南区・ひまわりの郷ホール】 ほぼバドゥラ=スコダ版に基づいて演奏したが、最後の
コーダだけ書き換えた 。バドゥラ=スコダのコーダは第1主題の確保部分([20]-[26])を回想し、短い終止句で終結するというものだが、私は直感的に
「シューベルトだったらこうは書かない」 と思ったのだ。
その違和感を説明するのは難しいが、あえて言うならば[233]のコデッタ以降、ずっとバスで主音を保続してきた(トニックペダル)のに、コーダに入ってから和音が次々と変わるので、終結感が弱まり、
「新しく何かが始まる」感じがしてしまう 、ということが最大の理由だろう。最後の3小節だけに現れる6度の重音も、ここで突然登場する音型で、それまでの音楽と関係のない恣意的な終止句である。
ティリモのコーダはずっと短いが、あまりにも陳腐で思わず失笑を禁じ得ない。一刻も早く終わらせたかったのかもしれない。
私がこのとき書いたコーダは
展開部の新主題 を用いたもので、一度ドミナントペダルを経過してトニックペダルに至る。主題は途中で2倍に拡大され、同音連打のモティーフが残り、最後はアルペジオだけになって風のように消えていく。
【2015年 大阪大学会館 】 このときは大きく構成を変えて、
展開部を拡張 した上で、通常通り主調で再現部を開始させた。
中断箇所が本当に展開部の末尾で、次の小節から再現部が始まるのかどうか、実は確証はない。
調号は♯3の嬰ヘ短調 である。もしロ短調で再現を始めるつもりであれば、調号は♯2でよいはずだ。しかしシューベルトは♯3のまま筆を置いており、♯2に変更しようとした形跡はない。
D571の自筆譜の最終ページ。2段目の4小節目で明確に♯3を指定しているが、中断箇所の周辺で♯2にしようとした形跡はない。 そこで中断箇所は
「展開部の途中」であると仮定 し、そのまま転調を続けて嬰ヘ短調のドミナントを導く。その上で
再現部を嬰ヘ短調で開始する 、というのがこのときのアイディアであった。
【2021年 レア・ピアノミュージック(配信) 】 それから時を経て今年、またD571に取り組むにあたって、もう一度考え直してみた。
やはり[136]-[141]、6小節にわたってドミナントが続いているということは、
ロ短調の定着 を企てているのであり、ここからさらに展開部を続けるというのは自然ではない。
となるとやはり下属調再現だ。しかし、その後30小節もの長きにわたってロ短調に居座るつもりなら、やはり♯2で記譜したのではないだろうか。♯3を指定したということは、
どこかで嬰ヘ短調に戻るつもりだったのではないか? もうひとつ気になるのは、音域の問題である。ロ短調で再現すると、第1主題の右手のメロディーの音域がいまひとつしっくりこない。バドゥラ=スコダはそれを解消するために第1主題の確保でオッターヴァ・アルタ(1オクターヴ上で)のヴァリアントを提案したが、これはさすがに高すぎて違和感が残る(だから「アドリブ」=お好みで、と但し書きをつけたのだろう)。嬰ヘ短調で演奏してこそ美しさが光る主題なのだ。
ということで、再現部はロ短調で始まるもののそこに留まらず、
第1主題の確保の前に嬰ヘ短調に転調する 、というのが、私が2021年現在ベストと考えている補筆案である。モーツァルトがK.545でしたように、下属調再現とはいえ手を拱かず、作者がきちんと介入した方が良い結果がもたらされるはずだ。
今回のシューベルトツィクルスでもこの2021年版で演奏する。
ちなみに
コーダ は、2013年の初演時からほとんど変更していない。
このコーダについては、ある専門家から「バドゥラ=スコダの素晴らしいコーダをわざわざ書き直した意味がわからない」という意見も寄せられた。それで何度も考えてみたが、やはり私はバドゥラ=スコダ版を弾きたいとは思えないし、かといって現状よりも良いコーダを自分では思いつかないので、自らの芸術的良心に従ってこれを採用し続けている。
続いて終楽章たるD570-1についても触れておこう。
【提示部】
[1]-[8]
第1主題 嬰ヘ短調
[9]-[23] →ニ長調→イ長調→
[24]-[31] 第1主題の確保 嬰ヘ短調→ホ長調→
[31]-[39] イ長調
[40]-[55] 推移部1 イ長調
[56]-[72] 推移部2 ヘ長調→嬰ハ短調
[73]-[84]
第2主題 嬰ハ短調 [85]-[96] 第2主題の確保 嬰ハ短調
[97]-[120] 小結尾 嬰ハ短調 :||
[121]-[124] 経過句
【展開部】
[125]-[140]
新主題登場 ニ長調→ト短調→
[141]-[158] ニ短調→
[159]-[164] ヘ短調のドミナント→
[165]-[174] 嬰ヘ短調のドミナント [174]で中断
こちらは[174]が
展開部の終わりであるということは明白 で、[175]から通常通り主調で再現部を始めればよい。第2主題の再現までのどこかのポイントで転調の方向をいじって、嬰ハ短調(属調)だった第2主題を嬰ヘ短調に持って行けばよいのだ。
バドゥラ=スコダはそのポイントを、なぜかものすごく早い位置、第1主題の確保の直前(提示部の[23]にあたる)に設定して、ロ短調(下属調)で確保を行うことにした。第1楽章の下属調再現の記憶が残っていたのか、それ以外に良い転調のポイントを思いつかなかったのか。この転調はタイミング的にも、和声的にも不自然だと私は思う。
少しの差だが、私は
確保のあと、提示部ではホ長調へ進んだ転調([29])をイ長調に入る ように変えて、その後をすべて提示部の4度上に移調することで解決した。
もうひとつの問題は
コーダ である。バドゥラ=スコダ版は提示部にはない4小節の繰り返しが蛇足であるが(音域を下げるために必要だったのか…ちなみにティリモの補筆にも全く同じ4小節がある)、最終的には第1主題のアルペジオを回想してふわりと終わる(巨匠はコーダで第1主題を回想するのがお好きのようだ)。これはこれで美しく、D571のような違和感を覚えるほどではないが、やはり私は私でオリジナルのコーダを書いてみた。展開部に入る前の経過句を生かして、3連符のリズムを続けながら終わっていく(私はどうやら展開部のモティーフを参照するのが好きらしい)。このコーダは2021年に新しく書き下ろしたものである。
2021/05/25(火) 19:18:46 |
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ピアノ・ソナタ 第9番 嬰ヘ短調 (断章・未完) Sonate (Fragment) fis-moll D571 作曲:1817年7月 出版:1897年(旧全集)
アレグロ 嬰ヘ短調(未完) と スケルツォ ニ長調 Allegro (Fragment) fis-moll und Scherzo D-dur D570 作曲:1817年? 出版:1897年(旧全集)
ピアノ小品 イ長調 Klavierstück A-dur D604 作曲:1816~17年? 出版:1888年(旧全集)
(シューベルトのピアノ・ソナタの一覧は
こちら )
D571の嬰ヘ短調ソナタもまた
問題児 である。
第1楽章が完結しておらず、さらには後続楽章も揃っていないという
「二重苦」 にもかかわらず、バドゥラ=スコダが先鞭をつけた復元の試みが功を奏し、現在では時折演奏会やレコーディングのレパートリーに上るようになった。それに値するだけの唯一無二の音楽であることは疑いない。
冒頭楽章の断片(D571)は1817年7月に作曲された。タイトルには
「Sonate V」 とあり、
1817年に計画された6曲の連作ソナタ の第5番として書かれたことがはっきりしている。
左手のアルペジオの伴奏型が初めに現れ(このような「前奏」から始まるソナタは当時としては非常に珍しい。同じ調性のシューマンのピアノ・ソナタ第1番を連想させるが、1897年の旧全集で初めて出版された本作をシューマンが知っていた可能性はない)、[5]から右手がオクターヴで第1主題を奏でる。属音の3連打で始まる旋律の、滴り落ちるような瑞々しさと儚い悲しみは、まさに稀代のメロディーメーカー、シューベルトならではのものだ。メロディーが終わったあと、伴奏の音型だけが残って展開の素材となり、転調を繰り返して[54]でニ長調の第2主題へ至る。前から引き継いだアルペジオの中からメロディーの断片が聞こえてきて、それが次第に繋がっていく。しかし第1主題のような歌謡的な旋律はもう現れず、全体としてはアルペジオが支配する器楽的なテクスチュアの提示部である。
ニ長調の主和音に終着したあと、[100]の1番括弧では主調嬰ヘ短調の四六の和音に進んで、冒頭に戻る。ところが2番括弧ではなんとヘ長調の四六の和音へスライドし、半音階的なゼクエンツを経て[106]で変ホ長調というとんでもない遠隔調へたどり着く。調号もこれに合わせてフラット3つに変更となる。アルペジオの伴奏型はずっと続いたままだが、最上声には第1主題の同音連打をモティーフにした新しい主題が登場する。曲は変ホ短調を経て変ハ長調、そして変イ短調の和音が現れたところで調号がシャープ3つに戻り、3度ずつ下降するゼクエンツがロ短調のドミナントの和音に到達し、メロディーは薄れて同音連打のモティーフだけが残る。そして[141]で自筆譜は中断する。
以上が残されたD571(第1楽章)の姿である。この断章をいかにして完成させるかという話題については次の記事に譲ることにして、
後続楽章 について触れることにしよう。
D570の
「アレグロとスケルツォ」 がD571の関連楽章であろうということは、比較的早い段階から推測されてきた。嬰ヘ短調という珍しい調性(シューベルトの器楽曲で嬰ヘ短調を基調とする作品は他に見当たらない)、アルペジオを多用したテクスチャー、またフィナーレにふさわしい軽快な曲調は、「アレグロ」がこの嬰ヘ短調ソナタの終楽章として計画されたことを窺わせる。同じ自筆譜に書きつけられていたニ長調の「スケルツォ」はその中間楽章と考えるのが自然だ。シューベルトらしい舞曲風の「スケルツォ」は時に突飛な展開で人を驚かす。変ロ長調の中間部を持ち、セクション間のしりとりのようなモティーフのやりとりが楽しい。
例によってブラームスがこの作品に興味を示し、シュナイダー博士という人から借りてきた自筆譜をもとに作成したという筆者譜が、ウィーン楽友協会に保存されている。
ひとつ引っかかるのは、自筆譜ではアレグロの方が先になっていて、アレグロの最終ページの裏にスケルツォが記されているということだ。D571の後続楽章とするには、この曲順をひっくり返さなくてはならない。
もうひとつの大きな問題は、この嬰ヘ短調の「アレグロ」が
またしても未完成 で、ソナタ形式の展開部までで筆が止まっているということだ。それこそ「一丁上がり」とばかりに、続きを端折って「スケルツォ」に取りかかったわけだ。この楽章の補作についても次の記事で触れよう。
D571にD570の2つの楽章を接続させることについては、研究者の間では概ねコンセンサスが取れていて、新全集でも同じ巻の中に収録されている。
ところが、このソナタは
緩徐楽章を欠いている 。
シューベルトの完成した3楽章構成のソナタでは、
例外なく第2楽章は緩徐楽章であり、スケルツォを持つものはない 。スケルツォやメヌエットがある場合は必ず緩徐楽章のあとに置かれ、全体は4楽章構成となる。
その緩徐楽章の有力候補として、
パウル・バドゥラ=スコダ が見繕ってきたのがD604の
イ長調の小品 であった。
この小品は音楽としては完結しているが、タイトルも速度表記もなく、何のために書かれたのかは判然としない。1816年9月に完成した序曲D470の四重奏形式のスコアの続きに記されているが、バドゥラ=スコダやデイヴィッド・ゴールドベルガーによれば、D604とD570はいずれも1815-16年の自筆譜の余白に書き込まれているという共通点があるという。いずれも日付や署名、楽器指定を欠いているが、シューベルトがピアノ・ソナタの中間楽章を書くときはいつもそうだったとゴールドベルガーはいう。しかしながらそれ以上の積極的な関連性については確証がないとして、新全集ではD604はソナタから切り離して「小品」の巻に収録された。
構成としては典型的な「展開部を欠くソナタ形式」だが、第1主題のイ長調に対して第2主題は下属調のニ長調をとるのがいっぷう変わっている。再現部では第1主題の確保の際に属調ホ長調に転調し、そこから形通りにイ長調に戻る。曲は弦楽四重奏を思わせるテクスチャーで、微妙な和音の移り変わりが表情に繊細な陰影をもたらしている。確かに、開始早々に嬰ヘ短調のドミナント和音が登場したり、第2主題ではD570のスケルツォの冒頭と同じfis-eis-fisという音型を使用するなど、D571/D570との関連をほのめかす証拠は多々ある。第2主題の後半では右手に装飾的なパッセージが登場して、キラキラと忙しく動き回る。
左 はピアノ小品D604の[19]、第2主題冒頭部。赤くマークしたfis-eis-fisの音型 は右 のスケルツォD570-2の冒頭と一致する。 ちなみに青くマークした同音連打 がD571の第1主題から来ているという説もあるが、クラウゼによれば「考えすぎ」。D570-1のアレグロと、(
またしても )
ベートーヴェンの「月光」ソナタ 終楽章との調性配置の類似を指摘しているアンドレアス・クラウゼは、D604の追加には否定的で、このソナタは「月光」と同様、中間楽章にスケルツォを置く3楽章ソナタであるべきだと主張している。しかし「月光」ソナタの場合は冒頭楽章が既に緩徐楽章であったわけで、D571も緩やかな曲想とはいえ同列には論じられないと私は思う。
今回はバドゥラ=スコダの提案の通り、
D604を含む4楽章ソナタ(D571+D604+D570-2+D570-1) の形で演奏することにしたが、未完の両端楽章にはオリジナルの補筆を行った。これについては次の記事で触れよう。
2021/05/22(土) 21:56:35 |
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ピアノ・ソナタ 断章 嬰ハ短調 Sonate (Fragment) cis-moll D655 作曲:1819年4月 出版:1897年(旧全集)
(シューベルトのピアノ・ソナタの一覧は
こちら )
未完成の多いシューベルトのソナタの中でも、
D769Aと並んで「落ちこぼれ」 組に入る本作は、実際にはほとんど演奏されることがない。とはいえ、楽想のスケッチの域を出ないD769Aと比べれば、D655は演奏が不可能ではない程度にはまとまった音楽を形成している。
D567とD568 を「第7番」にまとめて、このD655に「第12番」の通し番号を与える数え方もある(
IMSLP もこのシステムを採用している)。
自筆譜の冒頭にはSonateというタイトルが大書され、脇には1819年4月という日付も記されているが、
発想標語が欠けている ことからして既に雲行きが怪しい。そして2枚目の五線紙の裏面、
2段目の大譜表の末尾 に反復記号を記したところまでで中断している。
その
全73小節 の内容を点検すると、以下の4つのセクションに大別することができる。少し詳しく見ていこう。
セクション1 [1]-[13] 第1主題部 [1]、リズミカルな
第1主題 が両手ユニゾンで力強く提示される。5小節間の提示の中で主題は嬰ハ短調から平行調のホ長調へ移っていくが、[6]で嬰ハ短調に戻り対位法的な主題の確保が行われる。ここでは音楽はさらにドラマティックに展開し、[9]でナポリの六の和音、[10]でドイツ六の和音のアルペジオを強奏してドミナントへと至る。このように、
1小節間を1つの和音でベタ塗りしていく ような書法がこの作品のひとつの特徴になっている。[12]のドミナントから始まる単声のパッセージが行き着く先はホ長調である。
セクション2 [14]-[38] 第2主題部 [14]、平行調のホ長調で
第2主題 が提示される。静的で滑らかな上声の旋律、同じリズムで影のように寄り添うバス、その間で内声が16分音符のトリルを休み無く続けていく。旋律的ではあるが美しいというより不気味な雰囲気が漂う。和声は常にドミナント調(ロ長調)への接近を見せ、[25]で半終止する。[26]からの主題の確保は、構造的には全く同じ内容の繰り返しであるが、トリルに代えて3連符の伴奏型が左手に現れるとともに、なんとバスとソプラノの声部が入れ替わり、両方を右手が奏するという面白いヴァリアントが施されており、そのためたびたび右手は10度の開きを要求される。[37][38]でやはり単声のパッセージが残され、それに導かれて主調嬰ハ短調のドミナントの和音がやってくる。
セクション3 [39]-[61] 第1主題の展開 [39]-[42]、fzを伴う第1主題のモティーフとともにドミナントの和音が執拗に繰り返された後、[43][44]でニ長調の属七(=嬰ハ短調のドイツ六の和音)、[45][46]でヘ長調の属七という
怒濤の展開 となる。引き続き第1主題のモティーフを繰り返しながら、[47]からはヘ長調、[51]からは変イ長調とどんどん転調していき、[58]で確定した変イ長調を異名同音の嬰ト長調(調号で書くならばシャープ8個!)に読み替えて、さらにドミナントとトニカの反復で調性を定着させていく。
派手な転調とヴィルトゥオーゾな書法 がこのセクションの性格を特徴づけている。
セクション4 [62]-[73] 第2主題による小結尾 16分音符のパッセージが終わるとともに[62]で第2主題の不気味なトリルが両手に登場し、第2主題冒頭の3音を拡大した動機を、初めは嬰ト短調で、次に嬰ト長調で繰り返す。この音楽の異様さは
不気味を通り越して恐怖 をも感じさせる。さらに自然な音楽の流れを阻むような[72]のゲネラルパウゼ(全休止)。そして冒頭の第1主題を導くためのユニゾンのパッセージが[73]に記されて、この断章は終わっている。
さて、
シューベルトは楽章全体の「どこまで」を書いて筆を置いたのだろうか 。逆の視点からいえば、このあとにどんな音楽が続くべきなのだろうか。このことは長らく議論の対象になってきた。研究者の間でも意見は一致していない。
説1 :中断箇所は「提示部の末尾」 であり、このあとに展開部と再現部 が続くはずだった。これは最も古典的な説である。中断箇所の末尾に付された
反復記号 がその何よりの根拠であり、シューベルトが常にソナタ形式の提示部の反復を指示する伝統主義者だった(ベートーヴェンは作品57(「熱情」)でこの伝統を捨てている)ことを考えても説得力がある。セクション4の小結尾も提示部の終わりにふさわしい安定した内容を備えている。
ところがセクション3で提示部の中に既にドラマティックな展開を書いてしまったため、このあとの展開部の
先行きが見えなくなり、ここで完成を諦めてしまった 、という推測も成り立つ。
説2 :中断箇所は「展開部の末尾」 であり、このあとは再現部 となる。[38]までが提示部、[39]からが展開部であるという説。確かにセクション3の激しい展開はソナタ形式の展開部というにふさわしい。ベートーヴェンの前例に倣って提示部の繰り返しの省略に踏み切ったのかもしれないし、[37][38]のパッセージの音型を少し変えれば[1]へ戻ることもたやすく、改稿時にそうした整備を行うつもりだったのかもしれない。[74]からの再現部の記譜を省略し、代わりに[73]に暫定的に反復記号を書いておいたのだろう、というのがこの説である。
そもそもこの時期のシューベルトは
ソナタ形式の展開部まで書いて筆を置く ことが多い(D571・D570、D613、D625)。本人にとっては、展開部まで書けてしまえばあとは「型どおり」に再現すればよいので、わざわざ記譜する必要を感じなかったのだろう。この断章についても同様に、作曲者の脳内ではこれで「一丁上がり」だったのかもしれない。
説3 :中断箇所は「提示部の末尾」であるが、このソナタは展開部を欠き 、このあと再現部 が続く。上記2説と似て非なるこの説は、そもそも実際のソナタ楽章が形式上の「提示部・展開部・再現部」の3部分を満たしている必要はない、という前提からスタートしている。
「展開部を欠くソナタ形式」 という形式は実作においては非常に多く、モーツァルトのオペラ序曲などはほとんどこの形式をとる。ほぼ同じ長さと内容を持つ「提示部+再現部」というシンメトリカルな構成となり、楽式的には大規模な二部形式ということもできる。
この説の根拠になっているのは、同じ嬰ハ短調で書かれたベートーヴェンの有名な「幻想曲風ソナタ」、すなわちあの
「月光」 (作品27-2)の第1楽章がこの「展開部を欠くソナタ形式」と見なせるからだ。曲想は全く違うが、嬰ハ短調から平行調のホ長調を経由して嬰ト短調(ドミナント)へと至るという調性配置も似通っている。嬰ハ短調というのは当時それほど一般的な調性ではなく、作曲者が先人による先行作品を連想しなかったとは考えにくい。シューベルトにしては他に類を見ない実験作ということになる。
上記2説とどう違うのかという具体的な例として、完成版の想定小節数を挙げておくと(赤字は既に完成している部分):
説1・・・170小節以上 (
73小節の提示部 +最短でも24小節程度の展開部+73小節の再現部)
説2・・・111小節程度 (
38小節の提示部+35小節の展開部 +38小節の再現部)
説3・・・146小節程度 (
73小節の提示部 +73小節の再現部)
ということで、想定される全体像の規模に違いがあることがわかるだろう。
説4:この作品は未完ではなく、これで完結している。 上記3説と根本的に異なり、あり得べき
完成形という存在を想定していない 極めてラディカルな立場である。確かにこの作品は指示通り[73]から[1]に戻れば音楽として成立しており、演奏可能である。通常、反復記号は1回限り有効であるが、これを何度でも反復すれば終わりのない
「無限ループ」 となる。サティの「ヴェクサシオン」(52拍の楽曲を840回反復することが求められる)を半世紀以上先取りした前衛的な音楽解釈である。概念としてはなるほどそれで完結しているが、実際の演奏にあたっては、どうやって終わるのかという問題に直面することになる。その際は、[72]の全休止の代わりに嬰ト長調の主和音を静かに何度か奏して音楽から離脱すればよい、という
パウル・バドゥラ=スコダ のアイディアを拝借することもできるだろう。
今回この作品を取り上げるにあたっての私の立場は初めからはっきりしていた。
私は明確に説1をとる。 シューベルトが毎回欠かさずに記した反復記号は、まさにこれが提示部の末尾であることを明確に示している。再現部へ戻るための指示として反復記号を用いた例はない。
そして、
提示部の内部にいわば「小さな展開部」を内包する構成 はシューベルトの他のソナタにもたびたび登場する。楽章全体で大きなクライマックスを築くのではなく、小さな緊張と弛緩の波を繰り返す構成は、ソナタ形式が本来持っている求心力を減じるという指摘があるにも関わらず、シューベルトは
晩年に至るまでこの方法を採用 してきた。その際の展開部は、ドラマティックというよりもむしろ静的で平行的な内容となることが多い。
今回はこの見方をもとに、どちらかというとスタティックな内容の展開部を創作してみた。モデルにしたのは最晩年のD959(第20番)の第1楽章である。
一般的な展開部の素材として有望と思われる第1主題ではなく、あえて第2主題部に素材を求め、ドラマティックな展開ではなく楽節を転調とともに並列させていく手法で40小節の小規模な展開部を構成した。
再現部では第2主題をまず嬰ハ長調で、次いでイ長調で再現し、あとは型どおりの移調で嬰ハ長調のコデッタへ向かう。最後にトリルを伴う短いコーダを置いて終結とした。
この作品への補筆の試みは私の知る限り行われていない。ヘンレ版のソナタ集第3巻にバドゥラ=スコダによる、あまりにも安易な終結和音の提案(「アドリブで」との但し書き付き)があるのみだが、逆に言えばあの
超人バドゥラ=スコダさえ手を出そうとしなかった 、この「落ちこぼれ」を救出する難しさを物語っている。しかし、他にもさまざまな試みがあってもよいと思うし、私の補作がそうした今後の試みを勇気づけることになればとも願っている。
補作を必要としない説4を除けば、説3が最も補作が容易であり、説2がそれに続き(セクション2の再現のあと楽章を終わらせる方策を考えねばならない)、私が採用した説1は最も困難な方法といえる。何しろ
展開部をまるまるでっち上げた ことになるのだ。あの世でシューベルトに会ったときに怒られない程度の補作ということを心がけているつもりだが、正統的でない(シューベルトの筆とは無関係の)部分が多いことに対しては批判の声もあるだろうと思う。
一見トリッキーな説4は、なるべくシューベルトのオリジナルに筆を足さずに、それでも音楽として成立させるというテーゼのもとに考え出された案であることを断っておこう。この種のアイディア、たとえば展開部の末尾で中断したところから次の楽章へアタッカで繋げて演奏するというようなアクロバティックな解決法は、学者
アンドレアス・クラウゼ Andreas Krauseの著書「シューベルトのピアノ・ソナタ Die Klaviersonaten Franz Schuberts」の中に多く挙げられている。未完のソナタを、なんとかして実際に演奏可能なレパートリーに加えたいという思いは私とも一致している。
上に挙げた4つの説は、クラウゼの著書内での議論をもとに私の言葉でわかりやすく書き直したものだ。説3や説4の可能性は、クラウゼの議論を読むまで私自身は全く思いつかなかったものである。
補筆に対する私のスタンスについては、またいつか改めて文章にしたいと思っている。
2021/05/18(火) 19:32:27 |
楽曲について
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メヌエット 嬰ハ短調 Menuetto cis-moll D600 作曲:1814年? 出版:1897年(旧全集)
ヘ長調のミサ曲D105の「ベネディクトゥス」の合唱パートだけの自筆譜の裏に書きつけられていたメヌエット(
自筆譜:schubert-online )。「ベネディクトゥス」の方には
1814年5月29日 という日付が書き込まれており、メヌエットの大譜表の冒頭にある「Clav.」(Clavier=鍵盤楽器の略)という楽器指定も、シューベルトが1813年からせいぜい1814年前半までしか使用しなかった表記法なので(それ以降はForte-PianoあるいはPianoforteと書くようになる)、この時期(17歳頃)の作品であるという見方が主流である。
低弦のピツィカートを思わせる荘重なオクターヴのスタッカートの上で、2声のメロディーが対位法的に絡み合っていく。|:A:|:BA':|の三部形式で、B部では下降音型が模倣されカノン風の展開となる。全体的に厳粛な雰囲気が漂い、ミサ曲の裏面ということも関係するのか、どうも宗教音楽の趣がある(主音で始まる2声が上と下に分かれていく様子はバッハの「マタイ受難曲」の冒頭を彷彿とさせる)。
いったいシューベルトは何のつもりでこんなシリアスな「メヌエット」を書いたのだろうか。踊りの伴奏とは考えにくい。
モーリス・ブラウン はこの作品の成立時期をもっとずっと遅く
「1817年の暮れ」 と推定している。1813-14年当時のシューベルトの他のメヌエット(
D41 ・
D91 ・
D335 など)とあまりにも作風が違うという理由だが、1817年仮説の背後にあるのは、関連作品とされる
ホ長調の「トリオ」D610 の日付が1818年2月となっている事実である。
わずか16小節のこのトリオには
「あるメヌエットの失われた息子と見做される」 という風変わりな但し書きがある。文字通り受け取るならば、あるメヌエットのトリオとして作曲されたのだが、何らかの事情で取り除かれた、あるいは消失してしまったトリオ部分だけを後からもう一度記したもの、ということで、実際に作曲後しばらく経ってからフェルディナントのためにわざわざ書き直した自筆譜が残ったということらしい(つまり1818年2月に作曲されたわけでもないのだ)。本体たる「あるメヌエット」というのがどれを指すのかはもちろん、それが現存しているのかさえも不明なのだが、ブラウンはこれをD600と同定したのである。
確かに嬰ハ短調のD600とホ長調(平行調)のD610、調性関係はぴたりと合致する。ドイチュも同様の可能性を考えていたらしい。実際にこの2作品を「メヌエットとトリオ」として、ダ・カーポ形式(D600+D610+D600)で演奏している例も多い。
この問題に関して私自身の見解を述べれば、
D610がD600のトリオだということはまずありえない と思う。D610は1拍ぶんの弱起(アウフタクト)で始まるのだが、D600の最終小節には3拍目まで音があり、単純にうまく合致しない。実際にD600とD610を組み合わせて演奏する際には、間に2拍程度の休みを入れて辻褄を合わせなければならない。オリジナルのトリオとして作られたのならば、こういうことは起きないだろう。
もう一つ理由を挙げるとすれば、曲想があまりにも違いすぎる。D610は親しげな表情の、カジュアルで可愛らしいトリオであり、いかめしいD600とちぐはぐな印象がある。
以上のことからD600とD610の関連性は低いと判断し、今回も組み合わせて演奏することはしない。
考えてみれば、シューベルトのメヌエットはほぼ必ず1拍のアウフタクトで始まるのが通例で、D600はそういう意味でも慣例から外れている。
メヌエットと題されてはいるが、舞踏目的ではなく、おそらくソナタや他の大規模楽曲の
中間楽章として書かれた のではないだろうか。新全集もその立場を取っているのか、「舞曲」ではなく「小品」の巻に収録されている。
2021/05/17(月) 22:16:48 |
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