(
対談その1)
(
対談その2)
佐藤 ポロネーズに限らず、シューベルトのことについて。
山本 うん、いくつかソロで弾いたことはあるけれど。僕がシューベルトで一番惹かれるところは、長調と短調、同主調で行ったり来たりするっていう。モーツァルトにもそういうところあるけれど、そこが特徴的で、いつも素敵だなと思う。
転調もね、今回のポロネーズでも主部の調とトリオの調が・・・
佐藤 はいはい、とんでもない調に飛んでいくっていう(笑)
山本 ねえ。気づいたら♭5つも付いてたみたいな(笑)、そういった理屈じゃないところっていうのかな。本当に
歌心のある人だから、純粋に身を任せて弾いたらすごく楽しいし、美しい。ポロネーズのハッとするような転調も、まるで初めて楽譜を見て弾いたようなイメージで弾けたら素敵かなって。佐藤君は、全曲やってらっしゃるけど、シューベルトの好きなところってどこ?
佐藤 やっぱりその
ハーモニーはすごく大きいよね。それまでの作曲家とは全然違うやり方で転調していくし、今言ってもらった同主調の、短調から長調に行ったりするっていうのもそうだけど、転調するといっても近親調に、ちょっと隣に行きましたっていうより、
遠隔調、全然違う世界に行っちゃうみたいな。
山本 そうだよね。
佐藤 それを準備なくふわーっとやられると、聴いている方は「うわ、どうしたんだろう」って、空気感が一瞬で変わるのが魅力的だと思うのと、あとはもちろん、これも今言ってくれたメロディーの美しさ。自然なメロディーの書かれ方がすごく良いなと思って。古典派的なものもあるし、ロマン派的なものにも少しさしかかっているんだけど、完全にロマン派のど真ん中というのではなくて、その境目っていうのかな。
山本 うーん。
佐藤 こっちに行きたいんだけど、でもモーツァルトからの伝統の書き方もあるしっていう、その間をすり抜けていく感じも僕は結構好き。
山本 なるほどね。
佐藤 ロマン派は、進んでいくにつれてだんだん僕はついていけないときが。これはちょっとどうかな、あなたは良いんでしょうけど、って思う曲も・・・
山本 (笑)
佐藤 古典派の曲は客観的に見て素晴らしいものが多くて、それとロマン派の個人的なものとの間っていうか。やりたいことを「このくらい表現してもいいでしょうか」みたいな謙虚な感じが良いかなと思うんだけど。
山本 曲は革新的なものもたくさんあるんだけど、性格はすごく控えめというか、
自分より他の人、聴いてる人とかのために何かしてあげている感じっていうのかな。優しい気持ちになる感じがあって。たとえばモーツァルトってシューベルトに重なって感じるところがあるんだけど、
モーツァルトはやっぱり「自分」なんだよね。
佐藤 ははあ、なるほど。
山本 自分からワーッと発信するものが強くて、私たちはもうひれ伏して「承知いたしました、そのようにさせていただきます」みたいなね、抵抗できないんだけど。
佐藤 (笑)
山本 なんかシューベルトっていう人はすごく親しみがあるし、かつ自分を隠さないっていうのかな、気持ちを伝えてくれる感じがして。とても気高いんだけど、決して冷たい感じではなくて、
語りかけてくるようなイメージがあって。
佐藤 そうだね。もともとの作曲家としての居場所が、仲間内のサークルだけでほぼ活動していた人で、最晩年に近くなってようやくウィーン中の人たちが知るようになったんだけれども。大きな会場で大きな出し物をバーンとやって、みんなをうならせるような人ではなくて、半径数メートルの人に聴かせるためだけに作曲していた。だからすごく個人的っていうのかな、本当に親しい人だけに「どうですか」って語りかける口調っていうのはそういうところから出てきたんじゃないかな。もちろん生まれ持っての性格もあったとは思うんだけど。
山本 うん。
佐藤 あとやっぱり彼自身が演奏家じゃなかったっていうのは大きいかもしれないよね。もちろんピアノも弾いていたみたいだけど、大きな舞台で弾けるヴィルトゥオーゾだったわけじゃないし、だからベートーヴェンみたいな演奏活動をしたこともなかった。この連弾もそうだけど、家庭内とか、友達の家でとか、そういう
内輪の音楽。たとえば2台ピアノの曲なんていうのはないわけだよね。
山本 ああ、うん。
佐藤 実は1曲あったっていう話もあるんだけど。
山本 ああそうなんだ。
佐藤 記録には一応残ってるんだけど、楽譜は消えてしまったという。コンチェルトは全く書いてないし。そもそも何の楽器のコンチェルトも書いてない。
山本 ああ、そうだね。
佐藤 そういう、オーケストラをバックに華やかなソロ、みたいなのはたぶん興味が無かったのか。
山本 偏りがあるよね。それこそショパンもそうだけど、
作らないものは一切作らないっていう。
佐藤 (笑)そうだね。まあ書いたところでどうせ演奏されないと思ったのかもしれないね。
山本 弾く側としては、もし作曲したらどういう曲になってたか興味があるけど。
佐藤 そうそう、
川島さんとお話ししたときも「コンチェルトが1曲もないね」っていう話になって、
「いや、もしかしたら生きてたら書こうと思っていたのかもしれない、このあとにとっておいたのかもしれない」って。そんなことあるかなぁ。
山本 ああなるほどね。そういう可能性も。
佐藤 でも意外なのは、
リストがシューベルトをすごく好きで、歌曲もたくさん編曲してるけど、
「さすらい人幻想曲」のコンチェルトヴァージョンがあるんだよね。リスト編曲の。
山本 へえ。ピアノソロとオーケストラで?
佐藤 そう。リストなんて、まあ同じフランツっていう名前ではあるけど、全然違う性格の音楽家だよね。なのにシューベルトに愛着があったのは面白い。
山本 なんか、また
ショパンが出てきてしまうんだけど、ショパンはリストのことを、もちろんテクニックっていう意味では尊敬してエチュードも献呈したりしているけど、いわゆる弾き方、スタイルについてはあんまりよく思っていなかったみたいで、レッスンで弟子に、なんでそういうふうに弾くんですか、
まるでそれじゃリストみたいじゃないですかって言っていたぐらい。
佐藤 (爆笑)ボロクソだな。
山本 ひどいよね。なのに、リストの方は本当にショパンのことを好きで、尊敬していて。あんなにいろんな女性と交際して、全然違う世界の人なのに、見る目は鋭いものがあったみたいで。それこそ「幻想ポロネーズ」について、リストが「病気との闘いが精神を疲弊させている、そういう香りがすごくする」って、つまり病的な感じの曲だっていうふうに言っていて、それってきっと賛辞なんだと思うんだけど。一方で
シューマンはね、割と手放しでワーッと賞賛したりして、ショパンの思っていることとずれたことを言って。
佐藤 あの人、
基本全部妄想だからね。
山本 そうそう(笑)で、それもショパンに馬鹿にされたりしていたみたいなんだけど。
佐藤 (笑)
山本 ところがリストの方はすごく理解があって。だからリストは社交的、それも表面だけではなくて、その人のことをよく考えて自分から動くみたいなね、心の底からそういうことができた人みたいなのね。そういう人がシューベルトに惹かれるっていうのは必然というか、僕には理解できるところがあって。
佐藤 なるほどね。
山本 作曲家は曲を聴くとなんとなく性格が分かるというか。そういった意味ではシューベルトに惹かれるっていうのは、自分の中に同じ部分が存在しているっていうことなのかな。シューベルトの曲をリストが編曲するときの
編曲の仕方って佐藤君どう思う? たとえば原曲に忠実とか、すごく華やかに飾ってあるとか。
佐藤 うーんとね、基本あんまり忠実ではないよね。もちろん全然変えちゃってるわけではないけど、リート(歌曲)の編曲の場合は無言歌スタイルっていうか、メンデルスゾーンが無言歌でやったみたいに、伴奏のパートをどっかの手にやっておいて、右手でメロディーをやるっていうのが普通の書法。いわゆる有節歌曲で、1番・2番・3番とあると、リストの場合は旋律をまずテノールで、次はアルトで、最後はソプラノにして、と移動させていって、かつだんだん華やかな感じに飾りが増えていくっていうのが、お決まりのパターンだよね。だから最初は原曲っぽい感じで始まるんだけど、そのままでは絶対終わらなくて、どんどん鍵盤の端から端まで使うような感じになっていって。
山本 端から端まで。なるほどね(笑)
佐藤 シューベルトじゃないけど、シューマンの献呈っていう歌曲あるでしょ。あれのリストの編曲すごく有名だけど、あれクララ・シューマンの編曲版もあるのね。
山本 へぇ。
佐藤 クララ・シューマンの方は本当に原曲通り。原曲の歌のパートをピアノに挿入しているだけで、ほぼそのままなんだけど、リストはまず前奏も1小節多いし。
山本 ねえ。
佐藤 途中にも余計な、無かったものが入ってくるし、一番最後にもう1節やるから、すごくくどくなってるわけ(笑)。その
くどさがやっぱりリストかなっていう。
山本 (笑)
佐藤 歌の歌詞がないぶん、詩の世界もピアノで表現しようとリストなりに思った結果かなとは思うんだけど。
山本 なるほどね。自分が弾くことによって曲を広めようっていう、そういうのもあったんだろうね。だから、変な言い方かもしれないけど、リストって
ボランティア精神っていうか。
佐藤 ああそうだね。サービス精神っていうのかな。
山本 それがすごくあるっていうか。だから根はとてもいい人だったのかなっていうのがね。シューベルトと不思議なところでつながる。
佐藤 シューベルトは、ドイツ語圏の音楽家には影響を与えているところが多くて、シューマンなんかはすごく影響を受けてるんだよね。もちろんブラームスもそうだけど。ただそれ以外の国の音楽家にはあんまり知られていないというか、知っていてもほぼ有名な歌曲だけみたいなところがあって。それこそシューマンは一番初期のシューベルトの研究者だったんだよね。シューベルトってお兄さんの家で死んで、お兄さんが仕事場をそのままにしておいたわけ。10年経ってからそこにシューマンがやってきて、バッと開いたら楽譜の束がたくさん出てきたっていう有名な話が。
山本 へえそんなことが。
佐藤 シューマンはもともと音楽家になろうとした一番初期の頃にシューベルトにやられていて、トリオとかを聴いてすごく感動したらしいのね。だから直接会ったことはなかったんだけど、信奉者なわけ。そういう意味では、謝肉祭とか、ダヴィッド同盟とか、ああいう舞曲集っていうのはほぼシューベルトの舞曲集を下敷きに書かれているんだよね。シューベルトがそれほど知られていなかった当時、シューマンってすごく新しいものを作った感じがするんだけど、実はシューベルトの方が先にやっていたことが結構あったりする。
山本 そういう形で影響を与えているんだね。でもやっぱり
ドイツの歌い方ってあるよね、独特の。
佐藤 それはやっぱり
言葉から来てるんだとは思うんだけどね。旋律線の作り方とかも。シューベルトはサリエリの弟子なんだけど、サリエリはそれが嫌いだったらしい。
山本 へえ。
佐藤 イタリア人からしたらドイツ語なんていうのはすごく野蛮な言葉で、ドイツ語の詩に曲を付けるなんて、何やってんだみたいな。イタリア語に曲を付けなさいと。
山本 あーやっぱり。
佐藤 で、イタリア語に曲を付けてるシューベルトの曲もあるんだけど、そうすると僕らの耳で聴くとちょっとモーツァルトっぽいっていうのかな。つまり伝統的な付け方なんだけど、やっぱりシューベルトのオリジナルなメロディって言うのはドイツ語の詩に付けてるときに出てくる。だからフランス語に曲を付けるとやっぱりフォーレとか、ああいうふうになるんだろうし、旋律線とかフレージングが言語によって規定されるところはあると思うんだよね。
(対談完 ・ 2019年8月19日、さいたま市にて)
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- 2019/09/30(月) 21:56:23|
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シューベルトとポーランドの民俗舞曲「ポロネーズ」は、なかなかイメージが結びつかないのですが、そのあたりのお話を。
(
対談その1)
山本 興味深いのは、なんでシューベルトはこんなにたくさんポロネーズを書いたんだろうね。ポロネーズのリズムをとても大切に作曲されていて、それでいて1曲1曲、少しずつ表情の違いがあってすごく素敵なんだけれど、
シューベルトってポロネーズに興味があったのかな?佐藤 まあそうだねえ、完成したのはこの10曲だけなんだけど、あと面白いのは、
ソロのポロネーズって1曲も書いてないのね。
山本 ああ! なるほどね。
佐藤 連弾のためにしかポロネーズは書いてない。あと1曲ヴァイオリンの曲でポロネーズっていうのがあるんだけど(D580)。それはもう、
踊るための曲ではないのね。舞踏会で踊るんだったらソロの曲が絶対あるはずだし。
山本 うん。
佐藤 連弾っていうことは、
家庭で楽しむための小品、そのひとつの分野としてポロネーズを作ったんだと思うんだけど。
山本 うーん。
佐藤 最初にできたのが
D599の「4つのポロネーズ」で、これは
ハンガリーのツェリスっていう町に夏の間、エステルハーツィのお嬢さん姉妹を教えに行ったときに書いた曲で。
山本 ふーん。
佐藤 そのときは他にもたくさん連弾の曲を書いてて、実は
前回中桐さんとやったときにはその年にツェリスで書いた曲をまとめて弾いたんだけどね。
山本 へえ。
佐藤 まずレッスンのときにシューベルトと姉妹のどちらかが連弾すると。そういう曲に関しては片方のパートがすごく難しかったりするわけ。それはそっちをシューベルトが弾いて、簡単な方を生徒が弾くみたいなね。でも、このD599のポロネーズに関してはどちらかというと2つのパートにそれほど差が無いから、
姉妹2人での連弾の教材として書いたっていう見方が強いんだよね。
山本 うーん、なるほど。
佐藤 で、仕上がったら夕食会で伯爵、お父さんに聴かせるとか、そのくらいの華やかさはあって、聴いても弾いても楽しいという。ところが
D824の「6つのポロネーズ」の方はまた違って、もっとずっと後の時代に書かれてる。そして書いたらあっという間に、数ヶ月後にはもう出版されているという。
山本 すごいね。
佐藤 だからたぶん、「ポロネーズを書いて下さい」って
出版社から依頼を受けて、求めに応じて書いてそのまま出したんじゃないかと。とすると、ポロネーズにもそういう需要があったのかな。たとえば行進曲なんかはそうなんだよね、マーチはウィーンでとても人気があったから、シューベルトはマーチを書いては出し、書いては出しという感じで。同じようにポロネーズっていうのもひとつの連弾の曲のジャンルとしてあったのかな。
山本 今回シューベルトのポロネーズをご一緒させていただいて、ショパンにない面白いところだなと思ったのが、さっき8小節単位っていうお話をされたけど、8小節+4小節で12小節っていうのが。
佐藤 そうそう、12小節多いよね。
山本 まずは8小節、でそのあとに4小節。
佐藤 コーダみたいなね。
山本 そう、その部分に工夫っていうか魅力的な部分があって、いわゆる
「少し字余り」っていうのかな。そこが飽きさせないポイントなのかなって。
佐藤 なるほど、そうだね。
山本 今回のプログラムもポロネーズが10曲続くけれども、全部同じ形式で、テンポもそんなに変わらないけど、その字余り的なところが出ることによって、通しで弾いても飽きが来ないというか。
佐藤 確かに面白いよね。そう、ちょっと思い出した。
「グラーツ幻想曲」って知ってる?
山本 グラーツ? 知らない。
佐藤 D605Aっていう枝番号が付いた曲なんだけど、ちょっと怪しい曲で、本当にシューベルトの曲なのか確証がないんだけど。
山本 うん。
佐藤 というのはヒュッテンブレンナーっていう友達の作曲家がいて、その人が筆写譜を持っていたわけ。表紙にこれはシューベルトの幻想曲ですって書いてあって、それが1969年かな、最近になって発見されて。C-durで始まる結構長い曲なんだけど、その途中にね、Fis-durで、alla polaccaっていう部分があって。
山本 へえー。
佐藤 それが唯一シューベルトがピアノソロのために書いたポロネーズかな。曲全体ではなくてある一部分だけなんだけど。
山本 それが唯一。
佐藤 そうだね、僕が知ってる限りでは。
(その3に続く)
- 2019/09/29(日) 04:13:07|
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第11回公演ゲストの山本貴志さんにお話を伺いました。対談はすでに3回目ということで(
第1回・
第2回)、いきなり本題から。
佐藤 今日はまず
ポロネーズについて、一般的なことをお話ししてもらえれば。
山本 そうだね。ポロネーズは、
マズルカと並んでポーランドの2大舞曲と呼ばれているものだけど、ポロネーズは
宮廷音楽発祥で、マズルカの方は人々の生活から生まれてきたもの、元々の
出所が違っていて。
佐藤 ああ、そうなんだ。
山本 たぶんそういった性質もあって、マズルカにはテンポもいろいろあるし、リズムの取り方も本当にいろいろ存在するんだけども、ポロネーズは形式がほぼ一定で、テンポの違いもあまりない。曲によってゆったりしたタイプのポロネーズ、もしくは生き生きしたポロネーズっていうぐらいで、基本的には
ポロネーズっていうのはゆっくりの舞曲なんだよね。
佐藤 確かに。
山本 聞くところによると、ショパンも「英雄ポロネーズ」のレッスンのときに、技巧的な作品だからね、お弟子さんが速く弾こうとすると、いけないって。こんなものではありません、もっとゆっくり弾かないといけませんって言っていたって話なんだけど。形式的には
保守的なものなんだよね。
佐藤 ほう。
山本 主部があってトリオがあって、主部がもう一回戻ってくるっていう形式はショパンも継承していて、それこそ最後の3つのポロネーズ、5番・6番・7番はかなり拡大解釈をして、7番の幻想ポロネーズに至っては形式も全く違うけれど。でもそれ以前のポロネーズ、遺作(注・遺作のポロネーズはすべて10代の頃ワルシャワで作曲された)もそうだし、あと4番までの出版されたポロネーズも、形式にはほとんど手を加えていない。
佐藤 ふむふむ。
山本 だから、もう創意工夫の塊のような、作曲の実験をしていたようなイメージのマズルカと違って、ポロネーズはそういった伝統的な形式が強くて、それはポーランド人の気質とか、自分たちの存在意義みたいな、ポーランド人を表している「核」のようなものなのかなという気がして。
佐藤 うーん。
山本 今ポーランドで暮らしていてもそんなことを感じて、マズルカとは違う、保守的な舞曲なのかなというのをすごく思うんですよね。
佐藤 今でも民俗舞踏として、生活の中で踊ったり、演奏したりすることはあるの?
山本 うん、結婚式とかのお祝いの場とか、儀式のときに踊られたりするかな。
佐藤 そういうときの編成、オーケストラ編成っていうのはどんな感じなの? 吹奏楽とか?
山本 いや、基本的には弦楽。
佐藤 ああ、弦楽器なんだ。
山本 そう、時々ファンファーレのような感じで、管楽器が使われたりすることもあるけれども。
佐藤 はいはい。
山本 基本的には弦楽のアンサンブルで、若干シンバルとか打楽器が入るような感じかな。絢爛豪華な雰囲気で、優雅にゆったり踊るっていうイメージの曲だから。
佐藤 なるほど。
山本 華やかではあるんだけど賑やかではなくて、ある種の落ち着きを持っているのが特徴かな。リズムの取り方も、ポロネーズの一番特徴的なリズム、いわゆる「タンタタタッタッタッタッ」っていうね。

ポロネーズの基本リズム
日本でよく言われるのが、「タンタタ」のタタ、16分音符2つが、書いてあるよりも少し、なんというか・・・
佐藤 詰まるような、タンータカタッタッタッタッと。
山本 そう、それで前が複付点のようになるっていうふうに言われているんだけど。実は、現地ではそれはほぼ重要視されていないところで。
佐藤 ほーう。
山本 そのあたりってウィンナ・ワルツとも似てるのかな、誇張した感じになりやすい。
佐藤 うんうん。
山本 ポロネーズで一番大切なのは実は1拍目にある。踊りのときに、3拍目で膝を曲げて1拍目で足を踏み出すっていう動作があって、「英雄ポロネーズ」のあの1拍目の付点音符もそうなんだけど。

ショパン:英雄ポロネーズ 作品53
だから
「1拍目に重心を置く」ことを重要視しているんだよね、現地では。
佐藤 へえ、なるほど。
山本 で、それによってそのあとの16分音符2つのリズムが少し詰まるっていうことは時々あるんだけれど。
佐藤 なるほど、1拍目の重さの方が重要で、リズムが詰まるのはどっちでもいいというか、結果的にそういうふうになるっていうことなんだね。
山本 そう。結果的になるだけなんだよね。
佐藤 たとえば、あの
「女性終止」っていわれる、「タッタカターラン」とかいう、あの2拍目にドミナントが来るやつ。あれもやっぱり踊りに関係してるの?

ポロネーズの女性終止
山本 そうそう。「女性終止」っていわれるぐらいで、しとやかに終わるっていう。
お辞儀をするイメージで。
佐藤 よく言うよね。
山本 やはり発想は宮廷から出ているから、とにかく優雅に、荒々しくなくという意図で作られていて。その終止というのは、それこそショパンの中期以降の、形式が拡大していってからの曲にもちゃんと受け継がれている。
佐藤 あれが独特だよね。
山本 なので、(1)タンタタタッタッタッタッっていうリズムがひとつあるのと、(2)女性終止の形でターランって終わるのと、この2つが大きな特徴だね。
佐藤 舞曲ってだいたい初めは短かったのが、どんどん長くなっていくもので、たとえばワルツとかも、
シューベルトの時代は8小節が1単位で、それの×2か×3か、ぐらいだったのが、ヨハン・シュトラウスとかになってくるとそれをつなげたり、関係ない間奏みたいなのを入れたりしてどんどん長くなっていくっていう歴史があって。
山本 ふーん。
佐藤 その形式の拡大の、ポロネーズで言えばショパンの「幻想ポロネーズ」がその究極型だと思うんだけど。それでも元々のエッセンスがところどころに残ってるっていうのが面白いよね。踊りの曲ってプリミティヴな、原始的なもの、それを芸術作品に仕上げていくと、最後はどこが残るのかっていうのが。
山本 ねえ。今回のシューベルトの連弾のポロネーズには
テンポ記号がないけど・・・
佐藤 そうだね、全く書いてないね。
山本 そう、ショパンのポロネーズにはテンポ表示の種類がいくつかあるんだけど、テンポというよりは発想の、Maestosoとか。
佐藤 ああ、表情記号というのかな?
山本 そう。初めに話したように、生き生きしたタイプのポロネーズと、ゆったりしたタイプのポロネーズがあるんだけど、僕のなんとなくのイメージとしては、その生き生きしたタイプの曲には「
Allegro maestoso」って書いてあって、ゆったりしたタイプには「
Allegro moderato」とか「
Moderato」って書いてあるだけの曲もあったかな。「英雄ポロネーズ」は「
Maestoso」だけだったりとか。
佐藤 うんうん。
山本 なので、若干の違いはあるけれども、基本的にはポロネーズっていうのはテンポ表示がなくても、だいたいこのぐらいっていう染みついているイメージがあって、だからテンポ表示が必要ない。
佐藤 なるほど。ショパン以外に、ポーランドの作曲家はポロネーズ書いたりしてる?
山本 ええと・・・僕が知る限りなんだけど、マズルカならシマノフスキも書いてるし、パデレフスキもマズルカ的なものを書いてるけど、ポロネーズっていうのはあまり聞かない・・・
佐藤 あ、そうなんだ。ほら、ヴィエニアフスキって人かポロネーズ書いてるじゃない。ヴァイオリンの。
山本 あ、そうだったそうだった。あれは有名だけど、逆にポロネーズは、ショパンの影響が強すぎるのか・・・
佐藤 そうなんだ(笑)
山本 ショパンも遺作のポロネーズをすごくたくさん書いていて、遺作だけでも何曲あるのかな。出版されたものが7曲あるけど、たぶんそれよりも・・・
佐藤 9曲ぐらいあるんじゃない? 全部で16曲だもんね。
山本 そうだ。あの遺作のポロネーズ、僕はすごく好きなんだけれども、なぜ出版しなかったのかがずっと不思議だったんだけど。それも、初めにちょっとお話しさせていただいたけど、ポロネーズは形式がそもそも決まってるから、自分なりの美しいメロディーを書こうと思っても、
形式的な制約があって、なかなか個性を盛り込めないっていうのかな・・・
佐藤 ああ、なるほど。
山本 ショパンも出版するにあたって、ヨーロッパの片田舎の作曲家の「お国自慢」みたいに思われたくないっていう、プライドみたいなものがたぶんあったんだろうね。
佐藤 はっはっはっ・・・
山本 きっと頭の中にずっとこびりついているものだから、こんな言い方をしてしまうと怒られるかもしれないけど、どこか日本の演歌みたいなね。
佐藤 ああ。
山本 リズムだけではなくて、メロディーもだいたいこう来るだろうっていうのがもう想像できちゃう。
佐藤 あー、なるほどなるほど。
山本 新しいことをしようと思っても、もう短調か長調かの違いだけっていう感じになりがち。
佐藤 うんうん。
山本 だから、ただのお国自慢じゃなくて、他の国の人にも違和感なく芸術として受け取ってもらえるくらい、自分なりのアイディアを盛り込めたのが、出版された最初の作品26のポロネーズ。あの1曲目なんて、攻撃的な、ちょっとポロネーズではない感じの始まり方をするんだけど、ああいうやり方を考えつくまでには時間がかかったのかなって。そういった意味では、
個性的なポロネーズを作るのって難しいのかもしれない。

ショパン:ポロネーズ 作品26-1
佐藤 なるほどなるほど。あの、チェロのポロネーズはすごく早いよね。作品3とか。
山本 そう、あれはね。
佐藤 あとはアンダンテ・スピアナートが作品22か。で、ソロの純粋なポロネーズは作品26まで待たなきゃいけなかった。
山本 ポーランドでのマズルカとかポロネーズっていうのはちょっと特殊な存在でね。
佐藤 その国のオリジナルのものだからね。
山本 でもたとえばバッハの組曲の中にもポロネーズっていうのがあったりとか。
佐藤 そうそうそう。ベートーヴェンもポロネーズって書いてるし。
山本 ああそうだね。
佐藤 少なくともドイツ語圏の作曲家たちには、そういう、ポロネーズのリズムで曲を書くっていう伝統があったのかなとは思ったりするんだけど。
山本 うん。あと、チャイコフスキーのトリオにも、中にTempo di mazurkaっていう変奏があったりとか、だから外国の人がマズルカとかポロネーズを使うときっていうのはそこまで深刻ではなくて・・・
佐藤 深刻(笑)
山本 ちょっと
民族色を出したいっていうときに。
佐藤 確かに。シューベルトのポロネーズもたまにエキゾティックなときがあるよね。
山本 もしかしたら、そういうリズムを楽しむっていう意図もあるのかもなっていう。
佐藤 確かにそうかもしれないね。
(
その2につづく)
- 2019/09/28(土) 19:57:01|
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2019年10月3日の佐藤卓史シューベルトツィクルス第11回「4手のためのポロネーズ」の連弾ゲストは、ピアニストの山本貴志さんです。
山本貴志(やまもと・たかし)●ピアニスト1983年長野県生まれ。02年桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)を首席で卒業後、ソリストディプロマコースに在籍。08年ワルシャワ・ショパン音楽アカデミーを首席で卒業。04年第56回プラハの春国際音楽コンクール第3位入賞及び最年少ファイナリストに贈られる“ヴァレンティーナ・カメニコヴァー” 特別賞を受賞。05年第4回ザイラー国際ピアノコンクールにおいて満場一致で優勝およびショパン作品最優秀演奏賞受賞。同年、第15回ショパン国際ピアノコンクール第4位入賞。06年アメリカ・ソルトレークシティでの第14回ジーナ・バッカウアー国際ピアノコンクールで第2位及び第33回日本ショパン協会賞を受賞。04年度文化庁新進芸術家海外留学研修員。
これまでに大島正泰、玉置善己、ピオトル・パレチニの各氏に師事。現在ポーランド・ワルシャワに在住。リサイタル、オーケストラ共演の他、室内楽も精力的に行っている。CDはavex-CLASSICS よりショパン:ワルツ集とノクターン集をリリース(いずれもレコード芸術誌特選盤)。最新盤は「Dreaming~ドリーミング~」(ALTUS)。繊細な音の世界と生命力あふれる演奏は高く評価され、注目を集めている。
オフィシャルホームページ takashi-yamamoto.com
- 2019/09/26(木) 19:04:39|
- シューベルトツィクルス
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