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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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シューベルトの舞曲について 概略

シューベルトは、こと舞曲の分野では大変に成功した作曲家だったと言ってよいだろう。
シューベルトは、モーツァルトやメンデルスゾーンのような神童ではなかった。試行錯誤しながら自らの道を切り拓いていった、努力の人である。しかし舞曲においては、誰に習うことなく、若い頃からごく自然に完璧なスタイルを会得していた。ウィーン生まれウィーン育ち、生粋のウィーンっ子ならではのセンスなのだろうか。

ウィーンの舞踏会シーズンは冬である。他にレジャーのないこの時期、人々は踊りに熱中した。メッテルニヒ体制のもと、舞踏会の開催時期はカトリックの祝日をもとに厳しく規制されていた。舞踏会を開いてよいのは、1月6日の「東方三博士の祝日」から、復活祭に伴って2月3日~3月9日の間で移動する祝日「告解の火曜日」(パンケーキデー)の間のみ。すなわち1年のうち1ヶ月か2ヶ月の間だけ、人々は心おきなく踊ることができた。この法を犯すと重い罰金が課せられたり、逮捕されることすらあった。
しかし、許可されていない期間にも、個人邸などでの非公式のダンスパーティーはこっそりと開かれていた。シューベルティアーデの仲間たちも、時期を選ばず、集まれば結局舞踏会になった。ウィーンの冬は長く寒い。舞踏は、楽しみながら暖を取れる格好のレクリエーションだったのである。シューベルトたちも、1822年の舞踏会の最中、警察に踏み込まれて危うく逮捕されるところだったらしい。
そのような楽しく密やかな集まりで、シューベルトはピアノの前に座り、ひたすら即興で舞曲を弾き続けた。シュパウンをはじめとする友人たちが口を揃えて証言するには、シューベルトは決して自分では踊らず、ただ踊りの伴奏をするだけだった。そして、即興の舞曲の中で特に気に入ったもの、友人たちの評判の良かった曲を、五線に書きつけたのだという。そのようにして、あの膨大な数の舞曲が生まれていったのである。

シューベルト自身か友人が出版社に売り込んだのか、あるいは評判を聞きつけた出版社から話が持ち込まれたのか、その経緯は明らかではないが、あるときから舞曲が出版のルートに乗るようになる。1821年、「36のオリジナル舞曲」(D365)が作品9として出版された。自費出版ではなく、出版社から委嘱を受けて作品が刊行されるのはこれが初めてだった。
以降、出版社たちはこぞってシューベルトに舞曲を委嘱するようになる。作曲家シューベルトにとって、「舞曲」はほとんど唯一の、安定した収入源であった。現代ではシューベルトの代名詞ともいえる歌曲さえ、当時は自費出版を余儀なくされ、そうでなくともシューベルトにはわずかな収入しかもたらさなかった。そこには圧倒的な需要の差があったのだろう。
毎年舞踏会のシーズンが近づくと、出版社たちは次々と「今年のトレンドの」舞曲集を刊行した。さまざまな作曲家に委嘱したオムニバスの舞曲集も人気で、シューベルトの後年の単発の舞曲はこうした楽譜の収録曲として残されたものも多い。
シューベルトは生前から絶大な人気を誇った「舞曲王」だったのである。

新全集の解説によれば、自筆譜の残っている舞曲をジャンルごとに大別すると、次のような割合になるという。
「ドイツ舞曲」が40%。
「レントラー」25%。
「エコセーズ」20%。
「メヌエット」15%。

あれっ、と思われる方もいるかもしれない。「ワルツ」が入っていない。実はシューベルト自身が自筆譜に「ワルツ」と書きつけた曲は、1曲しか確認されていない(D365-3)。そして、生前に出版された舞曲は、製版に使われた原稿が残っていないのである。
印刷してしまえば、手稿は破棄するのが当時は普通だったのだが、そのせいでシューベルト自身がどのような題を与えていたのかを知ることはできない。ただ、いくつかの舞曲については製版用とは異なる自筆譜が残っており、それに周りの友人たちの証言も総合すると、「ワルツ」として出版された舞曲の大多数は、どうやら本来は「ドイツ舞曲」だったようだ。「感傷的なワルツ」「高雅なワルツ」といった命名や、さらに選曲に至るまで、どうやら出版社が恣意的に行ったのではないかと思われるふしは多々ある。

シューベルトは舞曲を書くとき、構想を練ることも、推敲することもなかった。後世に残す芸術作品ではなく、あくまでその場で消費する実用音楽である。題名にもこだわらなかったし、実際のところ、楽譜通りの曲順で一音も変えずに演奏されるような性質のものではなかったのだろう。演奏する側が好きな曲を選んで、適当に音を抜いたり加えたり、場合によっては小さいアンサンブルを組んだりして、楽しい舞踏会の伴奏に供したのである。
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  1. 2016/03/22(火) 22:51:32|
  2. 楽曲について
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