2015年10月29日(木)19時開演 東京文化会館小ホール
♪2つのメヌエット D91 ♪メヌエット ホ長調 D335 ♪12のエコセーズ D299
♪アダージョ ト長調 D178(第2稿、未完・補筆版) ♪メヌエット イ長調 D334 ♪幻想曲 ハ長調 D605(未完・補筆版)
♪幻想曲 ト長調 D1* ♪幻想曲 ト短調 D9* ♪2つの性格的な行進曲D968b(886)*
* 共演:佐藤彦大(ピアノ)
一般4,000円/学生2,000円
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2015/10/29(木) 19:00:00 |
シューベルトツィクルス
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2つの性格的な行進曲 Deux Marches Charactéristiques D968B (D886) 作曲年代不明 出版:1829年
4手のための行進曲の自筆譜は総じて失われており、作曲年代やその意図を特定するのは難しい。ドイチュは「英雄的大行進曲」D885や「行進曲」D928と同じ1826年頃と推定し、D886という番号を振ったが、1978年の目録改訂時に「作曲年代不詳」として新たにD968Bという番号が与えられた。作曲者の死の翌年、1829年にディアベリ社から作品121として出版されている。
フランス語のタイトルにある
charactérisque という語をどのように理解するかは議論の分かれるところだが、この語を冠する曲題はその後メンデルスゾーンに受け継がれ、やがてロマン派のピアノ小品を総称する
「性格小品(キャラクターピース)」 という言葉へと繋がっていく、その先駆けといえる用例である。
2曲はいずれもマーチとしては異例の8分の6拍子で書かれており、ハ長調の主部に対して中間部はイ短調をとるなど、共通する特徴を持つ。性格はいずれも陽気かついささかスケルツァンドであり、1拍目以外に置かれたアクセントが面白みを出しているが、第1曲では4拍目の中強拍が強調されることで勢いを加速するような趣があるのに対し、第2曲では3拍目、6拍目といった細かい弱拍上にアクセントが置かれており、複雑な和声も伴ってより微細なリズム感が表現されている。
2015/10/29(木) 00:02:49 |
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幻想曲 ト短調 Fantasie g-moll D9 作曲:1811年9月20日 出版:1888年
4手の作品としては2作目にあたるD9は、1811年9月20日に完成した。調性的には相変わらず自由だが、フォームはABCBAの「序奏・後奏付き三部形式」にすっきりとまとめられており、また全体の緊張感の持続という点でも、
前作 から1年半の間の進歩には目を瞠るものがある。
ソのオクターヴユニゾンで始まる遅い序奏部は、2手用の
幻想曲D1E の開始部にも似た不吉な陰を背負っている。ハ短調で開始するアレグロの主部では対位法を駆使し、張り詰めた音楽が展開されていく。やがて次第に和声的な書法になっていき、ニ短調のドミナントで半終止すると、「マーチのテンポで」と指示されたニ長調の中間部に入る。柔らかいホルンの響きを伴う安らぎの時間はしかし長くは続かず、嵐のような主部と序奏部をニ短調で再現して終結する。シューベルトのデモーニッシュな一面が現れた、最も初期の例といえよう。
2015/10/28(水) 23:54:42 |
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幻想曲 ト長調 Fantasie G-dur D1 作曲:1810年4月8日~5月1日 出版:1888年
知られている限り、現存するフランツ・シューベルトの
最初の作品 である。自筆譜によれば、1810年4月8日に作曲を開始し、5月1日に完成している。時にシューベルトは13歳、コンヴィクトに入学して1年半ほど経った頃のことである。この頃はまだサリエリの個人指導は受けておらず、作曲に関してはほぼ独学だったようだが、そのような環境と年齢を考え合わせると、楽譜にして1000小節以上、演奏時間約20分もの4手のピアノ曲を書き上げたその意欲には驚くべきものがある。完成後、すぐに改訂稿(D1B)の作成に取りかかったのだが、これは途中で筆が止まっており、早くもシューベルトの「未完の王様」ぶりが発揮されてしまっている。
曲は、区切り方によって異なるが20前後の細かいセクションに分かれており、テンポも調性も頻繁に変化する。調性はト長調で始まるが、主要な部分だけでもヘ長調、ハ短調、変ロ長調、ロ長調、変ロ短調、変ホ長調などを経過し、最終的にはハ長調で終止するというとめどなさを呈する。
一方でテンポは、序奏的な冒頭部分と終結部(「フィナーレ」)の直前の部分を除くと、遅いテンポが持続する箇所は少なく、全体的に快速から急速といった速めのテンポが指向されている。また、冒頭の「ソ・ラ・シ」という3音の上行形、音程を更に広げた「ド・ミ・ソ」の上行アルペジオの音型が、全曲を貫く主要なモティーフとなっており、これらのことが若者らしいエネルギッシュな漸進性を本作に与えている。
細部についての解説は割愛するが、もうひとつ注目すべきなのは、セコンドのパートでバスのトレモロ上に現れるファンファーレ風のモティーフに「トランペット」と書き込まれていることだ。これは作曲者の脳内に、オーケストラの響きが鳴り響いていたことを示しており、そう考えればバスのトレモロはいかにもティンパニ風である。もしかしたらやがてシンフォニーとして編み直すためのスケッチという意味合いもあったのかもしれない。
2015/10/28(水) 13:37:43 |
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幻想曲 ハ長調 Fantasie C-dur D605 作曲:1821-23年頃? 出版:1897年
この作品の来歴についてわかっていることは非常に少ない。自筆譜にはタイトルもテンポ指示も、楽器の指定もなく、楽譜が作品の冒頭から始まっているのかどうかすら定かではない。そして
第146小節でぷつりと中断し、未完 となっている。
曲はいくつかの異なる楽想が連なっていく、「幻想曲」の特徴を備えている。特筆すべきなのは、すべてのセクションが必ず冒頭主題のモティーフ(ソ・シ・ド・ミという上行音型とその変奏)を用いて始まっていることと、セクション間のブリッジに冒頭の減七の和音のアルペジオが繰り返し使用され、転調を導いているということである。
一つのモティーフから多部分形式の幻想曲を編むという手法は、
「グラーツ幻想曲」D605A や「さすらい人幻想曲」D760と同じ発想に基づくもので、おそらく「グラーツ幻想曲」に先立って、もしくは同時期に作曲されたと考えられる。後にこの作品に興味を持ったヨハネス・ブラームスは、シュナイダー博士という人物が所有していた自筆譜をもとに詳細な筆写譜を作成しており、このとき初めて「幻想曲」というタイトルが提案された。この筆写譜はウィーン楽友協会資料室に収められている。
この作品のセクション構造は次のようになっている。
第1-19小節 冒頭主題提示部(速度指示なし、ハ長調)
第20-51小節 経過部(ハ長調→・・・→変イ長調)
第52-114小節 Allegro moderato(ハ長調→ハ短調→変イ長調→変ト長調)
第115-142小節 Andantino(ロ短調、3/4拍子)
第143-146小節 (ロ長調、中断)
作品の性格上、中断後の展開が的確に予想できないため、補作は極めて困難な作業となったが、次のように考えつつ補筆を試みた。
まず、開始後4小節で中断となるロ長調のセクションを全体のおよそ半分の地点と仮定する。第115小節でロ短調に転調するまでは、調号上はずっとハ長調のままだが、実際にはさまざまな調へ転調している。その中でも支配的なのは変イ長調で、これはハ長調からみて
「長3度下の長調」 である。シューベルトが愛したこの音程関係の転調を最後にも適用することにして、ハ長調で終結する前のセクションは
ホ長調 とする。前述の
「グラーツ幻想曲」 に倣って、最後は冒頭主題を回想して静かに終わることとし、その直前のホ長調のセクションは舞曲風の軽快な曲想にしてコントラストを持たせる。そして新しいセクションの主題には冒頭のモティーフを使用し、セクション間の繋ぎ目には減七のアルペジオを用いる。
今回私が書き足した部分は以下の通りである。
第147-183小節 (ロ長調、中断されたセクションの続きでロ短調のセクションの再現を含む)
第184-213小節 Moderato(ト長調・ト短調、4/4拍子、Allegro moderato・経過部分の回想)
第214-239小節 Allegro(ホ長調、記譜上12/8拍子の舞曲風)
第240-260小節 Tempo I(ハ長調、冒頭部分の再現)
それまでのセクションの要素を回想しつつ、比較的自由に私なりの曲想を展開させている。
あわせて述べておくべきこととして、第29小節以降、自筆譜でオクターヴ・和音の急速な「連打」として記されている音型は、「トレモロ」で演奏する。こうした、ほとんど演奏不可能な書法は「さすらい人幻想曲」の初稿などにも現れており、同作の改訂の結果なども考え合わせて、このようなアレンジを施しても差し支えないと判断した。
また自筆譜は記譜がかなり簡略化されており、連打が斜線で記されているほか、オッターヴァ・アルタ(オクターブ高く)やオッターヴァ・バッサ(オクターヴ低く)の終了箇所がきちんと明示されていないところが多い。音楽的に判断して終了箇所を決めたが、第31小節の左手で、シューベルトの時代のピアノはおろか、現代の通常の88鍵のピアノでも演奏できない音が出現している。今回の演奏会ではベーゼンドルファー・インペリアルのエキストラ鍵盤を用いて演奏する。
これらのことを総合すると、もともとピアノ曲ではなく、管弦楽曲のスケッチとして書かれたという可能性も十分に考え得る楽曲である。
2015/10/27(火) 23:26:00 |
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メヌエット イ長調 Menuett A-dur D334 作曲:1815年夏? 出版:1897年
自筆譜に残された楽器指定の「
Fortepiano 」という表記から、この作品はおそらく1815年夏頃に作曲されたと推測されている。シューベルトの普段の表記は「Pianoforte」であり、「Fortepiano」を用いたのはこの時期のみだからである。
このメヌエットは既に述べた
D91 、
D335 とは異なり、トリオを1つしか持たない。舞踏の性格は弱く、おそらくソナタの中間楽章として書かれたメヌエットであろう。主部のメロディーはリート風で、「美しき水車屋の娘」の「水車屋の花」にも似た情緒と優しさが感じられる。トリオ部分は繰り返しを持たず、左手の4分音符の和音の刻みの上にシチリアーノ調の旋律が歌われていく。繊細な和声の変化が美しい。
研究者のエルンスト・ヒルマーはD178のアダージョ ト長調(
第1稿 ・
第2稿 )との関連性を指摘しており、この2作品は同一のソナタに含まれる楽章ではないかと推定している。もしそうだとすると、D178が第2楽章(緩徐楽章)、D334が第3楽章(舞曲楽章)の、4楽章構成のソナタということになる(両端楽章はニ長調?)。ただし根拠は薄く憶測の域を出ない。
2015/10/26(月) 19:08:54 |
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アダージョ ト長調 Adagio G-dur D178 作曲:1815年4月8日 出版:1897年
本作に2つの異なる稿が存在することについては、
以前に触れた通りである 。
第1稿と第2稿は同じテーマで始まるが、開始2小節目の後半から全く違う音楽が展開されている。
第2稿は和声の変化が多く、とりわけ装飾音のついたダクティルスのモティーフを繰り返しながらとりとめもなく転調していくB(中間部)は、もはや前衛的といえるほどだが、小節数を数えてみると、両稿はぴったりと一致している。すなわち、
A |:9:|+|:15:| B 33 A' 9+16(コーダ付)・・・第2稿はA'の2小節目で中断 という小節構造は共通しているのだ。
第1稿と、残されたA'の最初の2小節から類推すると、第2稿においても
A'はAの変奏付きの再現+コーダ となることは明白であり、今回の演奏会ではこのアイディアに基づく補筆版を演奏する。
2015/10/26(月) 18:22:10 |
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12のエコセーズ 12 Ecossaisen D299 作曲:1815年10月3日 出版:1897年(第1-8曲)、1912年(第9-12曲)
エコセーズはスコットランド起源の舞曲で、元来は3拍子だったようだが、ウィーンに伝わった頃には2拍子の軽快な舞曲に変容していた。2組のペアで踊るスタイルは、後のカドリール(カドリーユ)の源流とも考えられる。エコセーズはドイツ舞曲と並んで、シューベルトの周りの友人たちの間で特に好んで踊られていたという。
D299のエコセーズ集の自筆譜は一部しか残されていないが、そこには1815年10月3日という作曲の日付と、
マリー・フォン・シュパウン への献辞が記されている。
コンヴィクト(帝室神学校)で知り合い、一生の友人・支援者となった
ヨーゼフ・フォン・シュパウン (1788-1865)とは、この頃既に家族ぐるみの付き合いになっていたらしく、本作の楽譜は作曲直後にリンツのシュパウン家に送られたようだ。シューベルトの作品の中で、ウィーン市外で演奏された初めての曲ということになる。献呈相手の
マリー (1795-1847)はヨーゼフの妹でシューベルトより2歳年上、一時期はシューベルトの親友フランツ・フォン・ショーバー(1796-1882)と交際していたこともあったようだが、1819年にリンツの役人
アントン・オッテンヴァルト (1789-1845)と結婚し、その邸宅はリンツにおけるシューベルトサークルの中心的な存在となった。
単純なステップの
第1曲 変イ長調 、左手のホルン風の音型が特徴の
第2曲 変ホ長調 、シューベルトの偏愛したダクティルス(長短短)のリズムが支配する
第3曲 ホ長調 、3連符の下降形と急な跳躍がおどけた調子を醸し出す
第4曲 イ長調 、シューマン風の分散和音が全編を覆う
第5曲 変ニ長調 、鐘のような両外声の保続音が印象的な
第6曲 変イ長調 、3連符のアルペジオが勢いよく上行する
第7曲 ホ長調 、シンプルなモティーフの繰り返しが続く
第8曲 ハ長調 、突然のアクセントが楽しい
第9曲 ヘ長調 、ダクティルスとは逆の短短長のリズムの
第10曲 変ロ長調 、2拍目に重量感のある
第11曲 変イ長調 、唯一の短調でしんみりとした情感を残す
第12曲 ヘ短調 と、各16小節のエコセーズが12曲連なっているが、偶数番号の曲の末尾には「前の曲の冒頭に戻る」という指示がある。すなわちこれらは奇数番号曲のトリオという扱いであり、1-2-1, 3-4-3,...という順番で演奏していくと、三部形式のエコセーズが都合6曲出来上がることになる。
自筆譜は最初の8曲しか残っておらず、旧全集には8曲のみが収録された。その後全12曲を収めた筆写譜が発見され、第9-12曲は1912年、D782のエコセーズとともに雑誌付録として初出となった。
2015/10/26(月) 05:03:18 |
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メヌエット ホ長調 Menuett mit zwei Trios D335 作曲:1813年? 出版:1897年
D335のメヌエットは、
D91 の2つのメヌエットと同じように2つのトリオを持つメヌエットであり、自筆譜の状況も鑑みてD91と同じ1813年頃の作品と考えられている。
ただし、小節構造が自由であるため、こちらは実用ではなく芸術作品として構想されたふしがある。たとえば主部後半の途中、半終止に付された
フェルマータ は、踊りには不向きであるが、音楽的には極めて魅力的な表情を生んでいる。一方で、シンプルな和声は前作同様に古典派様式を感じさせるもので、終止の手前にある
ヘミオラ (3拍子の2小節を2拍子×3に錯覚させるリズム書法)の使用もバロック以来の伝統を踏襲している。
2つのトリオはよく似たアイディアから出発しているが、いずれも後半の展開が秀逸で、第1トリオではやはり半終止のあとに置かれたゲネラルパウゼ(総休止)が聴き手をはっとさせる。第2トリオでは始まりのアウフタクトの付点リズムを効果的に繰り返して統一感を出している。
2015/10/26(月) 00:52:07 |
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2つのメヌエット Zwei Menuette mit je zwei Trios D91 作曲:1813年11月22日 出版:1956年
「メヌエット」は、シューベルトが手がけた舞曲の中で歴史的に最も古い部類に入る。
ルイ14世時代のフランス王宮で盛んに踊られた中庸な3拍子の舞曲であり、バロックの舞踏組曲を経て、交響曲やソナタの中間楽章として古典派の時代まで命脈を保った。
シューベルトのピアノ独奏のためのメヌエットは、すべて1816年以前に書かれたものである。
シューベルトの初期のメヌエットは、2つのトリオ(中間部)を伴う
ABACA という特徴的な形式をとる。
それぞれ2つのトリオをもつD91の2曲は、まるでモーツァルトのような古典的な趣のメヌエットである。
第1曲 ニ長調 は16分音符の活発なアウフタクトで始まる軽快な主部、なめらかなメロディーがオクターヴで歌われるイ長調の第1トリオ、バスの保続を伴う第2トリオからなる。
第2曲 イ長調 の主部はより断定的、オーケストラ的な曲調で、いくぶん民謡風でのどかな第1トリオ、表情豊かな変化和音が美しい第2トリオがこれに続く。
2曲とも、主部・第1トリオ・第2トリオの各部分は16小節で、8小節ごとに繰り返し記号が付されている。この厳格な小節構造から鑑みて、実際の舞踏の伴奏を目的として書かれた可能性が高い。
ちなみにベルリン国立図書館に収蔵されている自筆譜のタイトルは「4つのメヌエット」と記されており、この他に更に2曲のメヌエットが作曲されたと推測されるが、第3曲・第4曲の所在は確認されていない。
2015/10/25(日) 22:37:59 |
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