続いて、1818年、ギタリストのフェルナンド・ソル Fernando Sor (1778-1839)が「スペインの万聖節の午後の鐘の大音響の主題によるボレロ様式の即興曲」という作品を発表した。スペイン出身で、後にフランスで活動したソルはギター曲「モーツァルトの『魔笛』の主題による変奏曲」の作曲者として知られている。ソルは1815年にイギリスを訪問したらしいので、そこでクラーマーやラトゥールの「即興曲」を知った可能性がある。「スペインの~大音響」というのが、文字通りに教会の鐘の旋律を指すのか、それともそのようなタイトルの固有の歌があるのかはわからないが、とにかくすこぶる長くわかりにくいタイトルである。
同じく1810年代にダニエル・シュタイベルト Daniel Steibelt (1765-1823)が「出発、ピアノのための即興曲」なる作品を出版している。シュタイベルトは1790年代からヨーロッパ中で活躍したピアニストであり、初期ロマン派ピアノ音楽の歴史上重要な人物である。ドイツ生まれで、最後はロシアで亡くなったが、ロンドンにも活動拠点があり、クラーマーと面識があったのは確実だと思われる。1814年にいったん演奏活動から退き、1820年にペテルブルクで復帰するのだが、その間の彼の動向はよくわかっていない。
器楽曲のタイトルとして使用されるようになったのは19世紀のはじめといわれているが、その起源ははっきりとはわかっていない。 私の知る限り、最も古い使用例として確認できたのは1815年3月号の"Allgemeine musikalische Zeitung"(「一般音楽時報」、以下AmZ)の新譜カタログ(Google Books)に掲載されている、ヨハン・バプティスト・クラーマー Johann Baptist Cramer (1771-1858)の「クトゥーゾフの勝利、ピアノのための即興曲」(La Victoire de Kutusoff, Impromptu p. le Pforte.)という作品である。 「クラーマー=ビューロー60の練習曲」でピアノ学習者には馴染み深いクラーマーは、ドイツで生まれたが生涯のほとんどをイギリスで送った。クレメンティに師事しピアニストとして活躍、ウィーン訪問時にはベートーヴェンのライヴァルと目され、技巧面ではベートーヴェンより勝っていると評されるほどのヴィルトゥオーゾだった。後年はピアノ製作・楽譜出版業でも成功し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番をイギリスで出版するにあたって、「皇帝」(Emperor)の標題を与えた張本人でもある。 同じ年度のAmZのカタログには、「ピアノ・ソナタ (イ短調) 『究極』 作品53」(すごい標題だ)も並んで掲載されていて、Wikipediaによるとこれは1812年の作品とされているので、件の即興曲も1812年頃に作曲されたのかもしれない。タイトルにあるミハイル・クトゥーゾフ Mikhail Kutuzov (1745-1813)はロシアの軍人で、チャイコフスキーの序曲「1812年」でおなじみのナポレオンのロシア侵攻(1812)でロシア軍総司令官を務め、ナポレオンに歴史的敗北を与えた数少ない人物として知られている。この曲の楽譜を入手することはできなかったが、他の資料によると、ヘンデルのオラトリオ「ユダス・マカベウス」の中の合唱「危難を顧みず」(Disdainful of Danger)に基づく、という副題が付いており、この合唱曲の編曲のようなものなのではないかと推測できる。当時ロンドンに住んでいたであろうクラーマーが、ロシア侵攻の帰結にどのような思いを抱いていたのかわからないが、おそらくはクトゥーゾフの戦功を祝う意図で書かれた曲なのだろう。 1815年までに出版された音楽著作物、音楽作品をまとめた、"Handbuch der musikalischen Litteratur oder allgemeines systematisch geordnetes Verzeichniss der bis zum Ende des Jahres 1815 gedruckten Musikalien, auch musikalischen Schriften und Abbildungen, mit Anzeige der Verleger und Preise."(Google Books)という滅茶苦茶長いタイトルのカタログが1817年にライプツィヒで刊行されている(編者はアントン・マイゼル)。この中にも「クトゥーゾフの勝利」は掲載されていて、フランスのAndré社とウィーンのRiedl社から出版されているとのこと。更に、「ヘンデルのエアによる即興曲」という作品も別に載っていて、かのBreitkopf&Härtel社から刊行されているが、これはタイトルが違っただけで、やはり「クトゥーゾフの勝利」と同じ作品を指していると考えられる。つまりこの曲は1817年の時点でフランス、オーストリア、ドイツで別々に出版されているわけで、当時かなり人気を誇っていたようだ。 このカタログでもうひとつ気になるのは、「クトゥーゾフの勝利」の項目にImpromptu. No.13とあることで、文字通り解釈すれば即興曲第13番という意味になる。すなわちクラーマーはこの作品の前に「即興曲」というタイトルの作品を、あと12曲書き上げていたことになる。 クラーマーの「即興曲」としては、他にPTNAのピアノ曲事典に「音楽の題材による即興曲、手記風の資料」(Impromptu sur une matinére musicale, donnée à la memoire Op.93)なる作品が掲載されているが、作品の内容については手がかりがなかった。作品番号から考えると、「クトゥーゾフの勝利」より後の年代の作品と思われる。