Brown, Ms. 9 12のトリオ付きドイツ舞曲 Zwölf Deutsche mit Trios タイトル:12 Deutsche sammt Coda (12のドイツ舞曲とコーダ)
日付:1815年
所蔵:パリ国立高等音楽院
→デジタルデータ (舞曲自筆譜ならびにブラウン自筆譜番号についてはこちら) 1815年、シューベルトが18歳のときの作品。清書譜で、立派な表紙が付けられており、フェルディナントの筆でディアベリに預けた旨が記されている。
しかしながらタイトルにある
「sammt Coda(コーダつき)」 という文言は解せない。
D420 のようにコーダ(終結部)の付いている舞曲集も存在するが、この曲集にはコーダは付いていない。
「トリオ付き」というべきところを間違えたのだろうか。この舞曲集の特異なところは、各曲が
トリオを伴うダ・カーポ形式 で書かれているということで、トリオは主部に依存しない独立した楽曲になっている。つまり、細かく数えれば
24ピースの舞曲 がここに収められているということだ。そのうちの20ピースが
「20のワルツ」D146(Op.127) の中の10曲を構成している。わざわざ主部とトリオを別々に数えたことからも分かるとおり、
●主部・トリオともにそのまま入集したのが7セット=14ピース(うち1曲はトリオのみ移調) ●主部とトリオを交換した舞曲が1対2セット=4ピース(いずれも移調あり) ●主部同士で組み合わせられたのが2ピース である。残り4ピースのうち1ピースは
D145-W8 として別途出版されており、その他の3ピース(トリオ1とセット1)には独立したドイチュ番号が与えられた。
トリオを伴う舞曲の代表例には
メヌエット がある。この自筆譜が成立した1815年にはシューベルトはまだメヌエットの作曲をやめていない。そうした
初期のスタイル を色濃く残すとともに、シューベルティアーデの舞踏会で実際に踊られるようになって以降の「実用的な」舞曲とは異なる、
形而上的な舞曲集 ともいえる。その点ではシューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」等の先駆ともいえるだろう。
以降「Op.127」と表記するのは
「20のワルツ」D146(作品127) の出版譜を指す。この自筆譜がOp.127のソースである(別稿はない)ことは確実だが、それでも出版にあたってさまざまな改変が加えられており、その内容や理由について以下で考察したい。
1. ホ長調 → D135 / 主部はD146-3(主部) 主部はOp.127-3の主部と全く同一である。
トリオはD146(Op.127)には収録されなかったため、この舞曲全体が
D135 としてドイチュ目録に掲載されたが、トリオ部分のみをD135とするという見解もある。
2. イ長調/嬰ヘ短調 → 主部はD146-3(トリオ)、トリオはD145-W9 トリオは既にOp.18-W9に収録されているため切り離され、主部が前曲の主部と組み合わされてOp.127-3に収まった。Op.127-3(トリオ)では中間部にデュナーミクの加筆があり、[11]の2拍目にsf、[14]にクレシェンドの松葉がついて[15]のfの位置が変わっている。[14][15]の改変については本来の意図に反するように思われる。
3. 嬰ハ長調/イ長調 → D139 ♯7個という特殊な調号を持つこの荒々しい舞曲はOp.127には入集せず、後に
D139 の番号を与えられた。この作品については別に解説する。
4. ロ短調/ト長調 → D146-7 Op.127-7では主部の[7]の3拍目のsfが消えている一方で、B部冒頭の[9]アウフタクトにfの指示が加筆されている。トリオでは[11][15]の右手の付点2分音符にアクセントが加えられているが、微細な変更といえよう。
5. ヘ長調/変ロ長調 → D146-10 Op.127-10では主部の[13]以降の左手2拍目のsfがアクセント記号(>)に変えられている他、大幅な変更として[31]アウフタクトから[37]1拍目までの右手に8va(Ⅰオクターヴ高く)が書き加えられており、華やかさが追求されている。トリオは同一。
6. ニ長調 → D146-6 Op.127-6との大きな相違はなく、主部集結前の[31]3拍目のsfやトリオ[17]開始時のpの指示が欠けているが、見落としといって差し支えない程度の変化である。
7. ヘ長調/変イ長調 → D146-5(トリオは変ロ長調に移調) Op.127-5の主部とはほぼ相違なく、[35]3拍目の和音の左右の手の配置が異なることと、[40]3拍目の右手になぜかスタッカートが付いたことぐらいである。トリオ全体は変イ長調から長2度高い変ロ長調に移調されているが、むしろ主部との取り合わせの面では変ロ長調の方が違和感が少ないかもしれない。初稿で変イ長調が選ばれた理由は、おそらく[27]の
最高音Fがこの時期の通常のピアノの最高音だった からで、1830年には音域の広い楽器も普及していたため変ロ長調(最高音はGになる)に移調して差し支えないという判断があったのだろう。
8. 変ロ長調 → D146-11 主部[15]右手にスラーが補われたことと、トリオのデュナーミク指示がppからpへ変更された他はOp.127-11と相違ない。
9. 変ト長調 → 主部はD146-8主部、トリオはD146-1トリオ(いずれもト長調に移調) ♭6個はさすがに出版には向かなかった と見え、♯1個のト長調に移調された上でバラバラに切り離され、次曲とカップリングされることになった。
主部とOp.127-8主部を比較すると、冒頭のf・[9]アウフタクトのffというデュナーミク指示が、冒頭はなし・[9]アウフタクトはfに減少させられている。トリオとOp.127-1の比較では、[1][17]アウフタクトの右手にスタッカートが追加されたのみである。
10. ニ長調 → 主部はD146-1主部、トリオはD146-8トリオ 勢いも良く祝祭的なこの曲を曲集の幕開けに据えたいという出版社の意図はよくわかるが、なぜ主部とトリオがバラバラにされて前曲と組み合わされなければならなかったのかはよくわからない。Op.127-1における主部の大きな変更点としては、和音連打に初稿にはなかったスタッカートの点が付加されたことである。トリオは同一。
11. イ長調 → D146-4 Op.127-4の主部では右手の多くの4分音符にスタッカートの点が付加されている。トリオはかなり大幅に改変されており、初稿では
三部形式[T] だった舞曲の最後の8小節を端折って二部形式[B] に縮めている 。[1][9]の左手の1拍目のバスのオクターヴも消え、単なる和音連打の伴奏型となった。
12. ハ長調 → D146-9 Op.127-9では主部[1][9][25]の1拍目の右手のGのオクターヴが装飾音つきの単音に変えられているが、これは左手の2拍目のGと右手の下声が衝突するのを避けるための処置だろう。同様に主部最終小節の右手のCのオクターヴも単音になっている。トリオは[1]等の右手の3拍目の8分音符にスラーが付加されている他は大差ない。
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2022/04/06(水) 23:31:59 |
舞曲自筆譜
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Brown, Ms. 26 ドイツ舞曲 変イ長調 Deutscher in As D365-2 タイトル:Deutscher von Franz Schubert
日付:1818年3月
所蔵:大英図書館(資料番号 Zweig MS 80)
→デジタルデータ Brown, Ms. 25 と同じD365-2を書きつけたこちらの紙片は、作曲家のイグナーツ・アスマイヤーに贈られた。
楽譜の下には長い献辞がある。「
ここに君にドイツ舞曲を贈る、最愛のアスマーくん! さもないと君はなお僕をせかそうとする、忌々しいアスマーくん! 」続けてラテン語で「
最も輝かしく、最も博識で、最も聡明で、最も思慮深い、偉大なる作曲家に、謙虚と畏敬の念をこめて献呈に供さる、しもべの中のしもべフランシスコ・セラフィコまたの名をシューベルトより 」。
ヨーロッパにおけるラテン語は古めかしい「古典」言語であり、この擬古典調のおかしな献辞にもやはりシューベルトのユーモアが宿っている。
イグナーツ・アスマイヤー Ignaz Aßmayer (1790-1862)はザルツブルク生まれで、同地でミヒャエル・ハイドンに師事。1815年にウィーンに移り、サリエリの門下に入ってシューベルトと同門となった。1824年のディアベリの「ワルツ変奏曲集」には、シューベルトやチェルニーらとともに選ばれていることから、当時ウィーンで活躍中の作曲家と認められていたのだろう。彼はその後教会音楽の分野に進み、1824年にはショッテン教会の合唱指揮者、1825年には第2宮廷オルガニスト(首席はシューベルトが晩年に対位法の教えを請うた大家シモン・ゼヒター)、1838年に宮廷副カペルマイスター、そして1846年にはカペルマイスターに登り詰めた。在職中の1854年にはオルガニストに志願してきたアントン・ブルックナーの採用試験も行っている。1862年、彼の多くの作品が演奏されたショッテン教会で死去し、ヴェーリング墓地に埋葬された。作品のほとんどはミサ曲、オラトリオといった教会音楽である。
ところでこの楽譜の裏面には、「ヨハネ福音書」第6章第55-58節に付曲した、独唱声部と通奏低音のための作品(D607)の第1-33小節が書かれている。続きの第34-57小節の自筆譜の紙片はウィーン市立図書館に所蔵されており、バラバラに保管されている。こちらの裏面には「Quartetto」(?)と題された変ホ長調の断片が記されている。シューベルトはD607を書き上げたあと、その2枚の紙片の裏面を再利用し、1枚に舞曲を書いてアスマイヤーに贈り、もう1枚には別の作品のスケッチを書きつけた、ということらしい。
ドイツ語の献辞は例によってDeutschen(ドイツ舞曲)とpeitschen(せかす)の押韻となっているが、文字通り受け取るならば、アスマイヤーがシューベルトにこの曲のコピーを再三依頼してようやく実現したものとも考えられる。
ドイツ舞曲 変イ長調 →D365-2 変イ長調 1818年3月14日の日付がある
Brown, Ms. 25 とほとんど違いはない。[8]の左手にEsが追加されているのと、後半のアクセントの大部分がなくなっている程度の違いである。一方を参照しながらもう一方を書き写した、と思えるぐらいに一致している。
あえて言うならば、
Brown, Ms. 25 は大譜表3行の途中までとなっているが、この自筆譜は2行にきれいに収まっており、レイアウトを計算しながら書いたのではないかと思われる。
2019/03/25(月) 21:23:17 |
舞曲自筆譜
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Brown, Ms. 25 ドイツ舞曲 変イ長調 Deutscher in As D365-2 タイトル:Deutscher von Franz Schubert
日付:1818年3月14日
所蔵:アメリカ議会図書館、ホイットール財団コレクション(資料番号 PhA1030)
→デジタルデータ この紙片はアンゼルム・ヒュッテンブレンナーに献呈されている。
楽譜のあとには「
私のカフェ・ワイン・パンチ仲間である、世界的著名作曲家アンゼルム・ヒュッテンブレンナーのために書かれた。ウィーン、主の年1818年3月14日、家賃30フローリンの彼の非常に個人的な住居にて 」とある。
たかだか16小節の舞曲を贈るのに「世界的著名作曲家」だの「主の年」(西暦を示すラテン語表現のドイツ語訳)だの、果ては「家賃30フローリン」なんていうことまで明記されているところに、シューベルトならではの諧謔精神を感じ取ることができる。同門の作曲家アンゼルム・ヒュッテンブレンナーは、シューベルトにとってそれだけ気の置けない「カフェ・ワイン・パンチ仲間」だったのだろう。
ドイツ舞曲 変イ長調 →D365-2 変イ長調 ここに書きつけられているのは、有名な
「悲しみのワルツ」 である。作曲家の名前すら知られぬままにウィーン中のヒットチューンとなったこの曲の、数奇な物語についてはまた別記事で紹介しよう。
Op.9-2とは細部に多くの違いがある。まず冒頭のアウフタクト、Op.9-2ではEs-D-Esという8分音符3つだが、この自筆譜ではEsの4分音符1つだけとなっている。[9]のアウフタクトも同様である。他は左手の伴奏型の違いで、[6]のバスAsがEsになっていること、[5]-[7][9]-[12][14][15]のバスが付点2分音符で伸びていること、[9][14]の2・3拍目の和音の構成音が少ないこと、また[8][16]の終止形に2拍目がなく、2分音符で停止していることなどである。[9]以降にたびたび付されているアクセントはOp.9-2には採用されていない。
他人の手になるものも含めて多くの異稿が作られた本作の、現存する中では最も古い自筆譜であり、その初期の姿を知ることのできる貴重な記録である。
2019/03/24(日) 20:33:02 |
舞曲自筆譜
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Brown, Ms. 24 2つの舞曲 Zwei Tänze タイトル:Ecossaise / Deutsch
日付:なし
所蔵:ウィーン市立図書館(資料番号 MH 16840)
→デジタルデータ 1枚の紙片の表と裏に、それぞれ
エコセーズ(D511) と
ドイツ舞曲(D365-3) が書かれている。
興味深いのは、それぞれの楽譜の下にシューベルトによるユーモラスな献辞が添えられていることである。
エコセーズの下には「
このエコセーズで跳ぶのだ、嬉しいときも悲しいときも。あなたの最良の友人、フランツ・シューベルト 」、ドイツ舞曲の下には「
いつもこのワルツで踊るのだ、そうしたらあなたはロシア人にも、あるいはプファルツ人にさえなれる。あなたの最高の友人 」とある。プファルツというのは南ドイツのプファルツ地方のことだが、特段の意味はなく、Walzer(ワルツ)とPfalzerの押韻(語呂合わせ)に用いられたに過ぎない。
実はこれが、
シューベルトが自作について「ワルツWalzer」という呼称を用いた唯一の資料 なのである。しかし曲題には「ドイツ舞曲 Deutsch」とあるし、同じD365-3の他の自筆譜の中には「レントラー Ländler」と題されているものすらある。
シューベルトが、
自作の舞曲について「ドイツ舞曲」「レントラー」「ワルツ」を区別していなかった と考える重要な証拠である。
自筆譜には献呈先についての情報はないが、J.P.ゴットハルト J. P. Gotthard (1839-1919)による筆写譜が残っており(オーストリア国立図書館所蔵 Mus. Hs. 34814)、そこには
「エティエンヌ(父)氏のために作曲された」 とある。
この人物は、
クロード・エティエンヌ Claude Etienne と同定されている。エティエンヌはショーバーの兄アクセルの使用人で、1821年の
アッツェンブルックのパーティー にも参加したという。この譜面はそれよりも以前、1817年頃に成立したと推定されており、同年の8月に赴任先で病気になったアクセルをエティエンヌが迎えに行く際に、ショーバー経由で渡されたものと考えられている(アクセルは実家に戻ることになって、
シューベルトは居候していたショーバー邸から出払わなければならなかった )。
1. エコセーズ 変ホ長調 D511 どの曲集にも収録されず、単独のドイチュ番号が与えられた。詳しくは別記事で解説する。
2. ドイツ舞曲 変イ長調 →D365-3 変イ長調 Op.9-3とは細部に多くの相違がある。冒頭のアウフタクトが8分音符のEs-Desではなく、4分音符のEsのみになっている。[6][14]のバス音がEsではなくAsになっており、主和音の基本形となる(Op.9-3では第2転回形)。またこの自筆譜にある多くのデュナーミク、アクセントはいずれも出版譜には反映されず、逆に出版譜には自筆譜にはない多くのスラーが追加されているが、逆に[10][12]の右手の1拍目から2拍目へのスラーはOp.9-3には存在しない。
友人へのプレゼントとして書かれた舞曲の紙片の中で、最も初期のものといえる。
2019/03/23(土) 11:44:17 |
舞曲自筆譜
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Brown, Ms. 43 4つのドイツ舞曲 Vier Deutsche タイトル:Deutsche
日付:1821年8月
所蔵:
ウィーン楽友協会資料室 (資料番号 A260)
シューベルト自身の筆跡で番号付けされた4曲は、後に
D365 と
D145 に2曲ずつ分かれて収録された。
1. ト長調 →D365-32 ヘ長調 出版譜のOp.9-32、また嬰ヘ長調で記譜された
Brown, Ms. 39 (1821年3月8日)と比べると、細部に多くの相違がある。[2][18]の右手1拍目の短前打音がなく、[5][6][21][22]のオクターヴ重複もない。[9]-[16]の左手の伴奏型が、より簡素な形に変わっている。また全曲を通してデュナーミク指示がなく、アーティキュレーションもほとんど書かれていない。
2. ト長調 →D365-33 ヘ長調 前曲同様、Op.9-33、
Brown, Ms. 39 とは細部の相違が認められる。[8]2括弧(延べで書かれているOp.9-33では[16])後半、右手に次小節へのアウフタクト音型が追加されており、[20](Op.9-33では[28])の3拍目に音が加えられているほか、左手の伴奏型には多数の異同がある。アーティキュレーションの点では、Op.9-33では3拍目のアクセントから次拍へのスラーが掛かっているが、この自筆譜はスタッカートで分離されている。デュナーミクの点では、冒頭のpの指示はなく、後半のppに向けて[6]2括弧からdecresc.と指示されているのが興味深い。[17](Op.9-33では[25])はfではなくffとされている。
3. ロ長調 →D145-W2 ロ長調 7月成立の
「アッツェンブルック舞曲」Brown, Ms. 42 とほぼ同じ内容であり、若干デュナーミクの指示が少ない程度である。
4. 変ホ短調 →D145-W5 ホ短調 こちらも5月成立の、カロリーネ嬢の名のある
Brown, Ms. 41 とほぼ一致している。[1]3拍目のsfはなく、[8]の3拍目の左手は休符。また[9]のデュナーミクはpではなくppとなっている。
いずれも先行する自筆譜が存在するが、とりわけ最初の2曲に関してはよりシンプルな書法となっており、出版譜とも一致しない。舞踏会のためのメモ、あるいは他人が弾くことを想定した別ヴァージョンと考えられる。
Brown, Ms. 39 の嬰ヘ長調から、簡単なト長調への移調を考えると、読譜力の低いアマチュアを想定した写本なのかもしれない。
また、他の自筆譜や出版譜では延べで書かれている第2曲(D365-33)・第3曲(D145-W2)において、1括弧・2括弧を伴う繰り返し記号が使用されていることから、少ないスペースにぎっしりと書こうとした形跡が窺える。
2019/03/22(金) 01:11:44 |
舞曲自筆譜
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