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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
次回公演詳細

Brown, Ms. 26 ドイツ舞曲 変イ長調 D365-2

Brown, Ms. 26  ドイツ舞曲 変イ長調  Deutscher in As D365-2
タイトル:Deutscher von Franz Schubert
日付:1818年3月
所蔵:大英図書館(資料番号 Zweig MS 80) →デジタルデータ

Brown, Ms. 25と同じD365-2を書きつけたこちらの紙片は、作曲家のイグナーツ・アスマイヤーに贈られた。
楽譜の下には長い献辞がある。「ここに君にドイツ舞曲を贈る、最愛のアスマーくん! さもないと君はなお僕をせかそうとする、忌々しいアスマーくん!」続けてラテン語で「最も輝かしく、最も博識で、最も聡明で、最も思慮深い、偉大なる作曲家に、謙虚と畏敬の念をこめて献呈に供さる、しもべの中のしもべフランシスコ・セラフィコまたの名をシューベルトより」。
ヨーロッパにおけるラテン語は古めかしい「古典」言語であり、この擬古典調のおかしな献辞にもやはりシューベルトのユーモアが宿っている。

イグナーツ・アスマイヤー Ignaz Aßmayer (1790-1862)はザルツブルク生まれで、同地でミヒャエル・ハイドンに師事。1815年にウィーンに移り、サリエリの門下に入ってシューベルトと同門となった。1824年のディアベリの「ワルツ変奏曲集」には、シューベルトやチェルニーらとともに選ばれていることから、当時ウィーンで活躍中の作曲家と認められていたのだろう。彼はその後教会音楽の分野に進み、1824年にはショッテン教会の合唱指揮者、1825年には第2宮廷オルガニスト(首席はシューベルトが晩年に対位法の教えを請うた大家シモン・ゼヒター)、1838年に宮廷副カペルマイスター、そして1846年にはカペルマイスターに登り詰めた。在職中の1854年にはオルガニストに志願してきたアントン・ブルックナーの採用試験も行っている。1862年、彼の多くの作品が演奏されたショッテン教会で死去し、ヴェーリング墓地に埋葬された。作品のほとんどはミサ曲、オラトリオといった教会音楽である。
ところでこの楽譜の裏面には、「ヨハネ福音書」第6章第55-58節に付曲した、独唱声部と通奏低音のための作品(D607)の第1-33小節が書かれている。続きの第34-57小節の自筆譜の紙片はウィーン市立図書館に所蔵されており、バラバラに保管されている。こちらの裏面には「Quartetto」(?)と題された変ホ長調の断片が記されている。シューベルトはD607を書き上げたあと、その2枚の紙片の裏面を再利用し、1枚に舞曲を書いてアスマイヤーに贈り、もう1枚には別の作品のスケッチを書きつけた、ということらしい。
ドイツ語の献辞は例によってDeutschen(ドイツ舞曲)とpeitschen(せかす)の押韻となっているが、文字通り受け取るならば、アスマイヤーがシューベルトにこの曲のコピーを再三依頼してようやく実現したものとも考えられる。

ドイツ舞曲 変イ長調 →D365-2 変イ長調
1818年3月14日の日付があるBrown, Ms. 25とほとんど違いはない。[8]の左手にEsが追加されているのと、後半のアクセントの大部分がなくなっている程度の違いである。一方を参照しながらもう一方を書き写した、と思えるぐらいに一致している。
あえて言うならば、Brown, Ms. 25は大譜表3行の途中までとなっているが、この自筆譜は2行にきれいに収まっており、レイアウトを計算しながら書いたのではないかと思われる。
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  1. 2019/03/25(月) 21:23:17|
  2. 舞曲自筆譜
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Brown, Ms. 25 ドイツ舞曲 変イ長調 D365-2

Brown, Ms. 25  ドイツ舞曲 変イ長調 Deutscher in As D365-2
タイトル:Deutscher von Franz Schubert
日付:1818年3月14日
所蔵:アメリカ議会図書館、ホイットール財団コレクション(資料番号 PhA1030) →デジタルデータ

この紙片はアンゼルム・ヒュッテンブレンナーに献呈されている。
楽譜のあとには「私のカフェ・ワイン・パンチ仲間である、世界的著名作曲家アンゼルム・ヒュッテンブレンナーのために書かれた。ウィーン、主の年1818年3月14日、家賃30フローリンの彼の非常に個人的な住居にて」とある。
たかだか16小節の舞曲を贈るのに「世界的著名作曲家」だの「主の年」(西暦を示すラテン語表現のドイツ語訳)だの、果ては「家賃30フローリン」なんていうことまで明記されているところに、シューベルトならではの諧謔精神を感じ取ることができる。同門の作曲家アンゼルム・ヒュッテンブレンナーは、シューベルトにとってそれだけ気の置けない「カフェ・ワイン・パンチ仲間」だったのだろう。

ドイツ舞曲 変イ長調 →D365-2 変イ長調
ここに書きつけられているのは、有名な「悲しみのワルツ」である。作曲家の名前すら知られぬままにウィーン中のヒットチューンとなったこの曲の、数奇な物語についてはまた別記事で紹介しよう。
Op.9-2とは細部に多くの違いがある。まず冒頭のアウフタクト、Op.9-2ではEs-D-Esという8分音符3つだが、この自筆譜ではEsの4分音符1つだけとなっている。[9]のアウフタクトも同様である。他は左手の伴奏型の違いで、[6]のバスAsがEsになっていること、[5]-[7][9]-[12][14][15]のバスが付点2分音符で伸びていること、[9][14]の2・3拍目の和音の構成音が少ないこと、また[8][16]の終止形に2拍目がなく、2分音符で停止していることなどである。[9]以降にたびたび付されているアクセントはOp.9-2には採用されていない。
他人の手になるものも含めて多くの異稿が作られた本作の、現存する中では最も古い自筆譜であり、その初期の姿を知ることのできる貴重な記録である。
  1. 2019/03/24(日) 20:33:02|
  2. 舞曲自筆譜
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Brown, Ms. 24 2つの舞曲

Brown, Ms. 24  2つの舞曲  Zwei Tänze
タイトル:Ecossaise / Deutsch
日付:なし
所蔵:ウィーン市立図書館(資料番号 MH 16840) →デジタルデータ

1枚の紙片の表と裏に、それぞれエコセーズ(D511)ドイツ舞曲(D365-3)が書かれている。
興味深いのは、それぞれの楽譜の下にシューベルトによるユーモラスな献辞が添えられていることである。
エコセーズの下には「このエコセーズで跳ぶのだ、嬉しいときも悲しいときも。あなたの最良の友人、フランツ・シューベルト」、ドイツ舞曲の下には「いつもこのワルツで踊るのだ、そうしたらあなたはロシア人にも、あるいはプファルツ人にさえなれる。あなたの最高の友人」とある。プファルツというのは南ドイツのプファルツ地方のことだが、特段の意味はなく、Walzer(ワルツ)とPfalzerの押韻(語呂合わせ)に用いられたに過ぎない。
実はこれが、シューベルトが自作について「ワルツWalzer」という呼称を用いた唯一の資料なのである。しかし曲題には「ドイツ舞曲 Deutsch」とあるし、同じD365-3の他の自筆譜の中には「レントラー Ländler」と題されているものすらある。
シューベルトが、自作の舞曲について「ドイツ舞曲」「レントラー」「ワルツ」を区別していなかったと考える重要な証拠である。

自筆譜には献呈先についての情報はないが、J.P.ゴットハルト J. P. Gotthard (1839-1919)による筆写譜が残っており(オーストリア国立図書館所蔵 Mus. Hs. 34814)、そこには「エティエンヌ(父)氏のために作曲された」とある。
この人物は、クロード・エティエンヌ Claude Etienneと同定されている。エティエンヌはショーバーの兄アクセルの使用人で、1821年のアッツェンブルックのパーティーにも参加したという。この譜面はそれよりも以前、1817年頃に成立したと推定されており、同年の8月に赴任先で病気になったアクセルをエティエンヌが迎えに行く際に、ショーバー経由で渡されたものと考えられている(アクセルは実家に戻ることになって、シューベルトは居候していたショーバー邸から出払わなければならなかった)。

1. エコセーズ 変ホ長調 D511
どの曲集にも収録されず、単独のドイチュ番号が与えられた。詳しくは別記事で解説する。

2. ドイツ舞曲 変イ長調 →D365-3 変イ長調
Op.9-3とは細部に多くの相違がある。冒頭のアウフタクトが8分音符のEs-Desではなく、4分音符のEsのみになっている。[6][14]のバス音がEsではなくAsになっており、主和音の基本形となる(Op.9-3では第2転回形)。またこの自筆譜にある多くのデュナーミク、アクセントはいずれも出版譜には反映されず、逆に出版譜には自筆譜にはない多くのスラーが追加されているが、逆に[10][12]の右手の1拍目から2拍目へのスラーはOp.9-3には存在しない。

友人へのプレゼントとして書かれた舞曲の紙片の中で、最も初期のものといえる。
  1. 2019/03/23(土) 11:44:17|
  2. 舞曲自筆譜
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Brown, Ms. 43 4つのドイツ舞曲

Brown, Ms. 43  4つのドイツ舞曲  Vier Deutsche
タイトル:Deutsche
日付:1821年8月
所蔵:ウィーン楽友協会資料室(資料番号 A260)

シューベルト自身の筆跡で番号付けされた4曲は、後にD365D145に2曲ずつ分かれて収録された。

1. ト長調 →D365-32 ヘ長調
出版譜のOp.9-32、また嬰ヘ長調で記譜されたBrown, Ms. 39(1821年3月8日)と比べると、細部に多くの相違がある。[2][18]の右手1拍目の短前打音がなく、[5][6][21][22]のオクターヴ重複もない。[9]-[16]の左手の伴奏型が、より簡素な形に変わっている。また全曲を通してデュナーミク指示がなく、アーティキュレーションもほとんど書かれていない。

2. ト長調 →D365-33 ヘ長調
前曲同様、Op.9-33、Brown, Ms. 39とは細部の相違が認められる。[8]2括弧(延べで書かれているOp.9-33では[16])後半、右手に次小節へのアウフタクト音型が追加されており、[20](Op.9-33では[28])の3拍目に音が加えられているほか、左手の伴奏型には多数の異同がある。アーティキュレーションの点では、Op.9-33では3拍目のアクセントから次拍へのスラーが掛かっているが、この自筆譜はスタッカートで分離されている。デュナーミクの点では、冒頭のpの指示はなく、後半のppに向けて[6]2括弧からdecresc.と指示されているのが興味深い。[17](Op.9-33では[25])はfではなくffとされている。

3. ロ長調 →D145-W2 ロ長調
7月成立の「アッツェンブルック舞曲」Brown, Ms. 42とほぼ同じ内容であり、若干デュナーミクの指示が少ない程度である。

4. 変ホ短調 →D145-W5 ホ短調
こちらも5月成立の、カロリーネ嬢の名のあるBrown, Ms. 41とほぼ一致している。[1]3拍目のsfはなく、[8]の3拍目の左手は休符。また[9]のデュナーミクはpではなくppとなっている。

いずれも先行する自筆譜が存在するが、とりわけ最初の2曲に関してはよりシンプルな書法となっており、出版譜とも一致しない。舞踏会のためのメモ、あるいは他人が弾くことを想定した別ヴァージョンと考えられる。Brown, Ms. 39の嬰ヘ長調から、簡単なト長調への移調を考えると、読譜力の低いアマチュアを想定した写本なのかもしれない。
また、他の自筆譜や出版譜では延べで書かれている第2曲(D365-33)・第3曲(D145-W2)において、1括弧・2括弧を伴う繰り返し記号が使用されていることから、少ないスペースにぎっしりと書こうとした形跡が窺える。
  1. 2019/03/22(金) 01:11:44|
  2. 舞曲自筆譜
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Brown, Ms. 42 6つのアッツェンブルックのドイツ舞曲

Brown, Ms. 42  6つのアッツェンブルックのドイツ舞曲  Sechs Atzenbrugger Deutsche
タイトル:Atzenbrucker Deutsche
日付:1821年7月
所蔵:ウィーン楽友協会資料室(資料番号 A259)

1821年夏アッツェンブルック城滞在中に作曲されたとみられる。アッツェンブルック城での、ショーバーたちとの楽しい催しについては以前紹介した。滞在中、シューベルトはほとんど創作を行っていなかったと思われるが、その唯一の例外といえるのがこの舞曲集である。
6曲は、D365(「36のオリジナル舞曲」作品9)D145(「12のワルツ、17のレントラーと9つのエコセーズ」作品18)に順不同に収録されたが、この自筆譜の存在は古くから知られていて、連作としてしばしば演奏されてきた。

1. ホ長調 →D145-W1 ホ長調
前半16小節の間じゅう、右手に掛かっている8va(1オクターヴ高く)の指示が目を引く。結果的に[9]アウフタクト~[13]以外の前半のすべての小節で、右手はOp.18-W1よりも1オクターヴ高く奏され、結果的に[14]-[16]の左手も低域に移動せずに同じ音域に留まっている。
後半、[17]のアウフタクトから3拍間の右手上声の音型に違いがあり、Op.18-W1とは逆のH-H-H-Fisという進行をとる。Op.18-W1では冒頭の音型を模倣するように改変されたともいえる。前半と同様、[29]以降が両手とも1オクターヴ上がっている。
全体として、右手が高音域を多用する傾向がある。

2. イ短調 →D145-W3 イ短調
この曲においても、[9]-[12]、[17]-[20]、[33]-[36]、[41]-[44]の右手でOp.18-W3より1オクターヴ高い音域が指示されている。細かく見ていくと、[4]の後半がレガートではなく、スタッカートの付いたオクターヴ連打になっていること、[14][22][38][46]の右手のリズムに付点がないこと、[25]-[27]、[29]-[31]の各小節1拍目にsfが付いていること、[33]以降のバスのA音がオクターヴで重ねられておらず単音であること、などが出版譜との主な相違点である。

3. ニ長調 →D365-29 ニ長調
Op.9-29との相違点はほとんどない。[9][11]のデュナーミク指示が若干異なるのみである。決定稿と言って差し支えないだろう。

4. ロ長調 →D145-W2 ロ長調
1821年5月20日に成立したBrown, Ms. 39(第7曲)とほとんど違いはない。Op.18-W2と比べると、左手の伴奏型の2拍目に2分音符がない、[17]3拍目~[18]1拍目・[19]3拍目~[20]1拍目の右手のタイがない、最終小節に2括弧がないのが相違点である。Brown, Ms. 39では出版譜と異なる内声を持っていた[14]は、Op.18-W2と同型になっている。

5. イ長調 →D365-30 イ長調
音符とデュナーミクはほぼ一致。最終小節[16]の2括弧がないだけである。[9][11]ではOp.9-30にはない1小節間のスラーが右手に付加されており、この曲の主要モティーフであるオクターヴトレモロの奏法を示唆している。[13]の2・3拍目にスラーがかけられているのも興味深い。

6. ハ長調 →D365-31 ハ長調
音符とアーティキュレーションは完全に一致。Op.9-31にある、p・fなどのデュナーミク指示は書き込まれておらず、[2][4][6]の3拍目のfzはffzと記されている。[11][13][15]の右手2拍目のアクセントもない。
第6曲の末尾には「Fine」と明記されており、この曲集が連作として完結したことを示している。

これら6曲、とりわけD365に収録された3曲は決定稿に非常に近い。この自筆譜の成立時期と、D365の出版時期(1821年12月)が近いことを考えれば、当然のことかもしれない。
  1. 2019/03/21(木) 00:44:36|
  2. 舞曲自筆譜
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