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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
次回公演詳細

アルバムの綴り D844 概説

アルバムの綴り(ワルツ) ト長調 Albumblatt (Walzer) G-dur D844
作曲:1825年4月16日 出版:1897年(旧全集)
楽譜・・・IMSLP

アンナ・ヘーニヒ(1803-1888)の記念帳に書き残された小品。
同じアルバムの中にはモーリツ・フォン・シュヴィントが1827年8月7日に作曲したという変ロ長調の「アンダンテ」の自筆譜も収められている。シュヴィントは本業は画家だったが、ピアニストとしてもなかなかの腕前で、シューベルティアーデで「歌い手シューベルト」の伴奏者も務めたというから、作曲の心得もあったのだろう。
アンナは弁護士フランツ・ヘーニヒの娘で、シューベルティアーデのメンバーのひとりだった。仲間内では「かわいいアン・ペイジ」(シェイクスピア『ウィンザーの陽気な女房たち』の登場人物)と呼ばれ、特に美人というわけではなかったが気立てが良く聡明な女性だったという。シューベルトは1824年の末に初めてヘーニヒ邸を訪れ、アンナのことを気に入ってたびたび出入りするようになった。そんな折に頼まれて彼女のアルバムにこの無題の小品を書いて渡したのだろう。日付は1825年4月16日とある。
ところがもっとアンナに夢中になったのがシュヴィントであった。猛烈なアタックが実って1828年春に婚約に漕ぎ着けたが、自由人シュヴィントと堅実なアンナがうまくいくはずはなかった。いざこざの末1829年10月に婚約は破棄されたが、1828年11月に死んだシューベルトはそのことを知らない。アンナはその後、やはりシューベルトの仲間だった軍官のフェルディナント・マイアホーファー・フォン・グリュンビューエルと1832年に結婚した。シュヴィントはその後も夫妻と友情を保ったという。

8+8の16小節、3拍子ということで確かに舞曲の要件は満たしているが、新全集をはじめとして「ワルツ」というタイトルが正式に認められているのは甚だ疑問である。シューベルト自身が自作を「ワルツ」と題したことはほぼないので、シューベルトの考えるワルツのスタイルはよくわからないが、一般的なワルツの様式とは大きく異なっている。むしろレントラーやドイツ舞曲といった方がしっくりくるだろう。「アルバムの綴り」の通称の方がふさわしいと筆者は考える。
和音が連続するコラール風の書法は同じト長調のソナタD894を連想させる。静かに揺れるような、優しさに満ちた佳品である。
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  1. 2022/09/29(木) 08:00:48|
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ドイツ舞曲とエコセーズ D643 概説

ドイツ舞曲 嬰ハ短調 と エコセーズ 変ニ長調 Deutscher cis-moll und Ecossaise Des-dur D643
作曲:1819年 出版:1889年(旧全集)
楽譜・・・IMSLP

ヨーゼフ・ヒュッテンブレンナー Josef Hüttenbrenner(1796-1888)はアンゼルム・ヒュッテンブレンナーの2歳下の弟で、兄と同様に故郷グラーツで音楽を学んだが、それを本職にすることはなかった。官吏の職を得るために22歳のときにウィーンに進出し、シューベルティアーデの仲間に加わった。
ヨーゼフの作曲能力はシューベルトもある程度認めていたようで、交響曲第1番やオペラ『魔法の竪琴』第1幕のピアノ編曲といった下仕事を任せたりしている。
この2つの舞曲はヨーゼフに献呈されている、という以上にヨーゼフと深い結びつきがある。ヨーゼフの作品の自筆譜の裏面に書きつけられているのだ。

ヨーゼフの作品は『怒りの踊り』というタイトルのピアノ曲で、♯4つ・♭3つという変わった調号のついた4分の3拍子の舞曲だ。この調号は、嬰ハ短調またはハ短調のどちらでも演奏可能、ということだろう。オクターヴを駆使した技巧的な小品だが、楽想は野暮ったくアマチュアの域を出ない。
五線紙にはくしゃくしゃに丸められたような跡があり、おそらくヨーゼフ自身が作曲後に破棄したものと考えられる。シューベルトがそれを拾ってきて、表裏と上下をひっくり返し、同じ嬰ハ短調の「ドイツ舞曲」(Teutscher)と、その下に同主長調(異名同音)の変ニ長調の「エコセーズ」を書いてヨーゼフに贈った、ということらしい。単なるプレゼントというよりは、作曲スキルの差を見せつけているような感じがしなくもない。
ヨーゼフはシューベルトの熱心な崇拝者だったが、少々度が過ぎるきらいがあり、シューベルトからは逆に疎まれていたようだ。

ドイツ舞曲で嬰ハ短調という珍しい調性をとったのは、ヨーゼフの原曲に寄せたからなのだろう。調性ともども、ショパンのワルツを彷彿とさせる繊細な音使いに驚かされる。後半ではイ長調、嬰ハ長調へと転調していき、そのまま次の変ニ長調のエコセーズに繋がる。
エコセーズは3度重音を駆使した技巧的な曲で、第5-7小節の右手の下降3度音階、それを左手で模倣する第13-15小節は特に演奏至難である。ピアノの名手だったアンゼルムが難しい嬰ハ長調のピアノ・ソナタ」(D567?)を弾きこなして献呈を受けたというエピソードを思い起こさせる。
  1. 2022/09/28(水) 11:59:46|
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トリオ D610 概説

あるメヌエットの放蕩息子とおぼしきトリオ ホ長調 Trio zu betrachten als verlorener Sohn eines Menuetts E-dur D610
作曲:1818年2月 出版:1889年
楽譜・・・IMSLP



シューベルトのピアノ作品の中でも特に奇妙なタイトルがついた曲である。
ドイチュ目録では1929年を最後に所在不明とされている自筆譜(Brown, Ms.23)は、どうやらその後発見されて現在モルガン・ライブラリーに収められているようだ。

Trio zu betrachten als verlorener Sohn eines Menuetts.
von Franz Schubert für seinen geliebten Herrn Bruder eigens niedergeschrieben im Feb. 1818


2行目はわかりやすい。「フランツ・シューベルトによって、愛する兄上のために1818年2月にわざわざ書き記された。」兄というのはおそらく次兄フェルディナントだろう。フェルディナントの手になる筆写譜も残っている。
問題は1行目である。直訳すれば「あるメヌエットの失われた息子と見做されるトリオ」となる。
トリオとは三部形式の中間部のことで、古典的なメヌエットは「メヌエットとトリオ」で1セットである(「メヌエット - トリオ - メヌエット」の順で演奏される)。シューベルトの初期のメヌエットの中には、2つのトリオを持つものも多い。
ここにあるのはそのうちの「トリオ」部分のみである。主部のメヌエットがどんな音楽だったのかは知られていない。つまり現実に失われているのは「メヌエット」の方なのだが、これはどういうことなのだろうか。
字義通り解釈すれば、もともとフェルディナントの手元に「メヌエットとトリオ」のセットで楽譜が揃っていたのだが、何らかの理由でトリオだけを紛失してしまった。そこで弟に頼んで、トリオ部分を再度「わざわざ」書いてもらったのだが、そのあと主部のメヌエットの楽譜も散逸してしまい、新たに書き留められたトリオの譜面だけが残った、というストーリーが考え得る。
モーリス・ブラウンは、失われたメヌエットは嬰ハ短調のD600と推定したが、新全集は作曲年代(D600は1813-14年頃と推定)からこの説に否定的であり、筆者も様式的にD600+D610という組み合わせはないだろうと考えている(詳しくはD600の概説を参照)。

しかし、もし単に散逸したトリオの復元なのであれば「あるメヌエットの失われたトリオ」と書けば足りる。「息子」と「見做される」とはどういうことだろうか。
Verlorener Sohn(失われた息子)は、ドイツ語では「放蕩息子」を意味する成句である。聖書の「放蕩息子」の喩え話を、ここであえて引用する必要はないだろう。
思い当たるのは、この時期のシューベルト自身の境遇である。専業の作曲家として生きようとするシューベルトは、教職に就かせたい父親と関係が悪化し、仲間たちも心配して一時の住まいや働き口を斡旋するほどだった。シューベルト自身が父に背き、安定した暮らしを捨てて、「放蕩息子」と「見做され」ようとしていたのである。
5年前、シューベルトは30曲ものメヌエットを書いて長兄イグナーツに捧げた(D41)。そのうち10曲は現存していない。もしかしたらその中の、兄たちが特に気に入っていたトリオを、まだ家庭が温かかった頃を思い出しながら書き留めて、家族でただひとり彼の望みを理解してくれた次兄フェルディナントに託したのかもしれない。「放蕩息子」の身代わりとして―。
夏にツェリスに赴任したシューベルトは、それきり実家に戻ることはなかった

曲はわずか16小節(8+8)で、確かにメヌエットのトリオたる特徴を有している。付点のアウフタクトから始まりひらひらと下降するメロディーと、主和音に落ち着かず浮遊するようなハーモニー、そして時折登場する装飾音がどこか可憐な印象を残す。第13小節のアウフタクトから、冒頭のモティーフが左手に登場するところなどは技法的にも凝っている。ホルン五度の使用も相まって、管楽合奏の趣もある。
あるメヌエットの放蕩息子とおぼしきトリオ」の和訳は堀朋平氏の提案によるもので、ワードチョイスが素晴らしいと思って拝借した次第である。
  1. 2022/09/27(火) 23:47:43|
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ギャロップと8つのエコセーズ D735 概説

ギャロップと8つのエコセーズ Galopp und acht Ecossaisen D735
作曲時期不明 出版:1825年(作品49)
楽譜・・・IMSLP

1825年11月に「34の感傷的なワルツ」D779とともにディアベリから出版されたが、早くも1年後に再版され、その表紙には「1826年の謝肉祭に、ペストの七選帝侯ホールでの舞踏会で演奏された」と記されている。
なぜこの作品が遠くペスト(現在のブダペスト)で演奏されることになったのか、それがどういう意味を持つのかはよくわからないが、かなり長い期間にわたって、しかもオーケストラ版で演奏されたようで、大人気を博したものと思われる。同年ペストのミュラー社からも刊行されたこともそれを裏付けている。
最初にダ・カーポ形式のギャロップが置かれ、その後8曲のエコセーズが続く。いずれも自筆譜は現存しないが、第6エコセーズはD977-1(変ニ長調)とほとんど同一であり、かなり早い時期(1815年前後)に成立した作品と推測されている。

ギャロップ ト長調/ハ長調
2拍目にアクセントのある陽気なギャロップ。ハ長調のトリオではさらに疾走感が高まる。

エコセーズ
1. ト長調
ファンファーレ風の和音連打で始まる。後半ではロ長調に接近する。
2. ホ短調
ホ短調とト長調の間を揺れ動くが、曲頭と曲尾はホ短調。おなじみのダクティルスのリズムが主要モティーフとなっている。
3. ニ長調
こちらは逆に短短長リズムの連打が特徴的なエコセーズらしい楽曲。3度重音が技巧的。
4. 変ロ長調
右手は2声で重ねている。後半では剽軽な表情を見せる。
5. 変ホ長調
3度重音が続く技巧的なエコセーズ。後半のトレモロ音型が面白い。
6. 変ホ長調
3連符で始まる軽快なエコセーズ。最終2小節はD977-1よりも1オクターヴ高く指示されている。
7. 変ホ長調
全編にわたりオクターヴ+スタッカートの、シャンパンの泡のような軽やかなエコセーズ。前半は延べで記譜されている。
8. 変イ長調
分散和音の跳躍の多いメロディーに細かなアーティキュレーションが指定されている。後半の突然のハ長調(ヘ短調?)への転調が意表を突く。
  1. 2022/04/13(水) 10:53:33|
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2つのドイツ舞曲 D841 概説

Brown, Ms. 58  2つのドイツ舞曲  Zwei Deutsche
タイトル:なし
日付:1825年4月
所蔵:Leon Robbins(個人蔵)

2つのドイツ舞曲 Zwei Deutsche D841
作曲:1825年4月 出版:1930年
楽譜・・・IMSLP

独立した自筆譜(Brown, Ms.58)には1825年4月と記されているが、タイトルはない。

1. ヘ長調 [B] その他
付点のアウフタクト、2拍目から長く伸ばされるオクターヴのバスが静かなスウィング感を生み出す。B部後半での短調への接近が美しい。

2. ト長調 [B] メヌエット型
右手は重音と属音保続を交替させるヴァイオリン的なテクスチュア。鄙びた印象だが、やはりB部の和声は少し凝っている。
  1. 2022/04/13(水) 00:20:25|
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