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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
次回公演詳細

[告知] シューベルトツィクルス第9回「4手のためのソナタI ―1818年、ツェリスにて―」

シューベルトツィクルス第9回チラシ
2018年10月5日(金)19時開演 東京文化会館小ホール ゲスト:中桐望(ピアノ)
♪ロンド ニ長調 D608 ♪ドイツ舞曲と2つのレントラー D618 ♪ソナタ 変ロ長調 D617(「グランド・ソナタ」)
♪フランスの歌による8つの変奏曲 ホ短調 D624 ♪3つの英雄的行進曲 D602
一般4,000円/学生2,000円 →チケット購入
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  1. 2018/10/05(金) 19:00:00|
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中桐望さんインタビュー(4) その一言に尽きる

(インタビュー第1回はこちら)
(インタビュー第2回はこちら)
(インタビュー第3回はこちら)

佐藤 この間、マリア・ジョアン・ピリスのワークショップに参加されてるのを拝見しましたけど、いかがでしたか?
中桐 素晴らしかったです。ピリス先生は引退を発表されましたが、今回その引退公演で来日されていて、そのツアーのコンサートがすぐ後に控えているから、ワークショップの合間に練習されるんですよね。その練習を、生徒たちに普通に公開するんですよ。
佐藤 ほう!
中桐 終わって「私練習していくけど聴きたい人は聴いていいわよ」みたいな。当たり前ですけど誰も帰らないですよね。岐阜のサラマンカホールでワークショップをやっていたんですが、ステージの上に椅子を並べて、練習を至近距離からも見せていただいて。そうするとピリス先生のピアノに対する構え方とか、音楽に没入していく感じとか、表情とか空気とか息づかいとか、なかなか客席からではわからなかったことが、間近で見ることで体感できて。いろんな言葉で説明されるよりも、見ているだけでものすごく自分には勉強になりました。ああ、そういうことか音楽をするって、みたいな。
佐藤 はあー。
中桐 私自身2016年の秋に留学から帰ってきて、学生じゃなくなったっていうことがずっと不安で。今までは誰かにアドバイスをもらいながら作品を仕上げていってたのが、急に一人で全部やらなきゃいけない。プロの演奏家としての責任も感じたり、そういうことに1年半ぐらいずっと悩んでいたので。演奏も次第に凝り固まってくるというか、人前で演奏するんだったらクォリティも上げなきゃいけないし、作品もちゃんと解釈しないといけないし、その上で自分のオリジナリティみたいなものを、とか、考えることがいっぱいありすぎて、何かこう頭でっかちになってたんですけど、それをピリス先生にも指摘されて。もっと心を開いて、そんなに頭で考えないで感じるままに・・・って。聴衆とかメディアとかそういうことは一切気にしないで、音楽の真の姿に迫るのが私たちの使命だって、そういう先生の姿を見て、自分は今までいろんな理由やら言葉やらを並べて、自分のことを縛ってたなって気づいたら、すごく解放されて。
佐藤 うん。
中桐 作品を解釈するための勉強会というよりは、音楽と共にどうやって生きていくか、演奏家として音楽を奏でるとはどういうことか、みたいな、本質的・哲学的なところを学んだワークショップでした。素直に音楽を楽しめるように、またなってきたように思います。
佐藤 わぁ、それは貴重な経験でしたね。

中桐さんインタビュー2

佐藤 今後の音楽活動については。
中桐 楽しくやりたいです。もうその一言に尽きるなと。コンクールを受けていた時期、それこそ佐藤さんは本当にたくさんコンクールを受けられてて、尊敬すべき存在なんですけど、やっぱり苦しいじゃないですか。
佐藤 そうですね。
中桐 決して楽しくない。それに日本の文化の中で、クラシック音楽が存在することの難しさとか、アーティストの在り方も難しくって、そういうものにすごく悩んでた時期もあったんですけど。でも今は、何千人の大ホールの舞台とかじゃなくても、自分のやりたいことをやって、それを楽しんで聴いてくれる人がいる、そういう場があるだけですごく貴重で幸せなことだなと。プレッシャーとかストレスを感じることなく、楽しく演奏活動がやっていけたらいいなっていう思いでいますね。
佐藤 それができたら素晴らしいよね。
中桐 自分らしくマイペースにやっていきたいな、と。おかげさまで、帰国後も少しずつ演奏させてもらう場があるので。マネジメントも入らずに、フリーでやっているので、自由に自分のやりたい作曲家とか作品とかを。
佐藤 ちなみに今後、こういう作曲家に取り組みたいとかっていう計画はあるんですか。
中桐 もちろんショパンは自分にとって大事なんですけど、今はもっとレパートリーを広げたいんです。今年の夏はフランスものを弾きたいなと思って取り組んでいるんですけど。
佐藤 先日のB→Cでも、ドビュッシーとメシアンを聴かせていただきました。
中桐 そうなんです、そんな風にロシアものやドイツものにも、もうちょっと積極的に。あんまりこの作曲家が得意とかいうことを絞りすぎないで、自分の世界を広げていきたいと思っています。
佐藤 なるほど。前回川島さんと喋ってたら、「僕らはどんどんレパートリーが狭まっていくよね」って話になって、もうフランスものなんかとんと弾かなくなったよね、なんて(笑)
中桐 拝見しました。でも、それこそ佐藤さんはシューベルトが好きって、羨ましいなと思うんですよ。自分でこの作曲家とかこういう曲がレパートリーですって言えるのが。そういうのがあればいいんですけど・・・、私欲張りなんですかね?
佐藤 (笑)いや、いいんじゃないの?
中桐 いろいろやりたいんです。自分に合ってるのって何だろうって、まだ迷子で。自分にはたぶんもっとフィットする作品が他にもたくさんあるはずだから、そういうのに出会いたいというか。そのために、特定の作曲家に限定しないで、いろんなレパートリーに挑戦してみたいです。
佐藤 是非シューベルトも今後やってみて下さい。
中桐 やりたいと思います!

(インタビュー完 ・ 2018年6月6日、岡山市にて)
  1. 2018/09/21(金) 21:25:29|
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中桐望さんインタビュー(3) 連弾の極意

インタビュー第1回はこちら
インタビュー第2回はこちら

佐藤 前にヤマハホールでご一緒した時にシューベルトの「さすらい人幻想曲」をお弾きになって。
中桐 そうでしたね!
佐藤 それが本当に素晴らしかったんですけれども、シューベルトについて何か印象だとか、思っていることってあります?
中桐 私、実はシューベルトのソロの作品はそんなにやっていなくって。連弾は、角野先生の影響もあって、それこそチェコのイェセニークのシューベルトデュオコンクールで連弾の作品を何曲か演奏したんですけど。シューベルトって、私にとっては「弾きたい作曲家」じゃなくて「聴きたい作曲家」なんですよ。
佐藤 あーそうなのか。
中桐 もう自分で弾かなくていいので、素敵な演奏をただただ聴いていたいみたいな(笑)。印象としてはそうですねぇ、「感覚の人」だったのかな、と。私も感覚人間なんですけど。
佐藤 あ、そうなの?
中桐 理論とか、頭で考えて構成してっていうタイプじゃなくて、感覚のままに音楽を作っていくタイプなので、もしかしたらシューベルトは合うのかもしれないですけど、どうも「難しい」って感じちゃうんですよ。・・・どうですかね?(笑)
佐藤 いや、でも合ってると思いますけどね。少なくともこの間の「さすらい人」をお聴きした感じでは、すごく良いなと思って、それもあって今回お願いしたんだけど。でも確かにシューベルトの曲は、誰が聴いても名作みたいな曲ばかりではないので、例えばソナタの中でも「えっ?」ていうようなのがあったりするのも事実。僕はシューベルトが好きだから、そういう曲であっても僕はすごく愛しているんだけども、やっぱり万人向きじゃないかなってところは確かにあります(笑)。もちろん「即興曲」とか「楽興の時」とかは誰もが認める名曲だろうけど。
中桐 そうですね。
佐藤 なので、このシリーズ大変なんです、毎回名曲を弾けるわけじゃないので。それこそ山本君はショパンツィクルスっていうのをやっていて、遺作も含めて全部弾くという。でもそっちはさ、名作が毎回必ず。
中桐 まあショパンはどこを弾いても。
佐藤 知らない曲をちょっと弾くにしても、必ず毎回有名な曲が入れられるし。そこへいくとこのシリーズは、有名なものが出る回がほとんどないという。
中桐 確かにそうですね。
佐藤 「舞曲」の回だと、「34のワルツ」とかそういうのを延々と1時間半ぐらい弾いて。
中桐 そうかそうか(笑)
佐藤 覚えるのも大変だし、「ああ、まずいところに手を出したな」と。
中桐 いやいや、それは佐藤さんにしかできないことですから。今回もあれですもんね、結構知られてない作品も。
佐藤 連弾曲の中ではそこそこ有名なんですけど、一般にはまあね・・・。それこそコンクールの時は何を弾かれたんですか。
中桐 あの、シューベルトの名前がついているコンクールのわりには、実はそんなにシューベルトは弾かなくてよくって。実際演奏したのは「アンダンティーノ・ヴァリエ」っていう、ディヴェルティメント(D823)の楽章の中に入っている、7分ぐらいのヴァリエーションが1曲。
佐藤 うん。
中桐 その曲もコンクールの課題になるまで知らなかったんですけど、でもとてもいい曲。短調で内省的で、シューベルトらしい小品です。これが1次予選の課題で、絶対全員弾かなきゃいけないと。あとは2次予選の時にもう1曲シューベルトをっていうので、人生の嵐をやりましたけど。
佐藤 おお。
中桐 それだけですね。
佐藤 え、シューベルトデュオコンクールっていうからシューベルトの連弾曲たくさんやらなきゃいけないのかなと思ったら。
中桐 そうでもないんです。意外とシューベルト弾いてない。
佐藤 じゃあ他はどういう曲をやったの?
中桐 連弾だけじゃなくて2台も入っていいので、もう王道のプログラムで。ラヴェルの「ラ・ヴァルス」だとかラフマニノフの「交響的舞曲」とか。
佐藤 うわあ、大変なやつだ。デュオのパートナーはずっと別府由佳さんと?
中桐 はい、別府さんとやってます。彼女は大学の同級生で、角野門下で。彼女は山口県出身なんですよ。私岡山なので、中国地方つながりで方言も似てたりして、親近感があって。
佐藤 はあ、なるほどね。
中桐 じゃあちょっと遊びでやってみよう、みたいな感じで始めて。
佐藤 それは芸大生の時?
中桐 入学してすぐ、1年生の時です。で、その年の12月に「吹田音楽コンクール」というのがあって、お互いソロで受けるから、じゃあデュオ部門にも出たら?って角野先生に言われて、遊び半分で受けたら最高位で入賞しちゃって。「これはもうやった方がいいよ!」って先生に勧められて、それから本格的に。音楽性がすごくぴったりくる相手に、1年生の時にぱっと巡り会えたんです。たぶん、同じ先生のところで勉強していたから、ということもあるとは思うんですけど。
佐藤 いや、同じ先生だからといって息が合うとは限らないからね。それはもう運命ですね。最近もやってらっしゃるの?
中桐 いえ、彼女は今ドイツにいるのであんまりできていないんですけど、でもこの夏に久しぶりに日本でデュオコンサートをやることになってます。(※既に終了しました)
佐藤 あ、そうなんだ。
中桐 今年は連弾が多いので嬉しいです。私本当にピアノデュオが好きなんですよ。
佐藤 別府さんとなさる時は、パートって決まってるんですか?
中桐 私がプリモです。彼女は今、ドイツリートの伴奏を専門に活動しているんですけど、誰かをサポートするのが得意だということで、彼女がセコンドを担当してくれています。
佐藤 でもペダルは中桐さんが?
中桐 私が踏むことが結構多いですね。
佐藤 そうなんだ。今日の合わせでも、時にはプリモがペダル踏んだ方がっていう提案をいただいて、目から鱗だったんですけど。
中桐 角野先生の連弾のレッスンでも、やっぱりペダルのことがいつも話題になるんですけど、1曲の中でも途中で変えたりして。そういうレッスンを受けるまでは、私もセコンドが踏むのが当たり前と思ってたんですけど、すごく意識が変わって。そういう固定観念にとらわれずに、踏みたい人が踏んだ方がうまくいくことがあるということに気づいてからは、よく踏ませてもらってます、プリモでも。
佐藤 確かにそういうことはあるかもね。その辺のアイディアもいろいろ教えて下さい。
中桐 いや、私のわがままになると思いますけど、大半が。
佐藤 前回の川島さんは連弾はほぼ初めてということで。
中桐 本当ですか?
佐藤 シューベルトの連弾曲も全く弾いたことないけど、いい機会だからって言って引き受けて下さって、結果的にはとても良い演奏ができたと思うんですけど。でも中桐さんは本当に経験豊かだから、今回は頼もしいです。
中桐 いえいえそんなことはないです。
佐藤 連弾やっている中でいつも気をつけてたことって何かあります?
中桐 もちろんお互いをよく聴くっていうのは大事なんですけど、最終的に行き着いた結論は、「自分のことに徹する」っていう。
佐藤 なるほど!(笑)
中桐 連弾を練習してるときって自分一人の音しかさらってないじゃないですか。
佐藤 そうですね。
中桐 で、合わせた途端に全然自分の思っていることができなくなったりとか、相手につられたりとか、バランスが取れなくなって。
佐藤 わかるわかる。
中桐 練習してるときにも相手のパートのことを考えたりとか、自分なりにいろいろやってるのに、何でできなくなるんだろうって考えて、極論は「自分の役割に徹する」、それは本番の最中でも。ペダルを相手が踏んでいる時も、自分がペダルを踏んでいるようなつもりで弾くとか、そうやって自分の役割に徹したら、いろんなことがうまくいくようになって、結局自分のやりたいことを徹底的にやればうまくアンサンブルできるんだなっていう結論に、私は行き着いたんですよ。タイミングも、合わせようと思って気にすると合わなかったりして。そういうのも相手を信頼して、自分が感じている通りにやればピタッと合ったりする瞬間が。
佐藤 ああ。
中桐 連弾してるっていうことにあまり浮かれすぎないようにいつも気をつけてます。
佐藤 深いなぁこれは。連弾って声部分担がほとんど固定されているじゃないですか。プリモの人は高音域しか弾かないし、セコンドの人は低音域だけ。当たり前だけど。
中桐 はい。
佐藤 それが2台ピアノと大きく違うところだと思っていて。2台は僕も結構経験があったんだけど、連弾はこのシューベルトのシリーズを始めるまでは本当に数えるほどしかやったことがなくて。でやってみたら声部のバランスがすごく難しい。僕はわりとセコンドを弾くことが多いんだけど、そうすると右手がどうしても出ちゃうわけ。
中桐 出ますね(笑)
佐藤 「内声うるさいな」って。そのバランスを取りながら弾くっていうのが結構大変で。ところがプリモになると今度は、左手がバスを弾かないじゃないですか。これがなんかすごく弾きにくくって。
中桐 プリモの左手って難しいですよね。
佐藤 難しいよねあれ。相手とぶつかるしさ。
中桐 そう。だからプリモ嫌いなんですよ、実は(笑)。セコンドの方が全然気が楽で。左手が言うことを聞いてくれないっていうか、いろんなことがうまくできなくて。
佐藤 そうですよね。相手がいると、いろいろ気を取られたり(笑)
中桐 そうなんですよ。
佐藤 ペダルもそうだし、響板も一緒なわけで、連弾ってシビアですよね。
中桐 すごくシビアです。本当に2人が一体にならないと連弾って難しい。でもそれが連弾の面白いところでもあるんですよね。

(第4回につづく)
  1. 2018/09/14(金) 17:09:21|
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中桐望さんインタビュー(2) 修行の2年間

(インタビュー第1回はこちら)

佐藤 でもそのあと留学することにしたのはなぜ? もともと行こうって思ってたんですか?
中桐 それはありました。やっぱり行かないとな、とは思ってたんですけど、ただ自分にとってぴったりくるタイミングとか、行きたい場所や先生がなかなか見つからずにいて。
佐藤 うん、うん。
中桐 直接的なきっかけは、やっぱりショパンコンクールに出たいと、それで出ることになって、ショパンは日本にいては自分の納得いく勉強ができないと思って。エヴァ・ポブウォツカ先生は私が大学院生のときに、芸大に招かれて教えに来られてたので。
佐藤 あ、そうかそうか。そのときにもレッスンを受けてたの?
中桐 はい、その時はポブウォツカ門下に入ってたので。
佐藤 そうなんだ。それでポブウォツカ先生のいるポーランドに。
中桐 はい。
佐藤 何年間留学してらしたの?
中桐 2年で帰ってきました。
佐藤 どうでしたか、ワルシャワの生活は? 漠然とした質問だな。
中桐 (笑)そうですね、ワルシャワってやっぱりヨーロッパの中では田舎で、旧社会主義の雰囲気がまだ残っていて。ポーランドという国じたい、決して豊かな国ではないので。西側のドイツとか、ウィーンとかパリとかに比べたらコンサートの数もすごく少ないし、クォリティもどうしても・・・というのも賃金が安いんですよね。
佐藤 あー、それはそうだ。
中桐 ポーランドはユーロではなく、ズウォティという自国通貨で。だからトップアーティストはなかなか呼べないけど、ただショパンに関してのコンサートはものすごく充実しているんです。ショパンの誕生日や命日に毎年やっているコンサートとか、夏にもショパン弾きの有名なアーティストたちを招いた音楽祭があって、それはやっぱりワルシャワでしか味わえない体験でしたね。ショパンを勉強しに行った身としては本当に良かったです。
佐藤 ご自身でも演奏する機会は結構あったりした?
中桐 いえ、ポーランドでは全然なかったです。もう先生と一対一で、先生の家に通って通ってみたいな日々だったので、本当に修行みたいな2年間でした。
佐藤 そうなんだ。ショパンに関していえば、向こうに行って勉強したら、日本とはこういうところが違った、というようなことはありましたか。
中桐 ああ・・・もう血が違うってのはすごく感じましたね(笑)。それはショパンに限ったことではないのかもしれませんけど。マズルカとかポロネーズとか、そういう民族舞曲のリズム感は本当に難しくて、習得するのにとても苦労しました。今でも完全には習得しきれていないですけど、ポーランド人の先生に師事できたことは本当に良かったと思っていて、先生が実際にステップを踊って見せて下さったり、体で表現して教えて下さるので。ポーランドの人が奏でるマズルカやポロネーズって何とも言えない間の取り方とか、「あ、こうだよね」っていうようなリズムがあって。他の国のどんなにすごいアーティストでも、その感じはやっぱりポーランド人にしか出せないんです。小さいこどもとか学生であってもそれが自然にできちゃうから。
佐藤 あ、そうなんだ。
中桐 やっぱり教えられてやるものじゃないんだなっていう。だからすごく嫉妬しちゃうんです
佐藤 (笑)確かになかなか負けず嫌いですね。
中桐 だって、こんなちっちゃい子が何気なく遊びで弾いてるポロネーズとかに、はっとさせられるというか。「うわぁ、こんなふうに私弾けないわ」っていうようなことがあって。
佐藤 ああ、そうなんだ。後から習得したんじゃなくて、もうDNAの中に入っているという。
中桐 それはすごく感じました。でも現地の踊りを見たりとか、先生が一緒に踊ってくれたりとか、そういう中で一生懸命吸収しなきゃっていう・・・そんな感じでしたね。
佐藤 あの、山本貴志君がね、僕は同い年で仲良くしてもらってて、一緒に弾いたりしてるんだけど。
中桐 ああ山本さんもポーランドですよね。
佐藤 そう、彼がよくマズルカのことについてレクチャーをやったりしているので、話を聞いたら、彼はパレチニ先生だったんだけど、「あなたは日本人だから全然違う」とか、そんなことを言われたことは一度もないっていうのね。
中桐 うーん。
佐藤 先生は見本は見せて下さる。「僕はこうやって弾くけどね、でもあなたはあなたのマズルカを弾くしかないんだから」と。もちろん間違っていることをやってるときはそれおかしいよって言ってくれるんだけど、結局は自分の中にあるものを見つけるしかないからというような話をしていて。(中略・・・詳しくはこちらのリンクをご参照下さい)
中桐 ああ、でもそれはショパンが特別なのかもしれないですね。芸術的なメロディーと、民族音楽のリズムが合わさっていくという。マズルカとかポロネーズに限らずどんなものでも、よく言われる「ショパンのルバート」っていうのは、どこで合わせるとかそういうことじゃなくて、とにかくメロディーがやっぱり一番で、ということはポブウォツカ先生もおっしゃってました。
佐藤 うーん、しかしそれはおそらくポーランドで勉強できることの真髄だよね。レッスンの中ではショパン以外の曲にも取り組んだりしたんですか?
中桐 1年目はコンクールの準備もあってショパンしか勉強しなかったんですけど、コンクールが終わって2年目は、ショパン以外のものも弾きました。やっぱりロマン派が多かったですね。グリーグとか・・・
佐藤 グリーグ?
中桐 せっかくショパンを勉強したので、それに通ずるものをっていうことで、グリーグとか、あとシューマンとか、ショパンで学んだことを生かせる曲を。ドイツ・ロマン派の中でもブラームスとかではなく。
佐藤 なるほどね、ショパンの系譜にある曲。
中桐 ポブウォツカ先生のお母様は歌手だったんです。なので先生もとにかく歌に関しては特別意識が高くて、レッスンでも先生は弾いて聴かせるっていうよりは、もうほとんど横で歌ってて。「ピアノで歌うとはこういうことよ」というのを徹底的に学んだ2年間でしたね。

佐藤 ショパンコンクール、どうでしたか? 出てみて。
中桐 ふふふ(笑)。もう、あまりにも緊張しすぎて、覚えてないっていうか。私は1次しか出るチャンスがなかったので、もう少しステージ重ねられたら、味わう余裕もあったんでしょうけど。
佐藤 今回って予備予選は?
中桐 私は免除してもらったので、予備予選はなかったんです。
佐藤 あ、そうかそうか。
中桐 周りの人はね、あのフィルハーモニーの舞台で弾くってすごいんだから、みたいなことを言うんですけど、当の本人はあんまり、ここで弾けて嬉しいみたいな感慨に浸る余裕はなかったですね。
佐藤 そりゃ本番はね。でも準備期間も含めて、ショパンの曲ばっかりやってるわけじゃない? それってどんな感じでした?
中桐 うーん、そうですね・・・
佐藤 もともとショパンは好きだったんでしょ?
中桐 好きなんですけど、苦手だったんです。
佐藤 え、そうなの。じゃなんでショパンコンクール受けたいと思ったの?
中桐 好きだから!
佐藤 (笑)なるほど。
中桐 好きだからこそ、なんというか、こちらの思いが強すぎてウザがられるみたいな感覚があって・・・
佐藤 (笑)
中桐 それでずっとうまくいかなくて、ショパン弾いても「なんか違う」って思って。それでポーランドに行って、一からいろんなことを叩き直されて、結局1年じゃ足りなかったなっていう総括ですね。
佐藤 うーん、そうかあ。
中桐 やっぱり1年では、ショパンの真の姿や音楽を理解して、それを自分のものにするには時間が足りなかった。あと何年かあちらで勉強していたら、もう少し違ったのかなって。ショパンだけじゃなくて、他にもいろんなものを勉強して、ポーランドでも何年間か生活をして、それを全部踏まえた上で、さっきの山本貴志さんみたいに「自分のショパン」というところまで持っていけたら良かったんでしょうけど、それはなかなか時間がかかるな、と。コンクールでは、自分の勉強してきたことが十分には発揮できなかった、「こうしなきゃいけない」っていうのが先に出ちゃったなっていうのが正直な感想です。
佐藤 僕は中桐さんが受けた10年前に出てるんですけど、2005年に。
中桐 10年前! そうですか。
佐藤 でもその時はね、ショパンばっかり勉強するっていうのがもう苦しくて。その前に、同じ年の6月にベートーヴェンコンクールというのを受けてたんだけど、はっきり言うとそっちはそんなに大変だと思わなかったのね。だけどショパンだけとなるとこんなに辛いのかと思って。
中桐 ベートーヴェンコンクールも課題曲はベートーヴェンだけなんですか?
佐藤 うん、ウィーンのベートーヴェンコンクールはベートーヴェンだけ。
中桐 ああ、確かにショパンってちょっと特殊ですよね。ショパンばっかり弾いてると頭がおかしくなってくる気が。
佐藤 そうそう!
中桐 わかります。
佐藤 そういう印象が自分のショパンコンクールの時にはあって。もちろん僕もショパン好きだったから受けたんだけど、いや、これはもうやってらんないと思ってそのあと一度も受けなかったんですけど。
中桐 それいくつぐらいの時ですか?
佐藤 大学4年生。まだ芸大の学生だったんです。日本から受けに行って。
中桐 うわぁすごい。そうだったんですね。

(第3回につづく)
  1. 2018/09/12(水) 14:38:24|
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中桐望さんインタビュー(1) 夢見る少女

「佐藤卓史シューベルトツィクルス」第9回ゲストのピアニスト中桐望さんにお話を伺いました。

中桐さんインタビュー1


佐藤 今日は岡山にお邪魔して合わせをしていただいてますけど、生まれは岡山市?
中桐 はい、岡山市です。
佐藤 何歳からピアノを始めたんですか?
中桐 ヤマハ音楽教室の3歳児ランドで始めたので、一応3歳ってことにしてますけど、本当に専門的に勉強するようになったのはもっと後ですね。
佐藤 いつぐらいからピアノの方に進みたいなと?
中桐 実は中学生の時に、一度ピアノから離れた時期があって。
佐藤 あら。
中桐 ちょうど部活が忙しくなったり、勉強が忙しくなったりという時期で、当時の先生と音楽性の違いもあったりして、中学1年生の時に一度ピアノをやめたんですけど、やめてみたら自分はすごくピアノが好きだったっていうのに気づいて・・・小さい時からずっと続けてきた唯一の習い事だったので。それで、戻ってからは本当に音楽の道を目指そうと。なので中学2年生ぐらいからですかね。
佐藤 シリーズ第7回のゲストの川島基さんも岡山市で、なんと同じ高校のご出身と伺いました。
中桐 そうなんです。岡山城東高校というところなんですけど。
佐藤 音楽科のある高校なんですか?
中桐 普通科なんですけど、文系・理数系というのと同じ分類の中に音楽系というのがあって。当時としては珍しくて、他にも国際系っていって英語に特化したところもあったんですけど、そこの音楽系にいたんです。
佐藤 音楽系の生徒って1学年に何人ぐらい?
中桐 24~25人、普通の高校の1クラスですね。
佐藤 やっぱりピアノが多いの?
中桐 大半はピアノです。でもまあ演奏家を目指すっていう人は少なくて、半分以上は教育の方に進むんですね。今はその高校から演奏家になる人がたくさん出て、音楽高校みたいになっちゃったんですけど、川島さんがいらっしゃった当時や、私がいた頃でさえ、音楽専門の高校という認知度はほとんどなかったと思います。普通の勉強もしながら、音楽の専門授業も少しだけあるみたいな。レッスンも週に20分ぐらい。
佐藤 え、そうなんだ。
中桐 だから専門のレッスンはみんな外で受けていましたね。
佐藤 じゃあ、普通高校よりちょっと勉強が楽かなというぐらいの。
中桐 そうですね。でもわりと新しい高校だったので、校風もすごく自由で。部活も、吹奏楽部とか合唱部とか、音楽系の部活が盛んで、「音楽」というのが学校のシンボル的な存在だったので、それもあってその高校に入りました。
佐藤 その頃からプロのピアニストになりたいと思っていたんですか?
中桐 まあ漠然と、将来はピアニストになりたいっていう、そういう夢はあったんですけど、でも自分が本当にプロとして食べていけるとは当時は全く思っていなくて、だから夢見る少女です、ただの。たぶん現実的にはピアノの先生になれたらいいかな、という程度にしか思ってなかったですね、高校のときは。
佐藤 それでも芸大を目指して。
中桐 そう。私の性格的に、すごく負けず嫌いなんですよ! なので、やるからには良いところを目指したいとか、コンクールでも出るからにはいい成績を取りたいっていう。負けん気が結構強かったんです。
佐藤 ふーん、なんだか意外ですね。
中桐 音楽をやるって決めたんだったら、高い目標として芸大を目指さないと!って。当時、岡山から芸大に行く人はすごく少なかったので、なかなか受からないだろうと思ってたら、運よく合格することができて。で、大学に入って角野裕先生に出会って、音楽の奥深さを教えていただいて、練習の仕方とか、音楽に対する考え方も芸大に入ってから変わりました。
佐藤 浜松のコンクールの記者会見でも角野先生のことをたくさん話されていたけれども、心に残っている教えとか、ありますか?
中桐 そうですね。先生のレッスンはものすごく細かいんです。入学した当時の私は、専門的な勉強がまだ足りない状態だったので、1小節、1拍という単位で止められて、和声のこととか歌わせ方だとか、本当に細かく細かく、時にはレッスンが5時間ぐらいになることもあって。
佐藤 おお!
中桐 最初はそれが衝撃でしたね。でもレッスンではそれだけ厳しく細かくいろんなことをおっしゃるのに、本番前には必ず「レッスンで言ったことは全部忘れていいからね」って。
佐藤 ほう。
中桐 私のことを「のんちゃん」って呼んで下さってたんですけど、「全部忘れて、本当にのんちゃんのやりたい音楽をやったらいいから」って、その一言で送り出してくれる。それが嬉しくて、「そうなんだ、好きに弾いていいんだ」と思ったら、緊張とかプレッシャーから解放されて、本当に自由に音楽を楽しむことができて。専門的なことと、音楽を楽しんだり感じたりっていうことを、バランスよく教えて下さったので、私の今の音楽の大半は先生のエッセンスで出来上がっているんじゃないかなと思っています。
佐藤 うーん、なるほど。角野先生はもちろん僕の在学中も芸大の先生でいらして・・・そういえば合奏の授業で、妻と連弾で1曲教えていただいたことがありました。
中桐 ああ、そうなんですか。
佐藤 すごく穏やかでね、優しい感じの。角野門下の人たちを見てると、みんな先生のこと大好きだよね。
中桐 そうですね(笑)
佐藤 僕は最初は小林仁先生で、そのあと植田先生のクラスに移ったんだけれども、どちらの門下もそういう感じではなかったので(笑)
中桐 そうですね、確かに(笑)
佐藤 印象的でしたね、角野門下のあの「先生大好き!」みたいなオーラは。角野先生に教わったのは何年間?
中桐 入学する1年前から見ていただいて、卒業して大学院まで行ったので計8年間です。私の青春時代はほとんど先生と一緒に過ごした、みたいな。
佐藤 本当だね。
中桐 これ言っていいのかどうかわからないんですけど、先生のレッスンって遅いんです。お昼の12時ぐらいにゆっくり学校にいらして。
佐藤 開始時刻が遅いわけだ。
中桐 で、夜の10時とか11時ぐらいまでレッスンされるんですよ。
佐藤 はあー。
中桐 すると、大学の近くに住んでる子が一番最後に回されるんですよね。
佐藤 そうだよね。
中桐 私近所に住んでたので(笑)。たいてい先生のレッスンは延びちゃうので、何時になってもいいように待機してて、終わったら先生ももうお腹ペコペコだから、ご飯食べようよって(笑)。それで一緒に食事しながら親身にいろんな話を聞いてもらったり、音楽の話をしたりっていう、そんな学生時代でした。濃密な時間でしたね。

(第2回につづく)
  1. 2018/09/10(月) 21:48:35|
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