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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
次回公演詳細

林悠介インタビュー (1)周りに誰もいなかった

佐藤卓史シューベルトツィクルス第18回のゲスト、林悠介さんにお話を伺いました。
ヴァイオリニストをお迎えするのはシリーズ初。佐藤とは昔からの友達ではあるのですが…

佐藤 林くんのインタビューみたいなものは、ネット上にはあまりないようだから。
林  そうだね。
佐藤 オーソドックスな質問からお聞きしていいでしょうか?
林  はい。
佐藤 いつぐらいから、なぜヴァイオリンを始めたのかという。
林  ヴァイオリンを始めたのは、ちょうど4歳になる頃だったかな。僕の両親は音楽家じゃないけど、父親が音楽好きというか、もう相当な愛好家で。
佐藤 言ってたよね、フィッシャー=ディースカウのレコードとかたくさんお持ちだったと。
林  そう、それこそ今回のと繋がるんだけど、こどもの頃はシューベルトの「ます」(ピアノ五重奏)とか。
佐藤 へえ!
林  「ます」が一番気に入っていて、好きだった。でもヴァイオリンのところじゃなくて、一番喜んでいたのはピアノが出てくるところで。

林悠介インタビュー1

佐藤 まあ「ます」はピアノが一番おいしい曲だから(笑)
林  そうそう。シューベルトに限らず室内楽が多かったかな、父親の趣味もあって。
佐藤 なんか渋いですね。
林  バルトークの弦楽四重奏全曲なんか聴きすぎて、小学生のときにはほとんど覚えていたね。
佐藤 すごい。
林  シューベルトだとそれこそ「冬の旅」とか、渋いものが好きだったけど。そういうこともあって、楽器をやらせたいと。父親は自分が子供の頃にヴァイオリン弾きたかったようだけど、当時はなかなか難しかったらしくて。
佐藤 はあなるほど。
林  転勤族だったから、ずっと地方を転々としてたんだけど、その土地土地で先生を見つけて、最初は趣味っていうか、遊びでやっていたかな。
佐藤 でもあるときに、ヴァイオリニストとしてプロになろうと。
林  そう、だんだん大きくなってきて小学校高学年ぐらいから東京の先生に見てもらったりして。それで中学1年生のときに原田幸一郎先生に演奏を聴いてもらったら「1日3時間以上練習すると約束できるなら、僕のところに来なさい」といわれて。
佐藤 それまでは何時間ぐらい練習してたの?
林  どのくらいやってたのかな、はっきりとは覚えてないな。
佐藤 3時間って言われたらちょっと多いなって感じ?
林  「毎日かあ」って。でも先生が言ったのはその3時間に見合った内容っていうことで。そのためには最低3時間は要るよっていうだけで、3時間でいいっていう話じゃなかったんだけど。
佐藤 確かにそうだ。
林  そこから、桐朋に進んでプロを目指すっていう道が見えてきたかな。勉強も並行してやってたし、僕はどっちかというと夢は宇宙とか。
佐藤 へえ!
林  宇宙飛行士になりたいわけじゃなかったんだけど、宇宙関係のことやるのが夢で、外国に出るのも夢だったね。でも中2ぐらいで桐朋に進むって決めたときに、腹を決めたというか。
佐藤 じゃあ、ヴァイオリニストになりたいっていうのは半分ぐらい、みたいな感じ?
林  そうね、半分ぐらい。ただ両親も音楽家じゃないから、ヴァイオリニストで食べていくって実際どういうことなのか、具体的にわかるわけじゃないし、あと地方だったのもあって、周りにヴァイオリンやってる人なんて誰もいなかったんだよね
佐藤 そうなの?
林  転校しても、いつもその学校でヴァイオリン弾く人は僕1人。先生たちも「ヴ、ヴァイオリン!」「見たこともない」みたいな感じで。
佐藤 ちなみにどんな街で暮らしてたの?
林  ヴァイオリン始めたときは、宮崎県の延岡市。
佐藤 おお! だいぶ南の方だね。
林  そう。その後熊本に移って、熊本にはもちろんヴァイオリンの先生は何人かいたんだけど、学校にはヴァイオリン弾く子はいなかったんじゃないかな。その後長野県上田市に。
佐藤 かなり距離が。
林  そこもヴァイオリンを弾く友達はいなかったね、学校には。みんなの前で弾いてみせたら目を丸くしていたのを覚えているよ。実物を見たことなんてなかったんじゃないかな。
佐藤 でも長野っていったらスズキメソッドのイメージが。
林  そうそう、今は上田って良いホールもできたしね、盛んだけど当時はそうでもなかったのかな。
佐藤 そうなんだ。
林  その後宇都宮に移って。その頃はもう中学2年生で原田幸一郎先生のところに毎週末通っていた。その後桐朋に入って東京に。
佐藤 なるほど。高校から桐朋なんだよね。
林  そう、桐朋の高校に入って、そこで初めて音楽をやる仲間に出会えたっていうか、一緒に室内楽とか演奏することができて、楽しいなと思った。
佐藤 桐朋ってあれでしょ、男の子少ないんでしょ?
林  少ないね(笑)。当時1学年に100人ぐらいいて、僕の学年は男が12人。3クラスあったから1クラスに4人、それでも割と多い方だった。
佐藤 あ、まあそうだね。
林  女の子たくさんいていいねと言う人いるんだけど、そうでもない(笑)。男でいつも固まって行動していた。
佐藤 (笑)そうだろうね。
林  今でも仲いいのだけどね、その男子たちは。
佐藤 でも、大学は行かずに?
林  ソリストディプロマコースに行くつもりだったけど、高校3年生の2月か3月にウィーン音大教授のドーラ・シュヴァルツベルク先生のレッスンを受けて。最初は、そのアシスタントのソロコフ先生に日本の講習会で習って、その流れでウィーンに習いに行ったんだ。
佐藤 へえ。
林  そこで当時の自分に必要な先生はこの人だっていう、ものすごい確信を持ったからその年の5月に入試受けに行って、無事に合格。だからもう日本で大学行かずにウィーン音大へ。
佐藤 ってことは高校3年終わってその年の春にウィーンに行って、その年の秋から。
林  そう。まだ19歳になる前だった。
佐藤 そうか。僕が林くんに出会ったときは、僕があのとき21歳かそのぐらいだったから、ウィーンに行って3年ぐらい?
林  3年目かな?
佐藤 確か2005年に会ってるんだけど。
林  そしたら、ちょうど丸2年経ったところだね。ゴスラーの講習会だったよね。
佐藤 そうそう。その頃は自分史的にはどんな感じ? まだまだウィーンにいようかな、みたいな?
林  そうね、講習会は色々受けていたけど、あの頃はまだしばらく、自分の先生のところで習っていこうと思っていたかな。2005年だと、それこそコンクールとかもいろいろ挑戦していたし、具体的にソリストを目指しているわけではなかったけど、まだ勉強していろいろ経験を積みたいという段階だったね。
佐藤 結局ウィーンには何年間?
林  結局ね、9年間もいたんだ。
佐藤 長かったね。
林  9年間いたねえ、なんかそんな実感が全然ないんだけど。
佐藤 最後ちょっとかぶってたもんね確か(注・佐藤は2011年にウィーンに移住)。
林  そうだよね。修士課程まで修了したんだけど、最後の方はカルテットの演奏活動をしていたからウィーンからもちょくちょく離れてて、卒業も延ばしていた。でもなんだろう、あそこはあそこで別の時間が流れてるっていうか。たぶんわかると思うんだけど。
佐藤 うん、そうだね。
林  別に何年でも住めるっていうか、なんだろうね。9年いたんだけど、あっという間というか。

(第2回につづく)
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  1. 2023/05/03(水) 20:12:28|
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D567/D568 演奏上の諸問題

ピアノ・ソナタ 第7番 変ニ長調 Sonate Des-Dur D567
作曲:1817年6月 出版:1897年
楽譜・・・IMSLP

ピアノ・ソナタ 第8番 変ホ長調 Sonate Es-dur D568
作曲:不明 出版:1829年5月(作品122)
楽譜・・・IMSLP

今回は、D567/D568を実際に演奏する際に問題になってくる事柄について述べる。
今後この曲を演奏しようという人の参考になればと思い記すので、ピアニスト以外の方々には興味のない話かもしれないが、少々お付き合いいただければ幸いである。

●D568第1楽章の提示部末尾について
D568の初版譜では、第1楽章の提示部の繰り返し記号直前の小節に問題がある。
繰り返しで冒頭に戻るためにアウフタクトが付いているのだが、繰り返しの2回目、展開部へ進むときにはこのアウフタクトがあるとおかしい
現行のヘンレ版や新全集では、このアウフタクトを消去した「2括弧」(セコンダ・ヴォルタ)を挿入してから展開部へ入るという方法を提案している。これが現在のところ標準的な解決方法であろう。
D568-I-endofexpo
D568 第1楽章 提示部末尾([109]-[112])、ベーレンライター版新シューベルト全集による。編集者により挿入された「2括弧」は小音符で記されている。

しかし、D567の平行箇所を参照すると、ちゃんと1括弧・2括弧が設定されていて、[109][110]で左手が下降していった先で短調のドミナントが鳴る、という構成になっている。
D567-I-endofexpo
D567 第1楽章 提示部末尾([109]-[111])

そもそもD568で新たに挿入された[111][112]の変ホ長調の属七は、提示部冒頭に戻るために必要なのであって、展開部に入るためには不要の措置なのだ。
D567の進行を参考にして、D568の[111][112]を1括弧に入れてしまえば、2回目は[110]から[113]に飛ぶことになる。初版譜はこの1括弧・2括弧の表記を忘れたのではないだろうか。
そう思ってウィーン原典版(ティリモ校訂)を見てみたら、全く同じ解決策が書かれてあったので、いささか意を強くした次第である。今回の公演ではこの案に基づいて演奏する。
D567-I-endofexpo_wue
D568 第1楽章 提示部末尾([109]-[116])、ウィーン原典版。[111]からが1括弧になっている。


●第2楽章の「3分割+2分割(または付点)」リズム問題
「3連符と付点」を同期させるかどうかは、シューベルトに限らず、古典~初期ロマン派の作品でしばしば問題になる。
有名な例は「冬の旅」の第6曲「溢れる涙」の冒頭のピアノパート。
wasserflut
歌曲集「冬の旅」D911 第6曲「溢れる涙」冒頭

考証的には、付点を3連符に合わせて「2:1」の緩いリズムで弾くのが正しい、とされているが、名伴奏者のジェラルド・ムーアはそれを知った上であえて3連符と付点を同期させずに演奏し、「旅人の重く疲れた足取り」を表現した。

同じ問題が第2楽章の[43]以降に現れているが、ここでは上例よりもテンポが速いこともあって、左手の付点は右手の3連符と揃えるということで問題ないだろう。この時代には「2:1」の3連符の書法はまだ一般的ではなかったし、D567の自筆譜を見ても一目瞭然である。
D567-II-manuscript
D567 第2楽章自筆譜([39]-[52])。付点リズムは3連符に揃えて記譜されている。

問題は[43]1拍目などに現れる、休符を伴う2分割の処理である。これは、左手のオクターヴ音型に付点が付けられていなかったニ短調初稿から引き継がれたものなのだが、D567自筆譜を見ると、こちらも右手の3連符と揃えて音符が書かれている。つまり、ここも3連符に合わせて「2:1」のリズムで弾く、ということになる。
この奏法についてはD568でも同様に敷衍して問題ないだろう。


●D567第3楽章のコーダ(欠落部分)について
D567の最終ページ消失に伴う欠落については、ヘンレ版、ウィーン原典版ともに、D568のコーダ部分をそのまま移調して完成させている。
だが、これがD567の欠落部分を忠実に再現しているという確証はなく、むしろたぶん違うだろうと私はみている。

[167]の中断以降、少なくとも5小節間は提示部のコデッタを参照して再現可能であるが、問題はその後である。
D568-III-coda
D568 第3楽章 コーダ([213]以降)

とりわけ注目すべきはD568の[219]の右手の16分音符の上行形。これは第1主題のヴァリアントであり、D568の再現部([133])で初めて登場した音型である。D567の再現部にはこのヴァリアントは登場しておらず、そのためコーダにも使われなかった可能性が高い。
さらに、[218]と[220]の倚和音、とくに複雑な表情を持つ[220]の和音を、20歳のシューベルトが果たして思いついただろうか? この1点だけ取っても、私は改訂作業が晩年に近い時期に行われたという説に1票を投じたいと思っている。
もっと想像をたくましくすれば、終結部[217]からの第1主題の回想自体、D568で新たに書き足されたのであって、D567はこんな洒落たコーダではなく、もっとあっさり終わっていた可能性すらあると思う。

とはいえども、上記の推測に基づく第三者の補筆と、晩年に近いとはいえシューベルト自身が残したD568のコーダ、どちらがよりオーセンティック(正統的)かと考えると、やはり後者だろうということで、今回はオリジナルの補筆は行わず、D568のコーダを移調したヴァージョンでお届けする。
  1. 2016/10/06(木) 22:17:26|
  2. 楽曲について
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