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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
次回公演詳細

4手のための行進曲 概説

シューベルトのピアノ独奏曲のうち、作品リストの大勢を占めるのは「ドイツ舞曲」「レントラー」「ワルツ」といった3拍子系の舞曲であり、その総数は数百にのぼる。だが、連弾曲となると舞曲はぐっと少なくなり、同種の作品は7曲を数えるのみである(「ポロネーズ」(10曲)も舞曲の一種ではあるが、独奏用のポロネーズはない)。それに代わって連弾曲リストの筆頭に挙げられるのが17曲の「行進曲」である。そのうち14曲が生前に出版されている。

D番号曲名初出
D6023つの英雄的な行進曲1824年出版(作品27)
D7333つの軍隊行進曲1826年出版(作品51)
D8196つの大行進曲1825年出版(作品40)
D859葬送大行進曲(ロシア皇帝アレクサンドル1世の崩御に際し)1826年出版(作品55)
D885英雄大行進曲(ロシア皇帝ニコライ1世の戴冠に際し)1826年出版(作品66)
D968B(D886)2つの性格的な行進曲1829年出版(作品121・遺作)
D928こどもの行進曲1827年作曲

「行進曲」は集団の歩調を合わせる目的の実用音楽であり、もとは軍隊で用いられたが、次第に儀礼的な性格を帯びるようになる。性格や目的に応じて、「軍隊行進曲」「トルコ行進曲」「結婚行進曲」「葬送行進曲」「祝典行進曲」などの形容詞が冠されることも多い。行進曲が性格小品のジャンルの一角を占めるに至ったのには、シューベルトの連弾行進曲、とりわけ「軍隊行進曲」の果たした功績が大きい。当然ながら2拍子系で、大規模な複合三部形式(A[||:a:||:ba:||]-B[||:c:||:dc:||]-A[||:a:||:ba:||])をとるという点は全作品に共通しているが、そのテンポやキャラクターは実にヴァラエティに富んでいる。

こうした4手のための行進曲がどのような機会に作曲されたのかは、全くといって良いほどわかっていない。グラーツのパハラー家に贈った「こどもの行進曲」D928を除けば自筆譜も残っておらず、シューベルティアーデで頻繁に演奏されたということもないようだ。ただ、1818年1824年の2度のツェリス滞在のあと、シューベルトは行進曲を含む多くの連弾曲を携えてウィーンに戻ってきたというシュパウンらの証言があり、D602・D733・D819といった主要行進曲セットはエステルハーツィの令嬢姉妹と過ごした夏の所産の一部だろうというのがドイチュをはじめとする研究者の見解である。しかしこれらすべてをツェリスに関連づけてよいのかどうか、ウィーンでの日常の中で書かれたという可能性もまた否定できない。
いずれにせよ、生前に次々と出版されたという点をみても人気のジャンルであったことは間違いなく、出版社からの委嘱に応じて書かれたのかもしれない(とりわけロシア皇帝関連のD859・D885はその可能性が高い)。連弾は、ピアノを手に入れた市民たちが自宅で楽しめるエンターテインメントであり、集団の歩調を合わせるという行進曲の本来の用途から言っても、2人の奏者が拍感を合わせてアンサンブルを楽しむのに適した曲種だったのだろう。決して技巧的ではないが、客人に聴かせるにふさわしい豪華さやスペクタクルにも富んでいる。

その一方で、独奏用の行進曲がほとんど残されていないという事実もまた興味深い。長らくソロの行進曲はD606の1曲しか知られておらず、D757Aは1988年に新全集に収録されるまでは存在すら知られていなかった。ドイチュ目録にはもう1曲、ト長調の行進曲D980Fの存在が記されているが、どういうわけか現在に至るまで発表されていない。
「行進曲」と「舞曲」は両方とも、ステップという身体の運動に根ざした楽曲であるが、2手では「舞曲」が多く「行進曲」はわずか、4手では「行進曲」が多く「舞曲」は少ない。この「ネガ/ポジ」の関係を念頭に置きつつ、第15回・第16回の公演をあわせてお聴きいただきたい。
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  1. 2021/11/29(月) 19:15:49|
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