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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
次回公演詳細

[告知] シューベルトツィクルス第13回「4手のためのディヴェルティメント」

第13回チラシ
2020年12月9日(水) 19時開演 東京文化会館小ホール * ゲスト:小倉貴久子
♪ハンガリー風のメロディー D817
♪ハンガリー風ディヴェルティメント D818 *
♪フランス風の主題によるディヴェルティメント D823 *
一般4,000円/学生2,000円 →チケット購入
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  1. 2020/12/09(水) 19:00:00|
  2. シューベルトツィクルス
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フランス風の主題によるディヴェルティメント D823 概説

フランス風の主題によるディヴェルティメント ホ短調 Divertissement sur des motifs origineaux français D823
作曲:1826年? 出版:第1楽章…1826年6月、第2・3楽章…1827年7月(詳細は下記)
楽譜・・・IMSLP

この作品は出版事情が特殊で、第1楽章が1826年6月に「華麗な行進曲の形式によるディヴェルティメント 作品63」として、第2・3楽章が1827年7月に「アンダンティーノ・ヴァリエと華麗なるロンド 作品84」として別々に出版されている。第2楽章と第3楽章も分冊なので、1つの作品が3冊に分かれてしまったのだが、これは多分に商業的な思惑によるものと考えられる。しかし第1楽章と後続楽章の出版に1年以上のラグがあること、作品番号が2つにまたがっていることの理由はよくわかっていない。さらによくわからないのは、"sur des motifs origin(e)aux français"、直訳すれば「フランス風のオリジナルモティーフによる」という但し書きが何を指しているのか、ということだ。オリジナル(創作)というからには、実在のフランスの民謡に根ざしているということはない。単に「オシャレ」ぐらいの意味で「フランス風」と銘打った可能性もなくはない。

シューベルトは連弾曲を書く際にスコアではなく初めからパート譜の形式で作曲したようだが、この曲はプリモとセコンドの音が重複する箇所が散見されることから、試奏もろくにせぬまま慌てて入稿したことが窺われる。すなわち、出版社からの委嘱を受けて作曲を始めたが、第2楽章以降がなかなか完成しないので、第1楽章だけが先行出版され、そうこうするうちに作品番号がバラバラになってしまった、といういきさつがうっすらと推測される。

自筆譜はやはり失われており、出版の際の献呈はない。タイトルこそ「ディヴェルティメント」とはいえ、実質的にはソナタと見なせる堅固な構成を有しており、行進曲・幻想曲の趣が濃い「ハンガリー風ディヴェルティメント」とは一線を画している。
「行進曲のテンポで」と指示された第1楽章は大規模なソナタ形式をとる。悲壮感を秘めた堂々たる足取りのマーチがひとしきり展開されたあと、ト長調の第2主題が現れる。ゼクエンツを用いた情緒的な旋律は、前々年に初演されたベートーヴェンの「第九」のスケルツォの引用と思われる。主要旋律は次第にセコンドに移ってゆき、プリモは装飾的な音階のパッセージを絡めていく。両主題の動機を存分に用いた展開部では過激な転調が繰り広げられ、使用音域もどんどん広がっていく。型どおりの再現のあと、ドラマティックな同音連打の上に第1主題が回帰し、力強く楽章を閉じる。
第2楽章「アンダンティーノ・ヴァリエ」(アンダンティーノとその変奏)は本作の中核というべき傑作である。ロ短調の主題と、その4つの変奏からなる変奏曲形式。2分の2拍子で、その半小節(2分音符ぶん)がアウフタクト(弱起)となるフレージングは「フランスの歌による8つの変奏曲」D624(1818)と共通しており、強いて言うならばこれが「フランス風」の創作主題、ということかもしれない。そのアウフタクト上に置かれた訴えかけるようなドミナント和音から始まる主題は、シューベルトが書いた音楽の中でも哀切極まるもので、聴く者の心を捉えて離さない。後半に現れる増三和音や減七の和音の響きには、胸を刺すような痛みがある。ダクティルスのリズムでメロディーを装飾する第1変奏、スケルツォ風のスタッカートが跳ね回る第2変奏、プリモとセコンドの右手がカノンを繰り広げる第3変奏と続き、最終第4変奏はロ長調に転じる。テンポも緩み、微睡むような甘美な世界が訪れるが、それは束の間の夢。最後に主題が回帰し、悲しみの内に沈むように終わる。
第3楽章は非常に長大なロンド。のんきな調子の主題で始まるが、やがてダクティルスのリズムを延々と続ける2つの副主題が現れ、曲を支配するようになる。その「タンタタ」の執拗な連打はほとんど狂気の沙汰だが、結果的に現代のクラブミュージックにも通じる一種のトランス的な音響空間が創出されることになる。
ウィーン体制の閉塞感のもと、心地よい音楽がいつまでも終わることなく続いてほしい、という人々の願いが体現されたものなのだろうか。乱舞の果てに突如ホ短調のコーダに入り、曲は悲劇的に閉じられる。
  1. 2020/12/07(月) 04:09:19|
  2. 楽曲について
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シューベルトは『第九』を聴いたのか?

1824年5月7日、音楽史に残る一大イヴェントがウィーン・ケルントナートーア劇場で行われた。ベートーヴェンの「交響曲第9番」(いわゆる『第九』)の初演である。完全に聴力を失っていた作曲者は、それでも10年ぶりの交響曲の初演の指揮台に立ち、実際に演奏を取り仕切るミヒャエル・ウムラウフにテンポの指示を与えたという。演奏終了後、背後の聴衆の反応がわからずステージ上で立ち尽くすベートーヴェンに、アルトソロの歌手が近づき、喝采する聴衆を「見せた」というエピソードはあまりにも有名である。

ウィーン楽壇の大事件だったこの『第九』初演を、ウィーンに住むシューベルトが知らなかったはずはない。果たして彼はこの歴史的瞬間に居合わせたのだろうか?
普通に考えれば聴きに行ったはずだ。崇拝してやまないベートーヴェンの新作初演、何を措いても駆けつけただろう。
終演後にベートーヴェンの手を取って後ろを振り向かせた21歳のアルト歌手カロリーネ・ウンガーも知己だった。3年前に彼女のオペラデビューのコレペティトーアを務めた縁もあり(もっとも毎回稽古に遅刻するシューベルトは劇場関係者の不評を買うことになるのだが)、彼女の父親はツェリスのエステルハーツィ家の音楽教師の職を紹介してくれた恩人でもある。ちなみにカロリーネは若くしてなかなかのやり手だったらしく、『第九』のウィーン初演に尻込みをするベートーヴェンを焚き付け、この大興行を実現させた陰の功労者だったことが会話帳の書き込みからわかっている。歴史に名を刻んだあの行動も、もしかしたら巨匠と示し合わせてちょっとした芝居を打ったのではと思えなくもない。オペラ歌手ならそのくらい朝飯前だろう。
ところが、シューベルトが『第九』初演を聴いたという記録は何も残っていないのだ。聴いていたら、きっとはしゃいで友人たちに触れ回ったり、手紙を書きまくったりするだろうに(最晩年にパガニーニの演奏を2回も聴きに行ったことはよく知られている)、そういう資料も証言も残されていない。
実は、1824年4月・5月のシューベルトの足跡はほとんどわかっていないのだ。前年から続く体調不良は一進一退だったようで、たとえウィーンにいたとしても演奏会に行けるような健康状態ではなかったのかもしれない。
4月半ばの友人たちの報告には、

シューベルトはあまり良い体調ではない。左腕に痛みがあって、全然ピアノが弾けないんだ。それを除けば、機嫌は良さそうだ。
(1824年4月15日、シュヴィントからショーバーに宛てて)

とある。
遡って3月31日に、シューベルトはローマのクーペルヴィーザーに手紙を書いている。自らの病状を悲観し、「糸を紡ぐグレートヒェン」の冒頭の歌詞を引用して「『私の安らぎは去った、私の心は重い。私はそれを、もう二度と、二度と見出すことはない』、そう今僕は毎日歌いたい。毎晩床に就くときは、もう二度と目覚めることがないように祈り、朝になると昨日の苦悩だけが思い出される」という憂鬱な文章はよく知られているが、実はこの手紙に書かれているのはそんな愚痴ばかりではない。

歌曲では新しいものはあまり作っていないが、その代わり器楽ものはずいぶん試してみた。2つの弦楽四重奏曲と八重奏曲を作曲し、四重奏をもう1曲書こうと思っている。この方向で、なんとか大交響曲への道を切り開きたいと思うんだ。―ウィーンのニュースといえば、ベートーヴェンが演奏会を開いて、そこで新しい交響曲と、新しいミサ曲からの3曲と、新しい序曲をかけるということだ。―できることなら、近い将来僕も同じようなコンサートを開きたいと思っている。(中略)5月の初めにはエステルハーツィと一緒にハンガリーに行くので、そうなると僕の住所はザウアー&ライデスドルフ社気付ということになる。
(1824年3月31日、シューベルトからクーペルヴィーザーに宛てて)

シューベルトが『第九』初演を事前に知っていたことがちゃんと書かれている。なんと、巨匠のこのイヴェントに触発されて、「個展」を開催する気になったわけだ。自分の作品だけを集めた演奏会は、それから4年後の1828年、ベートーヴェンの一周忌にあたる3月26日に楽友協会でようやく開催されたが、その8ヶ月後に帰らぬ人となるシューベルトにとってはそれが生涯で唯一の機会になる。
ところが、手紙にあるように5月の初めにツェリスへ旅立ったとすると、5月7日の『第九』初演時には既にウィーンにいなかった可能性がある。1824年春、ウィーンでのシューベルトの最後の足跡は、4月に男声4部のための「サルヴェ・レジナ」D811を書き上げているのみだ。ドイチュはウィーン出立の日を5月25日前後と推察しており、多くの伝記がそれに倣って「5月末頃にウィーンを発ちツェリスへ」と書いているが、その確かな根拠はない。もしドイチュ説を採るならば、5月23日にレドゥーテンザールで行われた『第九』の再演に立ち合った可能性すらある。ちなみに再演は散々な失敗だったと伝えられる。
6月末に両親がシューベルトに書いた手紙には

5月31日付のお前の手紙を6月3日に受け取った。お前が健康であること、伯爵の館に無事到着したことを知って嬉しく思っている。
(1824年6月末、父フランツ/継母アンナからフランツ・シューベルトに宛てて)

とある。この5月31日付の手紙は行方不明だが、その時点でシューベルトがツェリスに到着していたことは確実のようだ。

そういうわけで資料的な裏付けは何もないのだが、私はシューベルトは確かに『第九』をリアルタイムで聴いたはずだと考えている。なぜなら1826年出版の「フランス風の主題によるディヴェルティメント」D823の中に、『第九』がこだましているのが聴き取れるからだ。
「ディヴェルティメント」第1楽章の第2主題後半、この情緒的な旋律線はどこかで聴いたことがあると思っていた。
D823第1楽章第2主題

記憶をたどってようやく思い当たった。『第九』の第2楽章スケルツォである。
第九第2楽章副主題

そう考えると、妙に符合するところがいくつかある。「ディヴェルティメント」第2楽章「アンダンティーノ・ヴァリエ」の第2変奏と、『第九』スケルツォ主部のスタッカートの音型。
D823第2楽章第2変奏
第九第2楽章主題


「アンダンティーノ・ヴァリエ」第4変奏と、『第九』第3楽章の再現部。
D823第2楽章第4変奏
第九第3楽章

音型そのものが酷似しているというわけではないが、全体の拍子感やメロディーが6連符で細かく装飾されるさまはとてもよく似ている。

『第九』の楽譜出版は1826年8月で、「ディヴェルティメント」第1楽章の出版はその2ヶ月前なので、楽譜で読んで影響を受けた、ということはない。1824年5月の2度の『第九』の実演のどちらかに接し、その記憶が「ディヴェルティメント」の中に表出したのではないだろうか。

とはいえ、たまたま似ただけ、といわれればそれまでの話ではある。
  1. 2020/12/06(日) 21:13:15|
  2. 伝記
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中桐望さんインタビュー(3) 連弾の極意

インタビュー第1回はこちら
インタビュー第2回はこちら

佐藤 前にヤマハホールでご一緒した時にシューベルトの「さすらい人幻想曲」をお弾きになって。
中桐 そうでしたね!
佐藤 それが本当に素晴らしかったんですけれども、シューベルトについて何か印象だとか、思っていることってあります?
中桐 私、実はシューベルトのソロの作品はそんなにやっていなくって。連弾は、角野先生の影響もあって、それこそチェコのイェセニークのシューベルトデュオコンクールで連弾の作品を何曲か演奏したんですけど。シューベルトって、私にとっては「弾きたい作曲家」じゃなくて「聴きたい作曲家」なんですよ。
佐藤 あーそうなのか。
中桐 もう自分で弾かなくていいので、素敵な演奏をただただ聴いていたいみたいな(笑)。印象としてはそうですねぇ、「感覚の人」だったのかな、と。私も感覚人間なんですけど。
佐藤 あ、そうなの?
中桐 理論とか、頭で考えて構成してっていうタイプじゃなくて、感覚のままに音楽を作っていくタイプなので、もしかしたらシューベルトは合うのかもしれないですけど、どうも「難しい」って感じちゃうんですよ。・・・どうですかね?(笑)
佐藤 いや、でも合ってると思いますけどね。少なくともこの間の「さすらい人」をお聴きした感じでは、すごく良いなと思って、それもあって今回お願いしたんだけど。でも確かにシューベルトの曲は、誰が聴いても名作みたいな曲ばかりではないので、例えばソナタの中でも「えっ?」ていうようなのがあったりするのも事実。僕はシューベルトが好きだから、そういう曲であっても僕はすごく愛しているんだけども、やっぱり万人向きじゃないかなってところは確かにあります(笑)。もちろん「即興曲」とか「楽興の時」とかは誰もが認める名曲だろうけど。
中桐 そうですね。
佐藤 なので、このシリーズ大変なんです、毎回名曲を弾けるわけじゃないので。それこそ山本君はショパンツィクルスっていうのをやっていて、遺作も含めて全部弾くという。でもそっちはさ、名作が毎回必ず。
中桐 まあショパンはどこを弾いても。
佐藤 知らない曲をちょっと弾くにしても、必ず毎回有名な曲が入れられるし。そこへいくとこのシリーズは、有名なものが出る回がほとんどないという。
中桐 確かにそうですね。
佐藤 「舞曲」の回だと、「34のワルツ」とかそういうのを延々と1時間半ぐらい弾いて。
中桐 そうかそうか(笑)
佐藤 覚えるのも大変だし、「ああ、まずいところに手を出したな」と。
中桐 いやいや、それは佐藤さんにしかできないことですから。今回もあれですもんね、結構知られてない作品も。
佐藤 連弾曲の中ではそこそこ有名なんですけど、一般にはまあね・・・。それこそコンクールの時は何を弾かれたんですか。
中桐 あの、シューベルトの名前がついているコンクールのわりには、実はそんなにシューベルトは弾かなくてよくって。実際演奏したのは「アンダンティーノ・ヴァリエ」っていう、ディヴェルティメント(D823)の楽章の中に入っている、7分ぐらいのヴァリエーションが1曲。
佐藤 うん。
中桐 その曲もコンクールの課題になるまで知らなかったんですけど、でもとてもいい曲。短調で内省的で、シューベルトらしい小品です。これが1次予選の課題で、絶対全員弾かなきゃいけないと。あとは2次予選の時にもう1曲シューベルトをっていうので、人生の嵐をやりましたけど。
佐藤 おお。
中桐 それだけですね。
佐藤 え、シューベルトデュオコンクールっていうからシューベルトの連弾曲たくさんやらなきゃいけないのかなと思ったら。
中桐 そうでもないんです。意外とシューベルト弾いてない。
佐藤 じゃあ他はどういう曲をやったの?
中桐 連弾だけじゃなくて2台も入っていいので、もう王道のプログラムで。ラヴェルの「ラ・ヴァルス」だとかラフマニノフの「交響的舞曲」とか。
佐藤 うわあ、大変なやつだ。デュオのパートナーはずっと別府由佳さんと?
中桐 はい、別府さんとやってます。彼女は大学の同級生で、角野門下で。彼女は山口県出身なんですよ。私岡山なので、中国地方つながりで方言も似てたりして、親近感があって。
佐藤 はあ、なるほどね。
中桐 じゃあちょっと遊びでやってみよう、みたいな感じで始めて。
佐藤 それは芸大生の時?
中桐 入学してすぐ、1年生の時です。で、その年の12月に「吹田音楽コンクール」というのがあって、お互いソロで受けるから、じゃあデュオ部門にも出たら?って角野先生に言われて、遊び半分で受けたら最高位で入賞しちゃって。「これはもうやった方がいいよ!」って先生に勧められて、それから本格的に。音楽性がすごくぴったりくる相手に、1年生の時にぱっと巡り会えたんです。たぶん、同じ先生のところで勉強していたから、ということもあるとは思うんですけど。
佐藤 いや、同じ先生だからといって息が合うとは限らないからね。それはもう運命ですね。最近もやってらっしゃるの?
中桐 いえ、彼女は今ドイツにいるのであんまりできていないんですけど、でもこの夏に久しぶりに日本でデュオコンサートをやることになってます。(※既に終了しました)
佐藤 あ、そうなんだ。
中桐 今年は連弾が多いので嬉しいです。私本当にピアノデュオが好きなんですよ。
佐藤 別府さんとなさる時は、パートって決まってるんですか?
中桐 私がプリモです。彼女は今、ドイツリートの伴奏を専門に活動しているんですけど、誰かをサポートするのが得意だということで、彼女がセコンドを担当してくれています。
佐藤 でもペダルは中桐さんが?
中桐 私が踏むことが結構多いですね。
佐藤 そうなんだ。今日の合わせでも、時にはプリモがペダル踏んだ方がっていう提案をいただいて、目から鱗だったんですけど。
中桐 角野先生の連弾のレッスンでも、やっぱりペダルのことがいつも話題になるんですけど、1曲の中でも途中で変えたりして。そういうレッスンを受けるまでは、私もセコンドが踏むのが当たり前と思ってたんですけど、すごく意識が変わって。そういう固定観念にとらわれずに、踏みたい人が踏んだ方がうまくいくことがあるということに気づいてからは、よく踏ませてもらってます、プリモでも。
佐藤 確かにそういうことはあるかもね。その辺のアイディアもいろいろ教えて下さい。
中桐 いや、私のわがままになると思いますけど、大半が。
佐藤 前回の川島さんは連弾はほぼ初めてということで。
中桐 本当ですか?
佐藤 シューベルトの連弾曲も全く弾いたことないけど、いい機会だからって言って引き受けて下さって、結果的にはとても良い演奏ができたと思うんですけど。でも中桐さんは本当に経験豊かだから、今回は頼もしいです。
中桐 いえいえそんなことはないです。
佐藤 連弾やっている中でいつも気をつけてたことって何かあります?
中桐 もちろんお互いをよく聴くっていうのは大事なんですけど、最終的に行き着いた結論は、「自分のことに徹する」っていう。
佐藤 なるほど!(笑)
中桐 連弾を練習してるときって自分一人の音しかさらってないじゃないですか。
佐藤 そうですね。
中桐 で、合わせた途端に全然自分の思っていることができなくなったりとか、相手につられたりとか、バランスが取れなくなって。
佐藤 わかるわかる。
中桐 練習してるときにも相手のパートのことを考えたりとか、自分なりにいろいろやってるのに、何でできなくなるんだろうって考えて、極論は「自分の役割に徹する」、それは本番の最中でも。ペダルを相手が踏んでいる時も、自分がペダルを踏んでいるようなつもりで弾くとか、そうやって自分の役割に徹したら、いろんなことがうまくいくようになって、結局自分のやりたいことを徹底的にやればうまくアンサンブルできるんだなっていう結論に、私は行き着いたんですよ。タイミングも、合わせようと思って気にすると合わなかったりして。そういうのも相手を信頼して、自分が感じている通りにやればピタッと合ったりする瞬間が。
佐藤 ああ。
中桐 連弾してるっていうことにあまり浮かれすぎないようにいつも気をつけてます。
佐藤 深いなぁこれは。連弾って声部分担がほとんど固定されているじゃないですか。プリモの人は高音域しか弾かないし、セコンドの人は低音域だけ。当たり前だけど。
中桐 はい。
佐藤 それが2台ピアノと大きく違うところだと思っていて。2台は僕も結構経験があったんだけど、連弾はこのシューベルトのシリーズを始めるまでは本当に数えるほどしかやったことがなくて。でやってみたら声部のバランスがすごく難しい。僕はわりとセコンドを弾くことが多いんだけど、そうすると右手がどうしても出ちゃうわけ。
中桐 出ますね(笑)
佐藤 「内声うるさいな」って。そのバランスを取りながら弾くっていうのが結構大変で。ところがプリモになると今度は、左手がバスを弾かないじゃないですか。これがなんかすごく弾きにくくって。
中桐 プリモの左手って難しいですよね。
佐藤 難しいよねあれ。相手とぶつかるしさ。
中桐 そう。だからプリモ嫌いなんですよ、実は(笑)。セコンドの方が全然気が楽で。左手が言うことを聞いてくれないっていうか、いろんなことがうまくできなくて。
佐藤 そうですよね。相手がいると、いろいろ気を取られたり(笑)
中桐 そうなんですよ。
佐藤 ペダルもそうだし、響板も一緒なわけで、連弾ってシビアですよね。
中桐 すごくシビアです。本当に2人が一体にならないと連弾って難しい。でもそれが連弾の面白いところでもあるんですよね。

(第4回につづく)
  1. 2018/09/14(金) 17:09:21|
  2. シューベルトツィクルス
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