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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
次回公演詳細

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第6回公演終了

SZ6写真
佐藤卓史シューベルトツィクルス第6回「ピアノ・ソナタII ―20歳のシューベルト―」が無事終了しました(10月15日、東京文化会館小ホール)。ご来場下さった282名のお客様、ご支援・ご協力をいただいた皆様に心より御礼申し上げます。
シューベルトがいかにして「完成作」D568を作り上げていったのか、その軌跡を追体験するかのような90分となりました。弾き手としては「同じようなソナタを違う調性で2曲暗譜」という悪夢のような課題でしたが、破綻なく終わって一安心、といったところです。

第7回公演「人生の嵐 ―4手のためのピアノ曲―」は、2005年シューベルト国際コンクール覇者の川島基さんをゲストにお招きし、2017年6月22日(木)、東京文化会館小ホールにて開催いたします。詳細はまもなく当ブログでも発表します。
次回も皆様のご来場をお待ちしております。

[第6回公演アンコール曲]
♪シューベルト/リスト:水の上で歌う D774 (S.558-2)
♪シューベルト/佐藤卓史:エルラフ湖 D568
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  1. 2016/10/19(水) 16:41:20|
  2. シューベルトツィクルス
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[告知] シューベルトツィクルス第6回「ピアノ・ソナタII ―20歳のシューベルト―」

第6回チラシ
2016年10月15日(土)14時開演 東京文化会館小ホール
♪ピアノ・ソナタ 第5番 変イ長調 D557 ♪ピアノ・ソナタ 第7番 変ニ長調 D568(第1稿、旧D567/補筆完成版)
♪2つのスケルツォ D593 ♪ピアノ・ソナタ 第8番 変ホ長調 D568(第2稿)
一般4,000円/学生2,000円 →チケット購入
  1. 2016/10/15(土) 14:00:00|
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2つのスケルツォ D593 概説

2つのスケルツォ Zwei Scherzi D593
作曲:1817年11月 出版:1871年
楽譜・・・IMSLP

旧全集よりも早く、1871年にウィーンのゴットハルト社から出版された。自筆譜は残っていないが、「ヴィッテチェク=シュパウン・コレクション」と呼ばれる1840年代の筆写譜がウィーン楽友協会に所蔵されている。「ヴィッテチェク=シュパウン・コレクション」については次回の記事で詳しく紹介したい。
楽友協会資料室を訪問した際にこの筆写譜も閲覧してきたのだが、1871年の初版譜とはずいぶん違いがある。最も大きな相違点は、第1曲の[15]の2拍目、上声の2つ目の16分音符が、筆写譜ではd、初版譜ではcとなっていることだ(平行箇所の[49]も同様)。
D593-1_A_end_NGA
スケルツォ D593-1 第13-16小節、ベーレンライター版新シューベルト全集。「ヴィッテチェク=シュパウン・コレクション」に基づく。

D593-1_A_end_AGA
スケルツォ D593-1 第13-16小節、ブライトコプフ版旧シューベルト全集。初版譜に基づく。

ミスプリントや、出版社による勝手な改変の可能性もなくはないが、おそらくは内容の異なる2種類の自筆譜が存在し、ひとつが筆写譜の元となり、もうひとつが初版の製版に使われ、その後2つとも消失したとみるのが自然だろう。


「スケルツォ」はイタリア語で「冗談」を意味する。ピアノ曲としてはソナタの中間楽章、メヌエットの代替としてベートーヴェンが導入したが、ソナタに属さない単独のスケルツォは、大作曲家の作品としてはこれが最初ではないだろうか。
既に述べたとおり第2曲のトリオがソナタD568の第3楽章(メヌエット)のトリオとほぼ一致しており、この作品がD567の中間楽章のスケッチとして書かれた可能性はあるものの、D567の清書譜にはスケルツォが差し挟まれる余地はなく、この説を採ればスケルツォはかなり早い段階で捨てられた、ということになる。

筆写譜・初版譜の両方に記されている「1817年11月」という作曲時期を素直に信じれば、8月にこの年6曲目のソナタD575を書き終えた(これについても諸説あるものの)シューベルトが、ソナタとは関係なく生み出した単独小品、という見方もできる。私自身は、とくに第1曲の明快でキャッチーなキャラクターを考えると、ソナタの中間楽章として構想されたものとは思えないので、それ以上の根拠はないものの「単独小品説」を採りたいと考えている。
いずれにせよ、変ロ長調と変ニ長調のスケルツォが2曲セットになった状態で伝承されてきたわけで、当時のピアノ作品としては珍しい体裁であったことは確かだろう。


2曲とも、|:A:|:BA:||:a:|:ba:| Da capo複合三部形式で書かれている。
特徴的なのは、スケルツォとはいえテンポは中庸で、むしろ一部のメヌエットよりも遅いテンポが想定されていることである。しかし、とりわけ第1曲の左手のリズムはメヌエットとも、ワルツとも違う軽妙なもので、これが一種の「スケルツォ=冗談」感を演出していると言えるかもしれない。また、両曲の主部には2分割(8分音符)と3分割(3連符)が共存しているのが特徴で、リズミカルな活発さをもたらしている。その主部に比べると、トリオは両曲とも穏やかであり、第2曲のトリオが移植された先が「メヌエット」だというのも納得できる。


D593-1_A
スケルツォ D593-1 冒頭

第1曲(変ロ長調)は、先述した冒頭の左手のリズムが、明らかに舞曲の性格を帯びている。主部のB部分では、同種短調の変ロ短調を経由して変ニ長調へと転調し、そこから半音階的に変ロ長調へ戻っていくあたりに、その後のシューベルトにも通じる巧みな転調技法が垣間見える。変ホ長調のトリオはレントラー風だが、b部分のバスの独立した動きが興味深い。
全体として溌剌とした魅力に溢れており、技術的に平易なため、こどもの教材としてもよく用いられている。

D593-2_A
スケルツォ D593-2 冒頭

第2曲(変ニ長調)は、前曲と比べると落ち着いた印象の、中低音の重厚な和音で始まるが、すぐに高音域に移っていき、音階やアルペジオを駆使して鍵盤の端から端まで自由に行き来する、なかなか忙しい曲である。B部分では、前曲と同様に短3度上のホ長調(異名同音)に転調して、ここでやはり舞曲風の音楽になる。
ところでこの曲は主部からトリオに入る際に、拍節の繋がりがうまくいっていない。主部は強起(アウフタクトなし)だが、トリオは弱起(アウフタクトあり)なので、そこで余計な1拍が入ってしまうわけだ。
D593-2_endofA
スケルツォ D593-2 主部の終わりからトリオ冒頭。主部の最終小節もきっちり3拍あるので、トリオのアウフタクトが入る余地がない。

旧全集では、3拍子を守るために主部最後の2分音符を抜くという改変まで行っている。
このことから考えて、主部とトリオは別々の機会に作曲されたものを繋ぎ合わせた、という可能性もあると思われる。
  1. 2016/10/07(金) 16:39:15|
  2. 楽曲について
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D567/D568 演奏上の諸問題

ピアノ・ソナタ 第7番 変ニ長調 Sonate Des-Dur D567
作曲:1817年6月 出版:1897年
楽譜・・・IMSLP

ピアノ・ソナタ 第8番 変ホ長調 Sonate Es-dur D568
作曲:不明 出版:1829年5月(作品122)
楽譜・・・IMSLP

今回は、D567/D568を実際に演奏する際に問題になってくる事柄について述べる。
今後この曲を演奏しようという人の参考になればと思い記すので、ピアニスト以外の方々には興味のない話かもしれないが、少々お付き合いいただければ幸いである。

●D568第1楽章の提示部末尾について
D568の初版譜では、第1楽章の提示部の繰り返し記号直前の小節に問題がある。
繰り返しで冒頭に戻るためにアウフタクトが付いているのだが、繰り返しの2回目、展開部へ進むときにはこのアウフタクトがあるとおかしい
現行のヘンレ版や新全集では、このアウフタクトを消去した「2括弧」(セコンダ・ヴォルタ)を挿入してから展開部へ入るという方法を提案している。これが現在のところ標準的な解決方法であろう。
D568-I-endofexpo
D568 第1楽章 提示部末尾([109]-[112])、ベーレンライター版新シューベルト全集による。編集者により挿入された「2括弧」は小音符で記されている。

しかし、D567の平行箇所を参照すると、ちゃんと1括弧・2括弧が設定されていて、[109][110]で左手が下降していった先で短調のドミナントが鳴る、という構成になっている。
D567-I-endofexpo
D567 第1楽章 提示部末尾([109]-[111])

そもそもD568で新たに挿入された[111][112]の変ホ長調の属七は、提示部冒頭に戻るために必要なのであって、展開部に入るためには不要の措置なのだ。
D567の進行を参考にして、D568の[111][112]を1括弧に入れてしまえば、2回目は[110]から[113]に飛ぶことになる。初版譜はこの1括弧・2括弧の表記を忘れたのではないだろうか。
そう思ってウィーン原典版(ティリモ校訂)を見てみたら、全く同じ解決策が書かれてあったので、いささか意を強くした次第である。今回の公演ではこの案に基づいて演奏する。
D567-I-endofexpo_wue
D568 第1楽章 提示部末尾([109]-[116])、ウィーン原典版。[111]からが1括弧になっている。


●第2楽章の「3分割+2分割(または付点)」リズム問題
「3連符と付点」を同期させるかどうかは、シューベルトに限らず、古典~初期ロマン派の作品でしばしば問題になる。
有名な例は「冬の旅」の第6曲「溢れる涙」の冒頭のピアノパート。
wasserflut
歌曲集「冬の旅」D911 第6曲「溢れる涙」冒頭

考証的には、付点を3連符に合わせて「2:1」の緩いリズムで弾くのが正しい、とされているが、名伴奏者のジェラルド・ムーアはそれを知った上であえて3連符と付点を同期させずに演奏し、「旅人の重く疲れた足取り」を表現した。

同じ問題が第2楽章の[43]以降に現れているが、ここでは上例よりもテンポが速いこともあって、左手の付点は右手の3連符と揃えるということで問題ないだろう。この時代には「2:1」の3連符の書法はまだ一般的ではなかったし、D567の自筆譜を見ても一目瞭然である。
D567-II-manuscript
D567 第2楽章自筆譜([39]-[52])。付点リズムは3連符に揃えて記譜されている。

問題は[43]1拍目などに現れる、休符を伴う2分割の処理である。これは、左手のオクターヴ音型に付点が付けられていなかったニ短調初稿から引き継がれたものなのだが、D567自筆譜を見ると、こちらも右手の3連符と揃えて音符が書かれている。つまり、ここも3連符に合わせて「2:1」のリズムで弾く、ということになる。
この奏法についてはD568でも同様に敷衍して問題ないだろう。


●D567第3楽章のコーダ(欠落部分)について
D567の最終ページ消失に伴う欠落については、ヘンレ版、ウィーン原典版ともに、D568のコーダ部分をそのまま移調して完成させている。
だが、これがD567の欠落部分を忠実に再現しているという確証はなく、むしろたぶん違うだろうと私はみている。

[167]の中断以降、少なくとも5小節間は提示部のコデッタを参照して再現可能であるが、問題はその後である。
D568-III-coda
D568 第3楽章 コーダ([213]以降)

とりわけ注目すべきはD568の[219]の右手の16分音符の上行形。これは第1主題のヴァリアントであり、D568の再現部([133])で初めて登場した音型である。D567の再現部にはこのヴァリアントは登場しておらず、そのためコーダにも使われなかった可能性が高い。
さらに、[218]と[220]の倚和音、とくに複雑な表情を持つ[220]の和音を、20歳のシューベルトが果たして思いついただろうか? この1点だけ取っても、私は改訂作業が晩年に近い時期に行われたという説に1票を投じたいと思っている。
もっと想像をたくましくすれば、終結部[217]からの第1主題の回想自体、D568で新たに書き足されたのであって、D567はこんな洒落たコーダではなく、もっとあっさり終わっていた可能性すらあると思う。

とはいえども、上記の推測に基づく第三者の補筆と、晩年に近いとはいえシューベルト自身が残したD568のコーダ、どちらがよりオーセンティック(正統的)かと考えると、やはり後者だろうということで、今回はオリジナルの補筆は行わず、D568のコーダを移調したヴァージョンでお届けする。
  1. 2016/10/06(木) 22:17:26|
  2. 楽曲について
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改訂は「いつ」「なぜ」行われたのか?(D567→D568)

D568はもちろんのこと、D567についても、成立状況を教えてくれる文献は残っていないのだが、ひとつ面白い証言がある。
ニ短調の緩徐楽章初稿の記事で登場した、シューベルトの友人アンゼルム・ヒュッテンブレンナーは、1854年にフランツ・リストの求めに応じて「歌曲作曲家フランツ・シューベルトの生涯の断片 Bruchstücke aus dem Leben des Liederkomponisten Franz Schubert」という回顧録を残していて、その中で「嬰ハ長調のピアノ・ソナタ」について言及している箇所があるのだ。

非常に難しくて、シューベルト本人も間違えずに弾くことができなかった。私は3週間、熱心に練習して、彼と友人たちの前で演奏したところ、彼はこの曲を私に献呈してくれた。その後ある外国の出版社に送付したのだが、「こんなひどく難しい作品は、売れ行きが期待できないので、あえて出版しようとは思わない」という内容のメッセージとともに返送されてきた。

嬰ハ長調(!)のソナタというのは知られていないので、きっと変ニ長調のソナタ(D567)を指しているのだろう、ということで、この証言は新全集のD568の解説にも引用されている。
この時期にシューベルトがピアノ・ソナタをヒュッテンブレンナーに献呈したという事実も、外国の出版社に送ったという事実も、この証言以外には知られていない。ヒュッテンブレンナーという人は以前「グラーツ幻想曲」D605Aの記事でも述べた通り、ちょっと怪しげなところがある人物で、とりわけシューベルトの死後26年も経った1854年の証言を信用できるかどうかは微妙なところなのだが、もし本当だとすると、いろいろ符号が合うことがある。

まず第一に、D567がヒュッテンブレンナーに献呈されていたとしたら、例のニ短調の草稿の紙片を、ヒュッテンブレンナーが持っていたことも説明がつく。「これは君にあげたソナタのスケッチだから、あげるよ。ベートーヴェンの自筆譜の裏に書いちゃったんだけども」なんて言って渡したのかもしれない。その紙片をヒュッテンブレンナーは生徒の記譜練習に使わせてしまうわけなのだが・・・。

そして第二に、なぜシューベルトがD567を改訂しようと思い立ったのか、その理由の一端がこのエピソードには示されている。自分では弾けないような難曲だったが、ヒュッテンブレンナーが弾いてくれたら良い曲で、友人たちにも好評だった。それで自信がついて、外国の出版社に送ってみたが、「難しすぎてダメ」と言われた。
ならば、♭5つの変ニ長調から、♭3つで読譜しやすい変ホ長調に直せば、受け入れられるのではなかろうか。つまり、作曲家自身の内的欲求というより、受容を優先し、出版を視野に入れた上での改訂作業、という可能性があるのだ。緩徐楽章を同主短調の変ホ短調にしなかったのも、♭が多すぎる(6個)から避けた、という理由もあるだろう。
実際にD568が現在も演奏会の主要レパートリーに君臨しているところを見ても、シューベルトの目算は当たったということになる。


さて、肝心の改訂の時期については特定されておらず、1817年(D567の作曲年)から1828年(シューベルトの最期の年)までさまざまな説がある。

1817年説を唱えたのは著名なシューベルト学者のモーリス・ブラウンである。
ブラウンはD593の2つのスケルツォを、D567の挿入楽章の習作と捉えている。D567が1817年6月に完成したあと、すぐにシューベルトはD568への改訂作業に着手し、11月までに完成させて、そのとき捨てられた2つのスケルツォを譜面にまとめて、11月の日付を書き込んだ。つまりD593の作曲日付の「1817年11月」は、D568の完成時期を示している、という見立てである。
なぜそのようなロジックが成り立つのか、原文を何度読んでもさっぱりわからないのだが、おそらくは「D568は1817年作曲」という希望的観測が最初にあって、論を進めているだろう。「1817年の6曲のソナタ」の、失われた第3番・第4番のいずれかにD568を当て込みたかったものと思われる。

現在ではこの説の信憑性は低い。まず、D567の清書稿では、第2楽章の最終ページの裏面に第3楽章(フィナーレ)が書かれていて、その間にスケルツォ(あるいはメヌエット)が入り込む余地はない。D567は3楽章構成のソナタとして完成したのであり、D593のスケルツォがD567のために書かれたのだとしたら、1817年6月以前の時点で捨てられていたはずである。D567からD568への改訂作業の途中でスケルツォが書かれたとすると、変ロ長調の第1番はともかく、第2番の変ニ長調という調性はD568には合致しない。
D593が、何らかのソナタの中間楽章として書かれた可能性は否定できないものの、それがD567/D568であるという明確な証拠もなく、その作曲の日付がD568の完成を示すというのはあまりにも飛躍が多い。
さらに言えば、単なる移調だけならともかく、これほどの内容のブラッシュアップを伴う改訂を、D567完成直後のシューベルトが成し遂げたとはちょっと思えない。D567の完成からしばらく時間が経って、過去作を客観的に見ることができるようになった作曲者が校訂したもの、と捉えるのが自然だろう。少なくともこの時期のシューベルトが、いったん完成した作品にさらに手を加えるような習慣を持たなかったことは確かである。

一方で、改訂時期をシューベルトの晩年と見なしている学者もいる。
マーティン・チューシッドMartin Chusidは展開部の書法について、「1824年以前のシューベルトは、これほど広範囲における、複雑な転調のシークエンスを書いたことはない」という。さらに、展開部の内容を検討するとピアノ三重奏曲第2番D929や弦楽五重奏曲D956に似ているとして、改訂作業はシューベルト最晩年の1828年、もしかしたらその最期の数ヶ月か、数週間で行われたのかもしれない、と論じている。
論文そのものを参照できなかったので、どの部分を比較しているのかは詳しくわからないのだが、以前に分析した通り、D568で新たに書き足された部分は、終楽章の展開部の前半40小節のみであり、あののどかな舞曲風の部分の転調が、最晩年のシューベルトにしか書き得なかったものとはちょっと思われない。

マルティーノ・ティリモが編纂したウィーン原典版の解説には、「改訂作業が1826年に行われたことを示唆するいくつかの証拠がある」として、複数の論文が紹介されているが、その内容については詳述されておらず、そこに挙げられた論文のオリジナルを参照することもできなかったので、この説の信憑性については詳しい検討はできなかった。

1829年6月にフェルディナントが作成した、弟フランツの遺産台帳によると、1829年1月5日に、ペンナウアー社からの58グルデン36クロイツァーの支払いが記録されている。ドイチュは、これをD568の作曲料とみている。
時期的に考えて、D568の出版契約は、シューベルトの生前に締結されたのだろう。しかし1828年11月19日に急死したシューベルトは、その対価を受け取ることさえできなかったのだった。
  1. 2016/10/05(水) 22:44:28|
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