ピアノ・ソナタ 第18番 ト長調 Klaviersonate Nr.18 G-dur D894 作曲:1826年10月 出版:1827年4月(「幻想曲、アンダンテ、メヌエットとアレグレット」作品78として)
この大ソナタは、シューベルトのコンヴィクト時代からの親友、
ヨーゼフ・フォン・シュパウン に献呈された。シュパウンはこの作品についてこんな証言を残している。
ある朝彼に会うと、ちょうどソナタを書き終えたところだった。つっかえながらもその場で彼が試演してくれたその曲に、私がすっかり夢中になったのを見て、彼は「気に入ったなら、君のソナタにしよう。君に喜んでもらえるのが僕は一番うれしい」といって、ページを切り取って、私に献呈してくれた。それが作品78だ。 なんと美しいエピソードだろうか。
シュパウンは後年こうしたシューベルトのさまざまな思い出を回顧録にまとめていて、それによって我々もシューベルトの人となりを知ることができる。何も書き残さなかった悪友ショーバーとはえらい違いである。
シュパウンは出版に際しての公式な「献呈許可」を1826年12月15日に認めており、そこには「フランツ・シューベルトの
第4ピアノ・ソナタ 」とある。
しかし実際には、これはシューベルトにとって
3曲目 の―そして生前最後の―ピアノ・ソナタ出版となる。なぜ「第4ソナタ」なのだろうか?
シューベルトの死の直後にペンナウアーから出版された
変ホ長調D568のタイトルは「第3グランド・ソナタ 」 となっている。ということは、1826年4月にD850のニ長調ソナタが出版されたあと、12月までの間にD568の出版契約を締結した、ということなのではないだろうか。だがD568の出版は遅れ、その間にシューベルトは他界してしまった。
D894は1827年4月にハスリンガー社から「Museum für Klaviermusik ピアノ音楽の博物館」というシリーズの第9巻として出版されたのだが、そのときのタイトルは
「幻想曲、アンダンテ、メヌエットとアレグレット」 となっている。おそらく急に降ってわいたような出版話だったのだろう。それにあたって、「ピアノ・ソナタ」では売れないから、タイトルを変えさせてくれ、という提案をシューベルトは受け入れたようだ。この作品は
4曲からなる小品集 として世に出たのである。
「幻想」ソナタ という愛称は、この初版タイトルに由来している。ただ第1楽章の冒頭に記された「幻想曲、または:ソナタ」という副題が、この作品の本来の姿を物語っている。
1825年以降の大ソナタへの取り組みの成果が結実した大作であるが、全体としては非常に穏和で、見方によっては冗長な印象も拭えない。
その一因は、
「繰り返し」の多さ にある。もともと繰り返しの多いシューベルトであるが、この曲では半ば意図的に繰り返しが多用されており、小さなモティーフから大きなセクションに至るまで、あらゆる要素は「繰り言」のように必ず反復される。だからといってシンメトリカルな楽節構造になっているかというと必ずしもそうではなく、「字余り」のような楽句もあって、音楽がドライヴするのを阻んでいる。
もうひとつ、この作品は
「和音」 の響きが支配する箇所が多く、シューベルトの本領である旋律の美しさでぐいぐい引っ張っていくようなところは少ない。減衰していくピアノの音にじっと耳を澄ますような、静的な音楽が聴き手の時間感覚を惑わせるのだ。
あわせて、両端楽章の左手の5度の響きの連続がいかにも
「田園」風 で、シューベルトならではの舞曲のリズムも相まって、田舎の鄙びた空気が濃厚に漂ってくる。「幻想」というニックネームがなかったら、きっと「田園」ソナタと呼ばれていたのではないだろうか? 大自然に身体ごと包み込まれるような安らぎと喜びを感じさせるこの作品が、夏の旅行中に書かれたというようなエピソードがあれば納得できるのだが、この年シューベルトは
どこにも出かけられずにウィーンに留まっている 。
一方で
リズムの分割 に関する探求は前作D850よりもさらに進んでいて、第1楽章の11:1の鋭い長短のリズム(12/8拍子にベートーヴェンの「熱情」第1楽章からの影響を指摘する説もある)で和音が交代する第1主題はピアノならではの書法だし、第2楽章の反復時のリズム変奏の手法も手が込んでいる。
第1楽章 の第1主題、前述の和音が静かに交代するさまは瞑想的で、「幻想」のイメージはここから生まれたのだろう。ニ長調の第2主題では左手にシチリアーノ風の踊りのリズムが現れ、音楽に活気を与えている。確保時にメロディーは16分音符で細かく変奏され、それが下行音階へ続いてゆき、激しいドッペルドミナントの和音へなだれ込む。展開部は第1主題と第2主題をバランス良く扱っており、対位法的・和声的な盛り上がりもあり、規模的にも全く不足のない、充実した内容となっている。ただ、同じ要素の反復はやはり多く、いくぶん冗長な感じも否めない(なおこの展開部の構成は
D568の第1楽章の展開部 と酷似しており、D568がこの時期に改訂された可能性を推測させる)。再現部では第1主題部をぐっと短縮して、第2主題以降を主調で再現する。コーダも相変わらず繰り返しの連続で、次第に遠ざかって消えていく。
第2楽章 はニ長調で、ABAB'A'のロンド形式、あるいは展開部を欠くソナタ形式とも考えられる。A部はそれ自体がabaの三部形式で、本作の中では珍しくシューベルトらしい歌心が発揮された美しいメロディーだ。B部は一転して激しい和音の打撃と不安げな楽想が交互に登場する。反復される間に主題は細かい変奏を纏うようになる。
第3楽章 はロ短調のメヌエット。典型的な複合三部形式である。厳しい和音の連打で始まる主部のデモーニッシュさは、すぐにニ長調の優雅な衣に隠れてしまう。トリオはロ長調で、レントラーの趣が強い。再現時には嬰ト長調(!)に転調する。
第4楽章 はABACAのロンド形式のフィナーレ。のんきな調子の主題で始まり、合いの手のように現れるタタタタという和音連打(前楽章から引き継いだ要素である)がやがて主要なモティーフになっていく。最初のエピソード(B)はハ長調、シューベルトの好きなダクティルスのリズムに乗って無窮動のメロディーが続いていく。2番目のエピソード(C)は変ホ長調だが、ハ短調とハ長調の副エピソードを伴った長大なセクションである。ここでもダクティルスのリズムが支配的で、B部とのキャラクターの違いが明確化されない。ロンド主題にも反復時には細かい変奏が施されるものの、全体的にずっと同じようなことをやっているような、田園風景がどこまでも続いていくような長閑な印象を残したまま、静かに曲は終わっていく。
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2021/05/31(月) 22:45:21 |
楽曲について
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佐藤卓史シューベルトツィクルス第6回「ピアノ・ソナタII ―20歳のシューベルト―」 が無事終了しました(10月15日、東京文化会館小ホール)。ご来場下さった282名のお客様、ご支援・ご協力をいただいた皆様に心より御礼申し上げます。
シューベルトがいかにして「完成作」D568を作り上げていったのか、その軌跡を追体験するかのような90分となりました。弾き手としては「同じようなソナタを違う調性で2曲暗譜」という悪夢のような課題でしたが、破綻なく終わって一安心、といったところです。
第7回公演
「人生の嵐 ―4手のためのピアノ曲―」 は、2005年シューベルト国際コンクール覇者の
川島基 さんをゲストにお招きし、
2017年6月22日(木)、東京文化会館小ホール にて開催いたします。詳細はまもなく当ブログでも発表します。
次回も皆様のご来場をお待ちしております。
[第6回公演アンコール曲]
♪シューベルト/リスト:水の上で歌う D774 (S.558-2)
♪シューベルト/佐藤卓史:エルラフ湖 D568
2016/10/19(水) 16:41:20 |
シューベルトツィクルス
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2016年10月15日(土)14時開演 東京文化会館小ホール
♪ピアノ・ソナタ 第5番 変イ長調 D557 ♪ピアノ・ソナタ 第7番 変ニ長調 D568(第1稿、旧D567/補筆完成版)
♪2つのスケルツォ D593 ♪ピアノ・ソナタ 第8番 変ホ長調 D568(第2稿)
一般4,000円/学生2,000円
→チケット購入
2016/10/15(土) 14:00:00 |
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2つのスケルツォ Zwei Scherzi D593 作曲:1817年11月 出版:1871年
旧全集よりも早く、1871年にウィーンのゴットハルト社から出版された。自筆譜は残っていないが、
「ヴィッテチェク=シュパウン・コレクション」 と呼ばれる1840年代の筆写譜がウィーン楽友協会に所蔵されている。「ヴィッテチェク=シュパウン・コレクション」については次回の記事で詳しく紹介したい。
楽友協会資料室を訪問した際 にこの筆写譜も閲覧してきたのだが、1871年の初版譜とはずいぶん違いがある。最も大きな相違点は、第1曲の[15]の2拍目、上声の2つ目の16分音符が、
筆写譜ではd、初版譜ではc となっていることだ(平行箇所の[49]も同様)。
スケルツォ D593-1 第13-16小節、ベーレンライター版新シューベルト全集。「ヴィッテチェク=シュパウン・コレクション」に基づく。 スケルツォ D593-1 第13-16小節、ブライトコプフ版旧シューベルト全集。初版譜に基づく。 ミスプリントや、出版社による勝手な改変の可能性もなくはないが、おそらくは内容の異なる
2種類の自筆譜が存在 し、ひとつが筆写譜の元となり、もうひとつが初版の製版に使われ、その後
2つとも消失した とみるのが自然だろう。
「スケルツォ」はイタリア語で「冗談」を意味する。ピアノ曲としてはソナタの中間楽章、メヌエットの代替としてベートーヴェンが導入したが、
ソナタに属さない単独のスケルツォ は、大作曲家の作品としてはこれが最初ではないだろうか。
既に述べたとおり 、
第2曲 のトリオがソナタD568の第3楽章(メヌエット)のトリオとほぼ一致しており、
この作品がD567の中間楽章のスケッチとして書かれた可能性 はあるものの、D567の清書譜にはスケルツォが差し挟まれる余地はなく、この説を採ればスケルツォはかなり早い段階で捨てられた、ということになる。
筆写譜・初版譜の両方に記されている「1817年11月」という作曲時期を素直に信じれば、8月にこの年6曲目のソナタD575を書き終えた(これについても諸説あるものの)シューベルトが、ソナタとは関係なく生み出した
単独小品 、という見方もできる。私自身は、とくに第1曲の明快でキャッチーなキャラクターを考えると、ソナタの中間楽章として構想されたものとは思えないので、それ以上の根拠はないものの「単独小品説」を採りたいと考えている。
いずれにせよ、変ロ長調と変ニ長調のスケルツォが2曲セットになった状態で伝承されてきたわけで、当時のピアノ作品としては珍しい体裁であったことは確かだろう。
2曲とも、
|:A:|:BA:||:a:|:ba:| Da capo の
複合三部形式 で書かれている。
特徴的なのは、スケルツォとはいえ
テンポは中庸 で、むしろ一部のメヌエットよりも遅いテンポが想定されていることである。しかし、とりわけ第1曲の左手のリズムはメヌエットとも、ワルツとも違う軽妙なもので、これが一種の「スケルツォ=冗談」感を演出していると言えるかもしれない。また、両曲の主部には2分割(8分音符)と3分割(3連符)が共存しているのが特徴で、リズミカルな活発さをもたらしている。その主部に比べると、トリオは両曲とも穏やかであり、第2曲のトリオが移植された先が「メヌエット」だというのも納得できる。
スケルツォ D593-1 冒頭 第1曲(変ロ長調) は、先述した冒頭の左手のリズムが、明らかに舞曲の性格を帯びている。主部のB部分では、同種短調の変ロ短調を経由して変ニ長調へと転調し、そこから半音階的に変ロ長調へ戻っていくあたりに、その後のシューベルトにも通じる巧みな転調技法が垣間見える。変ホ長調のトリオはレントラー風だが、b部分のバスの独立した動きが興味深い。
全体として溌剌とした魅力に溢れており、技術的に平易なため、こどもの教材としてもよく用いられている。
スケルツォ D593-2 冒頭 第2曲(変ニ長調) は、前曲と比べると落ち着いた印象の、中低音の重厚な和音で始まるが、すぐに高音域に移っていき、音階やアルペジオを駆使して鍵盤の端から端まで自由に行き来する、なかなか忙しい曲である。B部分では、前曲と同様に短3度上のホ長調(異名同音)に転調して、ここでやはり舞曲風の音楽になる。
ところでこの曲は主部からトリオに入る際に、拍節の繋がりがうまくいっていない。主部は強起(アウフタクトなし)だが、トリオは弱起(アウフタクトあり)なので、そこで余計な1拍が入ってしまうわけだ。
スケルツォ D593-2 主部の終わりからトリオ冒頭。主部の最終小節もきっちり3拍あるので、トリオのアウフタクトが入る余地がない。 旧全集では、3拍子を守るために主部最後の2分音符を抜くという改変まで行っている。
このことから考えて、主部とトリオは別々の機会に作曲されたものを繋ぎ合わせた、という可能性もあると思われる。
2016/10/07(金) 16:39:15 |
楽曲について
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ピアノ・ソナタ 第7番 変ニ長調 Sonate Des-Dur D567 作曲:1817年6月 出版:1897年
ピアノ・ソナタ 第8番 変ホ長調 Sonate Es-dur D568 作曲:不明 出版:1829年5月(作品122)
今回は、D567/D568を実際に演奏する際に問題になってくる事柄について述べる。
今後この曲を演奏しようという人の参考になればと思い記すので、ピアニスト以外の方々には興味のない話かもしれないが、少々お付き合いいただければ幸いである。
●D568第1楽章の提示部末尾について D568の初版譜では、第1楽章の提示部の繰り返し記号直前の小節に問題がある。
繰り返しで冒頭に戻るためにアウフタクトが付いているのだが、繰り返しの2回目、
展開部へ進むときにはこのアウフタクトがあるとおかしい 。
現行のヘンレ版や新全集では、この
アウフタクトを消去した「2括弧」(セコンダ・ヴォルタ)を挿入 してから展開部へ入るという方法を提案している。これが現在のところ標準的な解決方法であろう。
D568 第1楽章 提示部末尾([109]-[112])、ベーレンライター版新シューベルト全集による。編集者により挿入された「2括弧」は小音符で記されている。 しかし、
D567の平行箇所 を参照すると、
ちゃんと1括弧・2括弧が設定 されていて、[109][110]で左手が下降していった先で短調のドミナントが鳴る、という構成になっている。
D567 第1楽章 提示部末尾([109]-[111]) そもそもD568で新たに挿入された[111][112]の変ホ長調の属七は、提示部冒頭に戻るために必要なのであって、展開部に入るためには不要の措置なのだ。
D567の進行を参考にして、D568の[111][112]を1括弧に入れてしまえば、2回目は[110]から[113]に飛ぶことになる。
初版譜はこの1括弧・2括弧の表記を忘れたのではないだろうか。 そう思ってウィーン原典版(ティリモ校訂)を見てみたら、全く同じ解決策が書かれてあったので、いささか意を強くした次第である。今回の公演ではこの案に基づいて演奏する。
D568 第1楽章 提示部末尾([109]-[116])、ウィーン原典版。[111]からが1括弧になっている。 ●第2楽章の「3分割+2分割(または付点)」リズム問題 「3連符と付点」を同期させるかどうかは、シューベルトに限らず、古典~初期ロマン派の作品でしばしば問題になる。
有名な例は「冬の旅」の第6曲「溢れる涙」の冒頭のピアノパート。
歌曲集「冬の旅」D911 第6曲「溢れる涙」冒頭 考証的には、
付点を3連符に合わせて「2:1」の緩いリズムで弾く のが正しい、とされているが、名伴奏者のジェラルド・ムーアはそれを知った上であえて3連符と付点を同期させずに演奏し、「旅人の重く疲れた足取り」を表現した。
同じ問題が第2楽章の[43]以降に現れているが、ここでは上例よりもテンポが速いこともあって、左手の付点は右手の3連符と揃えるということで問題ないだろう。この時代には「2:1」の3連符の書法はまだ一般的ではなかったし、D567の自筆譜を見ても一目瞭然である。
D567 第2楽章自筆譜([39]-[52])。付点リズムは3連符に揃えて記譜されている。 問題は[43]1拍目などに現れる、休符を伴う2分割の処理である。これは、左手のオクターヴ音型に付点が付けられていなかったニ短調初稿から引き継がれたものなのだが、D567自筆譜を見ると、こちらも右手の3連符と揃えて音符が書かれている。つまり、
ここも3連符に合わせて「2:1」のリズムで弾く 、ということになる。
この奏法についてはD568でも同様に敷衍して問題ないだろう。
●D567第3楽章のコーダ(欠落部分)について D567の最終ページ消失に伴う欠落については、ヘンレ版、ウィーン原典版ともに、D568のコーダ部分をそのまま移調して完成させている。
だが、これがD567の欠落部分を忠実に再現しているという確証はなく、むしろたぶん違うだろうと私はみている。
[167]の中断以降、少なくとも5小節間は提示部のコデッタを参照して再現可能であるが、問題はその後である。
D568 第3楽章 コーダ([213]以降) とりわけ注目すべきはD568の[219]の右手の
16分音符の上行形 。これは第1主題のヴァリアントであり、D568の再現部([133])で初めて登場した音型である。
D567の再現部にはこのヴァリアントは登場しておらず、そのためコーダにも使われなかった 可能性が高い。
さらに、
[218]と[220]の倚和音 、とくに複雑な表情を持つ[220]の和音を、20歳のシューベルトが果たして思いついただろうか? この1点だけ取っても、私は改訂作業が晩年に近い時期に行われたという説に1票を投じたいと思っている。
もっと想像をたくましくすれば、終結部[217]からの第1主題の回想自体、D568で新たに書き足されたのであって、
D567はこんな洒落たコーダではなく、もっとあっさり終わっていた 可能性すらあると思う。
とはいえども、上記の推測に基づく第三者の補筆と、晩年に近いとはいえシューベルト自身が残したD568のコーダ、どちらがよりオーセンティック(正統的)かと考えると、やはり後者だろうということで、今回はオリジナルの補筆は行わず、D568のコーダを移調したヴァージョンでお届けする。
2016/10/06(木) 22:17:26 |
楽曲について
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