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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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1817年のピアノ・ソナタと2つの謎

(シューベルトのピアノ・ソナタの一覧はこちら。)

シューベルト20歳1817年は、「ピアノ・ソナタの年」と言ってもよいだろう。生涯で最も多い、6曲のピアノ・ソナタ(D537、D557、D566、D567、D571、D575)に着手している。しかもこの6曲は3月から8月までの半年間に集中して書かれているのだ。
このピアノ・ソナタへの集中は、ひとつには彼の創作環境が変化したことと関係しているようだ。前年1816年の秋、シューベルトは実家を出て、親友フランツ・フォン・ショーバーの邸宅に身を寄せることになった。教職を捨てて専業の音楽家になろうとしたシューベルトは父親の逆鱗に触れて家に居づらくなり、そこへショーバーが住まいを提供した、という事情らしい。友人の家を転々と渡り歩く、ボヘミアン暮らしの始まりであった。ショーバー邸には6オクターヴのピアノがあって、それを自由に使えたことが、ピアノ曲の創作意欲を高めたと考えられている。
もうひとつ、シューベルトはプロの作曲家として認められるための第一歩として、ピアノ・ソナタを発表したいと考えていたふしがある。当時ウィーンでフリーランスの作曲家として成功していたロールモデルは、何と言ってもベートーヴェンだった。若きベートーヴェンがウィーン進出後に最初に出版したのは、室内楽曲やピアノ・ソナタであり、それらの成功は彼に新進作曲家としての名声と、潤沢な収益をもたらした。シューベルトはもちろんそのことを知っていたのだろう。それまでにシューベルトが作曲していた歌曲や自由な形式の器楽曲では、プロを名乗るには不十分だった。より大規模な古典様式の書法をマスターしなければ、という思いも強かったに違いない。
シューベルトが作曲した「6曲」という数は、ハイドンやモーツァルトがピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲を出版する際の基本セット数であり、既に失われつつあったウィーンの伝統に倣おうとしたとも考えられる。

しかし、1817年の作品として知られる6曲のソナタを、シューベルトがそのままセットとして出版しようとしていた、とは考えにくい。その理由は、シューベルト本人が書き記した通し番号にある。

<謎・1>
1817年の最初のソナタは、3月に完成したD537(イ短調)である。この楽譜の冒頭に、シューベルトは自ら「5te Sonate」(第5ソナタ)と記している。
しかし、シューベルトのピアノ・ソナタとして知られているものは、これ以前には3曲しかない。よってD537は現在「第4番」とされている。
もっと遡ると、ソナタの第2作として知られるD279(ハ長調)の自筆譜には「Sonate I」(第1ソナタ)との標題もある。
まとめると、
(第1番)ホ長調 D157
(第2番)ハ長調 D279 → Sonate I
(第3番)ホ長調 D459
(第4番)イ短調 D537 → 5te Sonate
ということになる。
シューベルト自身の通し番号を信じるなら、D279とD537の間に、知られていないソナタが少なくともあと2曲存在していたことになる。

<謎・2>
1817年の2作目は5月の日付を持つD557(変イ長調)である。このソナタの自筆譜には通し番号はない。
6月に作曲した第3作D566(ホ短調)には「Sonate I」、第4作のD567(変ニ長調)には「Sonate II」とある。D567の草稿には、「Sonata X」と書いて上から「II」に訂正したような跡もある(清書稿には明瞭に「II」と記されている)。
D566を起点として、シューベルトは新たにソナタの通し番号を付け始めた。ここから新たなソナタセットを書き始める予定だったのかもしれない。
ところがここからが問題である。第5作、7月の日付を持つD571(嬰ヘ短調)の自筆譜に記されているのは「Sonate V」。更に第6作(この年の最後のソナタ)、8月完成のD575(ロ長調)の草稿には通し番号はないものの、筆写譜の方に「Sonate VI」と記されているのだ。
つまり、
Sonate I → D566
Sonate II → D567
Sonate III → 
Sonate IV → 
Sonate V → D571
Sonate VI → D575
となって、IIIとIVに比定しうるソナタがない、ということになる。D567とD571の間に、もう2作ソナタを書いたのだろうか? いくら速筆のシューベルトとはいえ、6月にD566とD567を仕上げ、7月にはD571に取り組んでおり、その間にあと2作というのはちょっと無理ではないだろうか。

この2つの謎を解くために、多くの研究者がさまざまな説を唱えている。後々ご紹介する機会もあるかもしれない。
<謎・2>に関して言えば、私はこれらの番号は必ずしも作曲した順に付けられたのではないと思う。シューベルトは初めから6曲のソナタセットを構想していて、D571とD575をその「第5曲」と「第6曲」に据えるつもりで書いたのだろう。IIIとIVは結局計画倒れで書かれなかったか、または、シューベルトの脳内ではなんとなく新ソナタの構想ぐらいはあったのかもしれず、その構想が翌年以降のソナタに結実した可能性もある。以前に書いたD537やD557を充てるつもりだったという可能性もなくはない(個人的には、D557を手直しして入れた可能性は十分にあると思う)。

いずれにしても、この「ソナタセット」は完結せず、1曲たりとも生前に日の目を見ることはなかった。
着手した6曲のうち、完結した形で残されたのは2曲のみ(D537とD575)で、これらはそれぞれ作品164と作品147として、シューベルトの死後にようやく出版された。
さらに、「Sonate II」と題された変ニ長調のD567は、後に手直しされて変ホ長調のD568として完成し、シューベルトの死の翌年、1829年に作品122として出版されている。次回以降は、このソナタの話題から始めていきたい。
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  1. 2016/07/02(土) 00:07:12|
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シューベルトのピアノ・ソナタ 概説

前回の一覧を眺めつつ、気づくことを述べてみたい。

◆シューベルトのピアノ・ソナタは「4楽章構成」が基本型である
完成作11曲のうち、8曲が4楽章構成である。モーツァルトのソナタはほぼすべて3楽章構成だし、ベートーヴェンは初期に4楽章ソナタを多数書いたが、中期~後期には3楽章あるいは2楽章に軸を移した(中期以降の4楽章ソナタはOp.26(「葬送」)、Op.28(「田園」)、Op.31-3、Op.106(「ハンマークラヴィーア)」の4曲のみ)ことと比べると、シューベルトのスタンスは特徴的である。3楽章のD567が、改訂時にメヌエットが追加されて4楽章となっている(D568)ことをみても、シューベルトがピアノ・ソナタの理想型を4楽章と考えていたことが窺える。
中間楽章の並びは必ず「緩徐楽章→舞曲楽章(メヌエットまたはスケルツォ)」という古典的な順序を踏襲しており、ベートーヴェンが試みたこの2つの楽章の倒置は行われていない。
一方で3楽章構成の完成作は3曲ある(D537, D664, D784)。3楽章ソナタの第2楽章は例外なく緩徐楽章である。
3楽章構成にしても4楽章構成にしても、第2楽章は第1楽章と異なる調性をとる。D459のホ長調のスケルツォは、現在第2楽章に置かれているが、上に述べた理由により、本来は第3楽章として構想されたものと考えることができる。

◆創作時期が明確に二分される
ピアノ・ソナタの創作は1815年(18歳)に始まり、ピークとなった1817年には1年間で6曲も手がけている。しかし1819年を最後に、いったんこのジャンルから手を引いてしまう。着手した13曲のうち、完成時期がはっきりしないD568・D664を入れても完成作は4曲という当たりの悪さであった。
このあとの3年間、シューベルトはオペラなどの舞台作品の創作に没頭し、他のジャンルの作品は極端に少なくなっている。しかし結局オペラ作曲家として成功する夢は叶わず、やがて健康を害する。ソナタ復帰の前年1822年に書かれたのが「さすらい人幻想曲」D760である。ここで追求した新たな書法と構造への試みが、それ以降のソナタ制作に反映されていることは疑い得ない。
1823年のD784以降のソナタは規模・内容ともに格段に充実している。D840を除けば、すべて完結しており、初期とは異なる創作姿勢が垣間見える。D845, D850, D894の大ソナタが次々と出版され、器楽作曲家としても認められるようになった。1824年と1827年にはソナタ作品はないが、このうち1827年には重要な2集の「即興曲集」(D899, D935)が書かれている。最晩年1828年のあまりにも有名な3つの最後のソナタは、より超越的な次元に到達しているとして、これを別の時期(後期)とみなし、全体を3つの時期に区分する説もある。

◆未完作が多いのはなぜか?
楽章の途中で断絶している「未完楽章」については、2つの断片を別にすれば、シューベルトの脳内では完成していたものと思われる。かなり書き進められており、再現部以降の繰り返しを端折った程度なので、後世の補筆も比較的容易に行える。初期ソナタに関しては、作曲者自身が友人たちに弾いて聴かせるぐらいしか演奏の機会もなかっただろうから、自分がわかる程度のメモ書きで差し支えなかったのかもしれない。
楽章が揃っていない作品については、シューベルトがはじめから書かなかったか、書いたものの散逸したか、あるいはバラバラの形で伝えられているか、のいずれかと考えられる。「楽章連結」論者は最後の説を有力視して、別々に伝えられている単独作品を合体させてソナタを再構成したのである。
この説に一定の妥当性があるのは、シューベルトのピアノ・ソナタの一部の楽章が、独立したピアノ小品として扱われていたことがわかっているからである。例えばD894のト長調ソナタは、1827年のハスリンガー社の初出版時には「幻想曲、アンダンテ、メヌエットとアレグレット」という4つの小品として出版されているし(「幻想ソナタ」の愛称はこのときのタイトルから来ている)、D625のヘ短調ソナタの第2楽章にあたるアダージョは、短縮・移調された上でD506のロンドと組み合わせられ、「アダージョとロンド」という形で出版されている(そのためアダージョには「D505」という別のドイチュ番号が付与された)。これらを敷衍すると、本来いずれかのソナタに属する後続楽章が、単独作品の束の中にまだ紛れ込んでいるという可能性も否定できない(この考えを推し進めて、D935の「4つの即興曲」が本来はヘ短調のソナタとして構想された可能性を、早くもロベルト・シューマンが指摘している)。ただしこれはあくまで推測の域を出ず、欠落している楽章がはじめから書かれなかったという可能性も残されている。
シューベルト本人が初期ソナタを整理して、せめて楽章のインデックスだけでも作っておいてくれれば良かったのだが、彼にはそんな時間は残されていなかったし、そもそもそのような作業に興味を示す性格でもなかった。逆に長生きして、初期作品を「習作」として破棄してしまう(ブルックナーやシベリウスのように)ことがなかったのは、私たちにとっては幸いだったかもしれない。
カオティックな状態で残されたシューベルトの自筆譜を整理し、保管してくれたのは次兄フェルディナントだった。未完作の多くが散逸せず、こうして今に残っているのはフェルディナントの功績によるところが大きいといっていいだろう。
  1. 2014/09/18(木) 11:10:45|
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シューベルトのピアノ独奏ソナタ 楽章付き一覧

「シューベルトツィクルス」でピアノ・ソナタを取り上げ始めるにあたって、独奏ソナタについて大まかなところを述べておきたい。

シューベルトが着手し、現存しているピアノ独奏ソナタ作品は23曲ある。1815年から最晩年の1828年までに書かれたもので、出版年は生前の1826年(D845)から1958年(D769A)までの長期にわたっている。
このうち2曲は第1楽章のはじめの部分だけで止まっている「断片」であり、これらを除く21曲にいわゆる「通し番号」が振られている。以前は通し番号に混乱がみられたが、現在は最後のD960を「第21番」とすることでほぼ決着している(ただし途中の番号に統一されていない部分がある。変ニ長調D567と、その改訂稿である変ホ長調D568を同一のソナタとして「第7番」を当て、第8番から第11番までが1つずつ繰り下がる。第12番に断章のD655を入れて、有名なイ長調のD664は「第13番」ということで統一される)。
確実に楽章が揃っており、完成した形で伝わっているソナタは11曲あり、それ以外は作曲中断(未完)や楽章不備などの明らかな欠落があったり、完成作と捉えるには疑問が残る作品となる。

断片を含む全23曲のうち22曲までは、1888年ならびに1897年に出版された、ブライトコプフ版のシューベルト全集(いわゆる「旧全集」)に収められており、これをシューベルトのピアノ・ソナタ出版の第1段階と考えることができる。
旧全集刊行後、単独小品として出版されていたいくつかのピアノ曲について、楽章の揃っていない未完ソナタに付随する後続(中間)楽章と見なしうるのではないかという説が、さまざまな学者によって唱えられ始めた。なるべくたくさんの楽章をくっつけて、ソナタとしての体裁を整えようという方針である。その最終的な到達点といえるのが1976年に刊行されたヘンレ原典版(第3巻)だろう。校訂を担当したパウル・バドゥラ=スコダは、すべての未完ソナタに補筆を施して「演奏できる」仕様に仕立て上げ、更に自らピアニストとして録音を行い、このフォーマットによるソナタ像を世界に広めた。現在、演奏の現場で最もよく使用され、信頼されている楽譜であり、後続の多くの出版譜が、多少の解釈の差はあるにせよ、このフォーマットを採用している。これをシューベルトソナタ出版の第2段階とする。
ところが、1996年から出版が始まったベーレンライター版の新シューベルト全集(いわゆる「新全集」)では、この「楽章連結」の試みに批判的であり、明らかな関連性が認められる場合を除いて「別作品」として扱うという厳格な方針が採られている。ソナタ出版の第3段階である。
これらの3つの段階を踏まえて、以下にシューベルトの全ピアノ独奏ソナタについて、楽章標記と調性も含めて一覧にしてみた。基本的にはヘンレ版(第2段階)のフォーマットを用いており、このうち太字は旧全集(第1段階)から変わっていないもの、グレーの文字は新全集(第3段階)で別作品(そのソナタに属するのか疑わしい作品)として扱われているものである。★のついた作品が、いわゆる「完成作」11曲である。

第1番 ホ長調 D157 (作曲:1815年2月 出版:1888年)
 I. Allegro ma non troppo ホ長調
 II. Andante ホ短調
 III. Menuetto. Allegro vivace ホ長調


第2番 ハ長調 D279 (作曲:1815年9月 出版:1888年)
 I. Allegro moderato ハ長調
 II. Andante ヘ長調
 III. Menuetto. Allegro vivace イ短調

 IV. Allegretto ハ長調 D346

第3番 ホ長調 D459 (作曲:1816年8月 出版:1843年(「5つのピアノ曲」として))
 I. Allegro moderato ホ長調
 II. Allegro ホ長調 [自筆譜未完]

 III. Adagio ハ長調 D459A-1
 IV. Scherzo. Allegro イ長調 D459A-2
 V. Allegro patetico ホ長調 D459A-3


★ 第4番 イ短調 D537 (作曲:1817年3月 出版:1852年(作品164))
 I. Allegro ma non troppo イ短調
 II. Allegretto quasi Andantino ホ長調
 III. Allegro vivace イ短調


第5番 変イ長調 D557 (作曲:1817年5月 出版:1888年)
 I. Allegro moderato 変イ長調
 II. Andante 変ホ長調
 III. Allegro 変ホ長調


第6番 ホ短調 D566 (作曲:1817年6月)
 I. Moderato ホ短調 (出版:1888年)
 II. Allegretto ホ長調 (出版:1907年)
 III. Scherzo. Allegro vivace 変イ長調 (出版:1928年)
 IV. Rondo. Allegretto ホ長調 D506 (出版:1848年(「アダージョとロンド 作品145」として))

第7番 変ニ長調 D567 (作曲:1817年6月 出版:1897年) ※第8番 D568の第1稿
 I. Allegro moderato 変ニ長調
 II. Andante molto 嬰ハ短調
 III. Allegretto 変ニ長調 [未完]


★ 第8番 変ホ長調 D568 (作曲:不明 出版:1829年(「作品122」))
 I. Allegro moderato 変ホ長調
 II. Andante molto ト短調
 III. Menuetto. Allegretto 変ホ長調
 IV. Allegro moderato 変ホ長調


第9番 嬰ヘ短調 D571 (作曲:1817年7月 出版:1897年)
 I. Allegro moderato 嬰ヘ短調 [未完]
 II. (Andantino) イ長調 D604
 III. Scherzo. Allegro vivace ニ長調 D570-2
 IV. Allegro D570-1 嬰ヘ短調 [未完]

★ 第10番 ロ長調 D575 (作曲:1817年8月 出版:1846年(「作品147」))
 I. Allegro ma non troppo ロ長調
 II. Andante ホ長調
 III. Scherzo. Allegretto ト長調
 IV. Allegro giusto ロ長調


第11番 ハ長調 D613 (作曲:1818年4月 出版:1897年)
 I. Moderato ハ長調 [未完]
 II. Adagio ホ長調 D612 (出版:1869年)
 III. - ハ長調 [未完]

第12番 ヘ短調 D625 (作曲:1818年9月 出版:1897年)
 I. Allegro ヘ短調 [未完]
 II. Adagio 変ニ長調 D505 (出版:1848年(ホ長調に移調し「アダージョとロンド 作品145」として))
 III. Scherzo. Allegretto ホ長調
 IV. Allegro ヘ短調 [未完]


断章 嬰ハ短調 D655 (作曲:1819年4月 出版:1897年)
 I. - 嬰ハ短調 [未完]

★ 第13番 イ長調 D664 (作曲:1819年? 出版:1829年(「作品120」))
 I. Allegro moderato イ長調
 II. Andante ニ長調
 III. Allegro イ長調


断章 ホ短調 D769A (作曲:1823年春 出版:1958年)
 I. Allegro ホ短調 [未完]

★ 第14番 イ短調 D784 (作曲:1823年2月 出版:1839年(「作品143」))
 I. Allegro giusto イ短調
 II. Andante ヘ長調
 III. Allegro vivace イ短調


第15番 ハ長調 D840(「レリーク」) (作曲:1825年4月 出版:1861年)
 I. Moderato ハ長調
 II. Andante ハ短調
 III. Menuetto. Allegro 変イ長調 [未完]
 IV. Rondo. Allegro ハ長調 [未完]


★ 第16番 イ短調 D845 (作曲:1825年5月 出版:1826年(「作品42」))
 I. Moderato イ短調
 II. Andante, poco mosso ハ長調
 III. Scherzo. Allegro vivace イ短調
 IV. Rondo. Allegro vivace イ短調


★ 第17番 ニ長調 D850 (作曲:1825年8月 出版:1826年(「作品53」))
 I. Allegro vivace ニ長調
 II. Con moto イ長調
 III. Scherzo. Allegro vivace ニ長調
 IV. Rondo. Allegro moderato ニ長調


★ 第18番 ト長調 D894(「幻想」) (作曲:1826年10月 出版:1827年(「幻想曲、アンダンテ、メヌエットとアレグレット 作品78」として))
 I. Molto moderato e cantabile ト長調
 II. Andante ニ長調
 III. Menuetto. Allegro moderato ロ短調
 IV. Allegretto ト長調


★ 第19番 ハ短調 D958 (作曲:1828年9月 出版:1838年)
 I. Allegro ハ短調
 II. Adagio 変イ長調
 III. Menuetto. Allegro ハ短調
 IV. Allegro ハ短調


★ 第20番 イ短調 D959 (作曲:1828年9月 出版:1838年)
 I. Allegro イ長調
 II. Andantino 嬰ヘ短調
 III. Scherzo. Allegro vivace イ長調
 IV. Allegretto イ長調


★ 第21番 変ロ長調 D960 (作曲:1828年9月 出版:1838年)
 I. Molto moderato 変ロ長調
 II. Andante sostenuto 嬰ハ短調
 III. Scherzo. Allegro vivace 変ロ長調
 IV. Allegro ma non troppo 変ロ長調


このリストから読み取れる事柄については、次回以降改めて述べてみたい。
  1. 2014/09/16(火) 21:13:30|
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