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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
次回公演詳細

アダージョ ハ長調 D349 概説

アダージョ ハ長調 Adagio C-dur D349
作曲:1816年? 出版:1897年(旧全集)
楽譜・・・IMSLP

D459A-3+D349 自筆譜
D459A-3の最後の8小節と、D349の第1-31小節の自筆譜。右下のサインは例によってニコラウス・ドゥンバ。

メヌエットD41-21自筆譜の裏面、D459A-3(アレグロ・パテティコ)の最終小節を書き終えるやいなや、同じ段の続きに書き始めたのがこのアダージョである。D459A-3の大部分は失われているので、いったい何のつもりで書いたのかは不明だが、初期のシューベルトが小品集というジャンルを手がけていたとは考えにくく、ひとつのソナタの第1楽章と第2楽章(緩徐楽章)という関係性とみるのが自然だろう。
D459A-3と同じ五線紙には第31小節までが書かれ、第32小節以降は別の五線紙に書き付けられている。その末尾、第84小節まで書いたところで「V.S.」(素早くめくれ)と指示があるのだが、めくった裏面には歌曲「憧れ」D516のスケッチが記されていて、第85小節以降は行方不明(未完)である。よく見るとD516を書き始める前、五線紙の左上に大譜表を書いて消した跡があり、何かの手がかりになるかと思って注視したのだが、ニ長調(またはロ短調)、3/4拍子という曲頭の指示があるのみで、2/4拍子・(第84小節時点で)ホ長調のD349の続きということはあり得ない。3/4拍子ということはひょっとしてここにもメヌエットを書くつもりだったのかもしれないが・・・。
D349自筆譜の裏
歌曲「憧れ」D156初稿自筆譜の一部。最初に何か書きかけて消した跡がある。

構成でいえばABA'B'のB'部分の途中までが残されていることになる。Aは葬送行進曲にも似た荘重な和音連打と、それに3音の動機が応えるように進行していき、一方でBは付点リズムがスキップあるいはスウィングのように続く、いくぶん軽快で浮遊感のあるセクションである。Aがハ長調、Bがヘ長調で提示されるのに対し、A'は変イ長調、B'はホ長調といった遠隔調(長3度関係調)をとる。
B'の中断箇所の続きはBの並行箇所を参照してある程度復元可能である。しかし曲そのものがどのように終わるべきかは議論の余地が残るところだろう。
今回の補作にあたっては、ソナタに属する楽章の通例として開始の調性に戻るのが普通と判断し、Aを参考に新たにハ長調のA''を設定し、そこへうまく着地できるようにブリッジ部分に変更を加えた。つまり全体としてはA-B-A'-B'-A''というロンド形式風の構成となった。
シューベルトはひょっとするともっと大規模な構成を考えていたかもしれないが、主題のテンポ感なども考慮するとこれ以上の拡大は冗長さを招くだけであろう。
それにしても、中断箇所のB'の全体的な調性がホ長調、すなわちD459A-3の主調であることは興味深い。D459+D459Aに含まれるホ長調の楽章、すなわちD459-I、D459-II、D459A-3のいずれもが、その展開部にハ長調の部分を含んでいることと対応している。

同じくD41の自筆譜の裏面に書かれた未完の作品としてアンダンティーノD348がある。これもD349と何らかの関連性があるのではないかという説もあるが、確証はない。
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  1. 2020/09/04(金) 19:33:00|
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[告知] シューベルトツィクルス第12回「ピアノ・ソナタⅣ ―はじめてのソナタ―」

第12回チラシ
※公演中止・振替
2020年3月1日(日) 9月6日(日) 14時開演 音楽の友ホール
♪30のメヌエット D41より 現存する20曲 ♪ピアノ・ソナタ ホ長調 D154(未完・佐藤卓史による補筆完成版)
♪ピアノ・ソナタ 第1番 ホ長調 D157 ♪ピアノ・ソナタ 第3番 ホ長調 D459
♪3つのピアノ曲 D459A ♪アダージョ ハ長調 D349(未完・佐藤卓史による補筆完成版)
一般4,000円/学生2,000円
  1. 2020/03/01(日) 14:00:00|
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30のメヌエット D41 概説

30のメヌエット Dreißig Menuette D41
作曲:1813年 出版:1889年(旧全集)
楽譜・・・IMSLP

はじめに自筆譜の問題に触れておこう。ウィーン市立図書館に所蔵されており、SCHUBERT onlineでも閲覧可能である。
全30曲のうち、第9・10曲、第19曲、第24~30曲が消失しており、現存するのは残る20曲である。つまり全体で合計3カ所の消失部分があるということになる。現存するすべての曲に通し番号が降られていることから消失曲が判明しているのだが、冒頭に「30曲」と明示されているわけではないので、最後の7曲は散逸したのか最初から書かれなかったのかは判然としない。
自筆譜は、時折書き間違いを修正している他は推敲の跡のない整然とした筆跡で、おそらく下書きを見ながら清書したものと思われる。

トリオを伴うメヌエットは、各曲とも五線紙の片面に収まるように書かれており、裏面にはみ出す曲は1つもない。第1曲と第16曲では収まらなかった部分を、余白部分に手書きで五線を補って書き終えている。
はじめの16曲、つまり最初の消失部分の第9・10曲をまたぐ第1~18曲については、奇数番号曲と偶数番号曲が1葉の五線紙の表裏に書かれていて、合計8枚の自筆譜にまとめられている。消失した第9・10曲も同様に1枚の紙の表裏に記されていたと想定して差し支えないだろう。

(1) 表 メヌエット D41-1 / 裏 メヌエット D41-2
(2) 表 メヌエット D41-3 / 裏 メヌエット D41-4
(3) 表 メヌエット D41-5 / 裏 メヌエット D41-6
(4) 表 メヌエット D41-7 / 裏 メヌエット D41-8

(おそらく1枚が消失)
(5) 表 メヌエット D41-11 / 裏 メヌエット D41-12
(6) 表 メヌエット D41-13 / 裏 メヌエット D41-14
(7) 表 メヌエット D41-15 / 裏 メヌエット D41-16
(8) 表 メヌエット D41-17 / 裏 メヌエット D41-18


ところがこのスタイルが変化するのは次の消失部分を越えた第20曲からの4曲である。それぞれ片面にメヌエットが書かれ、その裏面には違う作品のスケッチが書き付けられているのだ。全部で13枚からなる自筆資料のうち、上述した8枚のあと、9枚目からの内容はこうなっている。

(9) 表 メヌエット D41-20 / 裏 フーガD41Aの断片、続けて歌曲「子守歌」D498のピアノ独奏用編曲(ハ長調)
(10) 表 メヌエット D41-21 /  裏 ピアノ曲D459A-3(Allegro patetico)の最後の8小節、完結後同じ段からアダージョD349の第1-31小節
(11) 表 アダージョD349の第32-84小節 / 裏 歌曲「憧れ」D516のスケッチ(ピアノパートの前奏(決定稿には存在しない)の右手の他は歌唱パートのみ・未完)
(12) 表 メヌエット D41-22 / 裏 アンダンティーノD348の第42-71小節
(13) 表 メヌエット D41-23 / 裏 アンダンティーノD348の第1-41小節


11枚目の紙片は、鉛筆でそのようにナンバリングされているが(おそらくその主は例によってサインを残している以前の所有者ニコラウス・ドゥンバ)、後から挿入されたものと見られ、紙の縁の形状が若干異なる。これについてはD349の項で詳述したい。
2つ目の消失部分が第19曲1曲のみであることから、第19曲以降、シューベルトは書式を変更して、五線紙の表面だけにメヌエットを記し、その時点では裏面を空白のまま空けておいたようなのだ。そして後年、おそらく1816年頃に新しい作品のスケッチに「裏紙」を再利用したと考えられている。
裏面に書き付けられた作品のうち、作曲年代が判明しているのは子守歌D498のみであり、ヴィッテチェク=シュパウン・コレクションの記述により1816年11月とされている。ただしこのピアノ用編曲の筆跡は、いつものフランツ・シューベルトのものとは異なるように見受けられ、ドイチュによると兄フェルディナントのものだという。フェルディナントはおそらくこの主題でピアノの変奏曲を書こうとしたのだろうとドイチュは推測している。だが、最上段に1小節だけペン入れされているフーガD41Aは、その後も4段目まで薄く鉛筆で下書きされていて、子守歌の編曲はその上を塗りつぶすように書き始められているのだ。もしかしたらこのフーガの下書きを実施したのもフェルディナントだったのだろうか? いずれにしても、ここに登場するD348、D349、D459A-3、D516がすべて1816年の作品という推定はあまり説得力のあるものとはいえない。
メヌエットの中で他と明らかに状況が異なるのが第22曲である。1段目がまるごと削除されていて、2段目から新たに書き直され、その際に通し番号にも訂正の跡がある(訂正前は何番と書かれていたのかは丹念に塗りつぶされているため判読できない)。つまりこの自筆譜は清書稿ではなく、推敲を含む段階の稿のようなのだ。
そう考えると、現存する最後の4曲、第20~23曲は初期稿であり、後で清書譜を作ろうとしたか、あるいは作ったとも考えられ、さらにその後(不要になった)裏紙として再利用された、と見るのが妥当かもしれない。再利用の時点ではメヌエットはバラバラになっていて、適当な順番で使用されていったと思われる。アンダンティーノD348の続き、アダージョD349の続きを含め、消失してしまったメヌエットの裏に未知の作品が書き付けられていた可能性も高い。

このメヌエット集の来歴を明かしているのは、フェルディナントが作成したフランツの作品リストである。1813年の作品の中に「ピアノのための30のメヌエットとトリオ(消失)」とあり、長兄イグナーツのために作曲されたという。この記述を信じた上で、20曲のみが現存するD41をこれと同定したわけなのだが、若干怪しいところがある。この自筆譜の束はフェルディナントの所有物の中から発見されたのだが、にも関わらずなぜわざわざ「消失」と書いたのだろうか?
実は第4・6・12・13・22曲のトリオを、フェルディナントは(他の作品も含めて)「自作」のパストラール・ミサ(1833)に盗用し、1846年に初演・出版までしている。フェルディナントは既に弟の生前からその作品を盗用しては自作として発表し、時にそれを弟に直接詫びたりしているのだが、弟の死後はおおっぴらにこれを行うようになったようだ(同様に盗用されたD968についてはこちら)。とすると、フェルディナントはこのメヌエット集を消失したことにして、自分の作品に転用するためのマテリアルとして死蔵しようとした可能性すらある。「1813年」「30曲」という数字の信用性も揺らいでくるではないか。

全20曲はいずれも1つのトリオを持つメヌエットで、主部・トリオの前半部と後半部にそれぞれ繰り返しが設定されている(第11曲のトリオの後半のみ例外で、繰り返しがない)。D91(1813年11月22日)以降のシューベルトのメヌエットが、「2つのトリオ」を持つABACAという特異な構成を採っているのと比較すると、より一般的なスタイルといえる。
はじめの数曲、同じような付点のアウフタクトのモティーフが続くので、並べて聴くとやや面食らうのだが、次第に作風が変化していく。勇ましい軍隊風の曲想が次第に後景に退き、室内楽風のインティメイトな楽想や、モーツァルトを思わせる古典的なテクスチュアが増加してくる。またメヌエットというよりはポロネーズに近いようなリズムパターンも登場し、第16曲・第20曲(トリオ)・第23曲(トリオ)ではもはやエチュード的ともいえる16分音符のパッセージに埋め尽くされている。はじめは単純極まりなかった和声も、後半に近づくに従って複雑な色合いを帯びてくる。
このようなことから想像するに、この長大な曲集は1813年という一時期に一気に作曲されたのではなく、数年間にわたって書き続けてきたメヌエットを整理したものなのではないだろうか。その最初の数曲は少年期に遡るものかもしれない。第18曲までで過去の下書きが尽き、そこからは五線紙の片面に、新たに書き下ろしたのだろう。その成立時期は、シューベルトが「2つのトリオ」を持つメヌエットに取り組む直前、すなわち1813年と仮定しても大きく間違っていないと思う。
もうひとつ特徴的なのは、第1曲のトリオで既に4小節単位のフレーズを逸脱していることで、その後もたびたびこの基本を踏み外しているのだ。このことはこれらのメヌエットが、舞踏を目的として書かれたのではないことを物語っている。曲調から言っても通常のメヌエットのスタイルとは根本的に異なっている。「イグナーツのために書かれた」というフェルディナントの注記、そして特に最初の数曲に顕著な祝祭的な雰囲気を鑑みると、何らかの慶事(誕生日など?)に際して作曲されたのかもしれない。
  1. 2020/02/26(水) 22:00:56|
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