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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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ドイツ舞曲 D135 概説

ドイツ舞曲 ホ長調 Deutscher E-dur D135
作曲:1815年 出版:1930年
楽譜・・・IMSLP

Brown, Ms.9の第1曲のトリオはD146に採用されなかったため、この舞曲全体がD135としてドイチュ目録に載ることになった。D146-3の初稿などと説明されることもあり、トリオ部分のみをD135としている資料もある。

主部 ホ長調 [T] ドイツ舞曲型
トリオ ホ長調 [T] ドイツ舞曲型


主部についてはD146(第3曲)の解説で述べたが、その重厚な響きと対照的にトリオは高音部に偏った薄いテクスチュアで書かれている。短前打音とsfのついたアウフタクトから始まり[3]にはターンも現れるメロディー、B部での低音部からの上行アルペジオなど、チャーミングな箇所が多いトリオで、なぜD146に入集できなかったのか不思議に思える。
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  1. 2022/04/07(木) 13:19:42|
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Brown, Ms. 9 12のトリオ付きドイツ舞曲

Brown, Ms. 9  12のトリオ付きドイツ舞曲  Zwölf Deutsche mit Trios
タイトル:12 Deutsche sammt Coda (12のドイツ舞曲とコーダ)
日付:1815年
所蔵:パリ国立高等音楽院 →デジタルデータ

(舞曲自筆譜ならびにブラウン自筆譜番号についてはこちら)

1815年、シューベルトが18歳のときの作品。清書譜で、立派な表紙が付けられており、フェルディナントの筆でディアベリに預けた旨が記されている。
しかしながらタイトルにある「sammt Coda(コーダつき)」という文言は解せない。D420のようにコーダ(終結部)の付いている舞曲集も存在するが、この曲集にはコーダは付いていない。
「トリオ付き」というべきところを間違えたのだろうか。この舞曲集の特異なところは、各曲がトリオを伴うダ・カーポ形式で書かれているということで、トリオは主部に依存しない独立した楽曲になっている。つまり、細かく数えれば24ピースの舞曲がここに収められているということだ。そのうちの20ピースが「20のワルツ」D146(Op.127)の中の10曲を構成している。わざわざ主部とトリオを別々に数えたことからも分かるとおり、
●主部・トリオともにそのまま入集したのが7セット=14ピース(うち1曲はトリオのみ移調)
●主部とトリオを交換した舞曲が1対2セット=4ピース(いずれも移調あり)
●主部同士で組み合わせられたのが2ピース

である。残り4ピースのうち1ピースはD145-W8として別途出版されており、その他の3ピース(トリオ1とセット1)には独立したドイチュ番号が与えられた。

トリオを伴う舞曲の代表例にはメヌエットがある。この自筆譜が成立した1815年にはシューベルトはまだメヌエットの作曲をやめていない。そうした初期のスタイルを色濃く残すとともに、シューベルティアーデの舞踏会で実際に踊られるようになって以降の「実用的な」舞曲とは異なる、形而上的な舞曲集ともいえる。その点ではシューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」等の先駆ともいえるだろう。

以降「Op.127」と表記するのは「20のワルツ」D146(作品127)の出版譜を指す。この自筆譜がOp.127のソースである(別稿はない)ことは確実だが、それでも出版にあたってさまざまな改変が加えられており、その内容や理由について以下で考察したい。

1. ホ長調 → D135 / 主部はD146-3(主部)
主部はOp.127-3の主部と全く同一である。
トリオはD146(Op.127)には収録されなかったため、この舞曲全体がD135としてドイチュ目録に掲載されたが、トリオ部分のみをD135とするという見解もある。

2. イ長調/嬰ヘ短調 → 主部はD146-3(トリオ)、トリオはD145-W9
トリオは既にOp.18-W9に収録されているため切り離され、主部が前曲の主部と組み合わされてOp.127-3に収まった。Op.127-3(トリオ)では中間部にデュナーミクの加筆があり、[11]の2拍目にsf、[14]にクレシェンドの松葉がついて[15]のfの位置が変わっている。[14][15]の改変については本来の意図に反するように思われる。

3. 嬰ハ長調/イ長調 → D139
♯7個という特殊な調号を持つこの荒々しい舞曲はOp.127には入集せず、後にD139の番号を与えられた。この作品については別に解説する。

4. ロ短調/ト長調 → D146-7
Op.127-7では主部の[7]の3拍目のsfが消えている一方で、B部冒頭の[9]アウフタクトにfの指示が加筆されている。トリオでは[11][15]の右手の付点2分音符にアクセントが加えられているが、微細な変更といえよう。

5. ヘ長調/変ロ長調 → D146-10
Op.127-10では主部の[13]以降の左手2拍目のsfがアクセント記号(>)に変えられている他、大幅な変更として[31]アウフタクトから[37]1拍目までの右手に8va(Ⅰオクターヴ高く)が書き加えられており、華やかさが追求されている。トリオは同一。

6. ニ長調 → D146-6
Op.127-6との大きな相違はなく、主部集結前の[31]3拍目のsfやトリオ[17]開始時のpの指示が欠けているが、見落としといって差し支えない程度の変化である。

7. ヘ長調/変イ長調 → D146-5(トリオは変ロ長調に移調)
Op.127-5の主部とはほぼ相違なく、[35]3拍目の和音の左右の手の配置が異なることと、[40]3拍目の右手になぜかスタッカートが付いたことぐらいである。トリオ全体は変イ長調から長2度高い変ロ長調に移調されているが、むしろ主部との取り合わせの面では変ロ長調の方が違和感が少ないかもしれない。初稿で変イ長調が選ばれた理由は、おそらく[27]の最高音Fがこの時期の通常のピアノの最高音だったからで、1830年には音域の広い楽器も普及していたため変ロ長調(最高音はGになる)に移調して差し支えないという判断があったのだろう。

8. 変ロ長調 → D146-11
主部[15]右手にスラーが補われたことと、トリオのデュナーミク指示がppからpへ変更された他はOp.127-11と相違ない。

9. 変ト長調 → 主部はD146-8主部、トリオはD146-1トリオ(いずれもト長調に移調)
♭6個はさすがに出版には向かなかったと見え、♯1個のト長調に移調された上でバラバラに切り離され、次曲とカップリングされることになった。
主部とOp.127-8主部を比較すると、冒頭のf・[9]アウフタクトのffというデュナーミク指示が、冒頭はなし・[9]アウフタクトはfに減少させられている。トリオとOp.127-1の比較では、[1][17]アウフタクトの右手にスタッカートが追加されたのみである。

10. ニ長調 → 主部はD146-1主部、トリオはD146-8トリオ
勢いも良く祝祭的なこの曲を曲集の幕開けに据えたいという出版社の意図はよくわかるが、なぜ主部とトリオがバラバラにされて前曲と組み合わされなければならなかったのかはよくわからない。Op.127-1における主部の大きな変更点としては、和音連打に初稿にはなかったスタッカートの点が付加されたことである。トリオは同一。

11. イ長調 → D146-4
Op.127-4の主部では右手の多くの4分音符にスタッカートの点が付加されている。トリオはかなり大幅に改変されており、初稿では三部形式[T]だった舞曲の最後の8小節を端折って二部形式[B]に縮めている。[1][9]の左手の1拍目のバスのオクターヴも消え、単なる和音連打の伴奏型となった。

12. ハ長調 → D146-9
Op.127-9では主部[1][9][25]の1拍目の右手のGのオクターヴが装飾音つきの単音に変えられているが、これは左手の2拍目のGと右手の下声が衝突するのを避けるための処置だろう。同様に主部最終小節の右手のCのオクターヴも単音になっている。トリオは[1]等の右手の3拍目の8分音符にスラーが付加されている他は大差ない。
  1. 2022/04/06(水) 23:31:59|
  2. 舞曲自筆譜
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