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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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3つの英雄的行進曲 D602 概説

3つの英雄的行進曲 Trois Marches Héroiques D602
作曲:1818年? 出版:1824年(作品27)
楽譜・・・IMSLP

連弾のための行進曲は、舞曲と並んでシューベルトの生前に多くが出版され、人気を博していた分野である。しかし、当時は印刷されるとその原稿は処分されるのが常だったため、行進曲の自筆譜はほとんど残っておらず、作曲年の特定が困難な状況となっている。1818年1824年のツェリス滞在中にシューベルトは「たくさんの連弾曲、ことに行進曲を作曲した」との記録があることから、ほとんどの行進曲はこの赴任期間中に由来すると考えられているが、そのどちらの年の作品であるのかは判然としない。

本作は「英雄的行進曲」のタイトルで、1824年12月にザウアー&ライデスドルフ社から刊行されている。1824年10月にツェリスからウィーンに帰ったシューベルトが、出版社に譜面を渡し、それが早くも2ヶ月後に印刷されて発売されるとは考えにくいので、おそらくは1818年の作品であろうと思われる。全曲を通して付点のリズムが支配的で、勇ましい「ヒロイック=英雄風」な性格が強い。第1曲は比較的単純だが、第2曲と第3曲は、主部そのものがソナタ形式を踏まえた巨大な三部形式となっており、全体として非常に大規模な楽曲となっている。

第1曲(ロ短調)の主部は、1815年と16年にシラーの詩「戦い」に付曲した断片(D249/D387)のピアノの前奏をそのまま転用したものである。力強いオクターヴユニゾンで始まり、決然とした付点のリズムが悲壮感を漂わせる。中間部ではト長調に転じ、主部と同じ付点のモティーフが展開されていく。
第2曲(ハ長調)はトゥッティのアウフタクトで始まり、強弱の対比がオーケストラ的なダイナミズムを生んでいる。中間部は変イ長調で、甘美な三度の重音が続いていく。
第3曲(ニ長調)は、対話の要素が強い。冒頭のプリモの付点のモティーフにはすかさずセコンドが合いの手を入れるし、ニ短調の中間部ではプリモの両手がカノンを奏する。そのカノンの途中で、ふわりと同主調のニ長調に戻る手法はシューベルトならではの鮮やかさだ。
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  1. 2018/10/03(水) 19:01:43|
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フランスの歌による8つの変奏曲 ホ短調 D624 概説

フランスの歌による8つの変奏曲 ホ短調 Acht Variationen über ein französisches Lied e-moll D624
作曲:1818年9月 出版:1822年(作品10)
楽譜・・・IMSLP

変奏曲の主題である「フランスの歌」とは、1813年にオルタンス王妃の作曲として発表された『忠実な騎士 Le bon chevalier』という題名のロマンス(歌曲)である。
オルタンス王妃ことオルタンス・ド・ボアルネ Hortense de Beauharnais (1783-1837)は、ナポレオン妃ジョゼフィーヌの前夫との間の娘で、ナポレオンの弟ルイ・ボナパルトの妻となった人物である。すなわちナポレオンの義娘であり、義妹でもある。ナポレオン皇帝即位後の1806年、ルイはオランダ王に就任し、オルタンスは王妃となった。しかし、この作曲者クレジットは多分に建前的なもので、実際には王室の音楽教師だったフランス人フルーティストのルイ・ドロエ Louis Drouet (1792-1873)の作曲と考えられている。作詞者は不明である。
数年後にはヨーロッパ中の愛唱歌となり、エステルハーツィ家でもよく歌われていたらしい。シューベルトは1818年夏のツェリス滞在時に初めてこの曲の譜面を目にし、その旋律を未完の4手のためのポロネーズ(D618A)の自筆譜の隅に書き留めた。そして、一家が好むこの曲を主題として変奏曲を書こうと思い立ったのだろう。9月には草稿が完成している。

曲は主題と8つの変奏からなり、最終変奏には長大なコーダがついている。
16小節の主題は8小節ずつの前半と後半に分かれ、それぞれに繰り返し記号がついている。歯切れの良いスタッカートや、バスの主音と属音の交代は、この主題に行進曲的な性格を纏わせている。それは当時の人々に、実父を処刑されたオルタンス王妃が象徴する「フランス革命」の記憶を呼び起こしたことだろう。
第1変奏ではプリモの右手にアラベスク状の3連符が登場し、主題旋律を優雅に装飾する。
第2変奏は8分音符で動くバスをセコンドの両手がオクターヴのスタッカートで奏する。冒頭に「(前半の繰り返しの)1回目はピアノ、2回目はフォルテで」と指示されているのも珍しい。軍隊風の性格が強調された、決然たる変奏である。
第3変奏はハ長調。ホルンの合奏を思わせるプリモの音型で始まり、セコンドが不気味な不協和音でそれに応える。前半は変ホ長調で終止するなど、不思議な雰囲気を漂わせる。
第4変奏はホ短調に戻り、一転快活な性格。セコンドの主題の上で、プリモの16分音符による音階風パッセージが駆け抜ける。
第5変奏はホ長調へ。3連符の安定した伴奏型が、ひとときの安らぎを感じさせる。主題の繰り返しの1回目と2回目は別々の変奏を施されており、延べで32小節となっている。
第6変奏はその平行調である嬰ハ短調に転ずる。セコンドの決然たるオクターヴユニゾンに呼応してプリモが音階やアルペジオのパッセージを華やかに披露する。このように、全曲を通してセコンドよりもプリモの技術的難易度が高めに設定されているのは、マリーとカロリーネの姉妹のいずれかにセコンドを弾かせ、シューベルト自身がプリモを担当することを念頭に作曲されたためと考えられている。
第7変奏はPiú lento(より遅く)と指示され、葬送行進曲の趣となる。繰り返しの2回目ではプリモに6連符のパッセージが現れ、秋風のような侘びしさが通り過ぎる。
一転してホ長調の第8変奏はTempo di Marcia, Piú mosso(行進曲のテンポで、より速く)と性格が明示されており、きびきびした付点のリズムに乗って勝利の凱歌が喜ばしく奏されていく。そのまま途切れなく続くコーダでは、シューベルトならではの遠隔調([223]で変イ長調、[241]で変ロ長調)への巧みな転調によって新しい世界の扉が開く。

作曲の4年後、1822年にカッピ&ディアベリ社から「作品10」として出版された。初版譜の表紙には「崇拝者であるフランツ・シューベルトより、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン氏へ献呈される」と大書されている。

D624初版譜表紙

シューベルトの全作品中、公式にベートーヴェンに献呈された曲は他にないことから、この作品はベートーヴェンとシューベルトの直接の接点として語られることが多い。しかし実際のところ、このとき彼らが既に知り合っていたのか、あるいはこの献呈がきっかけで知り合うことになったのか、その詳細については確証がない。
「シューベルトはベートーヴェン宅を訪れ、おずおずと変奏曲の自筆譜を差し出した。ベートーヴェンは一見するや、いくつかの間違いを指摘し助言を与えた。シューベルトは恐れ入って、逃げるようにベートーヴェン宅を後にした」という有名なエピソードは、おそらくはアントン・シントラーの例の作り話であろうし、「ベートーヴェンはこの献呈を喜び、甥のカールと一緒にこの曲を連弾して楽しんだ」ともいわれるが、この頃のベートーヴェンは既に聴力を完全に失っていたはずなので、疑問も残る。出版社が仲介して、ベートーヴェンを名義上の被献呈者とした可能性もある。
いずれにせよ確実に言えることは、1822年時点のシューベルトが4年前に作曲したこの作品の仕上がりに強い自信を持っていたということだ。そうでなければ、限りなく尊敬する先達であり、まして変奏曲の大家でもあるこの巨匠に本作を捧げようとは思わなかったはずである。献呈相手ともなれば、必ず本人の目に触れるし、隅々まで点検される可能性も高いからだ。
さらに踏み込んでいえば、フランス革命の自由主義精神に共感し、ナポレオンに交響曲を捧げようとまでしたベートーヴェンに、オルタンス妃の主題によるこの変奏曲を献呈したということに、特別な意味を見出すこともできるだろう。
  1. 2018/10/02(火) 22:29:05|
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2つの性格的な行進曲 D968B (D886) 概説

2つの性格的な行進曲 Deux Marches Charactéristiques D968B (D886)
作曲年代不明 出版:1829年
楽譜・・・IMSLP

4手のための行進曲の自筆譜は総じて失われており、作曲年代やその意図を特定するのは難しい。ドイチュは「英雄的大行進曲」D885や「行進曲」D928と同じ1826年頃と推定し、D886という番号を振ったが、1978年の目録改訂時に「作曲年代不詳」として新たにD968Bという番号が与えられた。作曲者の死の翌年、1829年にディアベリ社から作品121として出版されている。
フランス語のタイトルにあるcharactérisqueという語をどのように理解するかは議論の分かれるところだが、この語を冠する曲題はその後メンデルスゾーンに受け継がれ、やがてロマン派のピアノ小品を総称する「性格小品(キャラクターピース)」という言葉へと繋がっていく、その先駆けといえる用例である。

2曲はいずれもマーチとしては異例の8分の6拍子で書かれており、ハ長調の主部に対して中間部はイ短調をとるなど、共通する特徴を持つ。性格はいずれも陽気かついささかスケルツァンドであり、1拍目以外に置かれたアクセントが面白みを出しているが、第1曲では4拍目の中強拍が強調されることで勢いを加速するような趣があるのに対し、第2曲では3拍目、6拍目といった細かい弱拍上にアクセントが置かれており、複雑な和声も伴ってより微細なリズム感が表現されている。
  1. 2015/10/29(木) 00:02:49|
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幻想曲 ト短調 D9 概説

幻想曲 ト短調 Fantasie g-moll D9
作曲:1811年9月20日 出版:1888年
楽譜・・・IMSLP

4手の作品としては2作目にあたるD9は、1811年9月20日に完成した。調性的には相変わらず自由だが、フォームはABCBAの「序奏・後奏付き三部形式」にすっきりとまとめられており、また全体の緊張感の持続という点でも、前作から1年半の間の進歩には目を瞠るものがある。

ソのオクターヴユニゾンで始まる遅い序奏部は、2手用の幻想曲D1Eの開始部にも似た不吉な陰を背負っている。ハ短調で開始するアレグロの主部では対位法を駆使し、張り詰めた音楽が展開されていく。やがて次第に和声的な書法になっていき、ニ短調のドミナントで半終止すると、「マーチのテンポで」と指示されたニ長調の中間部に入る。柔らかいホルンの響きを伴う安らぎの時間はしかし長くは続かず、嵐のような主部と序奏部をニ短調で再現して終結する。シューベルトのデモーニッシュな一面が現れた、最も初期の例といえよう。
  1. 2015/10/28(水) 23:54:42|
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幻想曲 ト長調 D1 概説

幻想曲 ト長調 Fantasie G-dur D1
作曲:1810年4月8日~5月1日 出版:1888年
楽譜・・・IMSLP

知られている限り、現存するフランツ・シューベルトの最初の作品である。自筆譜によれば、1810年4月8日に作曲を開始し、5月1日に完成している。時にシューベルトは13歳、コンヴィクトに入学して1年半ほど経った頃のことである。この頃はまだサリエリの個人指導は受けておらず、作曲に関してはほぼ独学だったようだが、そのような環境と年齢を考え合わせると、楽譜にして1000小節以上、演奏時間約20分もの4手のピアノ曲を書き上げたその意欲には驚くべきものがある。完成後、すぐに改訂稿(D1B)の作成に取りかかったのだが、これは途中で筆が止まっており、早くもシューベルトの「未完の王様」ぶりが発揮されてしまっている。

曲は、区切り方によって異なるが20前後の細かいセクションに分かれており、テンポも調性も頻繁に変化する。調性はト長調で始まるが、主要な部分だけでもヘ長調、ハ短調、変ロ長調、ロ長調、変ロ短調、変ホ長調などを経過し、最終的にはハ長調で終止するというとめどなさを呈する。
一方でテンポは、序奏的な冒頭部分と終結部(「フィナーレ」)の直前の部分を除くと、遅いテンポが持続する箇所は少なく、全体的に快速から急速といった速めのテンポが指向されている。また、冒頭の「ソ・ラ・シ」という3音の上行形、音程を更に広げた「ド・ミ・ソ」の上行アルペジオの音型が、全曲を貫く主要なモティーフとなっており、これらのことが若者らしいエネルギッシュな漸進性を本作に与えている。

細部についての解説は割愛するが、もうひとつ注目すべきなのは、セコンドのパートでバスのトレモロ上に現れるファンファーレ風のモティーフに「トランペット」と書き込まれていることだ。これは作曲者の脳内に、オーケストラの響きが鳴り響いていたことを示しており、そう考えればバスのトレモロはいかにもティンパニ風である。もしかしたらやがてシンフォニーとして編み直すためのスケッチという意味合いもあったのかもしれない。
  1. 2015/10/28(水) 13:37:43|
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