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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
次回公演詳細

[告知] シューベルトツィクルス第16回「舞曲Ⅲ ―最後のワルツ―」

シューベルトツィクルス第16回
2022年4月14日(木) 19時開演 東京オペラシティリサイタルホール
♪ドイツ舞曲 D135 ♪ドイツ舞曲 D139 ♪20のワルツ D146(「最後のワルツ」)
♪エコセーズ D158 ♪ドイツ舞曲 D975 ♪16のドイツ舞曲と2つのエコセーズ D783
♪3つのドイツ舞曲 D971 ♪3つのドイツ舞曲 D973 ♪2つのドイツ舞曲 D974 ♪2つのレントラー D980B
♪2つのドイツ舞曲 D841 ♪ギャロップと8つのエコセーズ D735
一般4,500円/学生2,500円 →チケット購入
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  1. 2022/04/14(木) 19:00:00|
  2. シューベルトツィクルス
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20のワルツ(「最後のワルツ」)D146 概説

20のワルツ(「最後のワルツ」) 20 Walzer ("Letzte Walzer") D146
作曲:1815年/1823年 出版:1830年(作品127)
楽譜・・・IMSLP


シューベルトの死の翌々年、1830年にディアベリ社から「フランツ・シューベルトの最後のワルツ」として出版された。最初の出版作である「36のオリジナル舞曲」D365(作品9)が『最初のワルツ』と改題されて新装再版されたのが同じ1830年のことで、出版社としては『最初のワルツ』と『最後のワルツ』を対応させることで相互の販売促進を図ったのだろう。
タイトルに反して、これはシューベルトが生涯の最後に作曲した舞曲集ではない。すべての収録曲について、珍しく自筆譜が残っていて作曲年代が明らかになっている。
それによれば第1曲と第3~11曲の計10曲は1815年の日付を持つ「12のドイツ舞曲とコーダ」(Brown, Ms.9)(ブラウン自筆譜番号についてはこちら)から採られていて、残りの第2曲と第12~20曲の計10曲は1823年2月の日付を持つ17の「ドイツ舞曲」の自筆譜(Brown, Ms.45)に由来している。2つの別々の舞曲集の束の中から、半分ずつ集められたということだ。
そのために、大まかに言って曲集の前半と後半で舞曲の様相が大きく異なっているBrown, Ms.9のドイツ舞曲の特徴は、なんといっても「トリオ」を伴う大規模なダ・カーポ形式で書かれているということだ。楽式としてはメヌエットに近く、その後のドイツ舞曲やレントラー等には見られなくなった、「古い」スタイルである。
通常のシューベルト舞曲は最短の場合A(8小節)+B(8小節)の16小節が基本で、演奏の際はそれぞれのセクションが反復されて合計32小節となるが、このトリオ付きのドイツ舞曲は
||: A :|: B :||: Trio-A :|: Trio-B :|| A | B ||
という楽式となり、1セクションが最小単位の8小節だとしても延べの小節数は80小節に及ぶ。1曲につき通常の舞曲の2.5倍の長さ(演奏時間)を要するということだ。

一方のBrown, Ms.45のドイツ舞曲は16小節(三部形式の場合は24小節。舞曲の構造についてはこちら)を基本とした「新しい」スタイルの舞曲だ。同じ自筆譜の他の作品が「34の感傷的なワルツ」D779や「16のドイツ舞曲と2つのエコセーズ」D783などに収録されていることからみても、こうした生前の舞曲集に収められても違和感のないスタイルだということが納得されるだろう。
逆に言えば、出版社が保有していた自筆譜の中で、第1弾の出版に選ばれなかった、いわば“残り物”がここに集められたともいえる。1815年のBrown, Ms.9にはいわゆる「ドイツ舞曲」型のオクターヴ・和音連打の伴奏型が多く、いくぶん粗野な雰囲気が漂うが(中でも超ラディカルなD139はこの曲集にさえ収められなかった)、後半の1823年の舞曲にも力強いオクターヴを伴うものが多く、全体としてエネルギッシュな性格の舞曲集になっている。「優雅な」ワルツというイメージの過去の曲集にはそぐわなかったのかもしれない。
一方で興味深いのは曲の配列への気遣いだ。トリオ付きのBrown, Ms.9とトリオのないBrown, Ms.45から「新旧」の1曲ずつをまず抜粋する。その後、Ms.9は曲順の変更だけでなく主部とトリオの組み替えも施され、Ms.45では曲尾の不完全小節の処理まで丁寧に記譜されている。新全集が指摘している通り、これは曲集を「通奏」することを前提にした処置だろう。1830年の時点で、舞曲集はもはや単なるパーツの集積ではなく、1つのまとまった組曲として演奏されることが期待されていたということだ。
1825年までシューベルトの舞曲集をほとんど独占的に出版していたディアベリにとっては、作曲者が死去してしまった今、新たな舞曲が作られる可能性も無くなり、無断で預かりっぱなしになっていた自筆譜の中から残り物を見繕って「もう一儲け」したということになる。そういう意味では確かにディアベリにとっての「シューベルトの最後のワルツ集」というのは間違ってはいない。

舞曲の分類についてはこちら

1. 主部 ニ長調 [T] ドイツ舞曲型
 トリオ ト長調 [T] ドイツ舞曲型

 主部はBrown, Ms.9の第10曲主部、トリオは同じく第9曲のトリオ(原調は変ト長調)と異なる原曲から組み合わされたもの。主部は典型的な「ドイツ舞曲」型のオクターヴ連打の伴奏型の上で、力強く和音が刻まれていく。トリオは一転して長短リズムの伴奏に乗ったやさしいシチリアーノ風の舞曲。
2. イ長調 [B] メヌエット型-ワルツ型
 こちらはBrown, Ms.45の第3曲であるとともに、Ms.50、Ms.52にも登場する人気の舞曲。左手はやはりオクターヴだが、拍ごとに音が移動していく。3拍目に付けられたアクセントが特徴的だ。力強いffの前半に対して後半はpとなり伴奏型もワルツ型に変移する。
3. 主部 ホ長調 [T] ドイツ舞曲型
 トリオ イ長調 [T] 混合型

 主部はBrown, Ms.9の第1曲(=D135)主部、トリオは同第2曲主部という、主部同士の組み合わせである。第2曲の本来のトリオは嬰ヘ短調で、D145-W9に収められている。
 主部・トリオともども付点リズムを伴う和音連打が特徴的で、ファンファーレ風の豪勢な1曲になっている。
4. 主部 イ長調 [T] ワルツ型ドイツ舞曲型
 トリオ イ長調 [B] ドイツ舞曲型

 Brown, Ms.9の第11曲。主部は2小節に1回バスが打ち鳴らされる、拡大されたワルツのような伴奏型の上で、オクターヴで重ねられたメロディーが勇壮に奏でられる。トリオは一転して内省的。
5. 主部 ヘ長調 [T] その他
 トリオ 変ロ長調 [T] レントラー型

 Brown, Ms.9の第7曲だが、トリオは変イ長調から変ロ長調に移調されている。主部は三部形式ではあるが、A(16小節)-B(12小節)-A'(16小節)の合計44小節という大規模なもの。上行アルペジオと和音連打が活発な性格を与えている。トリオは主音保続のレントラー型伴奏の上で6度重音を基調とした旋律が歌われる。特にB部のシューベルトらしい繊細な半終止が美しい。
6. 主部 ニ長調 [B] その他
 トリオ ニ長調 [T] メヌエット型

 Brown, Ms.9の第6曲。主部の左手の音階的なパッセージは舞曲としては異色である。前半ではIからVへ、後半ではVからIへ向かうというシンメトリカルな構成。トリオは伴奏型だけしかないようなシンプルなものだが、すべての音の間に8分休符が挟まれている記譜法(スタッカートを意味する)が目を引く。
7. 主部 ロ短調 [T] ドイツ舞曲型
 トリオ ト長調 [T] ワルツ型ドイツ舞曲型

 Brown, Ms.9の第4曲。左手が打ち鳴らす和音の連打、右手のオクターヴ、強拍に付けられたsf、ロ短調という調性がデモーニッシュな性格を与える。トリオは一転して伸びやかでやさしい曲想。
8. 主部 ト長調 [T] その他
 トリオ ニ長調 [T] レントラー型

 Brown, Ms.9の第9曲の主部(原調は変ト長調)と第10曲のトリオの組み合わせ。1曲目と対になる存在である。3拍目のsfから1拍目に解決するタイ・スラーが剽軽な印象を与える。トリオはホルン風の重音のメロディーを左手が小川のざわめきのように静かに伴奏する。
9. 主部 ハ長調 [T] レントラー型
 トリオ ハ長調 [B] ドイツ舞曲型

 Brown, Ms.9の第12曲(終曲)。全体を通してバスの保続音が続き、いかにもレントラー風の鄙びた舞曲である。オクターヴで重ねられたメロディーが上昇していく主部に対してトリオはコラール風の書法で内向的。
10. 主部 ヘ長調 [T] ワルツ型
 トリオ 変ロ長調 [T] ドイツ舞曲型

 Brown, Ms.9の第5曲。オクターヴユニゾンの序奏から始まり、スタッカートの付いたオクターヴ重音、縦横無尽の転調とスペクタクルが満載。まるでシューマンの「パピヨン」や「謝肉祭」を思わせる刺激的なワルツだ。トリオでは単純な伴奏型の上で右手が8分音符のパッセージを奏でるが、B部では長3度下の変ト長調へ転調する。
11. 主部 変ロ長調 [T] ワルツ型ドイツ舞曲型
 トリオ 変ロ長調 [T] その他

 Brown, Ms.9の第8曲。装飾音のついた音階パッセージが鍵盤を駆け上がる精力的な主部に対し、穏やかなトリオでは手の交差を用いた珍しいテクスチュアがみられる。
12. ト短調→ト長調 [T] ワルツ型
 ここから後のソースはBrown, Ms.45となり、その第11曲。3拍目に置かれたシンコペーションと短調ならではの半音階がエキゾティックだ。B部ではシンコペーションが左手に移り、A部の再現ではト長調に転調するなど凝った構成をとる。
13. ハ長調 [B] メヌエット型ワルツ型
 Brown, Ms.45の第12曲。和音の連打や3度の重音が支配する活発な舞曲。
14. ト長調 [T] ワルツ型
 Brown, Ms.45の第7曲。跳躍の多いメロディーと和音の連打が交替する。アウフタクトのプラルトリラーやホルン風の重音が鄙びたレントラーの風合いを醸す。
15. 変ロ長調 [B] ワルツ型
 Brown, Ms.45の第14曲。全編を通じてppの繊細な舞曲。ト短調のドミナントの和音から始まり、細かいスラーがニュアンスを添える。
16. ヘ長調 [B] メヌエット型ワルツ型
 Brown, Ms.45の第15曲。和音の連打がエネルギッシュ。前半では3拍目に置かれていた強勢が、後半では2拍目に移動する。
17. 変ロ長調 [B] ワルツ型
 Brown, Ms.45の第16曲。ウラ拍で属音を保続する内声が右手に現れる。前半は平行調のト短調に終止し、後半はそこから主調に戻る。
18. 変ロ長調 [B] ワルツ型
 Brown, Ms.45の第17曲。前曲に続きppの柔らかなワルツ。右手は旋律声部と、8分音符のトレモロの内声を担当する。ト短調のドミナントで半終止するのも前曲に少し似ている。
19. ヘ長調 [T] ワルツ型メヌエット型
 Brown, Ms.45の第13曲。ヘ長調とニ短調の2つの極を持ち、最初のAはヘ長調からニ短調へ、B部は前半はヘ長調、後半はニ短調。そして戻ってきたAではニ短調からヘ長調へというシンメトリカルな構成をとる。
20. 主部 ニ長調 [B] レントラー型
 トリオ ト長調 [T] ワルツ型

最終曲は再びトリオを伴う大規模なワルツだが、これはBrown, Ms.45の第4曲と第5曲を組み合わせたものである。この長大なワルツ集を締めくくるには、最後に再びダ・カーポ形式の舞曲が必要、と出版社は考えたのかもしれない。主部はスラーのかかった長短のモティーフがため息のような表情を見せる。トリオは一転して快活かつ技巧的で、全体にわたって右手が重音を奏で、時に対位法的に絡み合う。
  1. 2022/04/05(火) 22:43:18|
  2. 楽曲について
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30のメヌエット D41 概説

30のメヌエット Dreißig Menuette D41
作曲:1813年 出版:1889年(旧全集)
楽譜・・・IMSLP

はじめに自筆譜の問題に触れておこう。ウィーン市立図書館に所蔵されており、SCHUBERT onlineでも閲覧可能である。
全30曲のうち、第9・10曲、第19曲、第24~30曲が消失しており、現存するのは残る20曲である。つまり全体で合計3カ所の消失部分があるということになる。現存するすべての曲に通し番号が降られていることから消失曲が判明しているのだが、冒頭に「30曲」と明示されているわけではないので、最後の7曲は散逸したのか最初から書かれなかったのかは判然としない。
自筆譜は、時折書き間違いを修正している他は推敲の跡のない整然とした筆跡で、おそらく下書きを見ながら清書したものと思われる。

トリオを伴うメヌエットは、各曲とも五線紙の片面に収まるように書かれており、裏面にはみ出す曲は1つもない。第1曲と第16曲では収まらなかった部分を、余白部分に手書きで五線を補って書き終えている。
はじめの16曲、つまり最初の消失部分の第9・10曲をまたぐ第1~18曲については、奇数番号曲と偶数番号曲が1葉の五線紙の表裏に書かれていて、合計8枚の自筆譜にまとめられている。消失した第9・10曲も同様に1枚の紙の表裏に記されていたと想定して差し支えないだろう。

(1) 表 メヌエット D41-1 / 裏 メヌエット D41-2
(2) 表 メヌエット D41-3 / 裏 メヌエット D41-4
(3) 表 メヌエット D41-5 / 裏 メヌエット D41-6
(4) 表 メヌエット D41-7 / 裏 メヌエット D41-8

(おそらく1枚が消失)
(5) 表 メヌエット D41-11 / 裏 メヌエット D41-12
(6) 表 メヌエット D41-13 / 裏 メヌエット D41-14
(7) 表 メヌエット D41-15 / 裏 メヌエット D41-16
(8) 表 メヌエット D41-17 / 裏 メヌエット D41-18


ところがこのスタイルが変化するのは次の消失部分を越えた第20曲からの4曲である。それぞれ片面にメヌエットが書かれ、その裏面には違う作品のスケッチが書き付けられているのだ。全部で13枚からなる自筆資料のうち、上述した8枚のあと、9枚目からの内容はこうなっている。

(9) 表 メヌエット D41-20 / 裏 フーガD41Aの断片、続けて歌曲「子守歌」D498のピアノ独奏用編曲(ハ長調)
(10) 表 メヌエット D41-21 /  裏 ピアノ曲D459A-3(Allegro patetico)の最後の8小節、完結後同じ段からアダージョD349の第1-31小節
(11) 表 アダージョD349の第32-84小節 / 裏 歌曲「憧れ」D516のスケッチ(ピアノパートの前奏(決定稿には存在しない)の右手の他は歌唱パートのみ・未完)
(12) 表 メヌエット D41-22 / 裏 アンダンティーノD348の第42-71小節
(13) 表 メヌエット D41-23 / 裏 アンダンティーノD348の第1-41小節


11枚目の紙片は、鉛筆でそのようにナンバリングされているが(おそらくその主は例によってサインを残している以前の所有者ニコラウス・ドゥンバ)、後から挿入されたものと見られ、紙の縁の形状が若干異なる。これについてはD349の項で詳述したい。
2つ目の消失部分が第19曲1曲のみであることから、第19曲以降、シューベルトは書式を変更して、五線紙の表面だけにメヌエットを記し、その時点では裏面を空白のまま空けておいたようなのだ。そして後年、おそらく1816年頃に新しい作品のスケッチに「裏紙」を再利用したと考えられている。
裏面に書き付けられた作品のうち、作曲年代が判明しているのは子守歌D498のみであり、ヴィッテチェク=シュパウン・コレクションの記述により1816年11月とされている。ただしこのピアノ用編曲の筆跡は、いつものフランツ・シューベルトのものとは異なるように見受けられ、ドイチュによると兄フェルディナントのものだという。フェルディナントはおそらくこの主題でピアノの変奏曲を書こうとしたのだろうとドイチュは推測している。だが、最上段に1小節だけペン入れされているフーガD41Aは、その後も4段目まで薄く鉛筆で下書きされていて、子守歌の編曲はその上を塗りつぶすように書き始められているのだ。もしかしたらこのフーガの下書きを実施したのもフェルディナントだったのだろうか? いずれにしても、ここに登場するD348、D349、D459A-3、D516がすべて1816年の作品という推定はあまり説得力のあるものとはいえない。
メヌエットの中で他と明らかに状況が異なるのが第22曲である。1段目がまるごと削除されていて、2段目から新たに書き直され、その際に通し番号にも訂正の跡がある(訂正前は何番と書かれていたのかは丹念に塗りつぶされているため判読できない)。つまりこの自筆譜は清書稿ではなく、推敲を含む段階の稿のようなのだ。
そう考えると、現存する最後の4曲、第20~23曲は初期稿であり、後で清書譜を作ろうとしたか、あるいは作ったとも考えられ、さらにその後(不要になった)裏紙として再利用された、と見るのが妥当かもしれない。再利用の時点ではメヌエットはバラバラになっていて、適当な順番で使用されていったと思われる。アンダンティーノD348の続き、アダージョD349の続きを含め、消失してしまったメヌエットの裏に未知の作品が書き付けられていた可能性も高い。

このメヌエット集の来歴を明かしているのは、フェルディナントが作成したフランツの作品リストである。1813年の作品の中に「ピアノのための30のメヌエットとトリオ(消失)」とあり、長兄イグナーツのために作曲されたという。この記述を信じた上で、20曲のみが現存するD41をこれと同定したわけなのだが、若干怪しいところがある。この自筆譜の束はフェルディナントの所有物の中から発見されたのだが、にも関わらずなぜわざわざ「消失」と書いたのだろうか?
実は第4・6・12・13・22曲のトリオを、フェルディナントは(他の作品も含めて)「自作」のパストラール・ミサ(1833)に盗用し、1846年に初演・出版までしている。フェルディナントは既に弟の生前からその作品を盗用しては自作として発表し、時にそれを弟に直接詫びたりしているのだが、弟の死後はおおっぴらにこれを行うようになったようだ(同様に盗用されたD968についてはこちら)。とすると、フェルディナントはこのメヌエット集を消失したことにして、自分の作品に転用するためのマテリアルとして死蔵しようとした可能性すらある。「1813年」「30曲」という数字の信用性も揺らいでくるではないか。

全20曲はいずれも1つのトリオを持つメヌエットで、主部・トリオの前半部と後半部にそれぞれ繰り返しが設定されている(第11曲のトリオの後半のみ例外で、繰り返しがない)。D91(1813年11月22日)以降のシューベルトのメヌエットが、「2つのトリオ」を持つABACAという特異な構成を採っているのと比較すると、より一般的なスタイルといえる。
はじめの数曲、同じような付点のアウフタクトのモティーフが続くので、並べて聴くとやや面食らうのだが、次第に作風が変化していく。勇ましい軍隊風の曲想が次第に後景に退き、室内楽風のインティメイトな楽想や、モーツァルトを思わせる古典的なテクスチュアが増加してくる。またメヌエットというよりはポロネーズに近いようなリズムパターンも登場し、第16曲・第20曲(トリオ)・第23曲(トリオ)ではもはやエチュード的ともいえる16分音符のパッセージに埋め尽くされている。はじめは単純極まりなかった和声も、後半に近づくに従って複雑な色合いを帯びてくる。
このようなことから想像するに、この長大な曲集は1813年という一時期に一気に作曲されたのではなく、数年間にわたって書き続けてきたメヌエットを整理したものなのではないだろうか。その最初の数曲は少年期に遡るものかもしれない。第18曲までで過去の下書きが尽き、そこからは五線紙の片面に、新たに書き下ろしたのだろう。その成立時期は、シューベルトが「2つのトリオ」を持つメヌエットに取り組む直前、すなわち1813年と仮定しても大きく間違っていないと思う。
もうひとつ特徴的なのは、第1曲のトリオで既に4小節単位のフレーズを逸脱していることで、その後もたびたびこの基本を踏み外しているのだ。このことはこれらのメヌエットが、舞踏を目的として書かれたのではないことを物語っている。曲調から言っても通常のメヌエットのスタイルとは根本的に異なっている。「イグナーツのために書かれた」というフェルディナントの注記、そして特に最初の数曲に顕著な祝祭的な雰囲気を鑑みると、何らかの慶事(誕生日など?)に際して作曲されたのかもしれない。
  1. 2020/02/26(水) 22:00:56|
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36のオリジナル舞曲 D365 概略

36のオリジナル舞曲(『最初のワルツ』) Sechsunddreißig Originaltänze ("Erste Walzer") D365
作曲:1815~21年頃? 出版:1821年11月(作品9)
楽譜・・・IMSLP

歌曲「魔王」がギュムニヒ社から作品1として出版されたのが1821年1月25日のこと。その年のうちに作品7までの歌曲集が続々と出版されたが、それらはいずれも友人たちのカンパによる「自費出版」だった。出版社が製版代を負担したのは、その年の11月29日にカッピ&ディアベリ社から出版されたこの「36のオリジナル舞曲」(作品9)が最初である。言うならば、シューベルトは舞曲作曲家としての腕が認められて“メジャーデビュー”と相成ったのだ。
ちなみに作品8の「4つの歌曲」は、作品9よりも半年近く遅れて1822年5月9日に同じカッピ&ディアベリ社から出版された。この2作品は、いわば「バーター」、つまり抱き合わせで出版社に渡されたとみられている。会社は、確実に売れることが見込める舞曲集を先に出版して利益を確保し、歌曲集出版のリスクを軽減しようとしたようだ。シューベルトの舞曲集はこのあとも次々と出版されたが、そのたびに他の作品とバーターにされた形跡が窺える。

1821年中頃に友人ヨーゼフ・グロースに宛てた手紙で、「君のところにある僕のドイツ舞曲の楽譜を全部渡してもらえないか。出版に回すことになったから」と依頼しており、これがこの曲集の自筆譜だったとみられている。その自筆譜は現在は消失している。
初版譜のタイトルは「36のオリジナル舞曲」だったが、作曲家の死後1830年に再版された際に「フランツ・シューベルトの最初のワルツ集」という文言が追加された。これは同年、同じカッピ&ディアベリ社から出版された「最後のワルツ」作品127(D146)と対になるネーミングとして付されたのかもしれない。以降、この曲集は『最初のワルツ Erste Walzer』の愛称で親しまれてきた。

全36曲の大部分は、前半8小節、後半8小節(各繰り返し付き)の16小節からなる単純な二部形式で、冒頭から13曲目まで変イ長調のワルツが続く。以下に1曲ずつ、簡単に紹介していこう。舞曲の分類についてはこちらのページを参照されたい。

1. 変イ長調 [B] ワルツ型
冒頭の4曲は1817年1月のインデックス(Brown, Ms. 20)にイ長調で記譜されているほか、年代不明の筆写譜(Brown, Ms. 30)にも含まれており、これらは同時期に成立したと見てよいだろう。
すべるような半音階の出だしが印象的だが、Brown, Ms. 20ではこれとは異なるアウフタクトを持っており、このアイディアが後半部分に生かされている。
2. 変イ長調 [B] その他+ワルツ型 『悲しみのワルツ』
最も有名なこの曲が、標題付きで収められている。自筆譜の情報については別記事にまとめた。
「悲しみ」の由来になったとも考えられる上声の下行音型と、上行するバスとの反行が美しい。後半で同主短調の変イ長調に転調、そのVI度調である変ヘ長調(!)の和音を、変イ長調の「ドイツ六の和音」(ドッペルドミナントの変化和音)に読み替えて転調するという、シューベルト得意の凝った和声進行により、ふと別の世界に入ったような不思議な感覚に襲われる。
3. 変イ長調 [B] ワルツ型
第1曲で述べた2つの自筆資料のほか、1817年頃にクロード・エティエンヌに贈った紙片(Brown Ms. 24)と、1818年11月にツェリスで書かれたBrown, Ms. 29にも登場する。Brown, Ms. 24はシューベルト自身が自作の譜面に「ワルツ」と書き込んだ唯一の資料として重要である。
3度の重音が多用され、快活ながら甘美な響きが特徴的である。
4. 変イ長調 [B] ワルツ型
自筆資料については第1曲と同様。
ショパンの「華麗なる大円舞曲」にも似た、ダクティルスから始まるワルツのリズムが全曲を支配する。バスが長く属音を保続するのも特徴。
5. 変イ長調 [B] その他+ワルツ型ドイツ舞曲型
ここから第13曲までの9曲の自筆譜は1819年11月の日付を持つBrown, Ms. 33として残っている。
IV度のドミナントの和音による意表を突いた出だし、右手の6度の重音が印象的である。後半の伴奏型は舞曲としては珍しく、8分音符の刻みになる。
6. 変イ長調 [B] ワルツ型
Brown, Ms. 33のほか、Brown, Ms. 40にも第7曲とともに収録されているが、そこでは第7曲の後半と組み合わされている。つまり現在の後半部分は、その後Brown, Ms. 33成立までの間に書き下ろされた可能性が高い。
和声外音を含む5度下行の音型がモティーフとなっている。最後の4小節で全曲をまとめる力が強い。
7. 変イ長調 [B] その他+ワルツ型
前述の通り、Brown, Ms. 40では異なる組み合わせで収録されている。
主音の保続の上でメロディーラインが下行していくという、前半部分のアイディアは第5曲と似ている。後半部分が第6曲のモティーフを踏襲しているのは、成立過程を考えれば当然かもしれない。いわば、前2曲の要素を合体させた舞曲といえるだろう。
8. 変イ長調 [B] その他
この曲と第10・11曲では、他の舞曲ではあまり見られない、流れるような8分音符の伴奏が採用されている。そのバス声部とメロディーラインがデュエットのように並進行していく。メロディーの2拍目にアクセントが付いているのも特徴的。
9. 変イ長調 [B] ワルツ型
装飾音と跳躍の多いメロディーラインは、レントラーの性格を帯びている。バスは長く属音を保続する。
10. 変イ長調 [B] その他+ワルツ型
8分音符の伴奏型、そして前半・後半とも属七の第3転回形から始まる複雑な和声進行が特徴である。後半の伴奏型は通常のワルツ型に変わる。最後の4小節の終止感が強い。
11. 変イ長調 [B] その他
8分音符の伴奏型が続く。語りかけるような旋律線、IV度のドミナントからふわりと始まる後半も印象に残る。
12. 変イ長調 [B] ワルツ型
一転して快活なワルツ。後半では2拍目に強勢が置かれる。
13. 変イ長調 [B] ワルツ型
大人っぽい雰囲気のメロディーラインは、しばしばオクターヴで重ねられる。
14. 変ニ長調 [B] ワルツ型
ようやく変イ長調から解放される。『悲しみのワルツ』が後に単独で出版された際、本作はそのトリオに選ばれた。確かにシューベルトの好んだ「長3度関係調」の転調という意味で、双生児ともいうべき舞曲である。この曲では前半の結びで突然イ長調に転調、後半でそれをドイツ六の和音に読み替えている。同主短調を経過しないのが『悲しみのワルツ』との相違点で、よりアクロバティックな転調が繰り広げられているが、ここまで単純な変イ長調の舞曲が続いてきただけに、その魔術性がさらに高まっている。
この個性的な舞曲の自筆資料が何一つ残されていないのは残念なことだ。もしかしたら1821年の出版直前に成立したのかもしれない。
15. 変ニ長調  [B] ワルツ型
自筆譜はないものの、筆写譜Brown, Ms. 30に収められている。右手が3度や6度の重音を多用するのが特徴で、にもかかわらず軽快な曲調となっている。終結部の終止感が強い。
16. イ長調  [B] ワルツ型
ここからは、3曲ずつ同じ調号のグループが並べられるパターンが、第27曲まで続く(「34の感傷的なワルツ」D779でも同様のパターンがみられた)。
本作は第3曲とともに、1818年11月ツェリスと記されたBrown, Ms. 29に登場する。
前半はバスの半音階進行、後半は田舎風の訛ったリズムが印象に残る。
17. イ長調 [B] ワルツ型
第17・18・25・28曲については、6曲からなる舞曲のスケッチ(Brown, Ms. 31)の中に旋律声部のみ書かれているが、他は前半後半の組み合わせがバラバラになっており、第17曲だけが完成型を保っている。
舞曲の種類分類については以前いろいろと述べたが、このイ長調の作品を含む一連の舞曲について、「装飾音の多さ」「跳躍の多い旋律線」「単純な伴奏型」「弱拍上のアクセント」といった特徴をもって「レントラー風」、つまり田舎風の性格と呼ぶことは差し支えないだろう。鳥の声やヨーデル唱法を連想させ、アルプスの田舎の村での民俗舞踏を思い浮かべるのは自然だと思う。
この曲の前半では第3拍から翌拍へのスラー、後半では第2拍に置かれたシンコペーション的なアクセントが特徴となっている。
18. イ長調 [B] ワルツ型
Brown, Ms. 31においては第18曲と第28曲の前半と後半はそれぞれ入れ替えられている。
レントラー風の性格は前曲と共通しており、冒頭の高音域や後半のバスの属音保続が印象に残る。
初版譜は18曲ずつの分冊として出版されたので、ここが上下巻の区切れ目になる。
19. ト長調 [B] ワルツ型
下巻の巻頭にあたるト長調の3曲については、一次資料は全く残っていない。
プラルトリラーのついた跳躍音型のアウフタクトがモティーフとなっている。
20. ト長調 [B] メヌエット型ワルツ型
ff、左手にオクターヴの連打という荒々しい音楽で、優雅なワルツのイメージとはかけ離れている。
21. ト長調 [B] ワルツ型
3拍目にアクセントが置かれ、8分音符2つずつにスラーがかけられた古典的なアーティキュレーションが特徴的。
22. ロ長調→嬰ト短調 [B] ワルツ型
ロ長調の3曲は、D972やD366-11と同じ筆写譜の中に収められている。
冒頭、1小節の中でロ短調とロ長調の和音を行き来するさまは陶酔的で、異世界に足を踏み入れてしまったような恐怖すら感じさせる。後半は嬰ト短調に転調し、そのまま終止する。
23. ロ長調 [B] ワルツ型
奇数小節の3拍目から偶数小節の1拍目にかけられたタイやスラーがシンコペーションとなっている。
24. ロ長調 [B] ドイツ舞曲型
1拍目と3拍目でバスを奏する特徴的な伴奏型。fとpの交代が明確に指示されている。
25. ホ長調 [B] ワルツ型
Brown, Ms. 31のスケッチでは、前半と後半が逆になっている。装飾音と跳躍の多さが特徴で、全く声楽的ではない旋律である。
26. ホ長調 [B] ワルツ型
一次資料はない。短前打音がややスケルツァンドな雰囲気を醸し出す。後半のモティーフは前曲に似ている。
27. 嬰ハ短調→ホ長調 [B] ワルツ型
この曲も一次資料はない。短調で始まる曲は曲集で唯一。感情的な高ぶりが表出される。後半は平行調のホ長調に転ずる。
初版譜には誤植と思われる音が散見され、新全集に受け継がれている。読みにくい自筆譜だったのかもしれない。
28. イ長調 [B] ワルツ型
Brown, Ms. 31のスケッチで、第18曲と前半・後半が入れ替わっている曲。確かに第18曲と酷似したテーマである。
後半は3連符のアルペジオがモティーフとなり、旋律というよりはパッセージだけで出来上がった器楽的な舞曲。
29. ニ長調 [T] ワルツ型メヌエット型
第29~31曲の3曲は、1821年7月の『6つのアッツェンブルックのドイツ舞曲』(Brown Ms. 42)から採られた。ここまでの穏和な、ときに田舎風の踊りに比べると遥かに刺激的かつ扇情的な内容となっている。
ブラームス風の付点のリズムとほろ苦い減七の和音が組み合わされた主部。中間部では不協和音が強調される。
30. イ長調 [B] ワルツ型
右手のオクターヴのトレモロ音型がシャンパンの泡のようにはじける。
31. ハ長調 [B] その他+ワルツ型
ヘミオラ風のモティーフと突然のアクセントが聴き手を驚かせる。前半はファンファーレ風に閉じられ、後半でワルツ型の伴奏が登場するが、やはりアクセントによって遮られる。最後は左手が豪快にオクターヴを連打する。
これら3曲はいずれも機知に富んでおり、当時最先端の洗練された舞曲書法と言っていいだろう。
32. ヘ長調 [T] ワルツ型
曲集の締めくくりを飾るヘ長調の5曲は、1821年の自筆譜(Brown, Ms. 39)では嬰ヘ長調で記譜されている。第32曲と第33曲についてはト長調(Brown Ms. 43)の自筆譜もあるが、ヘ長調の自筆譜は見つかっていない。
前曲のハ長調を受け継ぐように、ドッペルドミナント属七の第2転回形で意表を突いたスタート。付点のリズムがモティーフとなっている。三部形式の中間部では長3度下の変ニ長調に転調する。
33. ヘ長調 ワルツ型
繰り返し記号がなく、丸1曲延べで書かれている唯一の曲。AA'BCの構成で、Brown, Ms. 39では後半16小節に繰り返しがあるので、もとは三部形式(T)と考えられる。ただ、Bで変イ長調に転調しているため、曲尾から繰り返すと違和感が大きく、繰り返しを省いたのは卓見といえるだろう。
右手の和音連打が主要なモティーフ。前述の通り、ヘ短調を経由して短3度上の変イ長調に転調する。
34. ヘ長調 [B] ワルツ型
2小節の前奏が付いているのは珍しい。半音階を多用したメロディー、3拍目で和音が交代するタイミングが面白い。後半はドイツ六の和音から始まる。
35. ヘ長調 [B] ワルツ型
低音域に下り、6/8拍子を錯覚させるメロディーが歌われる。第33曲と同様に変イ長調に転調している。
36. ヘ長調 [B] その他
長く続いてきたワルツのリズムがついに消える。コラール風の和音が連続し、静かに曲集を閉じる。

推定作曲年代は1816年頃から、出版直前の1821年までと長期にわたっており、曲によって作風は大きく異なる。しかし、調性・性格的に関連のある舞曲をグルーピングすることでストーリー的なまとまりを形成し、またレントラー風のシンプルな舞曲と個性的な舞曲が交互に登場することでコントラストも明瞭になっており、非常に優れた連作として編まれているといえるだろう。
  1. 2019/04/04(木) 20:18:46|
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「悲しみのワルツ」

作曲者の生前から既に人気を博していた、シューベルトの舞曲たち。中でもウィーンの街を席巻する大ヒットとなったのが『悲しみのワルツ Trauerwalzer』(D365-2)である。

その最初の自筆譜は1816年に遡るといわれるが、現在は行方がわからない。
現存する最古の自筆譜は1817年1月に書かれたインデックス(Brown, Ms. 20)であり、そこには最初の2小節だけが、他の8曲の舞曲と並んで「イ長調」で記されている。
1818年3月には友人のヒュッテンブレンナーに贈った自筆譜(Brown, Ms. 25)とアスマイヤーに贈った自筆譜(Brown, Ms. 26)が作成された。いずれも調性は「変イ長調」で、フランツ・シューベルト作曲の「ドイツ舞曲」と題されている。当時は『悲しみのワルツ』という愛称は付いていなかったようだ。
状況に変化が顕れるのが1821年である。1月にヨハン・ペンゼル Johann Pensel が、また10月にはかのカール・チェルニー Carl Czerny が、この曲を主題にしたピアノのための変奏曲を発表したのだ。ペンゼルの変奏曲のテーマは「人気の『悲しみのワルツ』」、チェルニーの変奏曲のテーマは「人気のウィーンのワルツ」とあり、シューベルトの名前はない。この3年の間に、この舞曲は作者不詳のまま、変奏曲の主題になるほどの大衆的人気を獲得し、同時に『悲しみのワルツ』というタイトルで呼ばれるようになったらしいのだ。
シューベルトのオリジナル作品として出版されたのは同年11月末のことで、「36のオリジナル舞曲」作品9の第2曲に『悲しみのワルツ』の標題付きで収められている。しかし周知には至らなかったようで、その後もこの旋律はさまざまな作品に流用された。
中でも驚き呆れるのは、1826年にショット社からベートーヴェン作曲『憧れのワルツ Sehnsuchtswalzer』として刊行されていることである。ベートーヴェンもシューベルトも存命中だったにもかかわらず、特にトラブルが起きた形跡はない。著作権意識の希薄な時代であったことを思い知らされる。
シュパウンの後年の回想によると、街中で『悲しみのワルツ』を耳にしたシューベルトは「こんな曲、誰が作曲したんだろうね?」と尋ねたとのこと。そもそも自分が書いたことなど、すっかり忘れてしまっていたのかもしれない。

"Trauerwalzer"の訳については『悲しみのワルツ』の他にも『哀悼のワルツ』『葬送のワルツ』などというものもある。Trauermarschというと「葬送行進曲」のことなので、追悼の意味合いがあることは否定できない。
ただ、楽曲じたいは特に悲しい曲想ではなく、アインシュタインをはじめとしてこの愛称に首をかしげる研究者も多い。おそらく、曲の主要なモティーフとなっている下行音型が「ため息」を連想させること、後半で同主短調に傾倒する和声進行が独特の「翳り」を感じさせることがその由来ではないかと考えられるが、確証はない。
  1. 2019/04/03(水) 19:47:50|
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