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ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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川島基さんインタビュー(3) 心が折れる瞬間

インタビュー第1回はこちら
インタビュー第2回はこちら

インタビューに同行した佐藤の妻が川島さんに質問。

いつき 川島さんは、シューベルトってどういう人だったと思いますか?
川島 とてもナイーブで、繊細な人だったと思います。強さ、人間としての強さはありましたけど、男らしい強さっていうと、ベートーヴェンほどではなかったかなと思いますね。
いつき シューベルトで一番好きな曲はなんですか?
川島 難しい・・・!
佐藤 これね、難しい質問ですよね(笑)
川島 うーん・・・いや、交響曲「グレート」も好きですし、だけどやっぱりピアノ曲ですかねえ。でも何って言われると、その時々によって違いますね。
佐藤 今ヒットしてる曲っていうと。
川島 今・・・やっぱり1曲に決められないですね。でも常に上位なのは、やはり最晩年の3曲のソナタ、D958・D959・D960ですかね。他の曲が嫌いというわけではないんですが。佐藤君は?
佐藤 僕は、難しいところですけど、1曲っていったらベタだけど「菩提樹」かなあ。
川島 はあー。
佐藤 あのメロディーをよく見つけたなというか、単純なメロディーですけど、シューベルトが書かなかったらもう誰も発見できなかっただろうっていう。あれはやっぱり特別ですね。
川島 シューベルトってね、ある人に言わせればものすごく暗い、陰鬱でじめじめした曲をたくさん書いてるっていうイメージがあるようですけど、最も暗い曲って何だと思う?
佐藤 最も暗い曲ねえ。なんだろうな。
川島 僕はやっぱり「冬の旅」の最後の「ライアー回し」。
佐藤 ああ、ライアー回し。
川島 あれはもう一番心にくるっていうかなんていうか、寂しくなる曲ナンバーワンですね。
佐藤 あれなんかも暗いですね、「ドッペルゲンガー」(「白鳥の歌」より)。
川島 ああ「ドッペルゲンガー」ね。あれも暗いですよね。

佐藤 あるとき、雑誌の「音楽の友」でピアニスト何十人にアンケートっていう企画があって、そこで生涯の最後に弾きたい曲は何ですかっていう質問があったんです。
川島 ふうん。
佐藤 面白いことに、お年を召したピアニストほど、それに対して無回答なんですけど(笑)、答えた人の中で圧倒的に多かったのが、ベートーヴェンの作品111(ピアノ・ソナタ第32番)なんですよ。
川島 ・・・はぁ、そうですか。
佐藤 で、僕はD960って書いたんですけど、そう答えた人は割と少なかったですね。
川島 ああ、やっぱりでも最後の作品。Hob.XVI:52(ハイドンの最後のソナタ)じゃダメなんですね。
佐藤 そんな人いたかな(笑)
川島 K.576(モーツァルトの最後のソナタ)は?
佐藤 K.576はちょっと良いような気もしますけど(笑)でも人によってはね、ラフマニノフの(ピアノ協奏曲)3番なんていう回答もあって。
川島 それはもう、弾きながら死んでしまう。
佐藤 まだ相当元気な感じですよね(笑)
川島 死ぬときに聴きたい曲っていうのはなんとなくありますけど、弾きたい曲っていうのは難しい。
佐藤 「最後のコンサートで弾きたい曲」っていう。
川島 ああ、最後のコンサートでね。そうなると僕はD958かなあ。
佐藤 ああ、そうですか。
川島 やっぱり一番弾きたいのは、一番思い入れのある曲ですよね。作品111もそうですけど、moll(短調)が弾きたい感じはしますね。

川島基さんと

佐藤 今回、4手連弾の曲をやるにあたって、まずはシューベルトのことを本当によく知っているピアニストで、かつ結構難しい曲なので、テクニックも強靱な方ということで、是非川島さんにと思ってお願いしたんですけど、普段は連弾はあんまりなさらないんですか?
川島 連弾はもう、フォーレのドリーだとか、そういう超メジャーな曲しかやったことがなかったんです。2台ピアノは割とあるんですけど、連弾っていうのは本当に弾く機会がないですよね。
佐藤 まあそうですよね。
川島 なので、今回本当に絶好の機会だと思って。せっかく佐藤君とやらせていただけるので、しっかり勉強させてもらって、今後に生かしていこうかと思ってます。
佐藤 いえいえ、こちらこそよろしくお願いいたします。僕もこのシリーズをやっているおかげで、シューベルトの連弾曲がこんなにたくさんあるんだって初めてちゃんと認識して、これはちょっと大変だなって思ってるんですけど。よく取材とかで「シューベルトのどこが好きなんですか?」とか聞かれていつも答えに苦慮するんですけど、何かシューベルトについて「こういうところが」みたいな。
川島 いやぁなかなか・・・。口に出してっていうのは難しい。
佐藤 ええ、ですからもう、シューベルトについて思うところをフリーに話していただければと思って。
川島 僕は先日ちょうどベートーヴェンのソナタを弾いてきたばっかりで、最近はベートーヴェンにどっぷり浸かってたんですけど、なんていうんですかね・・・。もちろんシューベルトはベートーヴェンを尊敬していて、その影響を受けながらも、彼は彼の新境地を見つけ出していったわけで・・・。でも、ベートーヴェンみたいに「何が何でも時代を変えてやるんだ」とか、そういう強い気持ちっていうよりかは、そう思ってても何か心が折れてしまう瞬間っていうのがね。
佐藤 ああ、はい。
川島 シューベルトってあると思うんですよ。ソナタ形式の展開部とか見てても、「熱情」の展開部みたいな「絶対やり抜いてやる」っていうんじゃなくて、何かポキッと折れる瞬間がね。あそこがもう本当に僕は好きなんです。そういうところの色とか表情を、いかにピアノの音色に変えて出していくかっていうのが、非常に難しいと思うんですよね。あとは、31歳で亡くなったわけですから、彼が60歳まで生きてたら、どんな作品を書いてたんだろうってね、そういうところにも非常に興味がわきますし。
佐藤 そうですよね。
川島 ピアノコンチェルトをね、1曲でも書いて欲しかった。
佐藤 うーん、まあね、でもどの楽器のコンチェルトも書いてないですから。ヴァイオリンのそれらしいのが1曲ぐらいありますけど、だからコンチェルトってものに全然興味がなかったのかなっていう感じはしますよね。
川島 そうですかね。後にとっておいたのかもしれない。
佐藤 うーん、そうかもしれないですね。・・・ではインタビューはこの辺で。
川島 なんだかとりとめもない話で。
佐藤 いやもう、いかにもシューベルトっぽくて良いですよ。どうもありがとうございました。

(2016年11月17日、東京音楽大学にて)
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  1. 2017/06/04(日) 22:43:03|
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川島基さんインタビュー(2) 奥様は声楽家

インタビュー第1回はこちら

佐藤 ドイツに14年いらしたんですか?
川島 正確には13年と10ヶ月。
佐藤 その間、向こうでも演奏活動をされていて、それで日本に帰ってこられて、何か違いのようなものってありますか?
川島 それはよく聞かれるんですけどね。弾いてる本人にしてみれば、どこでも本気で挑むわけですから、その点では変わりはないんですけど、やはり演奏が終わったあとの聴衆の反応がね。
佐藤 ああ。
川島 ヨーロッパの人たちって、温度を感じるんですよね。聴衆の熱気だったりとか、そういうのはヨーロッパの方がよりダイレクトに味わえますよね。日本人って割とおとなしく聴いてる人が多くて、自分の思っていることを外に出すのを憚るっていう文化があると思うんですけど。でももうちょっと日本もね、こうオープンになってもいいんじゃないかって思うことは多々ありますけどね。
佐藤 (笑)ええ、ええ。
川島 あとは、やっぱりホールの響きだったり、よく感じるのは調律の違い。ヨーロッパの調律の仕方と、日本の調律師さんのやり方って、たぶんおそらく聴いてるポイントが違うんだと思うんですけど。単音で弾いたときに、日本の方はぴたっとこう合ってる。
佐藤 うんうん。
川島 向こうの調律師さんが調律したピアノは、1音だけ鳴らすと、そんなに整ってる感じは受けないんです。でもハーモニーとか、ポリフォニーを弾いたときに初めて立体的に浮き上がってくる。日本の音の立ち上がり方と、向こうの立ち上がり方と、違う感じが僕はしました。
佐藤 ははあ、なるほど。言われてみればそうかもしれないですね。
川島 向こうに住んでいたとき、日本に一時帰国して演奏会すると、耳が最初なじまない。響きにね。
佐藤 ああ。
川島 反対に日本から向こうに行ったときには、ああこれかって思うんです。
佐藤 なるほど。たとえば、マネージャーや主催者とのやりとりって日本とヨーロッパで結構違ったりするものですかね。
川島 それはどうですかね?
佐藤 どちらも同じようなものですか?
川島 日本はわからないですけど、向こうの主催者の人たちっていうのは、なんていうんですかね、まあよく話しますよね。演奏家と。
佐藤 (笑)なるほどね。
川島 雑談っていうか、人となりをちゃんと知らないと弾かせてもらえないみたいなところがある気が、僕はしました。主催者の人と長電話したり、メールのやりとりで結構込み入ったことも・・・事務的な話だけじゃなくて、音楽観まで探られるっていうかね。
佐藤 それは面白いですね。

佐藤 奥様は声楽家でいらっしゃるんですよね(ソプラノの川島幸子さん)。
川島 そうですね、はい。もともと妻はピアノ出身で、ドイツに行ってから歌を始めたんですよ。
佐藤 すごいですね。
川島 だからいまだに声楽曲よりもピアノ曲の方が好きなんです、実は。
佐藤 へえ、そうなんですか。
川島 歌は仕事というか、自分にはそういう声があるっていうことで歌を本業にしてますけど、ピアノのことは誰よりもよくわかってて、誰よりも厳しい耳で聞かれてますから、一番怖いです。いつもダメ出しばっかりされてます(笑)
佐藤 奥様ともいろんな曲を共演されてると思うんですけど、シューベルトも演奏されます?
川島 この間「ミニョンの歌」をやったんですよ。
佐藤 はい、はい。
川島 ミニョンはヴォルフもシューマンも書いてますけど、やっぱり僕はシューベルトのミニョンが一番心に響くんです。でも声楽家の妻にしてみれば、非常に難しい音域で書かれていて、歌いづらい。特にソプラノの高音域の人には、ものすごく難しいそうです。もちろんシューベルトは歌曲王っていわれてるんですけど、むしろリヒャルト・シュトラウスとかの方が、とっても自然に声になるみたいで。
佐藤 ああ、それはでもよく聞きますね。シュトラウスみたいに「人間の声の扱いをよく知っている」っていうよりは、シューベルトは「こういう音楽が欲しい」っていうので書いてるので、声に乗せにくいという。
川島 あと僕が感じるのは、なんていうか・・・ピアノのレッスンをしてて、シューベルトの曲で「歌うように」っていっても、今言ったような、声楽で歌うっていうよりかは、弦楽四重奏がいっぱい流れてきてるのが聞こえるんですよね。弦楽器の音の鳴り方、奏法だったりアーティキュレーションだったり、どうもそうにしか聞こえない自分がいて。カンタービレでも、ヴァイオリンとかチェロの音だなって思うんですよね。
佐藤 それはしかし、すごく新しい意見ですね。言われてみれば、確かにそういう曲も思い当たります・・・。

(つづく)
  1. 2017/06/03(土) 22:07:00|
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川島基さんインタビュー(1) 会場がカジノだった

第7回ゲストの川島基さんにお話を伺いました。まずは恩師やコンクールの思い出など。

川島基さんと

佐藤 川島さんのプロフィールを拝見したら、音楽を本格的に始められたのが10歳ぐらいのときって書かれてたんですけど、どういうきっかけで始められたんですか?
川島 実は、母親からの強制で。自分からピアノに行ったわけではなく、もともとは母親が僕に強制的にさせたっていうのが始まりだったんです。
佐藤 あ、そうなんですか。結構物心ついてからですよね。
川島 そうですね。
佐藤 作曲も一緒にそのときから?
川島 作曲はもうちょっと、6年生ぐらいになってからですけど。地元が岡山だったので、神戸に平吉毅州先生がいらっしゃって。
佐藤 はい!
川島 月に1度習いに行ってたんですよ。ところが、譜面を書くのがどうも好きじゃなくって。先生のところにいっても即興演奏ばっかりやってた。
佐藤 へえ。
川島 モティーフをいただいて、その即興ばっかりやってて、「次は譜面書いて来いよ」って言われ続けて何年も書かなかったっていう感じ。
佐藤 そうなんですか。平吉先生ってどんな方だったんですか?
川島 もう、すごくダンディで・・・ユーモアのある、とても良い先生でしたね。もうだいぶ前にお亡くなりになられましたけど。
佐藤 そうですよね。曲はいくつも存じ上げてますが・・・。
川島 僕の印象は小学生のときの印象でしかないんですけど、それでもとてもダンディな先生だなと。格好いい先生でしたね。

佐藤 僕が2007年にシューベルト国際コンクールを受けようと思ったときに、その前の回の優勝者として川島さんのお名前があって、そこで初めて川島さんのことを知ったんですけれども、その2005年のコンクールのことで、何かお話を聞かせていただけますか?
川島 まあ変わっていることといえば、会場がね、カジノだったという。
佐藤 やっぱりカジノだったんですね(笑)
川島 そうそう、未だにあそこでやってるのかなと思いますけどね。それ以外は、他の国際コンクールと比べて特に雰囲気が違うっていう印象は持ちませんでしたけど、ただシューベルトの名前を冠しているだけあって、当然ですけどシューベルトの曲がメインで審査されるっていうのが特別なところですよね。2次予選からは、本当にシューベルトばっかり。でも1次予選は他のコンクールとそんなに変わらなくて、ラフマニノフのエチュード=タブロー(音の絵)とか、ショパンのエチュードとか、スカルラッティのソナタを弾かなきゃいけなかったり。
佐藤 そうですね。1次に1曲だけシューベルトの曲が課題に入ってますよね、あれは何だったんですか?
川島 ええとね、D894の「幻想ソナタ」の4楽章。
佐藤 変なのが出ますね、やっぱり(笑)
川島 いきなりあれで始めるっていうのはものすごく神経使いますよね。1楽章が静かに始まって、2楽章、3楽章、そして4楽章のあれが来るから曲になるんですけど。
佐藤 そうですよね。僕らのときはD946の「3つのピアノ曲」の3曲目だったんですよ。ハ長調の。
川島 それもまた変わった選曲だねえ。
佐藤 でも結構、人によってテンポも違うし、いろんな解釈があって、だから面白い選曲ではありましたけど。でもその1曲で判断するのは難しいですよね。シューベルトの曲あれしかないですからね、1次は。
川島 そうだね、それだけで判断するのはね。
佐藤 コンクールのときはホストファミリーでした?
川島 そうです。非常に良くしてもらって、ドイツのお父さんお母さんって感じでね。今でも親しくさせてもらってますけど。
佐藤 もうその頃は、ドイツに行かれてからだいぶ経ってたんですか?
川島 1998年の10月にワイマールのリスト音大に入ったので、結構長くいてからですね。もともとシューベルトコンクールは絶対受けようと思ってたわけではなくて、もう歳が歳だったので、受けられるコンクールがそんなに多くはなかったんです。シューベルトコンクールは優勝したらCDを作ってもらえるっていう副賞があって、それに心惹かれたというか。それまでは恥ずかしながらシューベルトの曲はさほど多くは弾いてなかったんですけどね、コンクールを受けるときに、D958の大きなソナタとか、他の曲もいっぱい勉強する機会に恵まれて。
佐藤 僕もそうでした。
川島 それまではね、どちらかというと「退屈」っていうふうに思ってたんですよね。だけど、コンクール優勝後は、佐藤君もそうでしょうけど、どうしてもシューベルトを弾いてくれっていうオファーがあるので、それからどんどんシューベルトの音楽に惹かれていって、もっとやりたい、もっとやりたいと・・・。そこからシューベルトが好きになっていったんです。
佐藤 でもレパートリーはすごく幅広くていらして、デビューCDのときも半分は「くるみ割り人形」(プレトニョフ編)を。
川島 いやあれはですね、もともとはD958とD894、大きなソナタ2曲っていうふうに思ってたんですよ。
佐藤 あれ、そうなんですか。
川島 だけど、僕が習ってたラピツカヤ先生が、そんなものは絶対にダメだって。
佐藤 えー!
川島 バラエティに富んでた方が聴きやすいって。あなたはまだ老けてるわけでもないんだから、そんな曲は弾かなくていいって。今のうち、指が動く間は「くるみ割り」のような曲をやった方がいいっていう先生の強い勧めもあって、あのプログラムになったんです。
佐藤 そうなんですね。
川島 もともとは違ったんです、だから。
佐藤 今、メインで取り組んでいるレパートリーは?
川島 今はもう、ドイツ音楽が本当にメインですね。先生の影響というのもあって、やはり先生のお得意なものを教えてもらった方がいいと思って、ロシアものとかドイツものに、だんだんレパートリーがそっちの方へいくようになっちゃって。留学する前はフランスものが大好きで、たくさんやっていたんですけど、だいぶ遠ざかってしまいましたね。今でも好きですけど、やっぱり今はベートーヴェン、シューベルト、モーツァルト、ハイドンのような曲に惹かれてますね。
佐藤 うーん、僕も同じですね。なんとなくドイツものの方が弾く機会も多くなるし。フランスものなんかめっきり弾かなくなりましたね。だんだん守備範囲が狭まって、絞られていくのかなって感じはするんですけど。
川島 なるほどね。

(つづく)
  1. 2017/05/17(水) 19:38:25|
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第7回ゲスト:川島基さん

佐藤卓史シューベルトツィクルス第7回「人生の嵐」では、ピアニストの川島基さんをゲストにお迎えして4手連弾をお聴きいただきます。

川島基
川島基 Motoi Kawashima

"Der Pianist mit den goldenen Händen"
(黄金の手を持つピアニスト)
Westdeutsche Allgemeine Zeitung(西ドイツ新聞)

岡山生まれ。10歳より本格的にピアノと作曲を始める。東京音楽大学ピアノ演奏家コース特待生入学し、首席で卒業、日本音楽コンクールピアノ部門第3位入賞、同大学大学院首席修了後、ローム・ミュージックファンデーション奨学生として ドイツ国立ワイマール“フランツ・リスト”音楽大学大学院に留学、 更に文化庁新進芸術家海外研修生としてベルリン芸術大学大学院で学び Konzertexamen課程修了、ドイツ国家演奏家資格取得。

数々の国際コンクールに優勝・入賞【 第10回シューベルト国際ピアノコンクール(ドイツ・ドルトムント)優勝 / スクリャービン国際ピアノコンクール優勝 / マルサラ市国際ピアノコンクール最高位(1位なしの2位 ) / アリシア・デ・ラローチャ国際コンクール第2位 / アルトゥール・シュナーベル国際ピアノコンクール第2位 / サン・マリノ共和国国際ピアノコンクール第3位 / ジュリアーノ・ペカール賞国際ピアノコンクール最高位(1位なしの2位) / ブゾーニ国際ピアノコンクール・ディプロマ賞 】

2007年よりドイツ・ベルリンにて演奏家ヴィザを取得、本格的な演奏活動を開始。ヨーロッパ各地でのリサイタルやオーケストラとのコンサート、国際音楽祭など、年間約40公演に及ぶコンサートやリサイタルに出演。また日本でも『ラ・フォル・ジュルネ音楽祭 “熱狂の日”』、『ピアニスツ』シリーズ (トッパン・ホール)などに出演。

2006年にデビューCDをドイツで制作、ヨーロッパの新聞紙上にて絶賛された。 また、2008年には2枚目のCD「さすらい人幻想曲」を、 2011年には3枚目のCD「火の鳥~バレエ・トランスクリプションズ~」がリリースされた。 このほかにもマーティン・スタンツェライト との《ラフマニノフ&ブリッジ チェロソナタ》、 ソプラノ・川島幸子との《リヒャルト・シュトラウス&ドヴォルジャーク歌曲集》 が、リリースされている。

これまでに、ベルリン交響楽団(Berliner Symphoniker)、ベルリン・ホーエンフェルス交響楽団、ドルトムント管弦楽団、イエナフィルハーモニー管弦楽団、ホフ交響楽団、グロッセート交響楽団、ルーマニア国立バカウ交響楽団、広島交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、 東京音楽大学オーケストラ、カレッジオペラハウス管弦楽団、カンマーフィルハーモニーHiroshima、岡山フィルハーモニック管弦楽団と共演。

ピアノを、故・三宅民規、弘中孝、東誠三、野島稔、柳井修、ラザール・ベルマン、E.ラピツカヤ、R.D.アーレンスに師事、マスターコースにて、A.ワイセンベルク、パウル=バドゥラ・スコダに師事。

岡山芸術文化賞グランプリ、マルセン文化賞受賞。
2012年3月、約14年に及ぶドイツでの生活にピリオドを打ち、日本に完全帰国。
同年4月より東京音楽大学ピアノ科専任講師。

川島基ホームページ  www.motoi-kawashima.com

次回以降、川島さんとの対談記事も掲載予定です。どうぞお楽しみに!
  1. 2017/05/16(火) 10:04:48|
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