(
対談その1)
(
対談その2)
佐藤 ポロネーズに限らず、シューベルトのことについて。
山本 うん、いくつかソロで弾いたことはあるけれど。僕がシューベルトで一番惹かれるところは、長調と短調、同主調で行ったり来たりするっていう。モーツァルトにもそういうところあるけれど、そこが特徴的で、いつも素敵だなと思う。
転調もね、今回のポロネーズでも主部の調とトリオの調が・・・
佐藤 はいはい、とんでもない調に飛んでいくっていう(笑)
山本 ねえ。気づいたら♭5つも付いてたみたいな(笑)、そういった理屈じゃないところっていうのかな。本当に
歌心のある人だから、純粋に身を任せて弾いたらすごく楽しいし、美しい。ポロネーズのハッとするような転調も、まるで初めて楽譜を見て弾いたようなイメージで弾けたら素敵かなって。佐藤君は、全曲やってらっしゃるけど、シューベルトの好きなところってどこ?
佐藤 やっぱりその
ハーモニーはすごく大きいよね。それまでの作曲家とは全然違うやり方で転調していくし、今言ってもらった同主調の、短調から長調に行ったりするっていうのもそうだけど、転調するといっても近親調に、ちょっと隣に行きましたっていうより、
遠隔調、全然違う世界に行っちゃうみたいな。
山本 そうだよね。
佐藤 それを準備なくふわーっとやられると、聴いている方は「うわ、どうしたんだろう」って、空気感が一瞬で変わるのが魅力的だと思うのと、あとはもちろん、これも今言ってくれたメロディーの美しさ。自然なメロディーの書かれ方がすごく良いなと思って。古典派的なものもあるし、ロマン派的なものにも少しさしかかっているんだけど、完全にロマン派のど真ん中というのではなくて、その境目っていうのかな。
山本 うーん。
佐藤 こっちに行きたいんだけど、でもモーツァルトからの伝統の書き方もあるしっていう、その間をすり抜けていく感じも僕は結構好き。
山本 なるほどね。
佐藤 ロマン派は、進んでいくにつれてだんだん僕はついていけないときが。これはちょっとどうかな、あなたは良いんでしょうけど、って思う曲も・・・
山本 (笑)
佐藤 古典派の曲は客観的に見て素晴らしいものが多くて、それとロマン派の個人的なものとの間っていうか。やりたいことを「このくらい表現してもいいでしょうか」みたいな謙虚な感じが良いかなと思うんだけど。
山本 曲は革新的なものもたくさんあるんだけど、性格はすごく控えめというか、
自分より他の人、聴いてる人とかのために何かしてあげている感じっていうのかな。優しい気持ちになる感じがあって。たとえばモーツァルトってシューベルトに重なって感じるところがあるんだけど、
モーツァルトはやっぱり「自分」なんだよね。
佐藤 ははあ、なるほど。
山本 自分からワーッと発信するものが強くて、私たちはもうひれ伏して「承知いたしました、そのようにさせていただきます」みたいなね、抵抗できないんだけど。
佐藤 (笑)
山本 なんかシューベルトっていう人はすごく親しみがあるし、かつ自分を隠さないっていうのかな、気持ちを伝えてくれる感じがして。とても気高いんだけど、決して冷たい感じではなくて、
語りかけてくるようなイメージがあって。
佐藤 そうだね。もともとの作曲家としての居場所が、仲間内のサークルだけでほぼ活動していた人で、最晩年に近くなってようやくウィーン中の人たちが知るようになったんだけれども。大きな会場で大きな出し物をバーンとやって、みんなをうならせるような人ではなくて、半径数メートルの人に聴かせるためだけに作曲していた。だからすごく個人的っていうのかな、本当に親しい人だけに「どうですか」って語りかける口調っていうのはそういうところから出てきたんじゃないかな。もちろん生まれ持っての性格もあったとは思うんだけど。
山本 うん。
佐藤 あとやっぱり彼自身が演奏家じゃなかったっていうのは大きいかもしれないよね。もちろんピアノも弾いていたみたいだけど、大きな舞台で弾けるヴィルトゥオーゾだったわけじゃないし、だからベートーヴェンみたいな演奏活動をしたこともなかった。この連弾もそうだけど、家庭内とか、友達の家でとか、そういう
内輪の音楽。たとえば2台ピアノの曲なんていうのはないわけだよね。
山本 ああ、うん。
佐藤 実は1曲あったっていう話もあるんだけど。
山本 ああそうなんだ。
佐藤 記録には一応残ってるんだけど、楽譜は消えてしまったという。コンチェルトは全く書いてないし。そもそも何の楽器のコンチェルトも書いてない。
山本 ああ、そうだね。
佐藤 そういう、オーケストラをバックに華やかなソロ、みたいなのはたぶん興味が無かったのか。
山本 偏りがあるよね。それこそショパンもそうだけど、
作らないものは一切作らないっていう。
佐藤 (笑)そうだね。まあ書いたところでどうせ演奏されないと思ったのかもしれないね。
山本 弾く側としては、もし作曲したらどういう曲になってたか興味があるけど。
佐藤 そうそう、
川島さんとお話ししたときも「コンチェルトが1曲もないね」っていう話になって、
「いや、もしかしたら生きてたら書こうと思っていたのかもしれない、このあとにとっておいたのかもしれない」って。そんなことあるかなぁ。
山本 ああなるほどね。そういう可能性も。
佐藤 でも意外なのは、
リストがシューベルトをすごく好きで、歌曲もたくさん編曲してるけど、
「さすらい人幻想曲」のコンチェルトヴァージョンがあるんだよね。リスト編曲の。
山本 へえ。ピアノソロとオーケストラで?
佐藤 そう。リストなんて、まあ同じフランツっていう名前ではあるけど、全然違う性格の音楽家だよね。なのにシューベルトに愛着があったのは面白い。
山本 なんか、また
ショパンが出てきてしまうんだけど、ショパンはリストのことを、もちろんテクニックっていう意味では尊敬してエチュードも献呈したりしているけど、いわゆる弾き方、スタイルについてはあんまりよく思っていなかったみたいで、レッスンで弟子に、なんでそういうふうに弾くんですか、
まるでそれじゃリストみたいじゃないですかって言っていたぐらい。
佐藤 (爆笑)ボロクソだな。
山本 ひどいよね。なのに、リストの方は本当にショパンのことを好きで、尊敬していて。あんなにいろんな女性と交際して、全然違う世界の人なのに、見る目は鋭いものがあったみたいで。それこそ「幻想ポロネーズ」について、リストが「病気との闘いが精神を疲弊させている、そういう香りがすごくする」って、つまり病的な感じの曲だっていうふうに言っていて、それってきっと賛辞なんだと思うんだけど。一方で
シューマンはね、割と手放しでワーッと賞賛したりして、ショパンの思っていることとずれたことを言って。
佐藤 あの人、
基本全部妄想だからね。
山本 そうそう(笑)で、それもショパンに馬鹿にされたりしていたみたいなんだけど。
佐藤 (笑)
山本 ところがリストの方はすごく理解があって。だからリストは社交的、それも表面だけではなくて、その人のことをよく考えて自分から動くみたいなね、心の底からそういうことができた人みたいなのね。そういう人がシューベルトに惹かれるっていうのは必然というか、僕には理解できるところがあって。
佐藤 なるほどね。
山本 作曲家は曲を聴くとなんとなく性格が分かるというか。そういった意味ではシューベルトに惹かれるっていうのは、自分の中に同じ部分が存在しているっていうことなのかな。シューベルトの曲をリストが編曲するときの
編曲の仕方って佐藤君どう思う? たとえば原曲に忠実とか、すごく華やかに飾ってあるとか。
佐藤 うーんとね、基本あんまり忠実ではないよね。もちろん全然変えちゃってるわけではないけど、リート(歌曲)の編曲の場合は無言歌スタイルっていうか、メンデルスゾーンが無言歌でやったみたいに、伴奏のパートをどっかの手にやっておいて、右手でメロディーをやるっていうのが普通の書法。いわゆる有節歌曲で、1番・2番・3番とあると、リストの場合は旋律をまずテノールで、次はアルトで、最後はソプラノにして、と移動させていって、かつだんだん華やかな感じに飾りが増えていくっていうのが、お決まりのパターンだよね。だから最初は原曲っぽい感じで始まるんだけど、そのままでは絶対終わらなくて、どんどん鍵盤の端から端まで使うような感じになっていって。
山本 端から端まで。なるほどね(笑)
佐藤 シューベルトじゃないけど、シューマンの献呈っていう歌曲あるでしょ。あれのリストの編曲すごく有名だけど、あれクララ・シューマンの編曲版もあるのね。
山本 へぇ。
佐藤 クララ・シューマンの方は本当に原曲通り。原曲の歌のパートをピアノに挿入しているだけで、ほぼそのままなんだけど、リストはまず前奏も1小節多いし。
山本 ねえ。
佐藤 途中にも余計な、無かったものが入ってくるし、一番最後にもう1節やるから、すごくくどくなってるわけ(笑)。その
くどさがやっぱりリストかなっていう。
山本 (笑)
佐藤 歌の歌詞がないぶん、詩の世界もピアノで表現しようとリストなりに思った結果かなとは思うんだけど。
山本 なるほどね。自分が弾くことによって曲を広めようっていう、そういうのもあったんだろうね。だから、変な言い方かもしれないけど、リストって
ボランティア精神っていうか。
佐藤 ああそうだね。サービス精神っていうのかな。
山本 それがすごくあるっていうか。だから根はとてもいい人だったのかなっていうのがね。シューベルトと不思議なところでつながる。
佐藤 シューベルトは、ドイツ語圏の音楽家には影響を与えているところが多くて、シューマンなんかはすごく影響を受けてるんだよね。もちろんブラームスもそうだけど。ただそれ以外の国の音楽家にはあんまり知られていないというか、知っていてもほぼ有名な歌曲だけみたいなところがあって。それこそシューマンは一番初期のシューベルトの研究者だったんだよね。シューベルトってお兄さんの家で死んで、お兄さんが仕事場をそのままにしておいたわけ。10年経ってからそこにシューマンがやってきて、バッと開いたら楽譜の束がたくさん出てきたっていう有名な話が。
山本 へえそんなことが。
佐藤 シューマンはもともと音楽家になろうとした一番初期の頃にシューベルトにやられていて、トリオとかを聴いてすごく感動したらしいのね。だから直接会ったことはなかったんだけど、信奉者なわけ。そういう意味では、謝肉祭とか、ダヴィッド同盟とか、ああいう舞曲集っていうのはほぼシューベルトの舞曲集を下敷きに書かれているんだよね。シューベルトがそれほど知られていなかった当時、シューマンってすごく新しいものを作った感じがするんだけど、実はシューベルトの方が先にやっていたことが結構あったりする。
山本 そういう形で影響を与えているんだね。でもやっぱり
ドイツの歌い方ってあるよね、独特の。
佐藤 それはやっぱり
言葉から来てるんだとは思うんだけどね。旋律線の作り方とかも。シューベルトはサリエリの弟子なんだけど、サリエリはそれが嫌いだったらしい。
山本 へえ。
佐藤 イタリア人からしたらドイツ語なんていうのはすごく野蛮な言葉で、ドイツ語の詩に曲を付けるなんて、何やってんだみたいな。イタリア語に曲を付けなさいと。
山本 あーやっぱり。
佐藤 で、イタリア語に曲を付けてるシューベルトの曲もあるんだけど、そうすると僕らの耳で聴くとちょっとモーツァルトっぽいっていうのかな。つまり伝統的な付け方なんだけど、やっぱりシューベルトのオリジナルなメロディって言うのはドイツ語の詩に付けてるときに出てくる。だからフランス語に曲を付けるとやっぱりフォーレとか、ああいうふうになるんだろうし、旋律線とかフレージングが言語によって規定されるところはあると思うんだよね。
(対談完 ・ 2019年8月19日、さいたま市にて)
- 2019/09/30(月) 21:56:23|
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シューベルトとポーランドの民俗舞曲「ポロネーズ」は、なかなかイメージが結びつかないのですが、そのあたりのお話を。
(
対談その1)
山本 興味深いのは、なんでシューベルトはこんなにたくさんポロネーズを書いたんだろうね。ポロネーズのリズムをとても大切に作曲されていて、それでいて1曲1曲、少しずつ表情の違いがあってすごく素敵なんだけれど、
シューベルトってポロネーズに興味があったのかな?佐藤 まあそうだねえ、完成したのはこの10曲だけなんだけど、あと面白いのは、
ソロのポロネーズって1曲も書いてないのね。
山本 ああ! なるほどね。
佐藤 連弾のためにしかポロネーズは書いてない。あと1曲ヴァイオリンの曲でポロネーズっていうのがあるんだけど(D580)。それはもう、
踊るための曲ではないのね。舞踏会で踊るんだったらソロの曲が絶対あるはずだし。
山本 うん。
佐藤 連弾っていうことは、
家庭で楽しむための小品、そのひとつの分野としてポロネーズを作ったんだと思うんだけど。
山本 うーん。
佐藤 最初にできたのが
D599の「4つのポロネーズ」で、これは
ハンガリーのツェリスっていう町に夏の間、エステルハーツィのお嬢さん姉妹を教えに行ったときに書いた曲で。
山本 ふーん。
佐藤 そのときは他にもたくさん連弾の曲を書いてて、実は
前回中桐さんとやったときにはその年にツェリスで書いた曲をまとめて弾いたんだけどね。
山本 へえ。
佐藤 まずレッスンのときにシューベルトと姉妹のどちらかが連弾すると。そういう曲に関しては片方のパートがすごく難しかったりするわけ。それはそっちをシューベルトが弾いて、簡単な方を生徒が弾くみたいなね。でも、このD599のポロネーズに関してはどちらかというと2つのパートにそれほど差が無いから、
姉妹2人での連弾の教材として書いたっていう見方が強いんだよね。
山本 うーん、なるほど。
佐藤 で、仕上がったら夕食会で伯爵、お父さんに聴かせるとか、そのくらいの華やかさはあって、聴いても弾いても楽しいという。ところが
D824の「6つのポロネーズ」の方はまた違って、もっとずっと後の時代に書かれてる。そして書いたらあっという間に、数ヶ月後にはもう出版されているという。
山本 すごいね。
佐藤 だからたぶん、「ポロネーズを書いて下さい」って
出版社から依頼を受けて、求めに応じて書いてそのまま出したんじゃないかと。とすると、ポロネーズにもそういう需要があったのかな。たとえば行進曲なんかはそうなんだよね、マーチはウィーンでとても人気があったから、シューベルトはマーチを書いては出し、書いては出しという感じで。同じようにポロネーズっていうのもひとつの連弾の曲のジャンルとしてあったのかな。
山本 今回シューベルトのポロネーズをご一緒させていただいて、ショパンにない面白いところだなと思ったのが、さっき8小節単位っていうお話をされたけど、8小節+4小節で12小節っていうのが。
佐藤 そうそう、12小節多いよね。
山本 まずは8小節、でそのあとに4小節。
佐藤 コーダみたいなね。
山本 そう、その部分に工夫っていうか魅力的な部分があって、いわゆる
「少し字余り」っていうのかな。そこが飽きさせないポイントなのかなって。
佐藤 なるほど、そうだね。
山本 今回のプログラムもポロネーズが10曲続くけれども、全部同じ形式で、テンポもそんなに変わらないけど、その字余り的なところが出ることによって、通しで弾いても飽きが来ないというか。
佐藤 確かに面白いよね。そう、ちょっと思い出した。
「グラーツ幻想曲」って知ってる?
山本 グラーツ? 知らない。
佐藤 D605Aっていう枝番号が付いた曲なんだけど、ちょっと怪しい曲で、本当にシューベルトの曲なのか確証がないんだけど。
山本 うん。
佐藤 というのはヒュッテンブレンナーっていう友達の作曲家がいて、その人が筆写譜を持っていたわけ。表紙にこれはシューベルトの幻想曲ですって書いてあって、それが1969年かな、最近になって発見されて。C-durで始まる結構長い曲なんだけど、その途中にね、Fis-durで、alla polaccaっていう部分があって。
山本 へえー。
佐藤 それが唯一シューベルトがピアノソロのために書いたポロネーズかな。曲全体ではなくてある一部分だけなんだけど。
山本 それが唯一。
佐藤 そうだね、僕が知ってる限りでは。
(その3に続く)
- 2019/09/29(日) 04:13:07|
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2019年10月3日の佐藤卓史シューベルトツィクルス第11回「4手のためのポロネーズ」の連弾ゲストは、ピアニストの山本貴志さんです。
山本貴志(やまもと・たかし)●ピアニスト1983年長野県生まれ。02年桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)を首席で卒業後、ソリストディプロマコースに在籍。08年ワルシャワ・ショパン音楽アカデミーを首席で卒業。04年第56回プラハの春国際音楽コンクール第3位入賞及び最年少ファイナリストに贈られる“ヴァレンティーナ・カメニコヴァー” 特別賞を受賞。05年第4回ザイラー国際ピアノコンクールにおいて満場一致で優勝およびショパン作品最優秀演奏賞受賞。同年、第15回ショパン国際ピアノコンクール第4位入賞。06年アメリカ・ソルトレークシティでの第14回ジーナ・バッカウアー国際ピアノコンクールで第2位及び第33回日本ショパン協会賞を受賞。04年度文化庁新進芸術家海外留学研修員。
これまでに大島正泰、玉置善己、ピオトル・パレチニの各氏に師事。現在ポーランド・ワルシャワに在住。リサイタル、オーケストラ共演の他、室内楽も精力的に行っている。CDはavex-CLASSICS よりショパン:ワルツ集とノクターン集をリリース(いずれもレコード芸術誌特選盤)。最新盤は「Dreaming~ドリーミング~」(ALTUS)。繊細な音の世界と生命力あふれる演奏は高く評価され、注目を集めている。
オフィシャルホームページ takashi-yamamoto.com
- 2019/09/26(木) 19:04:39|
- シューベルトツィクルス
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