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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
次回公演詳細

[告知] シューベルトツィクルス第20回「4手のためのソナタⅡ ―1824年、ツェリスにて―」

2024年6月19日(水) 19時開演 東京文化会館小ホール  ゲスト:中桐望(ピアノ)*
♪17のレントラー D366
♪4つのレントラー D814 *
♪創作主題による8つの変奏曲 変イ長調 D813 作品35 *
♪4手のためのソナタ ハ長調 D812 作品140「グラン・デュオ」*
一般4,000円/学生2,000円 →チケット購入
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  1. 2024/06/19(水) 19:00:00|
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[告知] シューベルトツィクルス第18回「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」

シューベルトツィクルス第18回
2023年5月17日(水) 19時開演 東京文化会館小ホール  ゲスト:林悠介(ヴァイオリン)
♪ヴァイオリンとピアノのためのソナタ(ソナチネ) ニ長調 D384 作品137-1
♪ヴァイオリンとピアノのためのソナタ(ソナチネ) イ短調 D385 作品137-2
♪ヴァイオリンとピアノのためのソナタ(ソナチネ) ト短調 D408 作品137-3
♪ヴァイオリンとピアノのためのソナタ(デュオ) イ長調 D574 作品162
一般4,500円/学生2,500円 →チケット購入
  1. 2023/05/17(水) 19:00:00|
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林悠介インタビュー (4)きっとチャンスだと思って

(第3回はこちら)

佐藤 それで聞こうと思ったんだけど、オケの人たちにとってシューベルトの曲をやるっていうのはどんな感じなのかなと。どういう反応っていうか。
林  反応。
佐藤 まず、結構やるものなの? ドイツだとたまにやるとか。
林  シューベルトはやっぱりそれなりに、といってもよく弾くのはなんといっても「未完成」。日本ほどは弾かないけど。日本は結構弾くよね、未完成。
佐藤 日本はまあそうだね。
林  読響はよく弾くんだけど。あと「グレート」とかね。
佐藤 うん。「グレート」になるとちょっとやっぱり回数としては少ないかなと。
林  そんなにしょっちゅう弾くものではないね。長い曲だし。僕はシューベルトが好きだから楽しいんだけど、ただ例えば「グレート」にしても、繰り返しっていうかひたすらぐるぐるぐるぐる…
佐藤 反復が非常に多い(笑)
林  お経を唱えてるようなところ(笑)。まあそれが心地いいんだけど、ちょっとしんどいところもないわけじゃないけど。コンサートで弾けば良さって、伝わってくると思うんだけど。
佐藤 逆にそれより前のシンフォニーとかってやることある?
林  時々。5番は美しくて特に印象に残っているな。だけどどうだろう、僕にとってはオーケストラの作曲家っていうよりも、どっちかというとピアノ曲とか歌曲とか、室内楽とか、そういうところでより良さが伝わってくるような。シューベルトらしさというかね。
佐藤 確かにね。歌曲はやっぱり独特で、彼が始めた、創始したジャンルみたいなところがあるから、もちろんメロディーも素晴らしいんだけど。でも本人的にはやっぱりシンフォニーと書きたかったらしいんだよね。
林  らしいよね、でもなんせまあ、ベートーヴェン様っていうのがいたし。
佐藤 まあ書いたところでなかなか演奏もされないし。でもどうやらその初期のシンフォニーは、当時ハトヴィヒっていうパトロンみたいな人がいて、その人がオーケストラ持ってて、その邸宅で初演したっていう話で。だからシューベルトが自分で指揮するなり、少なくともたぶん聴いたはずだと。ところが今演奏されてるその「未完成」とか「グレート」とかいうのは、生前には少なくとも演奏されてないんだよね。
林  うーん。
佐藤 だから楽譜は書いたけれども、実際に耳にすることはなかったんだろうといわれている。最後の「グレート」に関しては、楽友協会から、何か弾いてあげるから楽譜を出しなさいって言われて、書いて出したんだけれども、結局却下されて。で、その演奏会の前に本人は死んじゃうんだけれども、実際に演奏されたのは6番だったかな、C-durの違うシンフォニーで。だから結局「グレート」もその後ずっとお蔵入りになって、シューマンが発見するまで10年間ぐらいそのままだったというから、不運というかね。まあそういう曲はたくさんシューベルトの場合あるんだけど。
林  もうちょっと長生きっていうか、長生きとまでいかなくてももう少し生きていれば、大きな曲ももっと作れたかもしれないよね。
佐藤 そうだね、やっぱりキャリアを積むには、あまりにも人生が短かったとは思う。
林  もう少し生きていたらどういうふうになってたんだろうなって考えると、面白いけど。



佐藤 今回は、ヴァイオリンとピアノのソナタっていうか、多楽章構成のものをお願いするということで、全部で4曲あるわけだけど、何か印象とか。
林  シューベルト好きな割にはそこまでたくさん弾いてきたわけじゃないから、オールシューベルトで、さらにソナチネとソナタで固めるプログラムで、もう本当に大好きな、美しい曲なんだけど、果たしてこのプログラムで曲の魅力をうまくお客さんに伝えられるだろうかという不安はあった。でも実際に練習してみたり、合わせてみたりすると…このソナチネ3曲は同じ年に書いてる。
佐藤 そうだね。
林  だけど、1番・2番・3番で全然違うしね。後半のグランデュオは、翌年かな?
佐藤 そう。
林  同じ時期に書いた曲をいろいろ聴き比べられるのも面白いかもしれない。19歳・20歳で書いたとは思えない、深い部分もあるし。すごく楽しみになってきた。なかなかの挑戦ではあるんだけど。
佐藤 なんか本当に、こんなプログラムにお付き合いいただいてありがとうございます。なかなかやってくれる人いないと思うんだよね(笑)。毎回そうなんだけどこのシリーズにお呼びする人は結構いろいろ考えてお声がけしていて。今のところまだ断られたことはないんだけど、最初に話すと「えっ?」みたいな感じで。
林  自分ではなかなか言い出せないプログラムだよね、よほど自信があるとかじゃないと。
佐藤 ヴァイオリンのソリストでも、シューベルト4曲でって言われたら「へぁ?」みたいな感じじゃないかと。
林  「ちょっとそれは…」って人がおそらく多いんじゃないかな。でもやっぱりお互いウィーンつながりっていうこともあるし、やっぱり長年ウィーンに住んだ身としてはすごく価値ある挑戦かな。これは逃げてはいけないな。これはきっとチャンスだ、と思って取り組むことにしました。お声がけありがとうございます。
佐藤 じゃあ良い演奏会になるように。よろしくお願いします。

(インタビュー完・2022年10月25日、さいたま市にて)
  1. 2023/05/12(金) 23:45:04|
  2. シューベルトツィクルス
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林悠介インタビュー (3)コンマスのお仕事

(第2回はこちら)

佐藤 そこ(レックリングハウゼン)はどんな感じでした? オケの仕事としては。
林  合併したオケだったから、人数多くて130人ぐらいいて。日本にも似たようなオケがあるけど、二つの部隊に分かれて並行してやるようなところだった。
佐藤 へえ。
林  とにかく忙しくて、当時は。シンフォニー中心の定期演奏会は、周辺の小さな街でも行われたから回数が多かったし、もちろん歌劇場でのオペラ、ポップスコンサート、あと各地の教会で所属の合唱団との宗教音楽コンサート、ネトレプコなどの有名歌手とのガラコンサートでドイツ中回ったりもした。僕がオケの曲全然知らなかったのもあるんだけど、もう次から次へとひたすら譜読みで。そういう意味では大変だったけど、すごく鍛えられていい経験にはなったと思う。色々な曲弾けたからね。それこそオペラは、初めて弾くオペラが「サロメ」で。リヒャルト・シュトラウスの。
佐藤 (笑)そりゃまた大変だな。
林  それが最初の仕事だったかな。「はい、まずはサロメお願いします」って。
佐藤 いきなりハイレベルなところから始まった。
林  最初のオケの曲はブルックナーの9番だった。それもまたマニアックな曲で。
佐藤 (笑)まあブルックナーはオーストリアではおなじみですけど。
林  その後ハノーファーに移って。
佐藤 あ、その次がハノーファーなんだ。
林  そう。NDRっていう、北ドイツ放送の所属のオーケストラで、そこは第1コンサートマスターじゃなくて、副コンサートマスターだったんだけど。そこは僕がハノーファーのヴァイオリンコンクールを受けたときに、本選でそのオケがブラームスの協奏曲を伴奏してくれて、すごく良かった記憶があって。より世界的なソリストとか、有名な指揮者が来るオケだったから、それを経験したいという気持ちもあって、移った。充実した2,3年間だったんだけど、当時結婚して子供ができて、でも妻の所属しているオーケストラが遠くて通うには難しい距離で。
佐藤 うん。
林  ちょうど妻が働いてた街の近くのオーケストラ、ヴッパータールの第1コンサートマスターがずっと空いてると聞いて。それに僕自身もやっぱり第1コンサートマスターをまたやりたい気持ちがあったから、オーディションを受けたら受かって。その後4年間ほど在籍していたよ。
佐藤 じゃあドイツは3箇所。
林  3箇所だね。3つのオケを合わせて9年間。だからウィーンも9年、ドイツも9年。
佐藤 すごいな。それで帰ってきたのは去年(注・2021年)かな?
林  そうだね、縁があって読響からコンマスのお誘いを受けて。

林悠介インタビュー3

佐藤 これはどこまで聞いていいのかわからないけど、日本のオケで2年ぐらいやってみて、ドイツ時代と働き方って結構違うものですか?
林  うーん、そうね。
佐藤 どんなところが違う?
林  もちろんドイツもいろんなオーケストラがあるから、一概に言えないとは思うんだけど。ドイツのオケの方が、割と時間をかけてリハーサルするっていうか、リハーサル日程に余裕がある感じはあるかな。回数も多いし。
佐藤 そうなんだ。
林  それもね、日数があると団員も最初ちゃんと準備してこなかったりするから、割とスロースタートな感じはある。最初好き勝手に弾いていて、最後の方になってぐわーっとまとまってくる。まとまらないこともあるけど(笑)。そういう感じ。
佐藤 そうなんだ。
林  あとプログラムも違うかな、結構。プログラムの内容も。
佐藤 曲はそうだろうね。
林  指揮者(シェフ)にもよると思うけど、ドイツは全体的にはあんまりロシアものをやらない
佐藤 ああ、確かにその印象はあるかもね。
林  今の戦争は関係なくね。だから日本のオケの人は暗譜するほど弾いていると思う、チャイコフスキーの4番5番6番とかも、1回弾いたことあるかな、くらいの感じで。
佐藤 あっそうなんだ。
林  第九とかもね、それこそドイツのオケはそんなに弾かないから。何年かに1回。
佐藤 まあ第九は、日本は毎年やらざるを得ない。
林  「新世界」も滅多にやらない。
佐藤 あっそう?
林  7番8番は意外に弾くんだけど、9番は滅多にやらない。
佐藤 なんでなんだろうね。なんでこんなに日本人は9番が好きなんだろう。逆にドイツのオケでこれはしょっちゅうやるとかっていうのはある?
林  というのはなかったかな。もちろんその土地のお客さんの好みの傾向はあったけど、お客さんを飽きさせないように、新しい発見があるようにと多種多様なプログラムが組まれていた気がする。
佐藤 僕はドイツのオーケストラの定期演奏会とかあんまり聴いたことないからわからないんだけど。そう言われれば、なんかブラームスとかよく見たような気が。
林  あ、それこそハノーファーはブラームスよくやる
佐藤 やっぱりそうなの?
林  ハノーファーっていうか北ドイツのものという意識が。
佐藤 ハノーファーはゆかりがあるらしくて、確かブラームスのピアノコンチェルト1番ってハノーファーで初演したっていう。
林  すごい弾いた、あれは。
佐藤 そうでしょ(笑)
林  3年間で5回ぐらい弾いた、日本の新世界なみに。「あれ、また?」みたいな。それでお客さんも入るんでね。ブラームスだとすごい入る。すぐ売り切れる。
佐藤 ハノーファーの駅のすぐ近くにヨアヒムシュトラーセ(ヨアヒム通り)っていうのがあって、そこにヨアヒムが住んでたのかどうか知らないけど、とにかくヨアヒムはずっとハノーファーにいたので、それこそコンクールもヨアヒムコンクールなわけだ(注・ハノーファー国際ヴァイオリンコンクールの正式名称はInternationaler Joseph Joachim Violinwettbewerb, Hannover)。それでブラームスがコンチェルトを書いたときに、まだ当時はブラームスってたいしたキャリアがあったわけじゃないので、ヨアヒムがだいぶ尽力して。ブラームスとしてはあれがほぼ初めての大編成の作品で、その初演をハノーファーでやったっていうんで、なんかハノーファーの音楽家からするとそれが誇りらしくて。
林  そうなんだ。ピアノコンチェルト1番、あとシンフォニー1・2・3・4は弾いたね。確かにハノーファーではブラームスはやった。
佐藤 自分たちのものだと思っているんだろうね。ご当地もの。
林  そうだね。オケも得意だったし、いっぱい弾いてるっていうのもあるんだろうけど。

(つづく)
  1. 2023/05/06(土) 20:50:26|
  2. シューベルトツィクルス
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林悠介インタビュー (2)ウィーンらしさ、とは

(第1回はこちら)

佐藤 今回シューベルトをご一緒したいなと思ったのには、やっぱりウィーンの音楽っていうものを理解している人っていうのはすごく僕の中では大事なことだったので。それが何なのかっていうのは、難しいところなんだけど…どう思う? ウィーンの独特の音楽の伝統、語法っていうか。
林  確かにあるとは思うよね、やっぱりウィーンらしさ、ウィーンならではというか、ウィーンだけのものっていうのは。やってみてくださいって言われるとものすごく難しいことなんだけど。そのあと僕、オーケストラの仕事でドイツに移ったけど、ウィーンの作曲家、モーツァルトとかハイドンとかシューベルトとかやると、全然感じ取り方が違うんだよね。
佐藤 そうなんだよね。
林  求めている音も全然違うし。だからなんだろうな、音楽ってすごく幅があって、懐が深いというか、いろんな解釈があって、どれが正しいと断言はできないけど、やっぱりウィーンの作曲家に合う、ウィーン風の演奏スタイルは確実にあるよね。それが他の町や国で必ず喜ばれるかどうかわからないけど。
佐藤 確かにそれはそうだ。
林  やっぱり9年間住んでいた身からすると、そういうスタイルや音色、センスに接するとやっぱりその、ほっとするっていうか、これだよなっていうような気持ちになる。
佐藤 僕は逆にドイツ時代が先にあってさ、5年間ドイツにいて、その後ウィーンに行ったので、その違いみたいなものを強烈に感じたっていうか。
林  そうかもね、ドイツが先だと特に。
佐藤 ウィーンは、音楽を聴く機会がすごく多い街で。例えばオペラとかオーケストラとかいっても、もちろん全部ウィーンの人たちがやってるとも限らないし、ウィーン風なわけでもないんだけれども、たまにウィーンフィルとかあるいはシンフォニカー(ウィーン交響楽団)とかを聴くと、なんか独特のセンスがあるよね。音色感もちょっと違うところがあるような気がするし、他の街とはどうも違う感覚があるような…何なんだろうなと思うんだけど。僕はウィーンで勉強したのは2年間だけだったから、長くいた人はどう思うのかなと。ドーラ先生は別にウィーン出身というわけではないよね?
林  そうそう、ロシア系の人だから。
佐藤 ウィーンの伝統的なことについて指導があったわけではない?
林  そうだね、指導があったわけじゃないけど、とはいえやっぱり長年住んでるから、ものすごく影響というか、共感してる部分はあったんだなって、離れてから感じたね。
佐藤 なるほどなるほど。
林  同じロシア系で、同じ年代の先生とかと比べても、全然アプローチが違うなと思う。やっぱり長年住んで、それこそウィーンフィルも何回も聴いてるわけだし、あと同僚の先生たちもウィーンの人が多かったから。アルバンベルク・カルテットのピヒラーとも仲良かったし、そういうところから、先生自身も学んでたみたいだから。
佐藤 そうなんだ。なんかウィーン時代の思い出とかあります? 一言では言えないと思うけども。
林  それこそコンサートをいっぱい聴けたのは、すごく良かったなと思う。当たり前のようにウィーンフィル聴いて、オペラにしても、もちろんお金なかったから立ち見が多かったけど。そういうのを聴いて感動した思い出とか…あと、ウィーンも最近はいろいろ変わったけどやっぱり昔のものが残ってるね、旧市街だったり。それこそ、父親の影響で僕も「冬の旅」を散々CDで聴いたけど、冬に自宅に帰るとき、当時結構郊外の、Ober St.Veitっていう地下鉄の終点の近くに住んでたんだけど。
佐藤 おお、だいぶ遠いね。
林  帰り道に雪の中歩いていると、ふと「冬の旅」のメロディーが浮かんできて、ああこういう雰囲気っていうか空気感なんだなって、はっとする瞬間とか。だからといって簡単に演奏に生かせるわけじゃないけど、その感覚を味わえたっていうか、覚えられたっていうのは、大きいかな。今でも自分が演奏していてそういう記憶が蘇ってくると、やっぱり楽しいし音楽が身近なものに感じるかな。
佐藤 うーん、長年住んだ人ならではの感覚だね。

林悠介インタビュー2


佐藤 ウィーンを離れるきっかけになったのは、オーケストラに入るっていう。
林  そうね、コンサートマスターになりたいっていう夢が元々あって。それこそ日本を発つときに、原田先生に「ただ留学しても意味がない、何かはっきりした目標を持ちなさい」と言われ、「ヨーロッパのオケのコンサートマスターになりたいです」と話したら、「おおそれは立派な夢じゃないか。必ずやりなさい、やり遂げてきなさい」と言われ出てきたんだけど。
佐藤 へえ。
林  だけどウィーンの先生も教え子にコンサートマスターは多かったけど、それに特化した先生ではなかったし、僕もコンクールに挑戦する傍ら室内楽にも力を入れていたんだけど、ある程度の年齢になって、どうしてもコンサートマスターに挑戦してみたいなと思って。ドイツ、オーストリア、スイスのドイツ語圏のオーケストラで、コンサートマスターの募集のかかっているところはレベル関係なくほとんど全部応募してみたんだけど、20箇所出して、確かオーディションの招待状が来たのが2箇所で。
佐藤 うーん。
林  もともとドイツは書類選考が厳しいけど、オーケストラの経験がほとんどない人がいきなりコンマスに応募しても難しいと思うよ。でもドイツはなにせオーケストラの数も多いから、その招待してくれたオーケストラもドイツで、早速オーディション受けに行って。
佐藤 もう最初から第1コンサートマスターで。
林  そう、そこは運良くそれで受かったけど、今思うと経験がない人をよく取ってくれたなと思うよ(笑)
佐藤 すごいな。そのコンサートマスターの試験って、試験勉強とかどういうことをするの?
林  いわゆるオケスタ(オーケストラスタディ)ね。コンサートマスターだと有名なソロの部分の抜粋。ウィーンの音大でも教えてくれる先生がいて、授業の枠で個人レッスンもしてもらっていたよ。
佐藤 ああそうなんだ。
林  うん。クロイザマーというウィーンフィルのメンバーの先生に習ってた。
佐藤 それってみんな取らなきゃいけないの?
林  みんな取らなきゃいけない。数ゼメスターは。
佐藤 じゃあみんなとりあえずはやってるんだね。どのくらいやったかは別にして。
林  別に演奏は義務じゃないから、ただレッスンを聴講してサインだけもらえばいいんだけど、せっかくだから僕は順番を待って演奏するようにしていたよ。あ、でも卒試でもオケスタを弾かなきゃいけないのよ、ウィーンは。トゥッティのオケスタと、最後の修士の試験は、コンマスのオケスタ弾かなきゃいけない。
佐藤 なるほど。じゃあみっちりやらなきゃだね。
林  あと大事なのは必ず一次予選に出るモーツァルトのコンチェルトね。でも実際のオケのオーディションだと、コンクールと全然違って時間がすごく限られていて、5分くらいしか弾けない。全曲通して弾いた中で総合的に見てもらえるわけではなくて、「はい次の人」って呼ばれて、ぱっと弾いて、最初ミスしたら「はいおしまい」って世界だから。
佐藤 (笑)
林  それは言い過ぎだけど。最初から、限られた時間で見せなきゃいけないっていうのはまた違うトレーニングが必要なんだよね。だから人前で弾く練習も繰り返したけど、最初はなかなかうまくいかなかったね。オーディションはやっぱり独特の雰囲気があるし、衝立があって向こう側が全く見えないこともある。
佐藤 あ、ブラインドでやるんだ。
林  ブラインドでやるオケもあって、逆に何か変な感じだった。
佐藤 そうだよね(笑)どこ向いて弾けば良いのか。
林  衝立の向こうがどのくらいの広さで、何人が聴いているのか全然見えない。ある意味コンクール以上に緊張したかもしれない。
佐藤 そうか、なるほどね。一番最初に行った街はどこ?
林  レックリングハウゼンというドイツの西部の街で、ドルトムントやエッセンの近く。あの一帯はルール工業地帯といって以前は石炭工業で栄えていたんだよ。だから、ウィーンから来たこともあったと思うけど、あまり街並みが美しいとは感じなかったかな。
佐藤 (笑)
林  僕が在籍していたオーケストラは、そのレックリングハウゼンのシンフォニーオーケストラが、隣町のゲルゼンキルヒェンという町の歌劇場オーケストラを吸収合併してできたオーケストラ。歴史的にいえば労働者の街だけど、かつてのドイツの政策で、娯楽と芸術的な施設を各都市に作ろうというものがあったらしく、サッカー場と歌劇場をドイツ各地に作ったらしいんだよね。それこそ、ゲルゼンキルヒェンにはシャルケっていう、僕がいた頃に内田選手が活躍していた有名なサッカーチームがあって、日本人ファンも時々見かけたよ。
佐藤 はいはい。
林  サッカーチームと歌劇場が地方都市にも揃っているのが、ドイツらしいところだね。
佐藤 面白いね。日本だとさ、工業都市とか労働者の街っていうのはあんまり文化的なことをやらない。なぜかっていうとナイトライフみたいなものがなくて、朝早く工場行って、仕事終わったら帰って寝るだけだから。
林  うん。
佐藤 だからレストランとかが閉まるのも早いし、夜にコンサートを聴きに行くような文化が生まれないっていう話なんだよね。コンサートを聴きに来る人たちっていうのは割とホワイトカラーで。
林  そうか。
佐藤 大都市で、あんまり朝早く仕事に行かなくてよくて、そんなに疲れずに夕方仕事を終えた人たちが、その後繰り出してコンサート聴きに行く、みたいな感じだと。そこらへんがやっぱり違うよね。娯楽としての歴史の長さもあるんだと思うけど。

(第3回につづく)
  1. 2023/05/04(木) 23:08:43|
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