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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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アレグロ イ短調 D947(「人生の嵐」) 概説

アレグロ イ短調 (「人生の嵐」) Allegro a-moll ("Lebensstürme") D947
作曲:1828年5月 出版:1840年(作品144)
楽譜・・・IMSLP

シューベルトの連弾作品の多くは、シューベルティアーデなどのプライベートな場で作曲者自身によって披露された。そのデュオ・パートナーを務めた人物として、ヨーゼフ・フォン・ガーヒーJosef von Gahy (1793-1864)の名前はよく挙げられる。彼は役人だったがピアノの演奏に優れ、シュパウンの紹介でシューベルティアーデのメンバーになった。シューベルトのお気に入りの連弾相手で、シューベルトの死後はその多くの室内楽曲を4手用に編曲した。彼や、劇作家のエドゥアルト・フォン・バウエルンフェルトEduard von Bauernfeld (1802-1890)、シューベルティアーデにこそ参加しなかったが密かに想いを寄せる相手でもあったカロリーネ・エステルハージ孃Caroline Esterházy (1811-1851)らとの連弾の経験が、あれほど大量の4手作品を生み出す原動力になったのだろう。
ただ、彼らはいずれもプロの音楽家ではなくアマチュアのディレッタント(愛好家)であった。シューベルト自身、ピアノの演奏技巧は一流とはいえず、そうした層との演奏を楽しんでいたふしがある。
しかし最晩年1828年の5月9日、完成したばかりのヘ短調の幻想曲D940を友人たちの集まりで初演したパートナーは、フランツ・ラハナーFranz Lachner (1803-1890)であった。彼はコンサートピアニストではないものの、長じてケルントナー劇場(現在のウィーン国立歌劇場)の指揮者やマンハイム、ミュンヘンのカペルマイスターを歴任、今でこそ有名ではないが、生前は多くの作品を発表し作曲家として尊敬を集めた人物であった。時にシューベルト31歳、ラハナーは25歳。才能溢れる若者との共演からシューベルトがインスピレーションを得たことは想像に難くない。最晩年の4手作品の充実は、ラハナーとの出会いがきっかけになったのかもしれない。

幻想曲D940の完成直後の5月に早くも書き上げられたのが、このD947のアレグロである。自筆譜は現存しないものの、ヴィッテチェク=シュパウン・コレクションに筆写譜が残っており、そこには「デュオ」というタイトルがついている。出版は1840年、ディアベリ社からで、このときに「人生の嵐(性格的アレグロ)」というキャッチーな表題がつけられた。

ヴィッテチェク=シュパウン・コレクションは、前述の通りウィーン楽友協会資料室に所蔵されている。「アルペジオーネ・ソナタ」D821と、本作D947の2曲がまとめられた第55巻を閲覧してきた。
1828年5月という日付があり、見開きの左ページがセコンド、右ページがプリモというパート譜形式で記譜されている。ぱっと見ただけで、書き間違いや書き落としが相当多いことに気づく。とりわけオクターヴ違いや小節をまたいだときの臨時記号はほとんど記されていない。これは当時の記譜習慣なのかもしれないし、原本が清書譜ではなく、正確に書かれていなかったということも考えられる。
一方で同じ自筆譜を底本にしたと思われる初版はというと、こちらは題名だけではなく楽譜そのものにもかなり出版社の手が入っていると思われ、オーセンティシティ(正統性)の観点からはかなり問題のある内容になっている。たとえば第2主題の再現時[458]、プリモに記された「con delicatezza」(繊細に)の発想標語は、どう考えてもシューベルトの指示ではない。
結果的に筆写譜・初版譜のいずれも信用に足らない部分があり、細かいデュナーミクやアーティキュレーションの違いについては、どちらを参考にすべきなのか迷うところも多い。

ディアベリによる「人生の嵐」という命名が知名度アップにつながったことは確かだが、そのせいで気まぐれで幻想的な作品という先入観を持たれやすい。ところが、実際には非常に堅固なソナタ形式で書かれている。

提示部 [1]-[259]
第1主題(1) [1]-[11]
第1主題(2) [12]-[36]
第1主題(1)の確保と展開 [37]-[58]
第1主題(2)の確保と展開 [59]-[72]
経過句 [73]-[88]
第2主題 [89]-[137] 変イ長調
第2主題の確保 [138]-[182] ハ長調
第2主題による展開 [183]-[198]
第1主題(2)による小結尾 [199]-[259]
展開部 [317]-[347]
ヘ短調~ [260]-[284]
ロ長調(主音保続) [285]-[316]
ホ長調(主音保続)~イ短調(属音保続) [317]-[347]
再現部 [348]-[622]
第1主題(1) [348]-[358]
第1主題(2) [359]-[389]
第1主題(1)の確保と展開 [390]-[407]
第1主題(2)の確保と展開 [408]-[421]
経過句 [422]-[437]
第2主題 [438]-[457] ヘ長調
第2主題の確保 [458]-[502] イ長調
第2主題による展開 [503]-[518]
第1主題(2)による小結尾 [519]-[577]
第1主題によるコーダ [578]-[622] イ短調

提示部・再現部の長大さに比して展開部が短いことや、提示の中で既に主題の展開が行われることはシューベルト後期のソナタでは通例のパターンだが、特筆すべきは第2主題がまず変イ長調で提示され、確保でようやく通常のハ長調に移行するという独創的な調性配置である。遠くから響いてくるコラールは、遠隔調を用いることであたかも異世界からのメッセージのように聞こえる。そしてその後の鮮やかな転調によって定石通り平行調のハ長調へ到達するため、ソナタ形式の論理性も失われない。
一方で第1主題の何かを拒絶するような強奏と、焦燥感のある旋律は実に印象的で、両主題間の対比も著しい。展開部だけでなく提示部の各主題確保後でも行われる、半音階を駆使した目まぐるしい転調は、まさに「人生の嵐」のニックネームにふさわしい。

モーリス・ブラウンをはじめ、この作品が多楽章ソナタの第1楽章として書かれたとみる研究者は多い。続くイ長調のロンドD951はその終楽章で、D617、D812に続く生涯で3番目の連弾大ソナタになるはずだったが、中間楽章を作曲できぬままこの世を去ってしまった、という推測である。
一方で、このソナタはD947とD951で完結していると説く者も多い。そのひとりがピアニストのアルフレート・ブレンデルだ。ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ第27番」(作品90)をモデルにした、「急(短調)・緩(長調)」の2楽章形式のソナタという見立てである。
このことについてはD951の解説で再度検討することにしたい。
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  1. 2017/06/16(金) 15:40:53|
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