(
インタビュー第2回はこちら)
崎谷 でも、私らから見たら5つ上の世代ですけど、佐藤先輩といえば大スターですよ。
佐藤 とんでもない。
崎谷 音楽的にもですし、活動の内容とか、すべて含めて、理想的だなと。
佐藤 いいよ僕のこと褒めないで。
崎谷 そりゃご本人はいろいろ思うことはあるでしょうけど、本当に尊敬できるっていう言葉がすっと出てきますね。僕は、先輩のように演奏一本ではとてもやれないと思っているので、演奏ももちろん大事なんですけれども、基本的にはどこかで指導しながらっていうことを軸に。
佐藤 そうそう、指導するのに、やっぱりこれまでの留学の経験とかは役に立ってます?
崎谷 そうですね、経験、うーん…
佐藤 どんなことを教えてるの?
崎谷 今教えている大阪教育大の学生は、理解力がある子が多いので、もう思ったことを言ってますけどね。基本的にどういう付き合い方をするのかが難しくて。
佐藤 ほう。
崎谷 要するに、
奏法をいじるかいじらないかって話ですね。
佐藤 はいはい。
崎谷 月一で来る生徒はいじれないんですよ、奏法。
佐藤 そうですよね。
崎谷 普段の先生のやり方でやってもらって、補強するしかないんですけど。でも、じゃあ奏法をやろうとなったら…
前腕を、4つに分けて、役割をあてて考えたりするんですよ。
佐藤 前腕を4つに分けるの?
崎谷 そう、前腕の最初のところ、手首側は、横に回転する。
佐藤 ほう。
崎谷 中央の、2番目のところは、上下に動かすと。3番目のところが、前後に。鍵盤の奥と手前です。
佐藤 なるほどね。
崎谷 で、肘に一番近いところは、横移動。というふうに分けて考えて、いろいろ論理を言うわけですよ。たとえば、
鍵盤の上にアナログ時計を置いて、このフレーズは、5時方向から逆時計回りに…
佐藤 あ、それはすっごいわかりやすいね!
崎谷 そういう論理を教えるっていうのが私のやり方ですね。
佐藤 へえ! すごいねそれ。
崎谷 研究してるんですけど、もっとわかりやすい言い方はないのかなって。
佐藤 プロフェッショナルですね。
崎谷 そういう研究が結構好きなんですよ。まあ、似非研究者ですけど(笑)
佐藤 いやいや、それはすごい良い先生ですよ。
崎谷 ただ、体重が僕あるんで。
佐藤 うん。
崎谷 こう、学生はやっぱり軽いんでね、体重が。
佐藤 (笑)そうだね。
崎谷 正味言ったら僕の2分の1以下ですよ。
佐藤 (爆笑)やっぱり女の子が多いの?
崎谷 まあそうですね。だから体重はセクハラになるからもちろん聞いたらダメなんだけど(笑)、そうなると、ちょっと軽い人の気持ちがわかりたいなっていうのが最近ね。
佐藤 あっはっはっは…
崎谷 いや僕が軽くなりたいっていうのもあるけど、軽い人がどうやって音を出してるんだろうっていうのは、指導者としては研究しないといけないなって思ってるんです。
佐藤 なるほど。確かに体格とか骨格って変えられないから、自分に似てる骨格のピアニストを見つけて、その人がどうやってピアノ弾いてるのかなっていうのを見るとすごく勉強になるよね。
崎谷 そうですね。
佐藤 でもみんなそれぞれ違うのに、同じように弾けば良いとは教えられないし、気になるところですね。
崎谷 難しいです。
佐藤 ぜひ指導法の本を書いたらいいんじゃないかな?
崎谷 そうですね(笑)研究がしっかりできれば。
ピアノと友だちになる50の方法
チェルニー活用法佐藤卓史・著 小原孝・監修
ヤマハミュージックメディア
定価¥1,600+税
佐藤 この間ヤマハさんのお仕事で、チェルニーの本を書いて欲しいって言われて。
崎谷 見ました。
佐藤 テクニックの分類をして、「音階を弾くときにはこういうことに気をつけましょう」みたいな簡単なことを書いたんだけど、とにかく言葉で説明するのがものすごく難しくて。
崎谷 難しいですよね。
佐藤 弾いてみせればこういうことだよって言えるんだけど、「手首をこの辺まで持ってきたらどう」とかいうことを、誤解しないように言葉にするってすごく難しいなあと思って。
崎谷 テキストと映像とを組み合わせてくれれば良いですよね。限定のYouTubeリンクを張って、とか。
佐藤 そうそう。まあそこまでしても違うメソッドの人はまた違うことを言うだろうし。
崎谷 違いますもんね。
佐藤 誰にでも当てはまるようなことを言うのは難しいよなあと。
佐藤 教鞭を執りつつ、
演奏活動も意欲的に。
崎谷 年に2回は、違うプログラムを作って頑張ってリサイタルをしようと思ってるんですけど。
佐藤 それ大変だよね。
崎谷 今兵庫県に住んでいまして、兵庫県はすごく文化を応援してくれる県なんです。
佐藤 ほう。
崎谷 都道府県でいうと、1人あたりの予算が3番目なんです。
佐藤 へえ。
崎谷 東京がもちろん1番なんですけど。私ももちろんこうやって東京で録音させていただいたりとかもあるんですけど、地元を大事にしていきたいと思っていまして。リサイタルをしても、そんなにたくさんの人が来るわけじゃないんですけど、ただやはり小中高生に聴いてもらいたいと思って、神戸のリサイタルには無料で入っていただけるように、ということはやっているんです。
佐藤 へえ、素晴らしいね。
崎谷 じゃあそこにどう引っ張ってくるのかっていう課題ももちろんあるんですけど。
佐藤 見てると、崎谷君はだいたい
王道の曲を弾いてるなっていうのがあって。
崎谷 あははは。
佐藤 なんかさ、変な曲を弾く人っているじゃないですか。誰も知らない、「何それ?」みたいな曲を。そういうのじゃなくて、いわゆるメインレパートリーを攻めてるなあって。
崎谷 自分はコンクールを結構長く受けてたので、そういったところをちゃんと勉強できてないと思っていて。
佐藤 え、そうなの?
崎谷 やっぱり飛び道具的な、リストの「ドン・ジョヴァンニの回想」とか。
佐藤 まあでも「ドン・ジョヴァンニ」も別に変な曲ではないよね。
崎谷 変な曲ではないですけど、今はそういうのじゃない曲を勉強していきたいっていうことと、あとは
世の中の流れにちょっと逆らいたいっていう思いですよね(笑)
佐藤 ほう。
崎谷 裾野を広げるという意味で、わかりやすく、簡単に、短く、展示的にやっていくという流れは、それはもちろん誰かにやっていただかないといけないんですけど。でも私がやりたいことではないっていう気持ちが明確にあって。
佐藤 なるほど。
崎谷 この前のプログラムは1853年に作られた3曲を並べて。ブラームスのソナタ3番とリストソナタと、シューマンの「暁の歌」。
佐藤 うん。
崎谷 シューマンが全部絡んでるわけですよね、出会いの中に。
佐藤 そうだね。
崎谷 それを並べて、舞台上でどういう反応が起こるかっていうことを、自分は楽しみにしてるんですよね。ブラームス3番を弾いて、リストを弾いたあとに、シューマンに入る瞬間どんな思いがするんだろうと思って舞台に乗るという。
佐藤 素晴らしいね。
崎谷 そういう楽しみがないと、モチベーションが沸いてこないというかね。
佐藤 基本的にロマン派が好きなの?
崎谷 ロマン派の、
ブラームスがやっぱり好きなんじゃないですかね。自分に合っているような。
佐藤 そういえば、あの
「ドン・ジョヴァンニの回想」のYouTubeは、自分で考えたの? 誰かこういうのやったら良いよっていう人がいたの?
崎谷 いやいや。それこそ兵庫県で、若手の支援のための動画を募集してると。それをさせていただくときに、やっぱり面白いものをやろうと。さっきの話とも繋がるんですけど、ただ見せるだけではダメだろうっていうのはあるんですよね、自分の中で。背景を理解してもらうとか、それに付随する楽しい話を…
知的好奇心をかき立てたいっていう思いがあるので。
佐藤 うん。
崎谷 たまたま前年にこぢんまりとですけど、
オペラで指揮をする機会があったので。
佐藤 それもすごいよね、なんでオペラの指揮をしてるんだろうと思って。
崎谷 いや家内がね、オペラ伴奏の仕事をしてたりするんで。
佐藤 ああそうなんだ。
崎谷 そのご縁でというか、初めて振らせてもらって。
佐藤 初めて振ったのがドン・ジョヴァンニっていうのも、ものすごいオペラ指揮者デビューですね。
崎谷 ピアノトリオですよ、編成は。いきなりオケは無理ですから。
佐藤 にしたって歌い手はみんないるわけじゃない。
崎谷 いや、まあ、付き合っていただいたんですけど。たまたまそういう素材の写真もあったので、組み合わせてみたら面白いんじゃないかと。
佐藤 めっちゃ面白かったよ(笑)
崎谷 古い動画だけではダメだっていうレギュレーションがあって、新しいものを組み合わせてくれって言われたので、鍵盤を見せるという。あれはね、
アテレコをしたんですよ。ワイヤレスのヘッドフォンで自分の演奏を聴いて。
佐藤 難しそうだよね!
崎谷 そう、大変だった。演奏はここ(ヤマハアーティストサービス)で録ったんですよ。
佐藤 うん、見た見た。
崎谷 で、それにアテレコで指を合わせるっていう。
佐藤 大変ですよねそれ。昔のカラヤンのミュージックビデオみたいな。
崎谷 そんなのあるんですね。
佐藤 ああ知らない? カラヤンのミュージックビデオってたくさんあるじゃない、あれは全部アテレコなんですって。だから音は音で別に録ったのを流しながら、指揮をしてるふりをして、みんな弾いてるふりをしてるっていうことらしい。
崎谷 なるほど、まあ映像で見せるならそうなりますね。
佐藤 いやあでもすごい労作だなって思って。ほんと多才だよねえ。
(つづく)
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- 2021/11/26(金) 20:32:42|
- シューベルトツィクルス
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ハンガリー風ディヴェルティメント ト短調 Divertissement à l'hongroise D818
作曲:1824年? 出版:1826年(作品54)
1826年4月に出版されたが、自筆譜は失われており正確な作曲年代はわからない。しかし
1824年秋のツェリス滞在に深く関連する作品であることは、
そのときシューベルトと一緒に耳にしたエステルハーツィ邸のメイドの歌がこのディヴェルティメントに転用されたというシェーンシュタインの証言や、ヒュッテンブレンナーの「
この滞在中にシューベルトは有名なハンガリー風ロンドのための素材を集めていた。彼は私に、ツィゴイナー音楽にとても興味をひかれている、と話した」といった言葉から疑いないと思われる。シューベルトは10月16日にツェリスを離れているので、楽曲全体の仕上げはウィーン帰着後に行われたと考えられる。
出版に際して、ハンガリーの貴族パルフィ家に嫁いだ歌手のカタリーナ・ラシュニー・フォン・フォルクスファルヴァ(旧姓ブフヴィーザー) Katharina Lascny (Laszny) von Folkusfalva, geb. Buchwieser (1789-1828)に献呈された。
3つの楽章は、いずれも行進曲のエレメントを内包している。
第1楽章は幻想的なアンダンテに、行進曲風の2つのエピソードが挿入される、ABACAのロンド形式。エピソードから主部に戻る際には、ツィンバロンを彷彿とさせるトレモロが激した調子で掻き鳴らされ、プリモがツィゴイナー風の増2度を多用した即興的なパッセージを奏でるあたり、まさにハンガリーの香りが芬々としている。
第2楽章は三部形式の短い行進曲。主部はハ短調で、セコンドのシンコペーションの伴奏型が耳を引く。変イ長調の中間部ではシューベルトの偏愛したダクティルス(長短短)のリズムでメロディーが歌われていく。
第3楽章は
「ハンガリーのメロディー」D817の主題による長大なロンドである。ABACAの小ロンド形式だが、間のエピソード部がそれぞれ三部形式を取る巨大な構成(A-B(aba)-A'-C(cdc)-A''-コーダ)となっている。主部(A)の半ばにあるゼクエンツ(同型反復)による盛り上がりはD817にはなかったものだ。ハ短調の第1エピソード(B)は和音連打を伴う行進曲風のきびきびした曲調で、夢見るような中間部を挟んで回帰する。2度目の主部(A')では伴奏型がダクティルスのリズムに変奏される。第2エピソード(C)は変ロ長調の穏やかな曲想だが、中間部では突如遠隔調の嬰ヘ短調に転調し、トレモロや和音の強打が異国情緒を盛り立てる。最後の主部回帰(A'')では伴奏型がシンコペーションのリズムとなり、さらに急き立てられるような印象となる。
D817と同様のコーダで、最後は消え入るように静かに終わる。
面白いのは、ハンガリー出身を標榜していたフランツ・リストがこの作品に強い興味を抱き、2度にわたって
「シューベルトによるハンガリーのメロディー」というタイトルで全編のピアノ独奏用編曲を発表しているほか、第2楽章にオーケストレーションまで施している(「ハンガリー行進曲」)ということだ。
独奏用「ハンガリーのメロディー」第1版(S.425)は1838-39年に編曲され、ほぼ原曲通りのサイズにリストならではの華麗な技巧的パッセージが鏤められているのだが、1846年に出版された第2版(S.425a)では両端楽章が大幅に短縮されており、そのせいで第3楽章は
オリジナルの「ハンガリーのメロディー」D817とよく似た構成になっている。当時D817の存在は知られていなかったのに、実に興味深い一致といえよう。
出生地が当時ハンガリー領だっただけで、マジャール語も解さなかったというリストが代表作「ハンガリー狂詩曲」シリーズに着手し始めるのは、ちょうどその1846年のことである。
- 2020/12/02(水) 23:16:22|
- 楽曲について
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(
対談その1)
(
対談その2)
佐藤 ポロネーズに限らず、シューベルトのことについて。
山本 うん、いくつかソロで弾いたことはあるけれど。僕がシューベルトで一番惹かれるところは、長調と短調、同主調で行ったり来たりするっていう。モーツァルトにもそういうところあるけれど、そこが特徴的で、いつも素敵だなと思う。
転調もね、今回のポロネーズでも主部の調とトリオの調が・・・
佐藤 はいはい、とんでもない調に飛んでいくっていう(笑)
山本 ねえ。気づいたら♭5つも付いてたみたいな(笑)、そういった理屈じゃないところっていうのかな。本当に
歌心のある人だから、純粋に身を任せて弾いたらすごく楽しいし、美しい。ポロネーズのハッとするような転調も、まるで初めて楽譜を見て弾いたようなイメージで弾けたら素敵かなって。佐藤君は、全曲やってらっしゃるけど、シューベルトの好きなところってどこ?
佐藤 やっぱりその
ハーモニーはすごく大きいよね。それまでの作曲家とは全然違うやり方で転調していくし、今言ってもらった同主調の、短調から長調に行ったりするっていうのもそうだけど、転調するといっても近親調に、ちょっと隣に行きましたっていうより、
遠隔調、全然違う世界に行っちゃうみたいな。
山本 そうだよね。
佐藤 それを準備なくふわーっとやられると、聴いている方は「うわ、どうしたんだろう」って、空気感が一瞬で変わるのが魅力的だと思うのと、あとはもちろん、これも今言ってくれたメロディーの美しさ。自然なメロディーの書かれ方がすごく良いなと思って。古典派的なものもあるし、ロマン派的なものにも少しさしかかっているんだけど、完全にロマン派のど真ん中というのではなくて、その境目っていうのかな。
山本 うーん。
佐藤 こっちに行きたいんだけど、でもモーツァルトからの伝統の書き方もあるしっていう、その間をすり抜けていく感じも僕は結構好き。
山本 なるほどね。
佐藤 ロマン派は、進んでいくにつれてだんだん僕はついていけないときが。これはちょっとどうかな、あなたは良いんでしょうけど、って思う曲も・・・
山本 (笑)
佐藤 古典派の曲は客観的に見て素晴らしいものが多くて、それとロマン派の個人的なものとの間っていうか。やりたいことを「このくらい表現してもいいでしょうか」みたいな謙虚な感じが良いかなと思うんだけど。
山本 曲は革新的なものもたくさんあるんだけど、性格はすごく控えめというか、
自分より他の人、聴いてる人とかのために何かしてあげている感じっていうのかな。優しい気持ちになる感じがあって。たとえばモーツァルトってシューベルトに重なって感じるところがあるんだけど、
モーツァルトはやっぱり「自分」なんだよね。
佐藤 ははあ、なるほど。
山本 自分からワーッと発信するものが強くて、私たちはもうひれ伏して「承知いたしました、そのようにさせていただきます」みたいなね、抵抗できないんだけど。
佐藤 (笑)
山本 なんかシューベルトっていう人はすごく親しみがあるし、かつ自分を隠さないっていうのかな、気持ちを伝えてくれる感じがして。とても気高いんだけど、決して冷たい感じではなくて、
語りかけてくるようなイメージがあって。
佐藤 そうだね。もともとの作曲家としての居場所が、仲間内のサークルだけでほぼ活動していた人で、最晩年に近くなってようやくウィーン中の人たちが知るようになったんだけれども。大きな会場で大きな出し物をバーンとやって、みんなをうならせるような人ではなくて、半径数メートルの人に聴かせるためだけに作曲していた。だからすごく個人的っていうのかな、本当に親しい人だけに「どうですか」って語りかける口調っていうのはそういうところから出てきたんじゃないかな。もちろん生まれ持っての性格もあったとは思うんだけど。
山本 うん。
佐藤 あとやっぱり彼自身が演奏家じゃなかったっていうのは大きいかもしれないよね。もちろんピアノも弾いていたみたいだけど、大きな舞台で弾けるヴィルトゥオーゾだったわけじゃないし、だからベートーヴェンみたいな演奏活動をしたこともなかった。この連弾もそうだけど、家庭内とか、友達の家でとか、そういう
内輪の音楽。たとえば2台ピアノの曲なんていうのはないわけだよね。
山本 ああ、うん。
佐藤 実は1曲あったっていう話もあるんだけど。
山本 ああそうなんだ。
佐藤 記録には一応残ってるんだけど、楽譜は消えてしまったという。コンチェルトは全く書いてないし。そもそも何の楽器のコンチェルトも書いてない。
山本 ああ、そうだね。
佐藤 そういう、オーケストラをバックに華やかなソロ、みたいなのはたぶん興味が無かったのか。
山本 偏りがあるよね。それこそショパンもそうだけど、
作らないものは一切作らないっていう。
佐藤 (笑)そうだね。まあ書いたところでどうせ演奏されないと思ったのかもしれないね。
山本 弾く側としては、もし作曲したらどういう曲になってたか興味があるけど。
佐藤 そうそう、
川島さんとお話ししたときも「コンチェルトが1曲もないね」っていう話になって、
「いや、もしかしたら生きてたら書こうと思っていたのかもしれない、このあとにとっておいたのかもしれない」って。そんなことあるかなぁ。
山本 ああなるほどね。そういう可能性も。
佐藤 でも意外なのは、
リストがシューベルトをすごく好きで、歌曲もたくさん編曲してるけど、
「さすらい人幻想曲」のコンチェルトヴァージョンがあるんだよね。リスト編曲の。
山本 へえ。ピアノソロとオーケストラで?
佐藤 そう。リストなんて、まあ同じフランツっていう名前ではあるけど、全然違う性格の音楽家だよね。なのにシューベルトに愛着があったのは面白い。
山本 なんか、また
ショパンが出てきてしまうんだけど、ショパンはリストのことを、もちろんテクニックっていう意味では尊敬してエチュードも献呈したりしているけど、いわゆる弾き方、スタイルについてはあんまりよく思っていなかったみたいで、レッスンで弟子に、なんでそういうふうに弾くんですか、
まるでそれじゃリストみたいじゃないですかって言っていたぐらい。
佐藤 (爆笑)ボロクソだな。
山本 ひどいよね。なのに、リストの方は本当にショパンのことを好きで、尊敬していて。あんなにいろんな女性と交際して、全然違う世界の人なのに、見る目は鋭いものがあったみたいで。それこそ「幻想ポロネーズ」について、リストが「病気との闘いが精神を疲弊させている、そういう香りがすごくする」って、つまり病的な感じの曲だっていうふうに言っていて、それってきっと賛辞なんだと思うんだけど。一方で
シューマンはね、割と手放しでワーッと賞賛したりして、ショパンの思っていることとずれたことを言って。
佐藤 あの人、
基本全部妄想だからね。
山本 そうそう(笑)で、それもショパンに馬鹿にされたりしていたみたいなんだけど。
佐藤 (笑)
山本 ところがリストの方はすごく理解があって。だからリストは社交的、それも表面だけではなくて、その人のことをよく考えて自分から動くみたいなね、心の底からそういうことができた人みたいなのね。そういう人がシューベルトに惹かれるっていうのは必然というか、僕には理解できるところがあって。
佐藤 なるほどね。
山本 作曲家は曲を聴くとなんとなく性格が分かるというか。そういった意味ではシューベルトに惹かれるっていうのは、自分の中に同じ部分が存在しているっていうことなのかな。シューベルトの曲をリストが編曲するときの
編曲の仕方って佐藤君どう思う? たとえば原曲に忠実とか、すごく華やかに飾ってあるとか。
佐藤 うーんとね、基本あんまり忠実ではないよね。もちろん全然変えちゃってるわけではないけど、リート(歌曲)の編曲の場合は無言歌スタイルっていうか、メンデルスゾーンが無言歌でやったみたいに、伴奏のパートをどっかの手にやっておいて、右手でメロディーをやるっていうのが普通の書法。いわゆる有節歌曲で、1番・2番・3番とあると、リストの場合は旋律をまずテノールで、次はアルトで、最後はソプラノにして、と移動させていって、かつだんだん華やかな感じに飾りが増えていくっていうのが、お決まりのパターンだよね。だから最初は原曲っぽい感じで始まるんだけど、そのままでは絶対終わらなくて、どんどん鍵盤の端から端まで使うような感じになっていって。
山本 端から端まで。なるほどね(笑)
佐藤 シューベルトじゃないけど、シューマンの献呈っていう歌曲あるでしょ。あれのリストの編曲すごく有名だけど、あれクララ・シューマンの編曲版もあるのね。
山本 へぇ。
佐藤 クララ・シューマンの方は本当に原曲通り。原曲の歌のパートをピアノに挿入しているだけで、ほぼそのままなんだけど、リストはまず前奏も1小節多いし。
山本 ねえ。
佐藤 途中にも余計な、無かったものが入ってくるし、一番最後にもう1節やるから、すごくくどくなってるわけ(笑)。その
くどさがやっぱりリストかなっていう。
山本 (笑)
佐藤 歌の歌詞がないぶん、詩の世界もピアノで表現しようとリストなりに思った結果かなとは思うんだけど。
山本 なるほどね。自分が弾くことによって曲を広めようっていう、そういうのもあったんだろうね。だから、変な言い方かもしれないけど、リストって
ボランティア精神っていうか。
佐藤 ああそうだね。サービス精神っていうのかな。
山本 それがすごくあるっていうか。だから根はとてもいい人だったのかなっていうのがね。シューベルトと不思議なところでつながる。
佐藤 シューベルトは、ドイツ語圏の音楽家には影響を与えているところが多くて、シューマンなんかはすごく影響を受けてるんだよね。もちろんブラームスもそうだけど。ただそれ以外の国の音楽家にはあんまり知られていないというか、知っていてもほぼ有名な歌曲だけみたいなところがあって。それこそシューマンは一番初期のシューベルトの研究者だったんだよね。シューベルトってお兄さんの家で死んで、お兄さんが仕事場をそのままにしておいたわけ。10年経ってからそこにシューマンがやってきて、バッと開いたら楽譜の束がたくさん出てきたっていう有名な話が。
山本 へえそんなことが。
佐藤 シューマンはもともと音楽家になろうとした一番初期の頃にシューベルトにやられていて、トリオとかを聴いてすごく感動したらしいのね。だから直接会ったことはなかったんだけど、信奉者なわけ。そういう意味では、謝肉祭とか、ダヴィッド同盟とか、ああいう舞曲集っていうのはほぼシューベルトの舞曲集を下敷きに書かれているんだよね。シューベルトがそれほど知られていなかった当時、シューマンってすごく新しいものを作った感じがするんだけど、実はシューベルトの方が先にやっていたことが結構あったりする。
山本 そういう形で影響を与えているんだね。でもやっぱり
ドイツの歌い方ってあるよね、独特の。
佐藤 それはやっぱり
言葉から来てるんだとは思うんだけどね。旋律線の作り方とかも。シューベルトはサリエリの弟子なんだけど、サリエリはそれが嫌いだったらしい。
山本 へえ。
佐藤 イタリア人からしたらドイツ語なんていうのはすごく野蛮な言葉で、ドイツ語の詩に曲を付けるなんて、何やってんだみたいな。イタリア語に曲を付けなさいと。
山本 あーやっぱり。
佐藤 で、イタリア語に曲を付けてるシューベルトの曲もあるんだけど、そうすると僕らの耳で聴くとちょっとモーツァルトっぽいっていうのかな。つまり伝統的な付け方なんだけど、やっぱりシューベルトのオリジナルなメロディって言うのはドイツ語の詩に付けてるときに出てくる。だからフランス語に曲を付けるとやっぱりフォーレとか、ああいうふうになるんだろうし、旋律線とかフレージングが言語によって規定されるところはあると思うんだよね。
(対談完 ・ 2019年8月19日、さいたま市にて)
- 2019/09/30(月) 21:56:23|
- シューベルトツィクルス
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