(
第1回はこちら)
斎藤 ここからはだいぶ先走った話になって、怪しい占いとか、そのテのイっちゃった話に聞こえるので、話半分で聞いて欲しいぐらいの話ではあるんですが。
佐藤 はい。
斎藤 面白いのは、
作曲家も演奏家と同じように、生まれつきのリズム感があって、それが
音楽の違いに表れているんですよね。それを文化の違い、言葉の違いだって一般的になんとなくフワッて言うんですけど、じゃあ
ドビュッシーとラヴェル、なんであんなにリズム感違うのかと。たとえば
、チャイコフスキーとラフマニノフ。あるいは、
バッハとテレマンでもいいんですけど。
佐藤 なるほど。
斎藤 たとえば一柳先生と武満先生。ポピュラーだと忌野清志郎さんと玉置浩二さんとか、フレディ・マーキュリーとマイケル・ジャクソンとか。たとえ
同じ時代の同じ国の人の場合でも全然違う、これが説明できなくてなかなか不思議だったんですけど、この理論でたぶん一発で。むしろ、ジャンルや時代、言葉なんかあんまり関係ないかもってなるぐらいです。
佐藤 へえ。
斎藤 もともとの音楽がどこから来たのか、リズム感っていうのはどこから来たのかっていったら、きっと原始的、本能的なノリ、つまり
身体の動きから来たんだろうと。この国だからこう、この時代だからこうっていうのが、実はあまり関係なくて、その人の
骨の動きがどうだったのかっていう。
佐藤 身体性ということですか。
斎藤 それが音楽の根源にも通じているんです。面白いのは、演奏家は無意識に、この曲にはこっちの方がふさわしいリズム感っていうのをちゃんと分かってる。同じ「
タンタカ」って譜面であっても、ベートーヴェンの7番4楽章は「
たんたかたん、たんたかたん」ってイーブンにかっちりやるけど、「こうもり」序曲なら「
タンータカタンータカ、タンータカタンータカ」っていうのが普通だってみんな割と普通に思っている。
ベートーヴェン:交響曲第7番第4楽章(イヴァン・フィッシャー指揮コンセルトヘボウ)とJ.シュトラウス:「こうもり」序曲(カルロス・クライバー指揮ウィーンフィル) いずれも該当箇所から再生されます佐藤 なるほどね、スタイルとして。
斎藤 あの、ふわふわ、くにゃくにゃ動くのは
A1のリズム感なんですけど、たとえばドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」
【YouTube】みたいな、
常にアッチェレランドとリタルダンドがかかっているような。
佐藤 はい、はい。
斎藤 あるいはプッチーニの「ムゼッタのワルツ」(『ラ・ボエーム』)
【YouTube】とか。
ドビュッシー、
プッチーニ、あと
ドヴォルザークとか
ビゼーとかA1ですね。
僕もA1なんですけど、僕らからするとあのリズム、実にしっくりくるというか普通なんですよね。
あれがインテンポ。メトロノームに合わせたインテンポではなく、身体の動きに合わせたインテンポ。
佐藤 わかりますね。
斎藤 こういうのは
ラヴェルには絶対出てこないリズムですね。ラヴェルには揺らぎっぽいアゴーギクは無くて常にスクエアです。それは、
ラヴェルはパラレルA2なんだって考えるとスッと納得できるんです。
シューベルトもそう。あと
プロコフィエフ、ストラヴィンスキー。
ベートーヴェンや
マーラーも。
佐藤 ほう。
斎藤 でこのAタイプの人たちは、喜ぶときに「やったー」と上に身体が開く。だから
1拍目が、せーの、「ふわん」とこう上に抜けるわけです。
佐藤 うん。
斎藤 音があんまり「
んーー」ってならない。ベートーヴェンもならない、メンデルスゾーンもならない、マーラーなんてあんなに分厚いけど、「
らん」って。これが「
らーー」ってなる人たちは、逆に
Bタイプ。肘と膝を使う人たちは、「ヨーシ」とガッツポーズをするんですね、無意識に。そうすると
下方向に力が入るから、
1拍目もせーの、「ぅううん」と下に。
佐藤 なるほど。
斎藤 でそのBタイプの中にも2つあって、
チャイコフスキーみたいなのが
B1ってタイプだと理解してます。「くるみ割り」
【YouTube】なんか華やかですけど、決してユラユラしたり先走ったり抜けたりはしない。伴奏の刻みもずっと均等で持続的に、いわゆる
スコアが埋まってる状態。
ワーグナー、
ブルックナー、この人たちは
B1です。それから
バッハも、「
だーだーだー」ってなる。それに対して「ぐわわーーん」といつもうねって動いてる人、ラフマニノフの「
んららりらりー」(パガニーニ・ラプソディー~第18変奏)
【YouTube】とか、あるじゃないですか。
佐藤 はい。
斎藤 あれが
B2だと考えているんです。
ラフマニノフ、リヒャルト・シュトラウス、あと
ブラームスも。
佐藤 なるほど。
斎藤 だからこれがチャイコフスキーとラフマニノフの違いですね。ブラームスとワーグナーの違いも同様で。同じ時代の同じ国の人でも違う。ただ、傾向として多い少ないというのはあって、
フランス人はAタイプが多いのかもしれませんね。ドイツ風に対してフランス風っていわれてるのはおそらくそれなんですが、逆に
ドイツ人でA1だとヒンデミットとか。
佐藤 ヒンデミット、あそうなんですか。
斎藤 ドイツでは非常に珍しい。だから
頽廃芸術家として演奏禁止になった。あれはフランス風と思われたんでしょう。
佐藤 (笑)そういうことなのかな。
斎藤 まあ本人たち死んじゃってるしいろいろ事情はあったんでしょうけど。
フランス風序曲【YouTube/ヘンデル:「メサイア」序曲】のリズムってあるじゃないですか。
佐藤 はい。
斎藤 あれはまさにA1のリズムなんです。「
たーーんたかたーーん」(複付点風)っていうやつ。実はヒンデミットもまったくあれです。だからそういう部分けっこう隠して書いてますよね。
佐藤 へえ。
斎藤 フランスでは逆に
B2っていう、豪華絢爛だけどある意味クドいラフマニノフっぽい人が
ほとんどいない。あれがくどくてダサいと思われてる文化なのか人種的に少ないのか。
佐藤 ふむ。
斎藤 サン=サーンスは例外的にそうですよね。B2の人だと思います。特に協奏曲なんてブラームスみたいな音しますし、持続音が好きだからか「オルガン付き」
【YouTube/第4楽章】なんて書いてる。まあ偶然だったらすみませんですが。
佐藤 ははあ。
斎藤 フランスでも
フォーレとか
ブーレーズとか、あの人たちは
B1、チャイコフスキーやバッハと同じリズム感。だから基本プラプラ跳ねない。でもフランスはたぶん基本的にAタイプの人が多い。「
ふあん」っていう音楽が多いのはそれのせいだと思いますよ。基本的には上に行って引力によって落ちるってフレーズ感。それを「言語から来てる、ドイツ語はこうだから、フランス語はこうだから」って言う人もいますが、僕はそこからさらに一歩すすんで、
「なんでフランス語があんな言語になったのか」っていうところから考えた方が面白いと思ってる。つまり、くにゃくにゃしてフワフワ動いて「むにゅむにゅ」とか言う人間が多かったんじゃないかなと。
佐藤 (笑)そうなのかな。
斎藤 まあこのへんは想像ですし、違ってたらスイマセンってことではあるんですが。
斎藤 それで、今回ご一緒させていただくシューベルトっていうのは
A2で、自分とは違うリズム感の人なので、気をつけないと「
りーらりらりらりら」とやり過ぎちゃって、なんかシューベルトじゃないなっていうふうになる。
佐藤 はあはあ。
斎藤 でも、フルートにはクラシックの偉大な作曲家のレパートリーってあんまりないので、このシューベルトの
「しぼめる花」の序奏とヴァリエーション、ヴァイオリンとかチェロの人からしたら、「ああ、よくある小品ね!」みたいなノリなのかもしれないんですけど(笑)、フルートにとっては、これは
一大作品なんですよ。だからお声をかけていただいて、よしやってやると。一大チャレンジで、良い機会だからここでガチッと自分を鍛え直して、気合いの入った演奏をしようと思っているところなんですけどね。
佐藤 ちなみに、この「しぼめる花」はこれまで何回ぐらい演奏されたことがあるんですか?
斎藤 いやあ・・・
佐藤 学生時代にはもちろん勉強されて?
斎藤 もちろん、
これ勉強しないやつはいないので。
佐藤 ああそういう曲なんですね。
斎藤 ただ僕の先生、パウル・マイゼン先生は、まさにシューベルトと同じリズム感のA2先生で、レッスン受けると「うわー、これはこの人にはかなわんな」と。自分のリサイタルってたまにしかやらないですからね、やっぱり一番得意な、自分が全開でできる曲からいこうかっていうふうにやってると、回数としてはそんなにやってないかなという感じです。それでももちろんシューベルトをって言われる機会もあって、何回かは演奏しているはずですけど、100回、200回はやってないですね。・・・いや嘘です。10回も吹いてません。
佐藤 そうですか。
斎藤 久しぶりです。何年も吹いてない。いざ久々にやってみるとすごくやっぱ難しいですね。これは単にリズム感の違いっていう以外に、シューベルトの曲はピアノもシンフォニーもそうだと思いますけど、演奏しやすくてヴィルトゥオーゾで、意外と簡単なんだけど格好よく聞こえるみたいなのとはまさに対極の。
佐藤 うん、確かにそうです。
斎藤 内容はすごくあるんだけど、弾きやすくはない。佐藤 そうなんですよね(笑)。
難しいわりには演奏効果が上がらないという曲は多い。
斎藤 ほんとそう。かといって無理に演奏効果を狙ってこれ見よがしにやるとものすごく安っぽーくなるじゃないですか(笑)。だから技術的にも音楽的にも直球でどーんと、小細工無しでやれる実力がある人が演奏すべき曲なんだなあというのは感じますね。
佐藤 はあ、なるほど。
斎藤 それこそオーケストラの世界でも、シューベルトのシンフォニーを定期演奏会で取り上げるなんていうことは今は滅多にないんじゃないですかね。
佐藤 ああほんとですか。
斎藤 やはりかなりの指揮者が、かなりがっちりリハーサルやって、オーケストラもかなり地力がないと、まあ、
退屈に。
佐藤 (笑)確かに。
斎藤 言い方は難しいんですけど、たとえば『ローマの祭り』なんかをやると、盛り上がるのはまあ間違いない。
佐藤 それはそうですね。
斎藤 チャイコフスキーの5番であったり、ベートーヴェンの7番やったりすれば、盛り上がる。曲自体がものすごく映えるというか。シューベルトも曲は素晴らしく良いんですけど(笑)、演奏がそれほどでもないと、なんかお客さんも「うーん、あ、終わったか?」みたいな演奏に。
佐藤 (笑)
斎藤 ですから、本当に感動的なシューベルトのシンフォニーの演奏会っていうのはそんなに機会がないんですよね。よく覚えてるのは
チョン・ミョンフンとやった
「グレート」。ああ、こんなにシューベルトっていうのは輝く音楽なんだ、なるほど、グレートっていうのはまさにそうだなって。あれは忘れられないです。でも、それも十何年前で。
佐藤 ああそうですか。
斎藤 それ以来、それほどの感銘を受ける演奏会は・・・いやわかんない、やってるかもしれないし、誰かやってる指揮者に、あの野郎って思われるかもしれないけど(笑)本当に力を持ったすごい作品だけど、それがちゃんと届くほどの演奏をするにはものすごい地力と頭、譜面をきっちり読み上げてて、それをこれ見よがしじゃなくて直球で演奏しないと、安っぽくなっちゃうっていう。そういう点で、今回は本当にビッグチャレンジなんです。
佐藤 ちなみにオケのメンバーの方々は、たとえば今度の定期のプログラムはシューベルトのシンフォニーだっていうと、どんな反応なんですか?
斎藤 それこそ、
オーボエの連中なんかはものすごく張り詰めますよね。
佐藤 ああ、そうなんだ。
斎藤 簡単そうに美しく聞こえるじゃないですか。ものすごくシビアなんですよ。特に
「未完成」とか。
佐藤 「未完成」のソロね。
斎藤 有名な曲ではあるんですけど、まずオーボエ奏者は普段よりさらに目を三角にしてリード調整してますね。
佐藤 (笑)
斎藤 そのくらい集中して、はじめて普通に聞こえるレヴェルになる、っていう感じなんじゃないですかね。ものすごい気を遣って、でも作り物みたいに作り上げるんじゃなくて、自然を壊さないように、だけど粗が見えないように。それでいて吹きやすいわけじゃないですからね。なんか不思議ですね、どの楽器に対してもそうなんです。
佐藤 そうなんですね(笑)それは何か
楽器法が良くないということなのでは。
斎藤 いや
それとは違うんですよ。良い音はするんです。
佐藤 ああ、だけどやりやすくはないと。
斎藤 オーケストラやってると、それはすごく感じます。楽器法が下手で、変な音するアレンジャーの人と、すごく吹きづらいけど、すごく良い音する人っていうのは、厳然と差があります。
佐藤 そうなんだ。不思議ですね。
斎藤 だから一般にオーケストレーションが上手くないって言われている作曲家で、何言ってるんだ、そんなことないぞっていう人はいますね。
佐藤 へえ。
斎藤 オーケストレーションに問題あるって言われてて、その通りだ!っていう人ももちろんいます。
佐藤 あはははは。
斎藤 ちょっと話は脇道にそれますけど・・・
(
第3回につづく)
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- 2022/10/04(火) 14:39:52|
- シューベルトツィクルス
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第13回公演ゲスト、小倉貴久子先生のご自宅でお話を伺いました。背後には1845年製作のシュトライヒャー。4回シリーズです。
佐藤 小倉先生といえば、皆さんはもちろんフォルテピアノ奏者としてお名前をご存じだと思うんですが、でも聞くところによると、留学中に
ストラヴィンスキーのピアノコンチェルトを弾かれたとか。
小倉 そうそうそう!(笑)
佐藤 すごく幅広い音楽に対して取り組みをなさっていると思うんですけど、それは特に意識されてるんですか?
小倉 ストラヴィンスキーはね、あれって管楽器とピアノのコンチェルトなのよね。
佐藤 そうですね。
小倉 最初は藝大の学部生のときにね、その頃は別に古楽とか知っていたわけじゃなくて、モダンの曲も普通に弾いてたのね。管楽器の伴奏をよくやってたということもあって、管楽器の定期演奏会でストラヴィンスキーをやるっていうときに、ソリストに選んで下さって。
佐藤 なるほど。
小倉 そのあとオランダに留学して、9月から学校が始まるんだけど、一足先に8月に行ったら、ちょうど私の師事した
ヴィレム・ブロンズ先生が他の方と話していたのね。学校のプロジェクトでストラヴィンスキーのピアノコンチェルトをやるんだけど、ソリストのオーディションを受ける人があんまりいないって。
佐藤 難しいですもんね。
小倉 横から「え、私それ弾いたことある」って言ったら、「えっ!貴久子、受けるんだ!」みたいな感じで(笑)。ほんの1年前に藝大定期で弾いた曲だったしね。それで急いで日本から楽譜を送ってもらって、3週間後ぐらいにオーディションを受けて見事選んでいただいて、学校が始まるやいなや、アムステルダムスウェーリンク音楽院の定期演奏会でソリストを務めるという。
佐藤 そういうことだったんですね。
小倉 そう。ブロンズ先生は現代音楽の専門家じゃないから、現代曲のスペシャリストの先生のレッスンも受けるといいって言われて。オランダって古楽も盛んだけど、現代音楽も盛んで、現代曲で留学する人もいるのね。
佐藤 そうなんですか。
小倉 で、レッスン受けたらね、もう全然違うんだよね。
佐藤 へぇ。
小倉 現代曲の弾き方って全然違うの。やっぱりそういう道の人っていうのは違うんだなと思って。だからストラヴィンスキーもすごく好きだし、あとこの間は
ヒンデミットを。
▷ CD「ヒンデミット:ヴァイオリン&ヴィオラ・ソナタ集」(桐山建志&小倉貴久子)の情報はこちら!佐藤 はい。
小倉 20世紀頭のベヒシュタインで弾いたんだけど。最初は、私ヒンデミットって全然イメージがなかったんだけど、やってみたら本当に良い音楽なんだよね。演奏する楽しみっていうことを追求した人で、独特の世界のロマンティックさがあって、ヒンデミットも本当面白いなって。だから、世の中にあるいろんな音楽の中で、共感する、自分の琴線に触れる部分があると、どんどんのめりこんでやりたくなるっていう、そういう感じだね。周りから「これやってみない?」って言われたら、「え、やってみようかな」みたいなノリで、やってみるっていう、そういう感じでいろんなことにチャレンジしていってるのかもしれない。古楽も、古楽器が好きだからとかいう理由では全然なくて、やっぱり音楽が一番生きるっていう、そういうところが楽しくてやってるんだよね。
佐藤 こどもの頃からそういう好奇心旺盛なお子さんだったんですか?
小倉 そうだね。ピアノはね、私の母がピアノの先生だったから、私がやりたいって言って始めたわけじゃなくて、物心つく前に、もう弾いてたっていう。
佐藤 へえ!
小倉 お友達の好きなテレビ番組の主題曲とか、適当に耳コピして弾くとみんな喜ぶじゃない? そんな感じで、何でも弾いちゃって。専門的じゃないけど、自分でも曲作ったりとかして、割と自由にやってたかな。
佐藤 そこから音楽の道を目指して、藝大に進むっていうのは割とスムースだったんですか?
小倉 そうね、最初は漠然とピアニストになりたいって思ってね。飛行機に乗って、あちこち飛び回って演奏活動するようなピアニストになりたいって。ピアニストに対する憧れみたいな。
佐藤 ああ、僕もそうでした(笑)
小倉 だけどね、小3ぐらいだったかな。ホロヴィッツのカーネギーホールのコンサートの映像をテレビで観て、「うわ、なんだこれ!」と思って。どういうふうに演奏するか、演奏ということに対してすごく興味が出てきたのは、それからかなぁ。それからはピアノの練習が好きになって、こうやってみよう、ああやってみよう、って自分で試して。
佐藤 はい。
小倉 ただ父の仕事の関係で転勤が多くて、小学3年から5年まで大阪にいて、6年で帰ってきて、みたいな、移動が多かったのね。母は音大出たとかじゃなくて、私に手ほどきができるぐらい、ちょっとピアノが好きで教えてるみたいな感じだったから、音楽家の家庭じゃないし、先生探しは結構大変だったんだけど。
佐藤 ああそうなんですね。
小倉 だからそれがスムースっていうかはよくわからない。
佐藤 でも、何かきっかけがあって音楽家になろうって決意したというよりは、自然な流れで。
小倉 そうだね。それで結果的にたくさんの先生につくことになったので…藝大時代もね、一番最初は中山靖子先生(1921-2015)だったんだけど、大学3年のときに中山靖子先生が定年退官されて、そのあとは田村宏先生(1923-2011)で、田村先生は私が大学院1年のときに定年退官されて、それで平井丈二郎先生(1939-)と。藝大時代でさえも3人の先生につくことになって。いろんな先生からいろんな素晴らしいことを教えていただけたっていうのは、ある意味で良かったのかなって思う。
佐藤 そのあとオランダに留学されて、
古楽に出会うことに。
小倉 そう、もともとはヴィレム・ブロンズ先生につきたくて行ったんだけど、オランダは古楽が盛んだったから、素晴らしい演奏会がたくさんあって、それを聴いてもう目から鱗でね、「これはどうなってるんだろう?」って。別に最初から古楽の世界に入ろうと思ったわけじゃなくて、どういうことが行われているのか知りたくて、それで遊びでいろいろ楽器を弾いてみて、やっぱり面白いことが好きで。
佐藤 なるほど。
小倉 大学院を休学して留学したから、2年間しか休学できないでしょ。それで帰る直前に、友達がブルージュの古楽コンクールのアンサンブル部門に出るはずだったんだけど、フォルテピアノの子が急に受けないって言うので、貴久子代わりに出ない?って誘われて。「え、私でいいの?」って。
佐藤 あはははは。
小倉 そんなノリだったのね。でもそれがなかったら、どうだったかなって。確かにフォルテピアノすごく好きで、いろいろ遊びで弾いてたけれども、そのまま日本に帰って、藝大の大学院のピアノ科に戻ったら、フォルテピアノを専門的にやるっていうところまではいかなかったかもしれない。そこで1位をいただいて、「これすごいコンクールなんだからしっかりね」ってみんなに言われて、あ、そうだったのかという感じで。
佐藤 ははあ。
小倉 ちょうどアンサンブル部門の2年後にフォルテピアノ部門があったのね。周りにも受けた方がいいって言われて、私も受けようかなって。受けるんだったらやっぱり楽器を手に入れないと、結局はよくわからないので。それから注文して、1年後ぐらいにフォルテピアノが出来て、日本に持ってきて、ようやく専門的に始めた、という感じかな。
佐藤 フォルテピアノを専門にするということについて、周りからの抵抗とかありましたか?
小倉 あったよ。帰国して大学院に戻ったら、平井丈二郎先生に、「フォルテピアノ? いや、現代のピアノは弾き続けた方がいいですよ」とか言われて、「いや、私はそういうつもりじゃ」みたいな。
佐藤 (笑)
小倉 コンクールの直後だし、もう本当にフォルテピアノにのめりこんでたから、修士論文もシューマンがテーマっていうのは決めてたんだけど、やっぱり楽器のことを絡めたくて、「シューマンのピアノ」っていう論文を書いたりとかして。でも日本ではその頃古楽とモダンって全然違う分野と思われていて、私なんか「モダンの人が始めた」って言われたし。
佐藤 今でもその傾向はあるかもしれませんね。
小倉 そういうつもりじゃなくてさ、本来は同じ音楽じゃない? オランダでは、古楽とモダンの敷居がなかったのね。私モダンの学生だったけど、「どうぞ」っていう感じで受け入れてくれた。だから今主宰している
フォルテピアノアカデミーでも、専門に学んでいない人も受けられるようにしていて、興味がある人には、ぜひぜひウェルカムでいたいのね。
佐藤 なるほど。
小倉 そういう部分がどんどん開かれていって、楽しい世界だっていうことをみんなが知ることが、すごく重要だよね。現代のピアノが嫌いだからとかいうわけじゃ全然ないし、でもすごい面白い世界だから。
[
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- 2020/11/09(月) 16:22:30|
- シューベルトツィクルス
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