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ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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小倉貴久子インタビュー (1)やっぱり面白いことが好き

第13回公演ゲスト、小倉貴久子先生のご自宅でお話を伺いました。背後には1845年製作のシュトライヒャー。4回シリーズです。

小倉貴久子・佐藤卓史1

佐藤 小倉先生といえば、皆さんはもちろんフォルテピアノ奏者としてお名前をご存じだと思うんですが、でも聞くところによると、留学中にストラヴィンスキーのピアノコンチェルトを弾かれたとか。
小倉 そうそうそう!(笑)
佐藤 すごく幅広い音楽に対して取り組みをなさっていると思うんですけど、それは特に意識されてるんですか?
小倉 ストラヴィンスキーはね、あれって管楽器とピアノのコンチェルトなのよね。
佐藤 そうですね。
小倉 最初は藝大の学部生のときにね、その頃は別に古楽とか知っていたわけじゃなくて、モダンの曲も普通に弾いてたのね。管楽器の伴奏をよくやってたということもあって、管楽器の定期演奏会でストラヴィンスキーをやるっていうときに、ソリストに選んで下さって。
佐藤 なるほど。
小倉 そのあとオランダに留学して、9月から学校が始まるんだけど、一足先に8月に行ったら、ちょうど私の師事したヴィレム・ブロンズ先生が他の方と話していたのね。学校のプロジェクトでストラヴィンスキーのピアノコンチェルトをやるんだけど、ソリストのオーディションを受ける人があんまりいないって。
佐藤 難しいですもんね。
小倉 横から「え、私それ弾いたことある」って言ったら、「えっ!貴久子、受けるんだ!」みたいな感じで(笑)。ほんの1年前に藝大定期で弾いた曲だったしね。それで急いで日本から楽譜を送ってもらって、3週間後ぐらいにオーディションを受けて見事選んでいただいて、学校が始まるやいなや、アムステルダムスウェーリンク音楽院の定期演奏会でソリストを務めるという。
佐藤 そういうことだったんですね。
小倉 そう。ブロンズ先生は現代音楽の専門家じゃないから、現代曲のスペシャリストの先生のレッスンも受けるといいって言われて。オランダって古楽も盛んだけど、現代音楽も盛んで、現代曲で留学する人もいるのね。
佐藤 そうなんですか。
小倉 で、レッスン受けたらね、もう全然違うんだよね。
佐藤 へぇ。
小倉 現代曲の弾き方って全然違うの。やっぱりそういう道の人っていうのは違うんだなと思って。だからストラヴィンスキーもすごく好きだし、あとこの間はヒンデミットを。
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佐藤 はい。
小倉 20世紀頭のベヒシュタインで弾いたんだけど。最初は、私ヒンデミットって全然イメージがなかったんだけど、やってみたら本当に良い音楽なんだよね。演奏する楽しみっていうことを追求した人で、独特の世界のロマンティックさがあって、ヒンデミットも本当面白いなって。だから、世の中にあるいろんな音楽の中で、共感する、自分の琴線に触れる部分があると、どんどんのめりこんでやりたくなるっていう、そういう感じだね。周りから「これやってみない?」って言われたら、「え、やってみようかな」みたいなノリで、やってみるっていう、そういう感じでいろんなことにチャレンジしていってるのかもしれない。古楽も、古楽器が好きだからとかいう理由では全然なくて、やっぱり音楽が一番生きるっていう、そういうところが楽しくてやってるんだよね。

佐藤 こどもの頃からそういう好奇心旺盛なお子さんだったんですか?
小倉 そうだね。ピアノはね、私の母がピアノの先生だったから、私がやりたいって言って始めたわけじゃなくて、物心つく前に、もう弾いてたっていう。
佐藤 へえ!
小倉 お友達の好きなテレビ番組の主題曲とか、適当に耳コピして弾くとみんな喜ぶじゃない? そんな感じで、何でも弾いちゃって。専門的じゃないけど、自分でも曲作ったりとかして、割と自由にやってたかな。
佐藤 そこから音楽の道を目指して、藝大に進むっていうのは割とスムースだったんですか?
小倉 そうね、最初は漠然とピアニストになりたいって思ってね。飛行機に乗って、あちこち飛び回って演奏活動するようなピアニストになりたいって。ピアニストに対する憧れみたいな。
佐藤 ああ、僕もそうでした(笑)
小倉 だけどね、小3ぐらいだったかな。ホロヴィッツのカーネギーホールのコンサートの映像をテレビで観て、「うわ、なんだこれ!」と思って。どういうふうに演奏するか、演奏ということに対してすごく興味が出てきたのは、それからかなぁ。それからはピアノの練習が好きになって、こうやってみよう、ああやってみよう、って自分で試して。
佐藤 はい。
小倉 ただ父の仕事の関係で転勤が多くて、小学3年から5年まで大阪にいて、6年で帰ってきて、みたいな、移動が多かったのね。母は音大出たとかじゃなくて、私に手ほどきができるぐらい、ちょっとピアノが好きで教えてるみたいな感じだったから、音楽家の家庭じゃないし、先生探しは結構大変だったんだけど。
佐藤 ああそうなんですね。
小倉 だからそれがスムースっていうかはよくわからない。
佐藤 でも、何かきっかけがあって音楽家になろうって決意したというよりは、自然な流れで。
小倉 そうだね。それで結果的にたくさんの先生につくことになったので…藝大時代もね、一番最初は中山靖子先生(1921-2015)だったんだけど、大学3年のときに中山靖子先生が定年退官されて、そのあとは田村宏先生(1923-2011)で、田村先生は私が大学院1年のときに定年退官されて、それで平井丈二郎先生(1939-)と。藝大時代でさえも3人の先生につくことになって。いろんな先生からいろんな素晴らしいことを教えていただけたっていうのは、ある意味で良かったのかなって思う。
佐藤 そのあとオランダに留学されて、古楽に出会うことに。
小倉 そう、もともとはヴィレム・ブロンズ先生につきたくて行ったんだけど、オランダは古楽が盛んだったから、素晴らしい演奏会がたくさんあって、それを聴いてもう目から鱗でね、「これはどうなってるんだろう?」って。別に最初から古楽の世界に入ろうと思ったわけじゃなくて、どういうことが行われているのか知りたくて、それで遊びでいろいろ楽器を弾いてみて、やっぱり面白いことが好きで。
佐藤 なるほど。
小倉 大学院を休学して留学したから、2年間しか休学できないでしょ。それで帰る直前に、友達がブルージュの古楽コンクールのアンサンブル部門に出るはずだったんだけど、フォルテピアノの子が急に受けないって言うので、貴久子代わりに出ない?って誘われて。「え、私でいいの?」って。
佐藤 あはははは。
小倉 そんなノリだったのね。でもそれがなかったら、どうだったかなって。確かにフォルテピアノすごく好きで、いろいろ遊びで弾いてたけれども、そのまま日本に帰って、藝大の大学院のピアノ科に戻ったら、フォルテピアノを専門的にやるっていうところまではいかなかったかもしれない。そこで1位をいただいて、「これすごいコンクールなんだからしっかりね」ってみんなに言われて、あ、そうだったのかという感じで。
佐藤 ははあ。
小倉 ちょうどアンサンブル部門の2年後にフォルテピアノ部門があったのね。周りにも受けた方がいいって言われて、私も受けようかなって。受けるんだったらやっぱり楽器を手に入れないと、結局はよくわからないので。それから注文して、1年後ぐらいにフォルテピアノが出来て、日本に持ってきて、ようやく専門的に始めた、という感じかな。
佐藤 フォルテピアノを専門にするということについて、周りからの抵抗とかありましたか?
小倉 あったよ。帰国して大学院に戻ったら、平井丈二郎先生に、「フォルテピアノ? いや、現代のピアノは弾き続けた方がいいですよ」とか言われて、「いや、私はそういうつもりじゃ」みたいな。
佐藤 (笑)
小倉 コンクールの直後だし、もう本当にフォルテピアノにのめりこんでたから、修士論文もシューマンがテーマっていうのは決めてたんだけど、やっぱり楽器のことを絡めたくて、「シューマンのピアノ」っていう論文を書いたりとかして。でも日本ではその頃古楽とモダンって全然違う分野と思われていて、私なんか「モダンの人が始めた」って言われたし。
佐藤 今でもその傾向はあるかもしれませんね。
小倉 そういうつもりじゃなくてさ、本来は同じ音楽じゃない? オランダでは、古楽とモダンの敷居がなかったのね。私モダンの学生だったけど、「どうぞ」っていう感じで受け入れてくれた。だから今主宰しているフォルテピアノアカデミーでも、専門に学んでいない人も受けられるようにしていて、興味がある人には、ぜひぜひウェルカムでいたいのね。
佐藤 なるほど。
小倉 そういう部分がどんどん開かれていって、楽しい世界だっていうことをみんなが知ることが、すごく重要だよね。現代のピアノが嫌いだからとかいうわけじゃ全然ないし、でもすごい面白い世界だから。

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  1. 2020/11/09(月) 16:22:30|
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