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ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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崎谷明弘インタビュー (2)藝大行って良かったですか?

インタビュー第1回はこちら

崎谷 そのあとに藝大に行って。
佐藤 そうそう、それこそルヴィエのところで勉強して、あれだけコンクールの賞歴もある崎谷君が藝大に行くんだ!って僕は割とびっくりしたんですけど。
崎谷 藝大で迫昭嘉先生に教えていただいたことはすごく大きかったですね。
佐藤 へえ。
崎谷 特にテンポの作り方というのが。
佐藤 ほうほう。
崎谷 フランス的というか、ソルフェージュ的なテンポの考え方は、基本にはメトロノームというものがあって、その中で音楽が起こっていくという。一方でドイツ的な、伝統的な考え方としては、Andanteで3拍子だったらこんな調子で行くんだとか、共通認識みたいなものがあるじゃないですか。
佐藤 はい。
崎谷 歴史的にはそういう伝統的な考え方の後に、メトロノームができて、それにテンポを合わせていく。もちろんルヴィエ先生の演奏にも揺らぎはあるんですけどね、基本的にはメトロノームでオーガナイズされている。それが軸になっているというところと、全然違う、迫先生の演奏を聴いたときに、衝撃的でしたよね。
佐藤 ははあ。
崎谷 感覚的に同一のテンポがそこにあって、自由に揺らいでいくという。アーティキュレーションとか強弱とかはだいたい楽譜上で決まってて、その度合いを演奏家の裁量で決めますけど、テンポの調整に関しては全く白紙委任なわけですよね。
佐藤 なるほど。
崎谷 全く統一したテンポで弾くっていう考えもありますけど、そこをいかに柔らかく独自に、でも怒られない程度に(笑)やるのかっていう研究を。コンクールで減点されないとかいうこととは全く別の、その揺らぎをどう作るのかっていうことが、自分の中のテーマになったんです。
佐藤 面白いねそれは。
崎谷 迫先生は具体的に何かおっしゃってたわけじゃないですけど、横で聴いてて、全く追いつけない6年間でしたね。
佐藤 藝大に6年もいたの?
崎谷 6年いたんですよ。藝大の方がパリより長いんです。
佐藤 うわあ。やっぱり藝大行って良かったですか? そんなこと聞いちゃいけないかな(笑)
崎谷 まあ、先生とレッスンが良かったのはもちろんですけど。これからクラシック音楽ってなかなか大変だという中で、ある程度演奏家が文章を書いたりとか、自分の言葉で考えをしっかり伝えていくっていうのが大事かなと。
佐藤 うん。
崎谷 先輩も本であるとか解説文とか、お考えをしっかり出されていて、しかもそれが研究に基づいているということがこれからの時代に必要なんじゃないかなと私も思いまして。それで軽い考えで、博士まで。
佐藤 すごいよね、博士課程修了というのは。なかなかいないですよ。
崎谷 まあ迫先生と2年で終わるっていうのは短いなっていうのが一番の理由でしたけど。
佐藤 でも皆さん修士でも2年じゃなく、もうちょっと長くいるよね。僕は大学院行かなかったからよく知らないけど。
崎谷 そうですね。だから行って良かったんですけど、もう1回ぐらい留学できても良かったなあと思うところもありますね。
佐藤 確かにね。
崎谷 博士課程の在籍中に、ヤマハのマスタークラスの先生やらないかって声をかけていただいて。2015年ぐらいですかね。その仕事が始まったこともあって、時機を逸してしまったんですけど。
佐藤 わかるなあ。僕も自分が留学するときは結構決意を固めて行った覚えがあって。それこそ演奏活動が始まってたので、藝大の学部生のときに。
崎谷 そうですよね。
佐藤 周りの先生方には「早く留学したら」みたいなことを言われるんだけど、行き先も決まってないし、今やっている活動を全部捨てて行くのは結構勇気の要ることで。
崎谷 はいはい。
佐藤 でも、とにかく演奏活動に忙殺されるだけみたいな生活になっちゃってたので、このままずっと日本にいたらそれこそダメだなあと思って「えいやあ」で全部うっちゃって(笑)。それでも僕は高校から藝高なので、結局上野に7年いたんですよ。
崎谷 はいはい。
佐藤 7年は長かったなと。もうちょっと早く海外に行けたら良かったなというのは僕はありますね。藝大の頃も、いろんな外国の先生のレッスン受けたりしたんだけど、この人にこれから何年間かつきたいかっていったら、良いレッスンだったけどそこまではね、みたいなこともあって。なかなか決まらなかったですね。
崎谷 ハノーファーはなぜ選ばれたのですか?
佐藤 それはもう、アリエ・ヴァルディにつきたかったからというだけの理由で。
崎谷 ヴァルディ先生は日本に来られたときにレッスンを受けて?
佐藤 いやレッスンはね、僕は日本では受けてないんですよ。
崎谷 えっそうなんですか。
佐藤 浜松のピアノアカデミーあったじゃない?
崎谷 ありましたね。
佐藤 あれをね、たまたま1日だけ聴きに行ったの。そしたら、アリエ・ヴァルディがレッスンしていて、名前は知ってたので、どんなレッスンするのかなと思って行ってみたら、すごい良い感じだったので、「この人につきたい!」と思って。
崎谷 へえ、そうなんですね。
佐藤 それで調べたらゴスラーっていう、ハノーファーの近郊の街でマスタークラスをやっているというのが分かったので、そこに申し込んで。それこそルヴィエ門下で、その頃ヴァルディのクラスにいた先輩の菊地裕介君も手助けしてくれて、無事取ってもらった、という流れ。
崎谷 そうだったんですね。

崎谷リハーサル1

佐藤 ハノーファー時代は僕もちょくちょくパリに行ったりして、よく遊んでもらってたよね。
崎谷 はい。でもパリの頃はむちゃくちゃな生活でしたね。
佐藤 そうなの?
崎谷 高校卒業で留学して、まあ早かったんですよね。一人暮らしが全然出来なかったので。
佐藤 19とかだもんね。確かに難しい。
崎谷 ユーロも今では考えられないレヴェルで高い時期で。
佐藤 高かったねえ(笑)。パリとかロンドンとか、大都市は物価もね。
崎谷 高いですもんね。
佐藤 その点ドイツ語圏は軒並みそんなに高くないので、そういう意味では僕はあんまりそういう大変な思いをした経験はないんだけど。
崎谷 うーん、あんまり良い思い出はないですね。よく「パリなんて良いじゃない」って言われるんですけど。
佐藤 (笑)
崎谷 お金持ってる人はいいかもしれないですけど、うちはサラリーマンの家なんでね。音楽二世でもないし。
佐藤 ご両親とも全然音楽なさらない?
崎谷 全く。
佐藤 うちと一緒ですね。
崎谷 ああ二世じゃないんですね。
佐藤 でも、パリで僕がすごくよく覚えてるのは、今の僕の奥さんのお母さんが「フランスの傘が欲しい」って言ってて。
崎谷 ああ。
佐藤 遊びに行ったときに、どこかに傘売ってないかなって言って付き合ってもらって、デパートあちこち探したんだけど、どこにも売ってないっていう。
崎谷 そう。傘売ってなかったですねえ。
佐藤 一日中、パリじゅうのデパートに行って傘を探すっていう。あれに付き合ってもらったのすごくよく覚えてる。あのときはご迷惑をおかけしました。
崎谷 いえとんでもないです。たぶんプランタンと、ラファイエットと、ボンマルシェも行ったんじゃないかな。無かったんですよね。
佐藤 無かったよね。それもさ、「傘売り場はどこですか?」って聞いたら、8階ですっていうのに、その建物には7階までしかないとか(笑)、カフカ的不条理みたいな世界で。

2011カントゥにて
崎谷 そのあとカントゥで会いましたよね?
佐藤 会ったっけ?
崎谷 カントゥで優勝されたときに、私も行ってて。
佐藤 あ、会ったわ。
崎谷 一緒にピザ食べましたよね。
佐藤 そうだわ。その写真あったね。
崎谷 あのときね、モーツァルトの(協奏曲)17番弾かれてたでしょ。本当に素晴らしくて。いやあこういう風に弾けたらいいもんだと思いつつ、やっぱり僕はもうモーツァルト弾かなくていいやと思って。
  [▶佐藤の演奏するモーツァルト:ピアノ協奏曲第17番のCDはこちら]
佐藤 何言ってるんですか。
崎谷 こんなに弾ける人がいるなら、僕は違うところで勝負しようというね。そういう思いにもなりましたけど。
佐藤 で、そのあとウィーンで会ったと。
崎谷 ウィーンで。そのあとも何かでご連絡はしたと思うんですけど。
佐藤 うん。でも全然会ってなかったよね。もう9年かあ。

(つづく)
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  1. 2021/11/25(木) 14:08:48|
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