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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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ハンガリー風ディヴェルティメント D818 概説

ハンガリー風ディヴェルティメント ト短調 Divertissement à l'hongroise D818
作曲:1824年? 出版:1826年(作品54)
楽譜・・・IMSLP

1826年4月に出版されたが、自筆譜は失われており正確な作曲年代はわからない。しかし1824年秋のツェリス滞在に深く関連する作品であることは、そのときシューベルトと一緒に耳にしたエステルハーツィ邸のメイドの歌がこのディヴェルティメントに転用されたというシェーンシュタインの証言や、ヒュッテンブレンナーの「この滞在中にシューベルトは有名なハンガリー風ロンドのための素材を集めていた。彼は私に、ツィゴイナー音楽にとても興味をひかれている、と話した」といった言葉から疑いないと思われる。シューベルトは10月16日にツェリスを離れているので、楽曲全体の仕上げはウィーン帰着後に行われたと考えられる。
出版に際して、ハンガリーの貴族パルフィ家に嫁いだ歌手のカタリーナ・ラシュニー・フォン・フォルクスファルヴァ(旧姓ブフヴィーザー) Katharina Lascny (Laszny) von Folkusfalva, geb. Buchwieser (1789-1828)に献呈された。

3つの楽章は、いずれも行進曲のエレメントを内包している。
第1楽章は幻想的なアンダンテに、行進曲風の2つのエピソードが挿入される、ABACAのロンド形式。エピソードから主部に戻る際には、ツィンバロンを彷彿とさせるトレモロが激した調子で掻き鳴らされ、プリモがツィゴイナー風の増2度を多用した即興的なパッセージを奏でるあたり、まさにハンガリーの香りが芬々としている。
第2楽章は三部形式の短い行進曲。主部はハ短調で、セコンドのシンコペーションの伴奏型が耳を引く。変イ長調の中間部ではシューベルトの偏愛したダクティルス(長短短)のリズムでメロディーが歌われていく。
第3楽章「ハンガリーのメロディー」D817の主題による長大なロンドである。ABACAの小ロンド形式だが、間のエピソード部がそれぞれ三部形式を取る巨大な構成(A-B(aba)-A'-C(cdc)-A''-コーダ)となっている。主部(A)の半ばにあるゼクエンツ(同型反復)による盛り上がりはD817にはなかったものだ。ハ短調の第1エピソード(B)は和音連打を伴う行進曲風のきびきびした曲調で、夢見るような中間部を挟んで回帰する。2度目の主部(A')では伴奏型がダクティルスのリズムに変奏される。第2エピソード(C)は変ロ長調の穏やかな曲想だが、中間部では突如遠隔調の嬰ヘ短調に転調し、トレモロや和音の強打が異国情緒を盛り立てる。最後の主部回帰(A'')では伴奏型がシンコペーションのリズムとなり、さらに急き立てられるような印象となる。D817と同様のコーダで、最後は消え入るように静かに終わる。

面白いのは、ハンガリー出身を標榜していたフランツ・リストがこの作品に強い興味を抱き、2度にわたって「シューベルトによるハンガリーのメロディー」というタイトルで全編のピアノ独奏用編曲を発表しているほか、第2楽章にオーケストレーションまで施している(「ハンガリー行進曲」)ということだ。
独奏用「ハンガリーのメロディー」第1版(S.425)は1838-39年に編曲され、ほぼ原曲通りのサイズにリストならではの華麗な技巧的パッセージが鏤められているのだが、1846年に出版された第2版(S.425a)では両端楽章が大幅に短縮されており、そのせいで第3楽章はオリジナルの「ハンガリーのメロディー」D817とよく似た構成になっている。当時D817の存在は知られていなかったのに、実に興味深い一致といえよう。
出生地が当時ハンガリー領だっただけで、マジャール語も解さなかったというリストが代表作「ハンガリー狂詩曲」シリーズに着手し始めるのは、ちょうどその1846年のことである。
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  1. 2020/12/02(水) 23:16:22|
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ハンガリーのメロディー D817 概説

ハンガリーのメロディー ロ短調 Ungarische Melodie h-moll D817
作曲:1824年9月2日 出版:1928年
楽譜・・・IMSLP

「ツェリスにて、1824年9月2日」と書き込まれた自筆譜が、1925年に作家シュテファン・ツヴァイクのコレクションに加わるまで、この作品の存在は知られていなかった。一聴するに、1826年出版の「ハンガリー風ディヴェルティメント」D818の第3楽章ロンド(こちらはト短調)と同一のテーマを扱っていることは明らかで、その初稿的存在と見做される。
1824年、シューベルトとともにツェリスのエステルハーツィ邸に滞在したシェーンシュタイン男爵の証言によれば

『ハンガリー風ディヴェルティメント』のテーマになったのは、エステルハーツィ家の厨房でハンガリー人のメイドが歌っていたハンガリーの歌で、シューベルトは私と出かけた散歩の帰りに、通りがかりに耳にしたのだ。私たちはしばらく耳を傾けていたのだが、シューベルトはどうやらこれが気に入ったようで、歩きながら続きをハミングしていた。

タイトルの通り、その「ハンガリーのメロディー」を書きつけておいたスケッチとも捉えられる。
曲はコーダを伴う三部形式(A-B-A'-コーダ)で、A部とコーダがディヴェルティメントに転用されている。ただ、ロ短調から嬰ヘ短調へ向かうAは、A'ではホ短調から始まってロ短調で終わるように設定されており(いわゆる下属調再現)、民謡そのものというよりもかなり作曲家の手が加わった作品と思われる。そもそもこのメロディーじたい器楽的で、歌うのに適した旋律線とはいえない。オリジナルのメロディーにもある程度改変が加えられているのかもしれない。

細かい装飾音やシンコペーションの多用は確かにエキゾティックであり、後の「楽興の時」第3曲や「即興曲」D935-4などにも通じる、ハンガリー風味の源流にある作品といえるだろう。
  1. 2020/11/29(日) 23:29:21|
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