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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
次回公演詳細

未完楽章D571・D570-1とその補完について

ピアノ・ソナタ 第9番 嬰ヘ短調 (断章・未完) Sonate (Fragment) fis-moll D571
作曲:1817年7月 出版:1897年(旧全集)
楽譜・・・IMSLP

アレグロ 嬰ヘ短調(未完) Allegro (Fragment) fis-moll D570-1
作曲:1817年? 出版:1897年(旧全集)
楽譜・・・IMSLP

前述した嬰ヘ短調ソナタの、未完の両端楽章とその補完について解説したい。

まずはD571のオリジナルの内容を改めて確認しておこう。

【提示部】
[1]-[4] 前奏 嬰ヘ短調
[5]-[19] 第1主題 嬰ヘ短調
[20]-[27] 第1主題の確保 嬰ヘ短調
[28]-[43] 推移部1 嬰ヘ短調→イ長調
[44]-[53] 推移部2 イ長調が確定→ニ長調へ
[54]-[69] 第2主題 ニ長調(途中ニ短調・変ロ長調を経過)
[70]-[91] 第2主題の確保 ニ長調(途中ニ短調・ヘ長調を経過)
[92]-[99] 小結尾 ニ長調→
1番括弧[100]-[101] →嬰ヘ短調 :||
2番括弧[100]-[105] →ヘ長調→ホ短調→変ホ短調→
【展開部】
[106]-[113] 新主題登場 変ホ長調 調号変更(♭3)
[114]-[120] 変ホ短調→変ト長調→変ハ長調
[121]-[128] 新主題の確保 変ハ長調
[129]-[130] 変ハ長調→変イ短調→
[131]-[135] 調号変更(♯3) 嬰ト短調(異名同音)→ホ長調→嬰ハ短調→
[136]-[141] ロ短調のドミナントが定着 [141]で中断

さまざまな調性に転調していくのはソナタの常であるが、この中では展開部に入る直前、2番括弧の半音階的な転調が最もラディカルで、それ以外は近親調間のオーガニックな転調である。
さて、シューベルトは展開部の末尾まで書いたところで中断したというのが通説だが、問題はここが嬰ヘ短調(主調)のドミナントではなく、ロ短調(下属調)のドミナントだということだ。このまま再現部に入るとなると、この楽章は「下属調再現」をとることになる。
下属調再現とは文字通り、第1主題の再現を本来の主調ではなく下属調から始める方法のことで、有名な例はモーツァルトのソナタK.545の第1楽章である。ここではハ長調で始まった第1主題が、再現部ではヘ長調になっている。
モーツァルトK.545提示部第1主題
モーツァルトK.545再現部第1主題
モーツァルト:ソナタK.545 第1楽章 提示部(上)と再現部(下)

すると、提示部「主調→属調」(I→V)と再現部「下属調→主調」(IV→I)が相似形となり、そのままそっくり提示部を5度下(4度上)に移調すれば再現部の出来上がりになる。推移部での転調の取り消しを考えなくて良いので簡単、とよく説明されるが、実際のK.545はそんなに単純なつくりにはなっておらず、ちゃんと作曲者が介入して第1主題の間で主調に戻り、そこから転調せずに第2主題をハ長調で再現する。
シューベルト作品ではヴァイオリンとピアノのためのイ短調の「ソナチネ」D385の第1楽章が下属調再現をとるほか、D575のロ長調ソナタ第1楽章の初稿で下属調再現を試みたことが知られている(直後に中断)。しかし決定稿ではこのアイディアを捨てて普通に主調で再現部を開始している。
D571の場合は短調であり、提示部では嬰ヘ短調の第1主題に対して第2主題はニ長調(平行下属調、長3度下の長調)で提示されるので、下属調再現をするにしてもそのまま移調してOKというわけにはいかない(ロ短調の平行下属調はト長調)。

では現在最も普及している、ヘンレ版ソナタ集第3巻でパウル・バドゥラ=スコダが披露した補筆はどうなっているのだろうか。

【再現部】 ※バドゥラ=スコダ補筆
[142]-[145] 調号変更(♯2) 前奏 ロ短調
[146]-[160] 第1主題 ロ短調(下属調再現)
[161]-[168] 第1主題の確保 ロ短調 右手をオクターヴ上で弾くヴァリアント(アドリブ)
[169]-[184] 推移部1 ロ短調→ニ長調(提示部と相似)
[185]-[194] 推移部2 ニ長調→嬰ヘ短調(★[193]で提示部から逸脱)
[195]-[210] 第2主題 嬰ヘ長調(途中嬰ヘ短調・ニ長調を経過) 調号変更(♯6)
[211]-[232] 第2主題の確保 嬰ヘ長調(途中嬰ヘ短調・イ長調を経過)
[233]-[242] 小結尾 嬰ヘ長調→嬰ヘ短調
[243]-[252] 第1主題によるコーダ 嬰ヘ短調 調号変更(♯3)

[193]で転調に少し手を加えることで流れを変え、第2主題を嬰ヘ長調(主調嬰ヘ短調の同主調)で再現することに成功している。第2主題から小結尾までは提示部をそっくり移調しただけだが、この部分については全く異論はなく、誰が補作したとしても基本的にはこうなるはずだ。第2主題の中での調の揺れ動きも、嬰ヘ短調・ニ長調・イ長調と既に提示部に登場した調性をたどり、有機的な構造になる。
ウィーン原典版のマルティーノ・ティリモの補筆は、間違いなくこのバドゥラ=スコダ版を下敷きにしている。第1主題前の4小節の前奏を割愛していること、第1主題の音域が違うこと(この思いつき的な改変はいただけない)、また推移部2の転調時のアルペジオの音が若干違うこと(これはティリモ版の方が優れていると私は思う)が挙げられる程度で、あとは「ほとんど同じ」である。コーダで第1主題を回想するという発想も同じだ。



私はこの曲をこれまでに3度取り上げており、そのつど異なるヴァージョンの補筆を披露してきた。

2013年2月15日ひまわりの郷
【2013年 横浜市港南区・ひまわりの郷ホール】
ほぼバドゥラ=スコダ版に基づいて演奏したが、最後のコーダだけ書き換えた。バドゥラ=スコダのコーダは第1主題の確保部分([20]-[26])を回想し、短い終止句で終結するというものだが、私は直感的に「シューベルトだったらこうは書かない」と思ったのだ。
その違和感を説明するのは難しいが、あえて言うならば[233]のコデッタ以降、ずっとバスで主音を保続してきた(トニックペダル)のに、コーダに入ってから和音が次々と変わるので、終結感が弱まり、「新しく何かが始まる」感じがしてしまう、ということが最大の理由だろう。最後の3小節だけに現れる6度の重音も、ここで突然登場する音型で、それまでの音楽と関係のない恣意的な終止句である。
ティリモのコーダはずっと短いが、あまりにも陳腐で思わず失笑を禁じ得ない。一刻も早く終わらせたかったのかもしれない。
私がこのとき書いたコーダは展開部の新主題を用いたもので、一度ドミナントペダルを経過してトニックペダルに至る。主題は途中で2倍に拡大され、同音連打のモティーフが残り、最後はアルペジオだけになって風のように消えていく。

2015年 大阪大学会館
このときは大きく構成を変えて、展開部を拡張した上で、通常通り主調で再現部を開始させた。
中断箇所が本当に展開部の末尾で、次の小節から再現部が始まるのかどうか、実は確証はない。調号は♯3の嬰ヘ短調である。もしロ短調で再現を始めるつもりであれば、調号は♯2でよいはずだ。しかしシューベルトは♯3のまま筆を置いており、♯2に変更しようとした形跡はない。

D571自筆譜・中断箇所
D571の自筆譜の最終ページ。2段目の4小節目で明確に♯3を指定しているが、中断箇所の周辺で♯2にしようとした形跡はない。

そこで中断箇所は「展開部の途中」であると仮定し、そのまま転調を続けて嬰ヘ短調のドミナントを導く。その上で再現部を嬰ヘ短調で開始する、というのがこのときのアイディアであった。

2021年 レア・ピアノミュージック(配信)
それから時を経て今年、またD571に取り組むにあたって、もう一度考え直してみた。
やはり[136]-[141]、6小節にわたってドミナントが続いているということは、ロ短調の定着を企てているのであり、ここからさらに展開部を続けるというのは自然ではない。
となるとやはり下属調再現だ。しかし、その後30小節もの長きにわたってロ短調に居座るつもりなら、やはり♯2で記譜したのではないだろうか。♯3を指定したということは、どこかで嬰ヘ短調に戻るつもりだったのではないか?
もうひとつ気になるのは、音域の問題である。ロ短調で再現すると、第1主題の右手のメロディーの音域がいまひとつしっくりこない。バドゥラ=スコダはそれを解消するために第1主題の確保でオッターヴァ・アルタ(1オクターヴ上で)のヴァリアントを提案したが、これはさすがに高すぎて違和感が残る(だから「アドリブ」=お好みで、と但し書きをつけたのだろう)。嬰ヘ短調で演奏してこそ美しさが光る主題なのだ。
ということで、再現部はロ短調で始まるもののそこに留まらず、第1主題の確保の前に嬰ヘ短調に転調する、というのが、私が2021年現在ベストと考えている補筆案である。モーツァルトがK.545でしたように、下属調再現とはいえ手を拱かず、作者がきちんと介入した方が良い結果がもたらされるはずだ。
今回のシューベルトツィクルスでもこの2021年版で演奏する。

ちなみにコーダは、2013年の初演時からほとんど変更していない。
このコーダについては、ある専門家から「バドゥラ=スコダの素晴らしいコーダをわざわざ書き直した意味がわからない」という意見も寄せられた。それで何度も考えてみたが、やはり私はバドゥラ=スコダ版を弾きたいとは思えないし、かといって現状よりも良いコーダを自分では思いつかないので、自らの芸術的良心に従ってこれを採用し続けている。



続いて終楽章たるD570-1についても触れておこう。

【提示部】
[1]-[8] 第1主題 嬰ヘ短調
[9]-[23] →ニ長調→イ長調→
[24]-[31] 第1主題の確保 嬰ヘ短調→ホ長調→
[31]-[39] イ長調
[40]-[55] 推移部1 イ長調
[56]-[72] 推移部2 ヘ長調→嬰ハ短調
[73]-[84] 第2主題 嬰ハ短調
[85]-[96] 第2主題の確保 嬰ハ短調
[97]-[120] 小結尾 嬰ハ短調 :||
[121]-[124] 経過句
【展開部】
[125]-[140] 新主題登場 ニ長調→ト短調→
[141]-[158] ニ短調→
[159]-[164] ヘ短調のドミナント→
[165]-[174] 嬰ヘ短調のドミナント [174]で中断

こちらは[174]が展開部の終わりであるということは明白で、[175]から通常通り主調で再現部を始めればよい。第2主題の再現までのどこかのポイントで転調の方向をいじって、嬰ハ短調(属調)だった第2主題を嬰ヘ短調に持って行けばよいのだ。
バドゥラ=スコダはそのポイントを、なぜかものすごく早い位置、第1主題の確保の直前(提示部の[23]にあたる)に設定して、ロ短調(下属調)で確保を行うことにした。第1楽章の下属調再現の記憶が残っていたのか、それ以外に良い転調のポイントを思いつかなかったのか。この転調はタイミング的にも、和声的にも不自然だと私は思う。
少しの差だが、私は確保のあと、提示部ではホ長調へ進んだ転調([29])をイ長調に入るように変えて、その後をすべて提示部の4度上に移調することで解決した。

もうひとつの問題はコーダである。バドゥラ=スコダ版は提示部にはない4小節の繰り返しが蛇足であるが(音域を下げるために必要だったのか…ちなみにティリモの補筆にも全く同じ4小節がある)、最終的には第1主題のアルペジオを回想してふわりと終わる(巨匠はコーダで第1主題を回想するのがお好きのようだ)。これはこれで美しく、D571のような違和感を覚えるほどではないが、やはり私は私でオリジナルのコーダを書いてみた。展開部に入る前の経過句を生かして、3連符のリズムを続けながら終わっていく(私はどうやら展開部のモティーフを参照するのが好きらしい)。このコーダは2021年に新しく書き下ろしたものである。
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  1. 2021/05/25(火) 19:18:46|
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改訂は「いつ」「なぜ」行われたのか?(D567→D568)

D568はもちろんのこと、D567についても、成立状況を教えてくれる文献は残っていないのだが、ひとつ面白い証言がある。
ニ短調の緩徐楽章初稿の記事で登場した、シューベルトの友人アンゼルム・ヒュッテンブレンナーは、1854年にフランツ・リストの求めに応じて「歌曲作曲家フランツ・シューベルトの生涯の断片 Bruchstücke aus dem Leben des Liederkomponisten Franz Schubert」という回顧録を残していて、その中で「嬰ハ長調のピアノ・ソナタ」について言及している箇所があるのだ。

非常に難しくて、シューベルト本人も間違えずに弾くことができなかった。私は3週間、熱心に練習して、彼と友人たちの前で演奏したところ、彼はこの曲を私に献呈してくれた。その後ある外国の出版社に送付したのだが、「こんなひどく難しい作品は、売れ行きが期待できないので、あえて出版しようとは思わない」という内容のメッセージとともに返送されてきた。

嬰ハ長調(!)のソナタというのは知られていないので、きっと変ニ長調のソナタ(D567)を指しているのだろう、ということで、この証言は新全集のD568の解説にも引用されている。
この時期にシューベルトがピアノ・ソナタをヒュッテンブレンナーに献呈したという事実も、外国の出版社に送ったという事実も、この証言以外には知られていない。ヒュッテンブレンナーという人は以前「グラーツ幻想曲」D605Aの記事でも述べた通り、ちょっと怪しげなところがある人物で、とりわけシューベルトの死後26年も経った1854年の証言を信用できるかどうかは微妙なところなのだが、もし本当だとすると、いろいろ符号が合うことがある。

まず第一に、D567がヒュッテンブレンナーに献呈されていたとしたら、例のニ短調の草稿の紙片を、ヒュッテンブレンナーが持っていたことも説明がつく。「これは君にあげたソナタのスケッチだから、あげるよ。ベートーヴェンの自筆譜の裏に書いちゃったんだけども」なんて言って渡したのかもしれない。その紙片をヒュッテンブレンナーは生徒の記譜練習に使わせてしまうわけなのだが・・・。

そして第二に、なぜシューベルトがD567を改訂しようと思い立ったのか、その理由の一端がこのエピソードには示されている。自分では弾けないような難曲だったが、ヒュッテンブレンナーが弾いてくれたら良い曲で、友人たちにも好評だった。それで自信がついて、外国の出版社に送ってみたが、「難しすぎてダメ」と言われた。
ならば、♭5つの変ニ長調から、♭3つで読譜しやすい変ホ長調に直せば、受け入れられるのではなかろうか。つまり、作曲家自身の内的欲求というより、受容を優先し、出版を視野に入れた上での改訂作業、という可能性があるのだ。緩徐楽章を同主短調の変ホ短調にしなかったのも、♭が多すぎる(6個)から避けた、という理由もあるだろう。
実際にD568が現在も演奏会の主要レパートリーに君臨しているところを見ても、シューベルトの目算は当たったということになる。


さて、肝心の改訂の時期については特定されておらず、1817年(D567の作曲年)から1828年(シューベルトの最期の年)までさまざまな説がある。

1817年説を唱えたのは著名なシューベルト学者のモーリス・ブラウンである。
ブラウンはD593の2つのスケルツォを、D567の挿入楽章の習作と捉えている。D567が1817年6月に完成したあと、すぐにシューベルトはD568への改訂作業に着手し、11月までに完成させて、そのとき捨てられた2つのスケルツォを譜面にまとめて、11月の日付を書き込んだ。つまりD593の作曲日付の「1817年11月」は、D568の完成時期を示している、という見立てである。
なぜそのようなロジックが成り立つのか、原文を何度読んでもさっぱりわからないのだが、おそらくは「D568は1817年作曲」という希望的観測が最初にあって、論を進めているだろう。「1817年の6曲のソナタ」の、失われた第3番・第4番のいずれかにD568を当て込みたかったものと思われる。

現在ではこの説の信憑性は低い。まず、D567の清書稿では、第2楽章の最終ページの裏面に第3楽章(フィナーレ)が書かれていて、その間にスケルツォ(あるいはメヌエット)が入り込む余地はない。D567は3楽章構成のソナタとして完成したのであり、D593のスケルツォがD567のために書かれたのだとしたら、1817年6月以前の時点で捨てられていたはずである。D567からD568への改訂作業の途中でスケルツォが書かれたとすると、変ロ長調の第1番はともかく、第2番の変ニ長調という調性はD568には合致しない。
D593が、何らかのソナタの中間楽章として書かれた可能性は否定できないものの、それがD567/D568であるという明確な証拠もなく、その作曲の日付がD568の完成を示すというのはあまりにも飛躍が多い。
さらに言えば、単なる移調だけならともかく、これほどの内容のブラッシュアップを伴う改訂を、D567完成直後のシューベルトが成し遂げたとはちょっと思えない。D567の完成からしばらく時間が経って、過去作を客観的に見ることができるようになった作曲者が校訂したもの、と捉えるのが自然だろう。少なくともこの時期のシューベルトが、いったん完成した作品にさらに手を加えるような習慣を持たなかったことは確かである。

一方で、改訂時期をシューベルトの晩年と見なしている学者もいる。
マーティン・チューシッドMartin Chusidは展開部の書法について、「1824年以前のシューベルトは、これほど広範囲における、複雑な転調のシークエンスを書いたことはない」という。さらに、展開部の内容を検討するとピアノ三重奏曲第2番D929や弦楽五重奏曲D956に似ているとして、改訂作業はシューベルト最晩年の1828年、もしかしたらその最期の数ヶ月か、数週間で行われたのかもしれない、と論じている。
論文そのものを参照できなかったので、どの部分を比較しているのかは詳しくわからないのだが、以前に分析した通り、D568で新たに書き足された部分は、終楽章の展開部の前半40小節のみであり、あののどかな舞曲風の部分の転調が、最晩年のシューベルトにしか書き得なかったものとはちょっと思われない。

マルティーノ・ティリモが編纂したウィーン原典版の解説には、「改訂作業が1826年に行われたことを示唆するいくつかの証拠がある」として、複数の論文が紹介されているが、その内容については詳述されておらず、そこに挙げられた論文のオリジナルを参照することもできなかったので、この説の信憑性については詳しい検討はできなかった。

1829年6月にフェルディナントが作成した、弟フランツの遺産台帳によると、1829年1月5日に、ペンナウアー社からの58グルデン36クロイツァーの支払いが記録されている。ドイチュは、これをD568の作曲料とみている。
時期的に考えて、D568の出版契約は、シューベルトの生前に締結されたのだろう。しかし1828年11月19日に急死したシューベルトは、その対価を受け取ることさえできなかったのだった。
  1. 2016/10/05(水) 22:44:28|
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