ピアノ・ソナタ 第9番 嬰ヘ短調 (断章・未完) Sonate (Fragment) fis-moll D571 作曲:1817年7月 出版:1897年(旧全集)
アレグロ 嬰ヘ短調(未完) と スケルツォ ニ長調 Allegro (Fragment) fis-moll und Scherzo D-dur D570 作曲:1817年? 出版:1897年(旧全集)
ピアノ小品 イ長調 Klavierstück A-dur D604 作曲:1816~17年? 出版:1888年(旧全集)
(シューベルトのピアノ・ソナタの一覧は
こちら )
D571の嬰ヘ短調ソナタもまた
問題児 である。
第1楽章が完結しておらず、さらには後続楽章も揃っていないという
「二重苦」 にもかかわらず、バドゥラ=スコダが先鞭をつけた復元の試みが功を奏し、現在では時折演奏会やレコーディングのレパートリーに上るようになった。それに値するだけの唯一無二の音楽であることは疑いない。
冒頭楽章の断片(D571)は1817年7月に作曲された。タイトルには
「Sonate V」 とあり、
1817年に計画された6曲の連作ソナタ の第5番として書かれたことがはっきりしている。
左手のアルペジオの伴奏型が初めに現れ(このような「前奏」から始まるソナタは当時としては非常に珍しい。同じ調性のシューマンのピアノ・ソナタ第1番を連想させるが、1897年の旧全集で初めて出版された本作をシューマンが知っていた可能性はない)、[5]から右手がオクターヴで第1主題を奏でる。属音の3連打で始まる旋律の、滴り落ちるような瑞々しさと儚い悲しみは、まさに稀代のメロディーメーカー、シューベルトならではのものだ。メロディーが終わったあと、伴奏の音型だけが残って展開の素材となり、転調を繰り返して[54]でニ長調の第2主題へ至る。前から引き継いだアルペジオの中からメロディーの断片が聞こえてきて、それが次第に繋がっていく。しかし第1主題のような歌謡的な旋律はもう現れず、全体としてはアルペジオが支配する器楽的なテクスチュアの提示部である。
ニ長調の主和音に終着したあと、[100]の1番括弧では主調嬰ヘ短調の四六の和音に進んで、冒頭に戻る。ところが2番括弧ではなんとヘ長調の四六の和音へスライドし、半音階的なゼクエンツを経て[106]で変ホ長調というとんでもない遠隔調へたどり着く。調号もこれに合わせてフラット3つに変更となる。アルペジオの伴奏型はずっと続いたままだが、最上声には第1主題の同音連打をモティーフにした新しい主題が登場する。曲は変ホ短調を経て変ハ長調、そして変イ短調の和音が現れたところで調号がシャープ3つに戻り、3度ずつ下降するゼクエンツがロ短調のドミナントの和音に到達し、メロディーは薄れて同音連打のモティーフだけが残る。そして[141]で自筆譜は中断する。
以上が残されたD571(第1楽章)の姿である。この断章をいかにして完成させるかという話題については次の記事に譲ることにして、
後続楽章 について触れることにしよう。
D570の
「アレグロとスケルツォ」 がD571の関連楽章であろうということは、比較的早い段階から推測されてきた。嬰ヘ短調という珍しい調性(シューベルトの器楽曲で嬰ヘ短調を基調とする作品は他に見当たらない)、アルペジオを多用したテクスチャー、またフィナーレにふさわしい軽快な曲調は、「アレグロ」がこの嬰ヘ短調ソナタの終楽章として計画されたことを窺わせる。同じ自筆譜に書きつけられていたニ長調の「スケルツォ」はその中間楽章と考えるのが自然だ。シューベルトらしい舞曲風の「スケルツォ」は時に突飛な展開で人を驚かす。変ロ長調の中間部を持ち、セクション間のしりとりのようなモティーフのやりとりが楽しい。
例によってブラームスがこの作品に興味を示し、シュナイダー博士という人から借りてきた自筆譜をもとに作成したという筆者譜が、ウィーン楽友協会に保存されている。
ひとつ引っかかるのは、自筆譜ではアレグロの方が先になっていて、アレグロの最終ページの裏にスケルツォが記されているということだ。D571の後続楽章とするには、この曲順をひっくり返さなくてはならない。
もうひとつの大きな問題は、この嬰ヘ短調の「アレグロ」が
またしても未完成 で、ソナタ形式の展開部までで筆が止まっているということだ。それこそ「一丁上がり」とばかりに、続きを端折って「スケルツォ」に取りかかったわけだ。この楽章の補作についても次の記事で触れよう。
D571にD570の2つの楽章を接続させることについては、研究者の間では概ねコンセンサスが取れていて、新全集でも同じ巻の中に収録されている。
ところが、このソナタは
緩徐楽章を欠いている 。
シューベルトの完成した3楽章構成のソナタでは、
例外なく第2楽章は緩徐楽章であり、スケルツォを持つものはない 。スケルツォやメヌエットがある場合は必ず緩徐楽章のあとに置かれ、全体は4楽章構成となる。
その緩徐楽章の有力候補として、
パウル・バドゥラ=スコダ が見繕ってきたのがD604の
イ長調の小品 であった。
この小品は音楽としては完結しているが、タイトルも速度表記もなく、何のために書かれたのかは判然としない。1816年9月に完成した序曲D470の四重奏形式のスコアの続きに記されているが、バドゥラ=スコダやデイヴィッド・ゴールドベルガーによれば、D604とD570はいずれも1815-16年の自筆譜の余白に書き込まれているという共通点があるという。いずれも日付や署名、楽器指定を欠いているが、シューベルトがピアノ・ソナタの中間楽章を書くときはいつもそうだったとゴールドベルガーはいう。しかしながらそれ以上の積極的な関連性については確証がないとして、新全集ではD604はソナタから切り離して「小品」の巻に収録された。
構成としては典型的な「展開部を欠くソナタ形式」だが、第1主題のイ長調に対して第2主題は下属調のニ長調をとるのがいっぷう変わっている。再現部では第1主題の確保の際に属調ホ長調に転調し、そこから形通りにイ長調に戻る。曲は弦楽四重奏を思わせるテクスチャーで、微妙な和音の移り変わりが表情に繊細な陰影をもたらしている。確かに、開始早々に嬰ヘ短調のドミナント和音が登場したり、第2主題ではD570のスケルツォの冒頭と同じfis-eis-fisという音型を使用するなど、D571/D570との関連をほのめかす証拠は多々ある。第2主題の後半では右手に装飾的なパッセージが登場して、キラキラと忙しく動き回る。
左 はピアノ小品D604の[19]、第2主題冒頭部。赤くマークしたfis-eis-fisの音型 は右 のスケルツォD570-2の冒頭と一致する。 ちなみに青くマークした同音連打 がD571の第1主題から来ているという説もあるが、クラウゼによれば「考えすぎ」。D570-1のアレグロと、(
またしても )
ベートーヴェンの「月光」ソナタ 終楽章との調性配置の類似を指摘しているアンドレアス・クラウゼは、D604の追加には否定的で、このソナタは「月光」と同様、中間楽章にスケルツォを置く3楽章ソナタであるべきだと主張している。しかし「月光」ソナタの場合は冒頭楽章が既に緩徐楽章であったわけで、D571も緩やかな曲想とはいえ同列には論じられないと私は思う。
今回はバドゥラ=スコダの提案の通り、
D604を含む4楽章ソナタ(D571+D604+D570-2+D570-1) の形で演奏することにしたが、未完の両端楽章にはオリジナルの補筆を行った。これについては次の記事で触れよう。
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2021/05/22(土) 21:56:35 |
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2つのスケルツォ Zwei Scherzi D593 作曲:1817年11月 出版:1871年
旧全集よりも早く、1871年にウィーンのゴットハルト社から出版された。自筆譜は残っていないが、
「ヴィッテチェク=シュパウン・コレクション」 と呼ばれる1840年代の筆写譜がウィーン楽友協会に所蔵されている。「ヴィッテチェク=シュパウン・コレクション」については次回の記事で詳しく紹介したい。
楽友協会資料室を訪問した際 にこの筆写譜も閲覧してきたのだが、1871年の初版譜とはずいぶん違いがある。最も大きな相違点は、第1曲の[15]の2拍目、上声の2つ目の16分音符が、
筆写譜ではd、初版譜ではc となっていることだ(平行箇所の[49]も同様)。
スケルツォ D593-1 第13-16小節、ベーレンライター版新シューベルト全集。「ヴィッテチェク=シュパウン・コレクション」に基づく。 スケルツォ D593-1 第13-16小節、ブライトコプフ版旧シューベルト全集。初版譜に基づく。 ミスプリントや、出版社による勝手な改変の可能性もなくはないが、おそらくは内容の異なる
2種類の自筆譜が存在 し、ひとつが筆写譜の元となり、もうひとつが初版の製版に使われ、その後
2つとも消失した とみるのが自然だろう。
「スケルツォ」はイタリア語で「冗談」を意味する。ピアノ曲としてはソナタの中間楽章、メヌエットの代替としてベートーヴェンが導入したが、
ソナタに属さない単独のスケルツォ は、大作曲家の作品としてはこれが最初ではないだろうか。
既に述べたとおり 、
第2曲 のトリオがソナタD568の第3楽章(メヌエット)のトリオとほぼ一致しており、
この作品がD567の中間楽章のスケッチとして書かれた可能性 はあるものの、D567の清書譜にはスケルツォが差し挟まれる余地はなく、この説を採ればスケルツォはかなり早い段階で捨てられた、ということになる。
筆写譜・初版譜の両方に記されている「1817年11月」という作曲時期を素直に信じれば、8月にこの年6曲目のソナタD575を書き終えた(これについても諸説あるものの)シューベルトが、ソナタとは関係なく生み出した
単独小品 、という見方もできる。私自身は、とくに第1曲の明快でキャッチーなキャラクターを考えると、ソナタの中間楽章として構想されたものとは思えないので、それ以上の根拠はないものの「単独小品説」を採りたいと考えている。
いずれにせよ、変ロ長調と変ニ長調のスケルツォが2曲セットになった状態で伝承されてきたわけで、当時のピアノ作品としては珍しい体裁であったことは確かだろう。
2曲とも、
|:A:|:BA:||:a:|:ba:| Da capo の
複合三部形式 で書かれている。
特徴的なのは、スケルツォとはいえ
テンポは中庸 で、むしろ一部のメヌエットよりも遅いテンポが想定されていることである。しかし、とりわけ第1曲の左手のリズムはメヌエットとも、ワルツとも違う軽妙なもので、これが一種の「スケルツォ=冗談」感を演出していると言えるかもしれない。また、両曲の主部には2分割(8分音符)と3分割(3連符)が共存しているのが特徴で、リズミカルな活発さをもたらしている。その主部に比べると、トリオは両曲とも穏やかであり、第2曲のトリオが移植された先が「メヌエット」だというのも納得できる。
スケルツォ D593-1 冒頭 第1曲(変ロ長調) は、先述した冒頭の左手のリズムが、明らかに舞曲の性格を帯びている。主部のB部分では、同種短調の変ロ短調を経由して変ニ長調へと転調し、そこから半音階的に変ロ長調へ戻っていくあたりに、その後のシューベルトにも通じる巧みな転調技法が垣間見える。変ホ長調のトリオはレントラー風だが、b部分のバスの独立した動きが興味深い。
全体として溌剌とした魅力に溢れており、技術的に平易なため、こどもの教材としてもよく用いられている。
スケルツォ D593-2 冒頭 第2曲(変ニ長調) は、前曲と比べると落ち着いた印象の、中低音の重厚な和音で始まるが、すぐに高音域に移っていき、音階やアルペジオを駆使して鍵盤の端から端まで自由に行き来する、なかなか忙しい曲である。B部分では、前曲と同様に短3度上のホ長調(異名同音)に転調して、ここでやはり舞曲風の音楽になる。
ところでこの曲は主部からトリオに入る際に、拍節の繋がりがうまくいっていない。主部は強起(アウフタクトなし)だが、トリオは弱起(アウフタクトあり)なので、そこで余計な1拍が入ってしまうわけだ。
スケルツォ D593-2 主部の終わりからトリオ冒頭。主部の最終小節もきっちり3拍あるので、トリオのアウフタクトが入る余地がない。 旧全集では、3拍子を守るために主部最後の2分音符を抜くという改変まで行っている。
このことから考えて、主部とトリオは別々の機会に作曲されたものを繋ぎ合わせた、という可能性もあると思われる。
2016/10/07(金) 16:39:15 |
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D568はもちろんのこと、D567についても、成立状況を教えてくれる文献は残っていないのだが、ひとつ面白い証言がある。
ニ短調の緩徐楽章初稿の記事で登場 した、シューベルトの友人
アンゼルム・ヒュッテンブレンナー は、1854年にフランツ・リストの求めに応じて
「歌曲作曲家フランツ・シューベルトの生涯の断片 Bruchstücke aus dem Leben des Liederkomponisten Franz Schubert」 という回顧録を残していて、その中で
「嬰ハ長調のピアノ・ソナタ」 について言及している箇所があるのだ。
非常に難しくて、シューベルト本人も間違えずに弾くことができなかった。私は3週間、熱心に練習して、彼と友人たちの前で演奏したところ、彼はこの曲を私に献呈してくれた。その後ある外国の出版社に送付したのだが、「こんなひどく難しい作品は、売れ行きが期待できないので、あえて出版しようとは思わない」という内容のメッセージとともに返送されてきた。 嬰ハ長調(!)のソナタというのは知られていないので、きっと変ニ長調のソナタ(D567)を指しているのだろう、ということで、この証言は新全集のD568の解説にも引用されている。
この時期にシューベルトがピアノ・ソナタをヒュッテンブレンナーに献呈したという事実も、外国の出版社に送ったという事実も、この証言以外には知られていない。ヒュッテンブレンナーという人は以前
「グラーツ幻想曲」D605Aの記事 でも述べた通り、ちょっと怪しげなところがある人物で、とりわけシューベルトの死後26年も経った1854年の証言を信用できるかどうかは微妙なところなのだが、もし本当だとすると、いろいろ符号が合うことがある。
まず第一に、D567がヒュッテンブレンナーに献呈されていたとしたら、例のニ短調の草稿の紙片を、ヒュッテンブレンナーが持っていたことも説明がつく。「これは君にあげたソナタのスケッチだから、あげるよ。ベートーヴェンの自筆譜の裏に書いちゃったんだけども」なんて言って渡したのかもしれない。その紙片をヒュッテンブレンナーは生徒の記譜練習に使わせてしまうわけなのだが・・・。
そして第二に、なぜシューベルトがD567を改訂しようと思い立ったのか、その理由の一端がこのエピソードには示されている。自分では弾けないような難曲だったが、ヒュッテンブレンナーが弾いてくれたら良い曲で、友人たちにも好評だった。それで自信がついて、外国の出版社に送ってみたが、「難しすぎてダメ」と言われた。
ならば、
♭5つの変ニ長調から、♭3つで読譜しやすい変ホ長調に直せば、受け入れられるのではなかろうか 。つまり、作曲家自身の内的欲求というより、
受容を優先し、出版を視野に入れた上での改訂作業 、という可能性があるのだ。緩徐楽章を同主短調の変ホ短調にしなかったのも、♭が多すぎる(6個)から避けた、という理由もあるだろう。
実際にD568が現在も演奏会の主要レパートリーに君臨しているところを見ても、シューベルトの目算は当たったということになる。
さて、肝心の改訂の時期については特定されておらず、1817年(D567の作曲年)から1828年(シューベルトの最期の年)までさまざまな説がある。
1817年説 を唱えたのは著名なシューベルト学者の
モーリス・ブラウン である。
ブラウンはD593の2つのスケルツォを、D567の挿入楽章の習作と捉えている。D567が1817年6月に完成したあと、すぐにシューベルトはD568への改訂作業に着手し、11月までに完成させて、そのとき捨てられた2つのスケルツォを譜面にまとめて、11月の日付を書き込んだ。つまり
D593の作曲日付の「1817年11月」は、D568の完成時期を示している 、という見立てである。
なぜそのようなロジックが成り立つのか、原文を何度読んでもさっぱりわからないのだが、おそらくは「D568は1817年作曲」という希望的観測が最初にあって、論を進めているだろう。
「1817年の6曲のソナタ」 の、失われた第3番・第4番のいずれかにD568を当て込みたかったものと思われる。
現在ではこの説の信憑性は低い。まず、
D567の清書稿 では、第2楽章の最終ページの裏面に第3楽章(フィナーレ)が書かれていて、その間にスケルツォ(あるいはメヌエット)が入り込む余地はない。D567は3楽章構成のソナタとして完成したのであり、D593のスケルツォがD567のために書かれたのだとしたら、1817年6月以前の時点で捨てられていたはずである。D567からD568への改訂作業の途中でスケルツォが書かれたとすると、変ロ長調の第1番はともかく、第2番の変ニ長調という調性はD568には合致しない。
D593が、何らかのソナタの中間楽章として書かれた可能性は否定できないものの、それがD567/D568であるという明確な証拠もなく、その作曲の日付がD568の完成を示すというのはあまりにも飛躍が多い。
さらに言えば、単なる移調だけならともかく、これほどの内容のブラッシュアップを伴う改訂を、D567完成直後のシューベルトが成し遂げたとはちょっと思えない。D567の完成からしばらく時間が経って、過去作を客観的に見ることができるようになった作曲者が校訂したもの、と捉えるのが自然だろう。少なくともこの時期のシューベルトが、いったん完成した作品にさらに手を加えるような習慣を持たなかったことは確かである。
一方で、改訂時期を
シューベルトの晩年 と見なしている学者もいる。
マーティン・チューシッドMartin Chusidは展開部の書法について、「1824年以前のシューベルトは、これほど広範囲における、複雑な転調のシークエンスを書いたことはない」という。さらに、展開部の内容を検討するとピアノ三重奏曲第2番D929や弦楽五重奏曲D956に似ているとして、改訂作業はシューベルト最晩年の1828年、もしかしたらその最期の数ヶ月か、数週間で行われたのかもしれない、と論じている。
論文そのものを参照できなかったので、どの部分を比較しているのかは詳しくわからないのだが、
以前に分析した通り 、D568で新たに書き足された部分は、
終楽章の展開部の前半40小節のみ であり、あののどかな舞曲風の部分の転調が、最晩年のシューベルトにしか書き得なかったものとはちょっと思われない。
マルティーノ・ティリモが編纂した
ウィーン原典版 の解説には、
「改訂作業が1826年に行われたことを示唆するいくつかの証拠がある」 として、複数の論文が紹介されているが、その内容については詳述されておらず、そこに挙げられた論文のオリジナルを参照することもできなかったので、この説の信憑性については詳しい検討はできなかった。
1829年6月にフェルディナントが作成した、弟フランツの遺産台帳によると、1829年1月5日に、ペンナウアー社からの58グルデン36クロイツァーの支払いが記録されている。ドイチュは、これをD568の作曲料とみている。
時期的に考えて、D568の出版契約は、シューベルトの生前に締結されたのだろう。しかし1828年11月19日に急死したシューベルトは、その対価を受け取ることさえできなかったのだった。
2016/10/05(水) 22:44:28 |
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前回 に引き続き、D567からD568への改訂について解説する。
今回は、中間楽章を詳しく取り上げたい。
●第2楽章 第2楽章の構成は、D567もD568も全く変わらず、
展開部を欠くソナタ形式 で書かれている。調性だけが異なっていて、D567は同主短調(異名同音)の
嬰ハ短調 、D568では長3度上の
ト短調 が選択されている。
下の表では、D567とD568、それぞれの調性の経過をドイツ音名で示した。
D567 D568 提示部 第1主題 [1]-[19] cis:→E:→cis: g:→B:→g: 経過句 [20]-[26] cis: g: 第2主題 [27]-[42] A: Es: 小結尾 [43]-[63] A:→・・・→h:→・・・→e:→h:→cis: Es:→・・・→f:→・・・→b:→f:→g: 再現部 第1主題 [64]-[75] cis→E: g:→B: 第2主題 [76]-[91] E: B: 小結尾 [92]-[109] E:→・・・→fis:→・・・→h:→fis:→E:→cis: B:→・・・→c:→f:→c:→B:→g: コーダ [110]-[122] cis:(経過句の再現) g:(経過句の再現)
前に紹介した通り 、この楽章にはニ短調の初稿があり、その稿は提示部の終わり、[63]で中断している。細部においては違いがあるものの(やはり初稿はやや荒削りであり、稿を重ねるごとに洗練されていく)、調性の配置も含めて音楽の流れは全く変わらない。
D567とD568については、さらに細部の差異が少なく、装飾音の追加や些細なリズムの変更程度なので、ここでは詳述しない。
問題は、
なぜシューベルトはD568において「ト短調」という調性を選んだのか 、ということである。
単純にソナタ全体を長2度上に移調するのであれば、第2楽章も変ホ長調の同主調である「変ホ短調」を採用すればよい。あるいは、変ホ長調の平行調である「ハ短調」を採っても、初稿の「ニ短調」やD567の「嬰ハ短調」に音域的にも近く、違和感は少ない。
しかしシューベルトは、わざわざイレギュラーな「長3度上の短調」を選んだ。
アンドレアス・クラウゼ Andreas Krauseの著書「Die Klaviersonaten Franz Schuberts. Form, Gattung, Ästhetik」(Bärenreiter, 1996)での分析は興味深い。
ト短調で始めると、提示部の第2主題が
変ホ長調 、すなわち
ソナタ全体の調性 と一致する。再現部の第2主題は
変ロ長調 となり、これは第1楽章の属調、つまり
提示部の終結部分の調性 となる。
第2主題部の調性で、第1楽章と関連を持たせ、ソナタ全体の統一感を図ろうとした 、という見立てである。
嬰ハ短調のD567では、該当箇所はイ長調とホ長調。変ニ長調の第1楽章には登場しないシャープ系の調性になってしまい、全楽章を見渡したときに、異質なものが挟まっている感じが拭えない。
もちろん「ト短調」の選択理由はこれだけではないと思うが、非常に有力な根拠のひとつといえるだろう。
ただ、初稿より完全4度、D567よりも減5度高い「ト短調」は、やや使用音域が高く、前2稿に比べるといくぶん軽々しく、据わりの悪い聴感は否めない。D567の嬰ハ短調の、人生の苦悩を背負うような重みや深みは、D568からは聴き取れないだろう。D568のト短調の緩徐楽章を聴き慣れている皆さんは、晩年の境地を垣間見せるD567の深淵に驚かれるかもしれない。
●D568第3楽章 D568で新しく追加された第3楽章は、古典的な複合三部形式(ABA-aba-ABA)の
「メヌエットとトリオ」 である。
この楽章の存在によって、改訂時点でのシューベルトは、舞曲楽章を含む「4楽章構成」をピアノ・ソナタの完成型と捉えていたことが窺える。
変イ長調のトリオ(中間部)は、
前述のように 「2つのスケルツォ」D593の第2曲のトリオ (中間部)とほとんど同じものである。
スケルツォ D593-2 中間部 D568 第3楽章 中間部
「2つのスケルツォ」についてはいずれ改めて取り上げるが、この2つのトリオを比較すると、最も大きな違いはトリオの前半、abaの最初のaの後半部分にある。
D593-2では変イ長調のまま終止し、最後のaと全く同型であるのに対し、D568の第3楽章では7小節目から属調の変ホ長調に転調しており、後半とは違う展開を見せている。それに伴い、bのアウフタクトの音も変えられている。
この改変から、
「先にD593-2が書かれ、そのトリオを改訂してD568の第3楽章に転用した」 と推測するのは妥当だろう。
その上でメヌエットの主部を見てみると、
付点のリズムが多用されている のが目に付く。これは言うまでもなくトリオの主要モティーフである。すなわち、シューベルトは
まずこのトリオをD593-2から持ってきて (もしかしたら既にこの時点でトリオを改訂し)、
それに合うような主部を書き下ろす 、という順番で作業したことが推測できる。
A部分の最後の数小節の巧みな転調で、AとA'に変化をつける手法は主部とトリオに共通していて、これは改訂時のシューベルトの趣味というか、手癖といっても良いものかもしれない。
前回と今回の分析を踏まえて、「いつ」「なぜ」シューベルトが改訂を行ったのか、次の記事で考えてみたい。
2016/10/04(火) 23:17:54 |
楽曲について
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この記事では、1817年6月に作曲された
変ニ長調のソナタ(D567) と、1829年5月に「作品122」として出版された
変ホ長調のソナタ(D568) の関係と、その一次資料について簡単に述べる。
まずはシンプルな事実から。
D568は、D567の「改訂稿」、ヴァージョンアップ版である。 これら2つのソナタには、
現行のドイチュ作品目録では同じ「D568」という番号が割り振られている 。オットー・エーリヒ・ドイチュは当初、変ニ長調にD567、変ホ長調にD568を充てたのだが、ドイチュ没後の1978年に行われたカタログの改訂時に、変ニ長調を「第1稿」、変ホ長調を「第2稿」として、どちらもD568にまとめることになった。D567は現在「欠番」扱いである。
しかしながら、
・変ニ長調ソナタは末尾に欠落があるとはいえ、
極めて完成に近い形 を示しており、独立した作品として扱うことができること
・変ニ長調ソナタから変ホ長調ソナタへの改訂時には、メヌエット楽章が追加されているほか、両端楽章にかなり手が加えられており、
同一の作品の別稿と見なすには無理がある こと
・変ニ長調ソナタそのものに「草稿」と「決定稿」が存在し、呼称がややこしくなること
などの理由により、このブログでは今後も
旧カタログの通り、変ニ長調をD567、変ホ長調をD568と表記する ことを断っておく。
では「最終稿」たるD568から、徐々に過去に遡る形で話を進めていこう。
ピアノ・ソナタ 第8番 変ホ長調 Sonate Es-dur D568 作曲:不明 出版:1829年5月(作品122)
I. Allegro moderato 変ホ長調
II. Andante molto ト短調
III. Menuetto. Allegretto 変ホ長調
IV. Allegro moderato 変ホ長調
D568は、1829年5月、ウィーンのペンナウアー社から「第3グランド・ソナタ 作品122」として出版された。シューベルトの死の半年後のことである。シューベルトの生前に既に3曲のピアノ・ソナタが出版されている(D845、D850、D894)が、このうちD894は「幻想曲、アンダンテ、メヌエットとアレグレット」という小品集の体裁を取ってしまったため、死去のすぐ後に出版されたD568が「第3」の呼称を獲得したわけだ。実質的には
4曲目に出版されたピアノ・ソナタ ということになる。
この初版譜以外に、D568の存在を伝える資料はない。
自筆譜も筆写譜も一切残っていない のだ。ゆえに
D568の作曲、すなわちD567からD568へのヴァージョンアップの作業がいつ頃どのように行われたのかについては、確たる証拠は何もない 。
D568は4楽章構成のソナタで、このうち3つの楽章はD567を下敷きにしている。新たに挿入された第3楽章は三部形式の「メヌエット」で、主部は書き下ろしのようだが、トリオ(中間部)は1817年に作曲された
「2つのスケルツォ」D593の第2曲のトリオを、ほとんどそっくりそのまま転用したもの である。
まとめると、
D568 - I Allegro moderato 変ホ長調(258小節) ← D567 - I Allegro moderato 変ニ長調(238小節) D568 - II Andante molto ト短調(122小節) ← D567 - II Andante molto 嬰ハ短調(122小節) D568 - III Menuetto. Allegretto 主部 変ホ長調(36小節) ← 書き下ろし Trio 変イ長調(28小節) ← D593-2 Trio 変イ長調(28小節) D568 - IV Allegro moderato 変ホ長調(223小節) ← D567 - III Allegretto 変ニ長調(167小節、未完)
ということになる。
第2楽章はD567の緩徐楽章をほとんどそのまま増4度(!)上に移調したものだし、第3楽章のトリオもD593-2とほぼ同一である。
しかし両端楽章に関して言えば、長2度上に移調されたというだけではなく、
ソナタ形式の展開部に当たる部分がどちらもほぼ2倍に拡張 され、大規模に作り直されている。
つまり
D568は、D567を拡大する形でアップグレードされた 、ということができる。
では、「原曲」であるD567に話題を移そう。
ピアノ・ソナタ 第7番 変ニ長調 Sonate Des-Dur D567 作曲:1817年6月 出版:1897年
I. Allegro moderato 変ニ長調
II. Andante molto 嬰ハ短調
III. Allegretto 変ニ長調(未完)
D567には
自筆の清書譜 があり、これが一次資料となっている。12の紙片からなるこの自筆譜は、兄フェルディナントからその甥エドゥアルト・シュナイダー(フランツの妹マリア・テレジアの息子)を経て、シューベルト自筆譜の収集家として知られるニコラウス・ドゥンバのコレクションとなった。現在ウィーン市立図書館に所蔵されており、
SCHUBERT online で画像が閲覧可能である。前記事で触れた通り、「Sonate II」とタイトルが記され、1817年6月の日付もある。
第3楽章は完結していないが、自筆譜の最終ページは最下段まで書き込まれており、その中断箇所は音楽的にもキリの良いポイントではない(コーダの第1小節までで、あと20小節ほどで音楽は完結する)。おそらくこの楽章は記譜の時点では完成していたが、その後
最終ページが散逸してしまった と見るのが妥当だろう。次作のD571(第1楽章)のような明らかな「未完作品」ではない。
コーダは、D568の平行箇所をそのまま移調して接着することで修復可能であり(細部についてはD568への改訂時に手を加えられた可能性もあるものの)、D567は第三者による補筆を必要とせずに「完成品」として演奏することができる。
さて、このうち第1楽章と第2楽章の一部には、
草稿(スケッチ) たる自筆譜が残されている。
いずれも、印刷譜としては2000年刊行の新全集で初めて公にされた。
第1楽章の草稿は2つに分かれている。(1)第1~179小節までと、(2)第180~235小節(末尾)までである。この2つの草稿は全く違うフォーマットの紙に書かれていて、興味深い。いずれも
SCHUBERT online で閲覧可能である。
(1)は縦長の五線紙3枚に書かれていて、例の「Sonate X」の記入跡がある草稿である。これが本当にXなのか、だとすると「第10ソナタ」は何を意味するのかなど疑問は尽きないが、いずれにせよ上から「II」と訂正されている。決定稿でいうところの第34~35小節と第67小節にあたる部分がなく、全体の小節数が3小節短くなっている。ドイチュカタログではこのことには触れられていないが、清書時にシューベルトが加筆したのだろう。
(2)は一転して横長の五線紙で、歌曲「月に寄す」D468(1816年8月7日作曲)の自筆譜の裏にぎっしりと書かれている。途中まで書いたところで五線紙が尽きて、過去作の裏面を利用したのだろう。シューベルトは若い頃、ほとんど常に五線紙不足に陥っていたといわれており、このように表裏で別々の作品が書きつけられた自筆譜は珍しくない。
草稿は、前述の通り清書稿より3小節少ないことと、細部の相違を除けば、音楽の基本的な流れは清書譜とほとんど変わらない。
一方で第2楽章には、
「ニ短調」の草稿 が存在する。この草稿のことについては次の記事に譲ろう。
2016/07/03(日) 21:50:12 |
楽曲について
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