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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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行進曲 D757A 概説

行進曲 ロ短調 Marsch h-moll D757A
作曲:1822年8月 出版:1988年
楽譜・・・IMSLP

1988年の新全集で初めてその存在が明らかになったが、曲じたいはそれ以前からよく知られていた。むしろ、これほど何度も繰り返しシューベルト作品の中に登場する楽想は珍しい。

最初は1815年8月1日作曲の、シラーの詩による歌曲「戦い」D249(楽譜・・・IMSLP)。歌曲とはいうものの、歌唱パートには一音も記されないまま、ピアノの前奏だけで終わり未完となっている。「Marcia」(行進曲)と題されたこの前奏部分が、この楽想の初出であった。

約半年後の1816年3月、シューベルトは同じ詩をもとにカンタータ「戦い」D387(楽譜・・・IMSLP)に取り組み始める。

戦いD387自筆譜

D249とほぼ同じ「Marcia」と題された前奏のあと、2段譜の上の声部に歌詞が書き込まれ、歌唱声部とバスが対位法的に進んでいく。途中から歌唱声部は複数に枝分かれし、独唱と四部合唱と伴奏という編成のアイディアが見えてくる。
しかし残された自筆譜はスケッチ段階に留まっており、旋律こそ詩の最後まで付曲されているものの、下の譜表が空の小節も多く、かなり積極的な補筆を施さないと演奏することはできない(実際、演奏されることはまずない)。

そしてこの「前奏」が独立し、1824年出版の「3つの英雄行進曲」D602(作品27)の第1曲主部に転用された、ということは以前から知られていた。D602の作曲時期は不明である。8分音符の伴奏型を伴う穏和なト長調のトリオはこのとき新たに書き足された。

本作D757Aは、いわばD602-1のソロ・ヴァージョンというべきものである。
自筆譜は、音楽家フェルディナント・ピリンガー Ferdinand Piringer (1780-1829)の記念帳に収められていた。ピリンガーは役人として働きながらもヴァイオリンをよく弾き、1824年には音楽団体「コンセール・スピリチュエル」を設立しウィーンの音楽文化に貢献した。ベートーヴェンと親しかったことも知られる。彼は1820年から死去するまで、出会った音楽家に依頼し、決まったサイズの紙片に自筆譜とサインの記入を求めた。その数は91名にのぼり、半分以上は無名のアマチュアだが、中にはベートーヴェンの「アレグレット」WoO.61の自筆譜や、ケルビーニ、チェルニー、フンメル、カルクブレンナー、クーラウ、モシェレス、パガニーニ、サリエリ、ヴェーバー、ヴォジーシェクといった作曲家も含まれている。
整理番号「88」として収められたシューベルトの行進曲には「1822年8月」という日付が作曲者の手で書き込まれ、さらに他人(おそらくピリンガー)の筆跡で「1822年8月15日」と書き加えられているが、これは作曲の日付ではなくピリンガーがこの自筆譜を取得した日付と考えられる。1988年の初出時には「D deest」(ドイチュ番号なし)として発表されたが、この日付をもとに1822年8月作曲の重唱曲「自然の中の神」D757と、9月作曲の歌曲「死の音楽」D758の間のD757Aという枝番号が目録改訂時に新たに付与された。

上記の通りD249・D387・D602-1・D757Aと4つの稿が存在するが、細かく見ていくといろいろと興味深い相違がある。
まずト長調のトリオはシラー2作品には存在しないことは既に述べたが、D757Aではトリオの最終小節、Da Capoの前の伴奏がきちんと終止しておらず、D602-1に存在するセコンダ・ヴォルタ(2括弧)がない(新全集ではD602-1を基にしたセコンダ・ヴォルタが提案されている)。
さらに、D249の第25-26小節、主部の再現の直前の2小節がD387では削除されていて、D602-1も同様なのだが、D387より後に成立したはずのD757Aではこの2小節が復活しているのだ。

シューベルトの主要な連弾行進曲の作曲時期は、便宜的に1818/1824年のツェリス滞在に結びつけられていることは既に述べた。D602に関しては、1824年12月に早くも出版されており、1824年10月のウィーン帰還後2ヶ月での出版というのは超スピードなので、1818年の作曲の可能性が高いと考えられてきた。しかし新全集の校訂者ヴァルター・デューアの解説では、D757AはD602-1の初期稿と見做すことができ、その異同から1822年8月時点でD602が完成していたとは考えにくいため、D602が1824年のツェリスに結びつけられる可能性が強まったとしている。
しかしこの楽曲に関して言うならば、長い間シューベルトの中で温められていた楽想であり、どの時点で譜面化されたということはあまり重要ではないようにも思われる。オクターヴユニゾンの勇ましい開始や付点のモティーフ、スタッカートを伴うバス進行がもたらす運命的な悲壮感は、青年シューベルトがシラーの詩から受け取ったインスピレーションであり、結実しなかった若き日の挑戦の残滓が行進曲の姿で蘇ったのだろう。
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  1. 2021/12/03(金) 00:13:45|
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