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ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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中桐望さんインタビュー(2) 修行の2年間

(インタビュー第1回はこちら)

佐藤 でもそのあと留学することにしたのはなぜ? もともと行こうって思ってたんですか?
中桐 それはありました。やっぱり行かないとな、とは思ってたんですけど、ただ自分にとってぴったりくるタイミングとか、行きたい場所や先生がなかなか見つからずにいて。
佐藤 うん、うん。
中桐 直接的なきっかけは、やっぱりショパンコンクールに出たいと、それで出ることになって、ショパンは日本にいては自分の納得いく勉強ができないと思って。エヴァ・ポブウォツカ先生は私が大学院生のときに、芸大に招かれて教えに来られてたので。
佐藤 あ、そうかそうか。そのときにもレッスンを受けてたの?
中桐 はい、その時はポブウォツカ門下に入ってたので。
佐藤 そうなんだ。それでポブウォツカ先生のいるポーランドに。
中桐 はい。
佐藤 何年間留学してらしたの?
中桐 2年で帰ってきました。
佐藤 どうでしたか、ワルシャワの生活は? 漠然とした質問だな。
中桐 (笑)そうですね、ワルシャワってやっぱりヨーロッパの中では田舎で、旧社会主義の雰囲気がまだ残っていて。ポーランドという国じたい、決して豊かな国ではないので。西側のドイツとか、ウィーンとかパリとかに比べたらコンサートの数もすごく少ないし、クォリティもどうしても・・・というのも賃金が安いんですよね。
佐藤 あー、それはそうだ。
中桐 ポーランドはユーロではなく、ズウォティという自国通貨で。だからトップアーティストはなかなか呼べないけど、ただショパンに関してのコンサートはものすごく充実しているんです。ショパンの誕生日や命日に毎年やっているコンサートとか、夏にもショパン弾きの有名なアーティストたちを招いた音楽祭があって、それはやっぱりワルシャワでしか味わえない体験でしたね。ショパンを勉強しに行った身としては本当に良かったです。
佐藤 ご自身でも演奏する機会は結構あったりした?
中桐 いえ、ポーランドでは全然なかったです。もう先生と一対一で、先生の家に通って通ってみたいな日々だったので、本当に修行みたいな2年間でした。
佐藤 そうなんだ。ショパンに関していえば、向こうに行って勉強したら、日本とはこういうところが違った、というようなことはありましたか。
中桐 ああ・・・もう血が違うってのはすごく感じましたね(笑)。それはショパンに限ったことではないのかもしれませんけど。マズルカとかポロネーズとか、そういう民族舞曲のリズム感は本当に難しくて、習得するのにとても苦労しました。今でも完全には習得しきれていないですけど、ポーランド人の先生に師事できたことは本当に良かったと思っていて、先生が実際にステップを踊って見せて下さったり、体で表現して教えて下さるので。ポーランドの人が奏でるマズルカやポロネーズって何とも言えない間の取り方とか、「あ、こうだよね」っていうようなリズムがあって。他の国のどんなにすごいアーティストでも、その感じはやっぱりポーランド人にしか出せないんです。小さいこどもとか学生であってもそれが自然にできちゃうから。
佐藤 あ、そうなんだ。
中桐 やっぱり教えられてやるものじゃないんだなっていう。だからすごく嫉妬しちゃうんです
佐藤 (笑)確かになかなか負けず嫌いですね。
中桐 だって、こんなちっちゃい子が何気なく遊びで弾いてるポロネーズとかに、はっとさせられるというか。「うわぁ、こんなふうに私弾けないわ」っていうようなことがあって。
佐藤 ああ、そうなんだ。後から習得したんじゃなくて、もうDNAの中に入っているという。
中桐 それはすごく感じました。でも現地の踊りを見たりとか、先生が一緒に踊ってくれたりとか、そういう中で一生懸命吸収しなきゃっていう・・・そんな感じでしたね。
佐藤 あの、山本貴志君がね、僕は同い年で仲良くしてもらってて、一緒に弾いたりしてるんだけど。
中桐 ああ山本さんもポーランドですよね。
佐藤 そう、彼がよくマズルカのことについてレクチャーをやったりしているので、話を聞いたら、彼はパレチニ先生だったんだけど、「あなたは日本人だから全然違う」とか、そんなことを言われたことは一度もないっていうのね。
中桐 うーん。
佐藤 先生は見本は見せて下さる。「僕はこうやって弾くけどね、でもあなたはあなたのマズルカを弾くしかないんだから」と。もちろん間違っていることをやってるときはそれおかしいよって言ってくれるんだけど、結局は自分の中にあるものを見つけるしかないからというような話をしていて。(中略・・・詳しくはこちらのリンクをご参照下さい)
中桐 ああ、でもそれはショパンが特別なのかもしれないですね。芸術的なメロディーと、民族音楽のリズムが合わさっていくという。マズルカとかポロネーズに限らずどんなものでも、よく言われる「ショパンのルバート」っていうのは、どこで合わせるとかそういうことじゃなくて、とにかくメロディーがやっぱり一番で、ということはポブウォツカ先生もおっしゃってました。
佐藤 うーん、しかしそれはおそらくポーランドで勉強できることの真髄だよね。レッスンの中ではショパン以外の曲にも取り組んだりしたんですか?
中桐 1年目はコンクールの準備もあってショパンしか勉強しなかったんですけど、コンクールが終わって2年目は、ショパン以外のものも弾きました。やっぱりロマン派が多かったですね。グリーグとか・・・
佐藤 グリーグ?
中桐 せっかくショパンを勉強したので、それに通ずるものをっていうことで、グリーグとか、あとシューマンとか、ショパンで学んだことを生かせる曲を。ドイツ・ロマン派の中でもブラームスとかではなく。
佐藤 なるほどね、ショパンの系譜にある曲。
中桐 ポブウォツカ先生のお母様は歌手だったんです。なので先生もとにかく歌に関しては特別意識が高くて、レッスンでも先生は弾いて聴かせるっていうよりは、もうほとんど横で歌ってて。「ピアノで歌うとはこういうことよ」というのを徹底的に学んだ2年間でしたね。

佐藤 ショパンコンクール、どうでしたか? 出てみて。
中桐 ふふふ(笑)。もう、あまりにも緊張しすぎて、覚えてないっていうか。私は1次しか出るチャンスがなかったので、もう少しステージ重ねられたら、味わう余裕もあったんでしょうけど。
佐藤 今回って予備予選は?
中桐 私は免除してもらったので、予備予選はなかったんです。
佐藤 あ、そうかそうか。
中桐 周りの人はね、あのフィルハーモニーの舞台で弾くってすごいんだから、みたいなことを言うんですけど、当の本人はあんまり、ここで弾けて嬉しいみたいな感慨に浸る余裕はなかったですね。
佐藤 そりゃ本番はね。でも準備期間も含めて、ショパンの曲ばっかりやってるわけじゃない? それってどんな感じでした?
中桐 うーん、そうですね・・・
佐藤 もともとショパンは好きだったんでしょ?
中桐 好きなんですけど、苦手だったんです。
佐藤 え、そうなの。じゃなんでショパンコンクール受けたいと思ったの?
中桐 好きだから!
佐藤 (笑)なるほど。
中桐 好きだからこそ、なんというか、こちらの思いが強すぎてウザがられるみたいな感覚があって・・・
佐藤 (笑)
中桐 それでずっとうまくいかなくて、ショパン弾いても「なんか違う」って思って。それでポーランドに行って、一からいろんなことを叩き直されて、結局1年じゃ足りなかったなっていう総括ですね。
佐藤 うーん、そうかあ。
中桐 やっぱり1年では、ショパンの真の姿や音楽を理解して、それを自分のものにするには時間が足りなかった。あと何年かあちらで勉強していたら、もう少し違ったのかなって。ショパンだけじゃなくて、他にもいろんなものを勉強して、ポーランドでも何年間か生活をして、それを全部踏まえた上で、さっきの山本貴志さんみたいに「自分のショパン」というところまで持っていけたら良かったんでしょうけど、それはなかなか時間がかかるな、と。コンクールでは、自分の勉強してきたことが十分には発揮できなかった、「こうしなきゃいけない」っていうのが先に出ちゃったなっていうのが正直な感想です。
佐藤 僕は中桐さんが受けた10年前に出てるんですけど、2005年に。
中桐 10年前! そうですか。
佐藤 でもその時はね、ショパンばっかり勉強するっていうのがもう苦しくて。その前に、同じ年の6月にベートーヴェンコンクールというのを受けてたんだけど、はっきり言うとそっちはそんなに大変だと思わなかったのね。だけどショパンだけとなるとこんなに辛いのかと思って。
中桐 ベートーヴェンコンクールも課題曲はベートーヴェンだけなんですか?
佐藤 うん、ウィーンのベートーヴェンコンクールはベートーヴェンだけ。
中桐 ああ、確かにショパンってちょっと特殊ですよね。ショパンばっかり弾いてると頭がおかしくなってくる気が。
佐藤 そうそう!
中桐 わかります。
佐藤 そういう印象が自分のショパンコンクールの時にはあって。もちろん僕もショパン好きだったから受けたんだけど、いや、これはもうやってらんないと思ってそのあと一度も受けなかったんですけど。
中桐 それいくつぐらいの時ですか?
佐藤 大学4年生。まだ芸大の学生だったんです。日本から受けに行って。
中桐 うわぁすごい。そうだったんですね。

(第3回につづく)
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  1. 2018/09/12(水) 14:38:24|
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