(
第2回はこちら )
斎藤 ちょっと話は脇道にそれますけど、
ショパン って、言われるじゃないですか。
佐藤 はい、オーケストレーションが下手だって。コンチェルトの。
斎藤 あれ、
本人が書いていない と思うんですよ。
佐藤 え?
斎藤 そんな説ってないんですかね? あれは、僕からすると、絶対にショパンのオーケストラではないです。それはさっきの
4スタンス理論 にも関係してるんです。
佐藤 ええ、そうなんですか?
斎藤 つまり
ショパン自身はA2 っていう、シューベルトと同じリズム感の人なんですけど、
オーケストラを書いてる人 はあれはたぶん
B1タイプ の人です。
佐藤 ええええ。
斎藤 チャイコフスキーとかワーグナーとかと同じオケの厚みで書いてる。だから本人はあれ書いてないと思いますよ。証拠も何もない、演奏してのただの直観ですけど。
ショパン:ピアノ協奏曲第1番+第2番(アルトゥール・ルービンシュタインpf) 佐藤 ほんとですか? それすごい話だな。
斎藤 僕は個人的には間違いないと思ってる。アシスタントか誰か。
佐藤 でもショパンがあの曲を書いたときはすごく若くて、19歳とかですから、誰かが手伝ったという可能性はありますよね、先生とか。
斎藤 僕はそうだと思っている。
※掲載にあたってリサーチしたところ、ショパンのピアノ協奏曲の出版譜のオーケストラパートは「ショパン以外の人物がオーケストレーションした可能性が高い」 というのが公式見解のようです。詳しくはWikipediaの記事 へ。 斎藤 ちなみに
シューマンの曲もいくつかは、クララか誰かが 。
佐藤 あ、それはわりと確実な話ですよね。
斎藤 それも感じますね。
佐藤 やっぱり違うんですか。
斎藤 シューマンは我々と同じ
A1 という人たち。ピアノコンチェルトの冒頭とか。
シューマン:ピアノ協奏曲(クリスティアン・ツィメルマンpf) 佐藤 跳ねがありますよね、あの人は。
斎藤 でもトロイメライ
【YouTube】 とかちょっと違う。
佐藤 トロイメライ、うーん、そうかな(笑)
斎藤 だから何曲か、シンフォニーとかのオーケストラちょっと手伝ってるところあるんじゃないかなと。
佐藤 オーケストレーション手伝ったぐらいは全然あるでしょうね、たぶん。
斎藤 明らかに
ブラームスと同じB2っぽい ところがあるんですよ。
佐藤 ほう。
斎藤 それはシューマンが個人で書いてるところには出てこないから、あ、これ本人かな?と思うところは結構ある。そういう点でこの理屈は結構面白いですよ。
佐藤 すごく面白いです。
斎藤 まあ大概の人は、そんなくだらねえ、占いみたいな話信用できないよって思うでしょうけど(笑)まあでも、たとえ違ったとしてもどうせみんな死んでるからいいやっていうのもある。違ってても直接誰かがひどい目にあっちゃうような話じゃないから。で、はっきりしてることはひとつだけある。まあプロとしては内緒にしておいたほうがいいんでしょうけど、
オケマンで、ショパンのピアノコンチェルトやるのに、オケの伴奏に無上の喜びを感じながらやってる人はまず滅多にいない ですよ。
佐藤 (爆笑)
斎藤 だから、内緒なんですけど正直、ショパンコンクール、なるべく日本人の人に合格しないでほしいと思ってる。みんなもう何十回も弾きに来てくれるんですよ。ここぞとばかりに。
佐藤 (笑)
斎藤 まあ冗談ですが。もちろん、それを客席で聴いてたらすっごく幸せなんですよ。
佐藤 はい。
斎藤 格好いいなと思うんですけど、伴奏弾いてる方は正直あんまり・・・オーケストラ自体の音は。基本ピアノの和音をなぞって、白玉書いてるみたいな。
佐藤 でもどうだろうな、なんかそういうスタイルってあの頃あったのかなってちょっと思うんですけどね。ただショパン以外のそういう曲を、あんまりやらない、というかもう全くやらないから知らないだけで。カルクブレンナーとか、フンメルのコンチェルトとかいうのはたぶんああいうスタイルで、それを真似たんじゃないのかなあ。
斎藤 おそらくスタイルというよりは、あの音を置かないはずなんですよ。美意識的に。
佐藤 そうなのかな。
斎藤 だって
隙間が空いてないとイヤ なはずなんですよ、基本的にAタイプは。たとえば
シチリアーノのリズム が特徴的で。
佐藤 はい。
斎藤 A1の人がシチリアーノ書くと、伴奏は
ぼーん、ぼーん としか書かない。そうすると「
ら~~んららん、ら~~んららん 」って自由に演奏できる。
レスピーギ:シチリアーノ(古風なアリアと舞曲より)(コンスタンティン・シチェルバコフpf) 斎藤 でもB1のフォーレは。
佐藤 「
たかたかたん、たかたかたん 」
フォーレ:シシリエンヌ(エマニュエル・パユfl エリック・ル・サージュpf) 斎藤 そう! そうすると、その刻みに合わせて比較的カッチリスクエアになる。で、それはオーケストラで大人数でやると非常にはっきりしてくる。チャイコフスキーの伴奏とかは、「
ぱぱぱぱぱ 」ってずーっと詰まってる。あれと
完全に同じ匂い なんです。
佐藤 ほう。
斎藤 一切抜けない。Aタイプならところどころ隙間というか余白が空くはずなんですね。
佐藤 ショパンに関しては、コンチェルトのオーケストラ部分は、たぶん初めはピアノで書いたんですよね。本人による2台ピアノ版っていうのが残ってるので、まずそれを書いて、その伴奏部分を、あとからオーケストレーションしたんだと思うんですよ。
斎藤 だから、誰かが。
佐藤 なるほど、まあその可能性はあるのかな。
斎藤 たとえばピアノ協奏曲に出てくるフルートのメロディーを
フワッと抜いて演奏するのは基本的に無理 なんです。なんでかっていうと、本来あのメロディー自体は抜いて演奏できるし、むしろ場合によってはするべきなのに、オーケストレーションが
下で弦がばーっと持続的に鳴ってる から。
佐藤 ああそこが問題なんだ。
斎藤 抜くとメロディーがへこんで 客席に聴こえなくなっちゃう。キープしてなきゃいけないんです。これ面白いことに、プレイヤーにも言えることなんですけど、メロディーの語尾のなんてことない全音符。ピアノはみんな同じように減衰するけど、管楽器だと、「
らーん 」って減衰する人と、「
らああああ 」ってキープする人と、はっきり分かれる。この人たちは、「ディミヌエンドだよ」って言わないと、
らーん って演奏してくれない。で逆に、減衰していく人には、「キープだよ」って言わないと、
らあああ って演奏してくれない。こういう無意識のとこにけっこうタイプ差による好みが出たりします。
佐藤 はあ。
斎藤 B1 の人って、譜面書いてても、比較的全部音符を埋めていく感じで書くんです。隙間をあまり作らない。クラシックに限らず
チック・コリア とかもそうですね。だからあのメロディーって、
抜いて演奏すると曲にならない 。ディズニーのアラン・メンケン先生とかも。キープしてないと、成立しない音型してるでしょ。チャイコフスキーもそうです。途中で抜くと、オーケストレーションがずっと中詰まってるから、メロディー聞こえなくなっちゃう。
佐藤 なるほどね。
斎藤 だから我々はかなり意識して、抜かないようにキープだキープだって演奏しないと、難しい作曲家。でも
シューベルトにはその必要は全然ない 。
佐藤 なるほど。
斎藤 シューベルトはおそらくA2で、
持続するリズムっていうのはさほど出てこない んですよ。
佐藤 はあはあ、確かに。
斎藤 「しぼめる花」の序奏の刻みも(ダクティルス)、「
たん、たんたん 」であって「
たあああたあたあ 」ではない。
シューベルト:「しぼめる花」変奏曲~序奏冒頭部 斎藤 途中で抜いて成立する。フルートのメロディーも白玉だけど、微妙ではありますが、やっぱりそうなんです。あんまりコンサート前に種明かししちゃうとあれですけどね。
佐藤 いや、これは初めて聞く話ですね。
斎藤 まあこの話自体は、ほとんどスポーツの人たちの間で流行ってた理論だったんですけど、それを音楽にも、むしろ
音楽にこそ大いに有効 な話だってなったのは最近で。まあいきなりだとかなり怪しく聴こえるんですけど。
佐藤 うーん、まあ確かに筋は通ってますね。
斎藤 だから今はいろんな人に聞いてもらって、「あ意外にそうだよな」「これは違うかも」ってなって鍛えていってもらいたいとこですね。
佐藤 ショパンに関して言うと、ショパンって指を伸ばして使う人なんですが、でも肘が動かなかったらしいんですよ。で、リストはその対極で、指は丸めて使うんだけども、腕全体が自由に動くようなピアニストだったと言われていて。それ以前の奏法って、チェンバロもそうですけど丸めてかつ肘は使わないっていうのだったので、ショパンとリストそれぞれに別々の革新を奏法に持ち込んだ、みたいなことを言われてるんですけど。
斎藤 それは非常に面白い。実際は丸いか平たいかというのは見た目であって、どちらの関節が主導かという問題なんですが、
リストは明らかにB2 、つまりリヒャルト・シュトラウスとかブラームスとかと同じで、だから確かに肘を自由に使っていたんでしょう。
アルゲリッチ とかもそうですよね。まあとはいえアルゲリッチって器用にプロコとかカクカクも弾きますよね。
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番(マルタ・アルゲリッチpf シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団) ピアノソロ開始から再生されます 斎藤 ピアニストの恐ろしさっていうのはそこです。ピアニストだけですよ、ああやって、他のタイプの動きを本番でも完全に近いぐらい
コピーしちゃう っていう。よく身体壊さないなと思いますけどね。
佐藤 まあ器用な人は多いでしょうね、やっぱり教育の過程で矯正される部分も大きいとは思うんですけど。
斎藤 おそらくピアノの人はちっちゃい頃からやってて、合わない感じの人は途中で脱落して、向いてなかったって思ってる人もいるんじゃないですかね。
佐藤 あると思いますね。
斎藤 まあ本当に向いていない人もいるとは思うんですけど(笑)。そこへいくと、
チェンバロがなんでAタイプが多くて、オルガンがBタイプが多いのか っていうのは関係しているかもですね。Bタイプは今言ったように、音が持続するのが自然なので、こういう人は、趣味としてたぶん、オルガンの音が好きというか自然なんですよ。
佐藤 あ、そうか、持続音だから。
斎藤 チェンバロは減衰する音しか出さない。
佐藤 ものすごい減衰早いですからね。
斎藤 だからチェンバロが好きな人って、「
らん 」と、こう音が抜けるAタイプ。古楽器科とか見ててもわりとそんなイメージありますね。だからめちゃくちゃアゴーギクがあって。でたまに、Bタイプでチェンバロ弾く人もいるんですけどね、そういう人たちは装飾音をやたら隙間なくジャラジャラ入れてるなっていうふうに。そういうふうに、身体の本能的なところに近い人の方が、面白い演奏してるってのはあるかなと。
佐藤 でもそれって、これまた追究していくとだいぶ危なくなりますけど、
遺伝的なもの とかってあったりするんですか?
斎藤 何万人も統計取ってますけど、あんまり
遺伝は関係ない っぽいですよ。
佐藤 えー、不思議だな。
斎藤 例えば、藝大でこういう理屈も踏まえて教えてるんですけど、いま面白いことに
一卵性双生児 の、双子の女の子教えてるんです。ところが
ひとりがA1、ひとりはB2 。
佐藤 ・・・ええええ。そんなことあるんですか。
斎藤 だから出してる音も、リズム感も全く違うんです。不思議にも。ふたりとも優秀で、コンクールでよくふたり同時に本選に残って、でも「双子なのに全然違う音と違う演奏だね」って。デュオなんてやると合図を出すときに、いつも喧嘩になっちゃうみたいですよ。A1の子は、さんはい、1って上に行く。B2の子は「なんで、それわかんない」と。
佐藤 ははあ。それはすごく面白いですね。
斎藤 フルートの奏法にしても、下唇に押しつけるなっていう先生と、しっかり押しつけろ、プレスしろっていう先生にはっきり分かれる。これは全く逆なんですが、
上顎を動かさないで、下唇をコントロールして吹いてる人 と、
下唇を固定して、上を動かしてフルート吹いてる人 がいるんです。
佐藤 どっちかなんだ。どっちも動かすというわけじゃない。
斎藤 どっちもだとフガフガになっちゃう。どっちを支点にするかという感じですね。
佐藤 なるほど、どちらかを動かすと。全然思ったことなかったですね。
斎藤 指揮者も完全に分かれていて・・・
(
第4回につづく )
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2022/10/05(水) 00:15:48 |
シューベルトツィクルス
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(
インタビュー第3回はこちら )
崎谷 実は
シューベルト を弾かせていただくのは本当に久しぶりで、ご迷惑をかけないようにと思ってるんですが。
佐藤 以前はどんなものをお弾きになったんですか?
崎谷 19番のソナタ (D958)。
佐藤 ああ、c-mollのね。
崎谷 そう、c-moll…(笑)以上、みたいな。
佐藤 以上! なるほど。
崎谷 大きいレパートリーはそうですよね。あとシューベルト=リストをちょっと。
佐藤 ああ。
崎谷 それから、室内楽でヴァイオリン・ソナタとか、「鱒」をやったりとかはありましたけど。あとファンタジー、連弾の(D940)。
佐藤 おお。f-mollの。
崎谷 それは
居福(健太郎) さんと。
佐藤 へえ! それはまたすごい組み合わせだね。どこで弾いたんですか?
崎谷 ヤマハホールさんで。確か浜松アカデミーの絡みだったんじゃないかな、上野優子さんと居福さんと私で演奏会をするというので。
佐藤 なるほど。そのときはどっち弾いたんですか? 下(=セコンド)?
崎谷 上(=プリモ)弾きました。
佐藤 上弾いたんだ。シューベルトについては、こんな作曲家だなあとか印象ありますか?
崎谷 結構ね、シューベルト、生徒には弾かせるんですよ。好きなんですよね。
佐藤 ほう。
崎谷 でもね、すごく私の中では
難しい …ダイナミックレンジで表現する方なので。
佐藤 うーん。
崎谷 それが、そこまで許されないというのがあって、上限が特に。ただ、こう、なんでしょうねえ…シューベルトのイメージですか…(笑)もうそれは先輩に語っていただいた方が。
佐藤 いやいや、正しいこととかじゃなくて、どう考えているのかをね。皆さん結構面白いことをおっしゃって「ああ、なるほど!」って思うので。
崎谷 演奏の目線でいうと、とにかく決めたらダメだなっていうのがありますね。決め打ちして、こう弾くんだっていうふうにやらないという。
佐藤 はあー、なるほど。
崎谷 動詞が存続形 、みたいな…
佐藤 なるほどなるほど。
崎谷 理詰めでああやってこうやって、というのじゃなくて、もちろん実際演奏するときには計画構築はあるんですけど…。まあたとえばお茶を入れるとしたら、お茶を入れてお茶を飲むんじゃなくて、お茶から立ち上る湯気をね、顔に浴びながら。
佐藤 湯気(笑)
崎谷 そういうところを楽しむ。香りとか、熱さとか。でももちろんお茶はあるんですけどね。
佐藤 (笑)
崎谷 抽象的で申し訳ない(笑)。だからお茶の味をどうこうっていうんじゃなくて、そういうところでやらなきゃいけないのかなあと。a-mollの16番のソナタ(D845)とかも、結構好きなんですけど。情熱は、非常にある人だったと思うんですね。ただ、その表し方が、普通の人が情熱を表す表現とちょっと違うのかなっていう。
佐藤 うん。
崎谷 内面に秘めるっていう、本人は秘めてるつもりじゃないと思うんですけど、なんかちょっと違うんですよね。そんなふうにしか言えないですけど。
佐藤 なるほどね。
崎谷 シューベルト今回15回目でらっしゃいますよね。
佐藤 そうなんです。
崎谷 もちろん他の作曲家も弾いてらっしゃると思うんですけど、シューベルトをお弾きになるときに特別な部分というのはありますか?
佐藤 僕自身はね、シューベルトは共感する部分が多いので、全然難しいと思わないの。
崎谷 ああ。
佐藤 もちろん弾くのが難しいっていうことはあるかもしれないけど、表現で「これはどういうつもりで書いたんだろうな」って思うようなところがほとんどないんですよね。
崎谷 なるほど。
佐藤 他の作曲家には、多かれ少なかれあるんです。「この人なんでこんな音書いたんだろう」とか、「なんでここにフォルテって書いてるんだろう」とか、思う瞬間っていうのが楽譜のあちこちにあるんだけれども、そういうのがあんまりないので、なんかすごく自然に「ああそうだねそうだね」って思って弾いていってるかな、演奏者の視点としては。というか、僕はどちらかというと、どうも
作曲家目線 らしいんですよ。
崎谷 ああ。
佐藤 だから自分がこの主題で曲を書き始めたらどう書くだろうか、って考えるんですよね。で、「たぶんここはこうは書かない」っていうところが、あるんですけど、それがシューベルトの場合はないっていうか。
崎谷 へえ。
佐藤 もちろん僕にはそんな能力はないから、同じようには書けないですけど、もし思いついたらこれを採用しただろうなって。
崎谷 ああそうなんですね。
佐藤 でも、もちろんシューベルトにもいろんなフェイズがあるし、今言ってくれた、動詞が存続する感じってすごくよくわかるけどね。
崎谷 そうですか。
佐藤 それこそ今日崎谷君がレコーディングされていた
ブラームス も、シューベルトのことが好きというか、よく調べていて。
崎谷 うんうん。
佐藤 シューベルトの自筆譜をずいぶん持ってたんだよね。あと、その当時シューベルトの未完成の曲なんてほとんど出版されてなかったので、ウィーンのそういうのを持ってるコレクターから貸してもらったりして、ブラームスの筆写したシューベルトの楽譜っていうのが大量に
楽友協会 に残ってるのね。ブラームスは亡くなる前に資料を全部寄贈したので。だからそこからブラームスがインスパイアっていうか、ヒントを得て作曲したものが結構あるし、シューマンも実はそうなんだけど…シューベルトの知られていなかった曲から、かなりいろんなものを取っていったな(笑)という感じがあるんですよね。
崎谷 なるほど。
佐藤 だからある意味では受け継いでくれたところもあると思うし。あとはなんといってもシューベルトは
ベートーヴェン と同じ時代に生きてたので。
崎谷 ああ、そうですよね。
佐藤 ほとんどベートーヴェンと人生はかぶってたわけじゃないですか、もちろんずっと若いけれども。だからベートーヴェンへのコンプレックスっていうかね。
崎谷 うーん。
佐藤 ベートーヴェンはシューベルトのことはほとんど知らなかったかもしれないけど、シューベルトはすごく意識していて。それこそc-mollのソナタはすごくベートーヴェンチックな、ベートーヴェンみたいな曲を書こうって思って書いたんだろうなっていう感じですよね。
ベートーヴェンのソナタ全集 もここで録ってるの?
崎谷 そうですね。
佐藤 どのくらい進んでるんですか?
崎谷 ちょうどヘンレ(原典版)の1巻が終わったところで。
佐藤 おお、切りの良いところですね。
崎谷 前期から中期に差し掛かるところまで弾かせてもらって、だんだん一番難しいところに差し掛かってるというか。後期ももちろんいろいろあるんですけど、ある程度自分の考えでやればいいのかなって思ってるんですけど。中期の、特にOp.31の3曲(第16~18番)に取り組むにあたって、どういうふうに作っていったらいいんだろうっていうのに一番悩んでるかもしれないですね。
佐藤 うんうん。
崎谷 私はやっぱりテンポに興味があるんで、
テンポをどういうふうに設定 するのか。たとえば第18番のソナタ、慣例的に最初ゆっくり始まって、だんだん加速していくじゃないですか。
佐藤 第1楽章ね。うん。
崎谷 でも僕の中であれは納得できなくて。楽譜にはそう書いてないから。
佐藤 そうだね。
崎谷 だからそういう折り合いを、どういうふうに考えてたんだろうって。
佐藤 ああ、「折り合い」ってわかりますね。
崎谷 一方でテンペスト(第17番)は、明らかに緩急で書いているから、そういったところも18番でもあえて採り入れても良いのかなとか。だから去年の12月にはそうやって弾いたんですけど、変なことするねって言われて。
佐藤 ああそうなの?
崎谷 でも演奏家としては、ちょっと新しいアイディアでやってみたいなあと(笑)
佐藤 ぜひいろんな試みをね。もともとなんでベートーヴェンの全集を録ることになったの?
崎谷 そのレコード会社が全曲ものをやるという、たとえば巡礼の年とか、他の方がやられてるんですけど、そういう方針だったので。
佐藤 なるほど、そういうことだったのね。
崎谷 僕ハンガリー狂詩曲(リスト)弾いてたんで、ハンガリー全曲とか言われたんですけど、ハンガリー全曲はいいやと思って。
佐藤 それはなかなかつらい感じですね(笑)
崎谷 素晴らしい名盤もあるし、ハンガリーは。ベートーヴェンだってもちろん名盤あるんですけど、まず自分の勉強になるし、そのときは特にベートーヴェンが自分の中で非常に共感する作曲家だったんですよね。
佐藤 うん。なるほど。
崎谷 ルヴィエ先生もベートーヴェンがお好きで、よくレッスンされてましたし、恩師の迫先生も、松方ホールで全集録られてて。そういった影響もあり、ベートーヴェンやりたいですって言ったらすんなり通ったということなんですけど。ただ、自分自身は、得意か苦手かって言ったら、
あんまり得意じゃないですよね、ベートーヴェンは 。
佐藤 え、そうなの?
崎谷 たぶん。好きですけどね、好きですし勉強になってますけど、なんでしょう、まあ
ブラームスの方がやはり得意 かな。ベートーヴェンは自分で聴いて、もうちょっとなんとかならんかったのかなって思うことは多い。
佐藤 ああそうなんだ(笑)
崎谷 それはこれからの課題ですけど。
佐藤 どのくらいのペースでここまで録ってきたの?
崎谷 12年から19年まで、7年かけて5枚。
佐藤 じゃあ十分に時間はかけつつ。でも1番から順番に出してるんだもんね。
崎谷 そうですね。だから本当はソナチネ(やさしいソナタ)を最初に弾いておかなきゃいけなかったんですけど。19・20番(作品49)ね。
佐藤 実は僕も全部録りたいと思っていて、僕は全然遅いペースでまだ2枚しか録ってないので、これ一生かけて終わるのかみたいな感じになってるんだけど(笑)。僕は最初に21から23を録ったんですよ。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21-23番ほか 佐藤卓史(ピアノ)
Tactual Sound TSCP-0001
定価¥2,500+税
崎谷 それはなんでですか?
佐藤 ちょうどそのあと全国ツアーをやろうと思ってて、そこで有名な曲を8・14・21・23って弾くんだったので、そのプログラムの中で、自分が特にしっかり勉強したワルトシュタイン(21番)とアパッショナータ(23番)は録りたいと、じゃあ間の22も録るか、みたいな感じで、ゆくゆくは全部録るつもりでそこを録ったはいいものの、ウィーンのそのCDを録ったスタジオがそのあとなくなっちゃったりとかいうことがあって。
崎谷 ああそうなんですか!
佐藤 しばらく難航した挙げ句、2018年に、今度は12から15を録ったんですよ。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第12-15番 佐藤卓史(ピアノ)
Tactual Sound TSCP-0002
定価¥2,500+税
崎谷 なるほど。12から15。
佐藤 というところで今止まっていて、さあ次どこに行こうかなと。間のね、同じ作品31のあたりをいくか。そうすると中期がほぼ揃う。
崎谷 そうですね。
佐藤 あるいはまた全然違うところを攻めていった方がいいのか、いろいろ考えつつ、ちょっとあちこちを摘まんで弾いてみては「うーん」って腕組みをしてるんだけど。
崎谷 シューベルトは全部出されてる?
佐藤 シューベルトはね、セッションで録ったのはシューベルトコンクールのご褒美で録っていただいた単発のディスクしかないんです。
崎谷 そうなんですね。
佐藤 でも一応このシリーズは全部ライヴ録音してるので、それこそちゃんと自分で編集を覚えて、リリースしないとと思ってるんですけど、まだ長い道のりです(笑)
崎谷 それは当然出さないと。
佐藤 ちょっと崎谷君を見習って頑張らないと、と今日思いました。
(インタビュー完 ・ 2021年8月18日、ヤマハアーティストサービス東京にて)
2021/11/27(土) 23:33:04 |
シューベルトツィクルス
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(
インタビュー第2回はこちら )
崎谷 でも、私らから見たら5つ上の世代ですけど、佐藤先輩といえば大スターですよ。
佐藤 とんでもない。
崎谷 音楽的にもですし、活動の内容とか、すべて含めて、理想的だなと。
佐藤 いいよ僕のこと褒めないで。
崎谷 そりゃご本人はいろいろ思うことはあるでしょうけど、本当に尊敬できるっていう言葉がすっと出てきますね。僕は、先輩のように演奏一本ではとてもやれないと思っているので、演奏ももちろん大事なんですけれども、基本的にはどこかで指導しながらっていうことを軸に。
佐藤 そうそう、指導するのに、やっぱりこれまでの留学の経験とかは役に立ってます?
崎谷 そうですね、経験、うーん…
佐藤 どんなことを教えてるの?
崎谷 今教えている大阪教育大の学生は、理解力がある子が多いので、もう思ったことを言ってますけどね。基本的にどういう付き合い方をするのかが難しくて。
佐藤 ほう。
崎谷 要するに、
奏法 をいじるかいじらないかって話ですね。
佐藤 はいはい。
崎谷 月一で来る生徒はいじれないんですよ、奏法。
佐藤 そうですよね。
崎谷 普段の先生のやり方でやってもらって、補強するしかないんですけど。でも、じゃあ奏法をやろうとなったら…
前腕を、4つに分けて 、役割をあてて考えたりするんですよ。
佐藤 前腕を4つに分けるの?
崎谷 そう、前腕の最初のところ、手首側は、横に回転する。
佐藤 ほう。
崎谷 中央の、2番目のところは、上下に動かすと。3番目のところが、前後に。鍵盤の奥と手前です。
佐藤 なるほどね。
崎谷 で、肘に一番近いところは、横移動。というふうに分けて考えて、いろいろ論理を言うわけですよ。たとえば、
鍵盤の上にアナログ時計を置いて 、このフレーズは、5時方向から逆時計回りに…
佐藤 あ、それはすっごいわかりやすいね!
崎谷 そういう論理を教えるっていうのが私のやり方ですね。
佐藤 へえ! すごいねそれ。
崎谷 研究してるんですけど、もっとわかりやすい言い方はないのかなって。
佐藤 プロフェッショナルですね。
崎谷 そういう研究が結構好きなんですよ。まあ、似非研究者ですけど(笑)
佐藤 いやいや、それはすごい良い先生ですよ。
崎谷 ただ、体重が僕あるんで。
佐藤 うん。
崎谷 こう、学生はやっぱり軽いんでね、体重が。
佐藤 (笑)そうだね。
崎谷 正味言ったら僕の2分の1以下ですよ。
佐藤 (爆笑)やっぱり女の子が多いの?
崎谷 まあそうですね。だから体重はセクハラになるからもちろん聞いたらダメなんだけど(笑)、そうなると、ちょっと軽い人の気持ちがわかりたいなっていうのが最近ね。
佐藤 あっはっはっは…
崎谷 いや僕が軽くなりたいっていうのもあるけど、軽い人がどうやって音を出してるんだろうっていうのは、指導者としては研究しないといけないなって思ってるんです。
佐藤 なるほど。確かに体格とか骨格って変えられないから、自分に似てる骨格のピアニストを見つけて、その人がどうやってピアノ弾いてるのかなっていうのを見るとすごく勉強になるよね。
崎谷 そうですね。
佐藤 でもみんなそれぞれ違うのに、同じように弾けば良いとは教えられないし、気になるところですね。
崎谷 難しいです。
佐藤 ぜひ指導法の本を書いたらいいんじゃないかな?
崎谷 そうですね(笑)研究がしっかりできれば。
ピアノと友だちになる50の方法
チェルニー活用法 佐藤卓史・著 小原孝・監修
ヤマハミュージックメディア
定価¥1,600+税
佐藤 この間ヤマハさんのお仕事で、チェルニーの本を書いて欲しいって言われて。
崎谷 見ました。
佐藤 テクニックの分類をして、「音階を弾くときにはこういうことに気をつけましょう」みたいな簡単なことを書いたんだけど、とにかく言葉で説明するのがものすごく難しくて。
崎谷 難しいですよね。
佐藤 弾いてみせればこういうことだよって言えるんだけど、「手首をこの辺まで持ってきたらどう」とかいうことを、誤解しないように言葉にするってすごく難しいなあと思って。
崎谷 テキストと映像とを組み合わせてくれれば良いですよね。限定のYouTubeリンクを張って、とか。
佐藤 そうそう。まあそこまでしても違うメソッドの人はまた違うことを言うだろうし。
崎谷 違いますもんね。
佐藤 誰にでも当てはまるようなことを言うのは難しいよなあと。
佐藤 教鞭を執りつつ、
演奏活動 も意欲的に。
崎谷 年に2回は、違うプログラムを作って頑張ってリサイタルをしようと思ってるんですけど。
佐藤 それ大変だよね。
崎谷 今兵庫県に住んでいまして、兵庫県はすごく文化を応援してくれる県なんです。
佐藤 ほう。
崎谷 都道府県でいうと、1人あたりの予算が3番目なんです。
佐藤 へえ。
崎谷 東京がもちろん1番なんですけど。私ももちろんこうやって東京で録音させていただいたりとかもあるんですけど、地元を大事にしていきたいと思っていまして。リサイタルをしても、そんなにたくさんの人が来るわけじゃないんですけど、ただやはり小中高生に聴いてもらいたいと思って、神戸のリサイタルには無料で入っていただけるように、ということはやっているんです。
佐藤 へえ、素晴らしいね。
崎谷 じゃあそこにどう引っ張ってくるのかっていう課題ももちろんあるんですけど。
佐藤 見てると、崎谷君はだいたい
王道の曲 を弾いてるなっていうのがあって。
崎谷 あははは。
佐藤 なんかさ、変な曲を弾く人っているじゃないですか。誰も知らない、「何それ?」みたいな曲を。そういうのじゃなくて、いわゆるメインレパートリーを攻めてるなあって。
崎谷 自分はコンクールを結構長く受けてたので、そういったところをちゃんと勉強できてないと思っていて。
佐藤 え、そうなの?
崎谷 やっぱり飛び道具的な、リストの「ドン・ジョヴァンニの回想」とか。
佐藤 まあでも「ドン・ジョヴァンニ」も別に変な曲ではないよね。
崎谷 変な曲ではないですけど、今はそういうのじゃない曲を勉強していきたいっていうことと、あとは
世の中の流れにちょっと逆らいたい っていう思いですよね(笑)
佐藤 ほう。
崎谷 裾野を広げるという意味で、わかりやすく、簡単に、短く、展示的にやっていくという流れは、それはもちろん誰かにやっていただかないといけないんですけど。でも私がやりたいことではないっていう気持ちが明確にあって。
佐藤 なるほど。
崎谷 この前のプログラムは1853年に作られた3曲を並べて。ブラームスのソナタ3番とリストソナタと、シューマンの「暁の歌」。
佐藤 うん。
崎谷 シューマンが全部絡んでるわけですよね、出会いの中に。
佐藤 そうだね。
崎谷 それを並べて、舞台上でどういう反応が起こるかっていうことを、自分は楽しみにしてるんですよね。ブラームス3番を弾いて、リストを弾いたあとに、シューマンに入る瞬間どんな思いがするんだろうと思って舞台に乗るという。
佐藤 素晴らしいね。
崎谷 そういう楽しみがないと、モチベーションが沸いてこないというかね。
佐藤 基本的にロマン派が好きなの?
崎谷 ロマン派の、
ブラームス がやっぱり好きなんじゃないですかね。自分に合っているような。
佐藤 そういえば、あの
「ドン・ジョヴァンニの回想」のYouTube は、自分で考えたの? 誰かこういうのやったら良いよっていう人がいたの?
崎谷 いやいや。それこそ兵庫県で、若手の支援のための動画を募集してると。それをさせていただくときに、やっぱり面白いものをやろうと。さっきの話とも繋がるんですけど、ただ見せるだけではダメだろうっていうのはあるんですよね、自分の中で。背景を理解してもらうとか、それに付随する楽しい話を…
知的好奇心をかき立てたい っていう思いがあるので。
佐藤 うん。
崎谷 たまたま前年にこぢんまりとですけど、
オペラで指揮 をする機会があったので。
佐藤 それもすごいよね、なんでオペラの指揮をしてるんだろうと思って。
崎谷 いや家内がね、オペラ伴奏の仕事をしてたりするんで。
佐藤 ああそうなんだ。
崎谷 そのご縁でというか、初めて振らせてもらって。
佐藤 初めて振ったのがドン・ジョヴァンニっていうのも、ものすごいオペラ指揮者デビューですね。
崎谷 ピアノトリオですよ、編成は。いきなりオケは無理ですから。
佐藤 にしたって歌い手はみんないるわけじゃない。
崎谷 いや、まあ、付き合っていただいたんですけど。たまたまそういう素材の写真もあったので、組み合わせてみたら面白いんじゃないかと。
佐藤 めっちゃ面白かったよ(笑)
崎谷 古い動画だけではダメだっていうレギュレーションがあって、新しいものを組み合わせてくれって言われたので、鍵盤を見せるという。あれはね、
アテレコ をしたんですよ。ワイヤレスのヘッドフォンで自分の演奏を聴いて。
佐藤 難しそうだよね!
崎谷 そう、大変だった。演奏はここ(ヤマハアーティストサービス)で録ったんですよ。
佐藤 うん、見た見た。
崎谷 で、それにアテレコで指を合わせるっていう。
佐藤 大変ですよねそれ。昔のカラヤンのミュージックビデオみたいな。
崎谷 そんなのあるんですね。
佐藤 ああ知らない? カラヤンのミュージックビデオってたくさんあるじゃない、あれは全部アテレコなんですって。だから音は音で別に録ったのを流しながら、指揮をしてるふりをして、みんな弾いてるふりをしてるっていうことらしい。
崎谷 なるほど、まあ映像で見せるならそうなりますね。
佐藤 いやあでもすごい労作だなって思って。ほんと多才だよねえ。
(つづく)
2021/11/26(金) 20:32:42 |
シューベルトツィクルス
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対談その1 )
(
対談その2 )
佐藤 ポロネーズに限らず、シューベルトのことについて。
山本 うん、いくつかソロで弾いたことはあるけれど。僕がシューベルトで一番惹かれるところは、長調と短調、同主調で行ったり来たりするっていう。モーツァルトにもそういうところあるけれど、そこが特徴的で、いつも素敵だなと思う。
転調 もね、今回のポロネーズでも主部の調とトリオの調が・・・
佐藤 はいはい、とんでもない調に飛んでいくっていう(笑)
山本 ねえ。気づいたら♭5つも付いてたみたいな(笑)、そういった理屈じゃないところっていうのかな。本当に
歌心 のある人だから、純粋に身を任せて弾いたらすごく楽しいし、美しい。ポロネーズのハッとするような転調も、まるで初めて楽譜を見て弾いたようなイメージで弾けたら素敵かなって。佐藤君は、全曲やってらっしゃるけど、シューベルトの好きなところってどこ?
佐藤 やっぱりその
ハーモニー はすごく大きいよね。それまでの作曲家とは全然違うやり方で転調していくし、今言ってもらった同主調の、短調から長調に行ったりするっていうのもそうだけど、転調するといっても近親調に、ちょっと隣に行きましたっていうより、
遠隔調、全然違う世界 に行っちゃうみたいな。
山本 そうだよね。
佐藤 それを準備なくふわーっとやられると、聴いている方は「うわ、どうしたんだろう」って、空気感が一瞬で変わるのが魅力的だと思うのと、あとはもちろん、これも今言ってくれたメロディーの美しさ。自然なメロディーの書かれ方がすごく良いなと思って。古典派的なものもあるし、ロマン派的なものにも少しさしかかっているんだけど、完全にロマン派のど真ん中というのではなくて、その境目っていうのかな。
山本 うーん。
佐藤 こっちに行きたいんだけど、でもモーツァルトからの伝統の書き方もあるしっていう、その間をすり抜けていく感じも僕は結構好き。
山本 なるほどね。
佐藤 ロマン派は、進んでいくにつれてだんだん僕はついていけないときが。これはちょっとどうかな、あなたは良いんでしょうけど、って思う曲も・・・
山本 (笑)
佐藤 古典派の曲は客観的に見て素晴らしいものが多くて、それとロマン派の個人的なものとの間っていうか。やりたいことを「このくらい表現してもいいでしょうか」みたいな謙虚な感じが良いかなと思うんだけど。
山本 曲は革新的なものもたくさんあるんだけど、性格はすごく控えめというか、
自分より他の人 、聴いてる人とかのために何かしてあげている感じっていうのかな。優しい気持ちになる感じがあって。たとえばモーツァルトってシューベルトに重なって感じるところがあるんだけど、
モーツァルトはやっぱり「自分」 なんだよね。
佐藤 ははあ、なるほど。
山本 自分からワーッと発信するものが強くて、私たちはもうひれ伏して「承知いたしました、そのようにさせていただきます」みたいなね、抵抗できないんだけど。
佐藤 (笑)
山本 なんかシューベルトっていう人はすごく親しみがあるし、かつ自分を隠さないっていうのかな、気持ちを伝えてくれる感じがして。とても気高いんだけど、決して冷たい感じではなくて、
語りかけてくる ようなイメージがあって。
佐藤 そうだね。もともとの作曲家としての居場所が、仲間内のサークルだけでほぼ活動していた人で、最晩年に近くなってようやくウィーン中の人たちが知るようになったんだけれども。大きな会場で大きな出し物をバーンとやって、みんなをうならせるような人ではなくて、半径数メートルの人に聴かせるためだけに作曲していた。だからすごく個人的っていうのかな、本当に親しい人だけに「どうですか」って語りかける口調っていうのはそういうところから出てきたんじゃないかな。もちろん生まれ持っての性格もあったとは思うんだけど。
山本 うん。
佐藤 あとやっぱり彼自身が演奏家じゃなかったっていうのは大きいかもしれないよね。もちろんピアノも弾いていたみたいだけど、大きな舞台で弾けるヴィルトゥオーゾだったわけじゃないし、だからベートーヴェンみたいな演奏活動をしたこともなかった。この連弾もそうだけど、家庭内とか、友達の家でとか、そういう
内輪の音楽 。たとえば2台ピアノの曲なんていうのはないわけだよね。
山本 ああ、うん。
佐藤 実は1曲あったっていう話もあるんだけど。
山本 ああそうなんだ。
佐藤 記録には一応残ってるんだけど、楽譜は消えてしまったという。コンチェルトは全く書いてないし。そもそも何の楽器のコンチェルトも書いてない。
山本 ああ、そうだね。
佐藤 そういう、オーケストラをバックに華やかなソロ、みたいなのはたぶん興味が無かったのか。
山本 偏りがあるよね。それこそショパンもそうだけど、
作らないものは一切作らない っていう。
佐藤 (笑)そうだね。まあ書いたところでどうせ演奏されないと思ったのかもしれないね。
山本 弾く側としては、もし作曲したらどういう曲になってたか興味があるけど。
佐藤 そうそう、
川島さん とお話ししたときも「コンチェルトが1曲もないね」っていう話になって、
「いや、もしかしたら生きてたら書こうと思っていたのかもしれない、このあとにとっておいたのかもしれない」 って。そんなことあるかなぁ。
山本 ああなるほどね。そういう可能性も。
佐藤 でも意外なのは、
リスト がシューベルトをすごく好きで、歌曲もたくさん編曲してるけど、
「さすらい人幻想曲」のコンチェルトヴァージョン があるんだよね。リスト編曲の。
山本 へえ。ピアノソロとオーケストラで?
佐藤 そう。リストなんて、まあ同じフランツっていう名前ではあるけど、全然違う性格の音楽家だよね。なのにシューベルトに愛着があったのは面白い。
山本 なんか、また
ショパン が出てきてしまうんだけど、ショパンはリストのことを、もちろんテクニックっていう意味では尊敬してエチュードも献呈したりしているけど、いわゆる弾き方、スタイルについてはあんまりよく思っていなかったみたいで、レッスンで弟子に、なんでそういうふうに弾くんですか、
まるでそれじゃリストみたいじゃないですか って言っていたぐらい。
佐藤 (爆笑)ボロクソだな。
山本 ひどいよね。なのに、リストの方は本当にショパンのことを好きで、尊敬していて。あんなにいろんな女性と交際して、全然違う世界の人なのに、見る目は鋭いものがあったみたいで。それこそ「幻想ポロネーズ」について、リストが「病気との闘いが精神を疲弊させている、そういう香りがすごくする」って、つまり病的な感じの曲だっていうふうに言っていて、それってきっと賛辞なんだと思うんだけど。一方で
シューマン はね、割と手放しでワーッと賞賛したりして、ショパンの思っていることとずれたことを言って。
佐藤 あの人、
基本全部妄想 だからね。
山本 そうそう(笑)で、それもショパンに馬鹿にされたりしていたみたいなんだけど。
佐藤 (笑)
山本 ところがリストの方はすごく理解があって。だからリストは社交的、それも表面だけではなくて、その人のことをよく考えて自分から動くみたいなね、心の底からそういうことができた人みたいなのね。そういう人がシューベルトに惹かれるっていうのは必然というか、僕には理解できるところがあって。
佐藤 なるほどね。
山本 作曲家は曲を聴くとなんとなく性格が分かるというか。そういった意味ではシューベルトに惹かれるっていうのは、自分の中に同じ部分が存在しているっていうことなのかな。シューベルトの曲をリストが編曲するときの
編曲の仕方 って佐藤君どう思う? たとえば原曲に忠実とか、すごく華やかに飾ってあるとか。
佐藤 うーんとね、基本あんまり忠実ではないよね。もちろん全然変えちゃってるわけではないけど、リート(歌曲)の編曲の場合は無言歌スタイルっていうか、メンデルスゾーンが無言歌でやったみたいに、伴奏のパートをどっかの手にやっておいて、右手でメロディーをやるっていうのが普通の書法。いわゆる有節歌曲で、1番・2番・3番とあると、リストの場合は旋律をまずテノールで、次はアルトで、最後はソプラノにして、と移動させていって、かつだんだん華やかな感じに飾りが増えていくっていうのが、お決まりのパターンだよね。だから最初は原曲っぽい感じで始まるんだけど、そのままでは絶対終わらなくて、どんどん鍵盤の端から端まで使うような感じになっていって。
山本 端から端まで。なるほどね(笑)
佐藤 シューベルトじゃないけど、シューマンの献呈っていう歌曲あるでしょ。あれのリストの編曲すごく有名だけど、あれクララ・シューマンの編曲版もあるのね。
山本 へぇ。
佐藤 クララ・シューマンの方は本当に原曲通り。原曲の歌のパートをピアノに挿入しているだけで、ほぼそのままなんだけど、リストはまず前奏も1小節多いし。
山本 ねえ。
佐藤 途中にも余計な、無かったものが入ってくるし、一番最後にもう1節やるから、すごくくどくなってるわけ(笑)。その
くどさがやっぱりリスト かなっていう。
山本 (笑)
佐藤 歌の歌詞がないぶん、詩の世界もピアノで表現しようとリストなりに思った結果かなとは思うんだけど。
山本 なるほどね。自分が弾くことによって曲を広めようっていう、そういうのもあったんだろうね。だから、変な言い方かもしれないけど、リストって
ボランティア精神 っていうか。
佐藤 ああそうだね。サービス精神っていうのかな。
山本 それがすごくあるっていうか。だから根はとてもいい人だったのかなっていうのがね。シューベルトと不思議なところでつながる。
佐藤 シューベルトは、ドイツ語圏の音楽家には影響を与えているところが多くて、シューマンなんかはすごく影響を受けてるんだよね。もちろんブラームスもそうだけど。ただそれ以外の国の音楽家にはあんまり知られていないというか、知っていてもほぼ有名な歌曲だけみたいなところがあって。それこそシューマンは一番初期のシューベルトの研究者だったんだよね。シューベルトってお兄さんの家で死んで、お兄さんが仕事場をそのままにしておいたわけ。10年経ってからそこにシューマンがやってきて、バッと開いたら楽譜の束がたくさん出てきたっていう有名な話が。
山本 へえそんなことが。
佐藤 シューマンはもともと音楽家になろうとした一番初期の頃にシューベルトにやられていて、トリオとかを聴いてすごく感動したらしいのね。だから直接会ったことはなかったんだけど、信奉者なわけ。そういう意味では、謝肉祭とか、ダヴィッド同盟とか、ああいう舞曲集っていうのはほぼシューベルトの舞曲集を下敷きに書かれているんだよね。シューベルトがそれほど知られていなかった当時、シューマンってすごく新しいものを作った感じがするんだけど、実はシューベルトの方が先にやっていたことが結構あったりする。
山本 そういう形で影響を与えているんだね。でもやっぱり
ドイツの歌い方 ってあるよね、独特の。
佐藤 それはやっぱり
言葉から来てる んだとは思うんだけどね。旋律線の作り方とかも。シューベルトはサリエリの弟子なんだけど、サリエリはそれが嫌いだったらしい。
山本 へえ。
佐藤 イタリア人からしたらドイツ語なんていうのはすごく野蛮な言葉で、ドイツ語の詩に曲を付けるなんて、何やってんだみたいな。イタリア語に曲を付けなさいと。
山本 あーやっぱり。
佐藤 で、イタリア語に曲を付けてるシューベルトの曲もあるんだけど、そうすると僕らの耳で聴くとちょっとモーツァルトっぽいっていうのかな。つまり伝統的な付け方なんだけど、やっぱりシューベルトのオリジナルなメロディって言うのはドイツ語の詩に付けてるときに出てくる。だからフランス語に曲を付けるとやっぱりフォーレとか、ああいうふうになるんだろうし、旋律線とかフレージングが言語によって規定されるところはあると思うんだよね。
(対談完 ・ 2019年8月19日、さいたま市にて)
2019/09/30(月) 21:56:23 |
シューベルトツィクルス
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ロンド イ長調 (「大ロンド」) Rondo A-dur ("Grand Rondeau") D951 作曲:1828年6月 出版:1828年12月(作品107)
クライスレの証言によれば、この作品はウィーンの大出版社、アルタリア社のドメニコ・アルタリアからの委嘱によって1828年6月に作曲された。同年12月に同社から出版されたが、その3週間前に作曲者は既にこの世を去っていた。
製版に用いられた自筆譜が珍しく現存しているが、そこにはかなりの訂正や挿入の痕跡がある。どうやら試奏もせずに大急ぎで仕上げたらしく、たとえば[244]-[253]のプリモ、両手が同じ和音を奏するところに「col dextr 8」(オクターヴ下で)という略号のみが書かれているのだが、その通り演奏するとセコンドの右手と完全にぶつかってしまう。
「人生の嵐」と同様、
「大ロンド」 (Grand Rondeau)のタイトルは出版社が付けたものだが、それにふさわしい大規模で充実した内容のロンド=ソナタ形式の作品である。
(提示部) a [1]-[8] イ長調(第1主題)
b [9]-[24] イ長調
a [25]-[32] イ長調
c [33]-[53] 嬰ヘ短調→ホ長調
d [54]-[68] ホ長調(経過句)
e [69]-[91] ホ長調(第2主題)
経過部 [92]-[102] イ長調
a [103]-[110] イ長調
b [111]-[126] イ長調
a [127]-[137] イ長調→ハ長調
(展開部) f [138]-[151] ハ長調
e [152]-[175] 変ロ長調→ロ長調→・・・→イ長調
(再現部) a [176]-[183] イ長調(第1主題)
c [184]-[204] 嬰ヘ短調→イ長調
d [205]-[219] イ長調(経過句)
e [220]-[240] イ長調(第2主題)
e [241]-[257] ヘ長調→変ロ長調→イ短調
経過部 [258]-[268] イ長調
a [269]-[276] イ長調
b [277]-[292] イ長調
e [293]-[304] イ長調(コーダ)
a [305]-[310] イ長調
少し細かく分析してみた。上記のabcdをすべてまとめてA群とすれば、ABACABAの
大ロンド形式 ということになるが、よく観察すると再現時にbを省略して、その代わりにコーダの前に登場させるなど、きめ細かい構成上の工夫がされていることがわかる。
aのロンド主題は、同じくイ長調のピアノ・ソナタ第13番D664の第1楽章や第20番D959の第4楽章にも似た、
春の暖かい雰囲気 を漂わせる美しい旋律である。経過的に登場するcの短調の開始はややメランコリックな表情を帯びる。副主題にあたるeは5小節という変則的なフレーズだが、やはり穏やかな性格で、ロンド主題aとの対照性には乏しい。
一方で、中間部に一度だけ登場するハ長調のfは極めて強烈で、神の啓示のごとき閃光を放っている。その後はeが次々と転調してロンド主題を導いてくる。このeは、再現部でも重要な働きをし、[241]からの一連のセクションで美しくも不気味な変容を遂げる。コーダもeから始まり、最後の1フレーズでaが回想され、飛び立った鳥が空高く消えていくかのように静かな余韻を残して終わる。
シューベルトらしい溢れる情感と、練り上げられた独創的な構築性が共存する稀有な作品である。
D947の解説 でも述べたように、この2曲は同一のソナタの中に含まれるべき楽章群であるという意見は根強い。確かにD951はソナタの終楽章とするにふさわしい内容と曲想を持っている。ただしクライスレの証言を信じるなら、出版社からの委嘱に基づいて書かれたのであって、この2曲を結びつける資料上の根拠は何もない。
2曲が別々に出版されたことで「ソナタ」の計画が頓挫してしまったのか、逆にソナタの完成を諦めた結果別々に出版することにしたのか、単に2曲の単独作品が偶然イ調だったというだけなのか。いずれにしても、最晩年のシューベルトの瞠目すべき創作力を物語る2曲だというアンドレアス・クラウゼの指摘は的を射ている。
D951出版直後の1829年、19歳の
ロベルト・シューマン が、ピアノの師
フリードリヒ・ヴィーク に宛てて書いた手紙が残っている。
シューベルトは、ジャン・パウルの小説と同じく、私にとって唯一無二の存在です。最近4手のロンドOp.107を演奏しましたが、これは最高傑作であると確信しました。雷雨の前の蒸し暑さや、恐ろしく静かで重苦しく叙情的な狂気、完全で深く、かすかで美的なメランコリーが、全き真実そのものの上に漂っている、このようなものを、他の何かと比べることができるでしょうか。 私はこのロンドがプロープストの演奏会で初めて演奏されたときのことを覚えています。演奏が終わると、奏者と聴衆たちはお互いを長いこと見つめ合いました。自分たちが今何を感じたのか、シューベルトが何を意図したのかわからず、声を出すこともできなかったのです。 相変わらずの文学的な言い回しが炸裂しているが、このロンドの中に他の音楽にはない何かを感じ取った、若きシューマンのシューベルト熱が伝わる一文である。
2017/06/17(土) 03:35:17 |
楽曲について
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