シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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「ヴィッテチェク=シュパウン・コレクション」とは

前回の記事に登場した、「ヴィッテチェク=シュパウン・コレクション Sammlung Witteczek-Spaun」について解説しよう。

フランツ・シューベルトの死去の前後から、「シューベルティアーデ」の友人たちの間で、彼の作品を収集しようという動きが起きていた。
最初にまとまった量の譜面を収集したのは、カール・ピンテリクス Karl Pinterics (?-1831)という人物である。彼はハンガリーの貴族パールフィ=エルデードPálffy-Erdőd家の私設秘書を務める傍ら、シューベルティアーデに出入りし、オシアンの詩のドイツ語版をシューベルトに提供したりしていたようだ。彼はおそらくシューベルトの生前から、歌曲の譜面を収集しており、1831年に死去したとき、その数は505曲に上っていたという。

このコレクションを受け継いだのが、ヨーゼフ・ヴィルヘルム・ヴィッテチェク Josef Wilhelm Witteczek (1787-1859)である。彼は1816年にシュパウンの紹介でシューベルトに出会い、やがてその音楽の熱心な崇拝者になった。宮廷の財務官僚でありながら、「シューベルティアーデ」の常連となり、彼の邸宅にフォーグルらを招いて集いが開かれたことも多々あったという。
ヴィッテチェクは、ピンテリクスのコレクションを拡大する形で、シューベルトの譜面を次々に収集していった。1850年までに出版された声楽曲、ピアノ曲、室内楽曲の初版譜のほか、未出版の作品の筆写譜を多額の私費を投じて制作した。このとき共同作業者となったのが、ヴァイザー氏Weiserと呼ばれる詳細不明の愛好家で、彼はこの筆写譜の写譜者とも見なされている。結果的に、1831年から1841年までの間に、ヴィッテチェック・コレクションとして77巻、ヴァイザー・コレクションとして11巻のシューベルト作品が集められた。

1859年にヴィッテチェクが死去し、これらの貴重な資料は遺志に基づいてシュパウンが譲り受けることになった。シュパウンが1865年に死去すると、やはり遺言によりコレクションはウィーン楽友協会に寄贈されることとなった。こうして「ヴィッテチェク=シュパウン・コレクション」は今に至っているわけだが、シュパウンは収集そのものに特に関与したわけではない。

さて、このコレクションも楽友協会資料室で閲覧することができるのだが、これは作曲家の自筆というわけではないので、現物を目にすることができた。
非常に大きなサイズの本で、分厚い紙に美しい筆跡で文字と楽譜が書き込まれている。時折赤字で訂正の書き込みがあり、アンドレア・リントマイヤーAndrea Lindmayrの研究によれば、そのいくつかはシューベルトの兄フェルディナントの筆跡だという。
楽譜は余裕を持って書かれていて読みやすいが、スラーのかけ方やデュナーミクの位置がずいぶん適当だったり、明らかな写し間違いがあったりもする。完成度からいって、職業的な写譜業者の手になるものではないと想像される。

この筆写譜の元となった自筆譜は、おそらく大部分はフェルディナントのもとから借り出したものと思われる。対象は小規模な編成の作品に限られ、交響曲、ミサ曲、オペラは含まれず、さらに「舞曲」も対象外である。
このコレクション以外に一次資料のない作品や、D593のように初版譜と違う内容が記録されている場合もあり、シューベルト研究にとって極めて重要な資料となっている。
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  1. 2016/10/08(土) 09:24:56|
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12のエコセーズ D299 概説

12のエコセーズ 12 Ecossaisen D299
作曲:1815年10月3日 出版:1897年(第1-8曲)、1912年(第9-12曲)
楽譜・・・IMSLP

エコセーズはスコットランド起源の舞曲で、元来は3拍子だったようだが、ウィーンに伝わった頃には2拍子の軽快な舞曲に変容していた。2組のペアで踊るスタイルは、後のカドリール(カドリーユ)の源流とも考えられる。エコセーズはドイツ舞曲と並んで、シューベルトの周りの友人たちの間で特に好んで踊られていたという。

D299のエコセーズ集の自筆譜は一部しか残されていないが、そこには1815年10月3日という作曲の日付と、マリー・フォン・シュパウンへの献辞が記されている。
コンヴィクト(帝室神学校)で知り合い、一生の友人・支援者となったヨーゼフ・フォン・シュパウン(1788-1865)とは、この頃既に家族ぐるみの付き合いになっていたらしく、本作の楽譜は作曲直後にリンツのシュパウン家に送られたようだ。シューベルトの作品の中で、ウィーン市外で演奏された初めての曲ということになる。献呈相手のマリー(1795-1847)はヨーゼフの妹でシューベルトより2歳年上、一時期はシューベルトの親友フランツ・フォン・ショーバー(1796-1882)と交際していたこともあったようだが、1819年にリンツの役人アントン・オッテンヴァルト(1789-1845)と結婚し、その邸宅はリンツにおけるシューベルトサークルの中心的な存在となった。

単純なステップの第1曲 変イ長調、左手のホルン風の音型が特徴の第2曲 変ホ長調、シューベルトの偏愛したダクティルス(長短短)のリズムが支配する第3曲 ホ長調、3連符の下降形と急な跳躍がおどけた調子を醸し出す第4曲 イ長調、シューマン風の分散和音が全編を覆う第5曲 変ニ長調、鐘のような両外声の保続音が印象的な第6曲 変イ長調、3連符のアルペジオが勢いよく上行する第7曲 ホ長調、シンプルなモティーフの繰り返しが続く第8曲 ハ長調、突然のアクセントが楽しい第9曲 ヘ長調、ダクティルスとは逆の短短長のリズムの第10曲 変ロ長調、2拍目に重量感のある第11曲 変イ長調、唯一の短調でしんみりとした情感を残す第12曲 ヘ短調と、各16小節のエコセーズが12曲連なっているが、偶数番号の曲の末尾には「前の曲の冒頭に戻る」という指示がある。すなわちこれらは奇数番号曲のトリオという扱いであり、1-2-1, 3-4-3,...という順番で演奏していくと、三部形式のエコセーズが都合6曲出来上がることになる。

自筆譜は最初の8曲しか残っておらず、旧全集には8曲のみが収録された。その後全12曲を収めた筆写譜が発見され、第9-12曲は1912年、D782のエコセーズとともに雑誌付録として初出となった。
  1. 2015/10/26(月) 05:03:18|
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