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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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アレグロ・モデラート ハ長調 と アンダンテ イ短調 D968 概説

アレグロ・モデラート ハ長調 と アンダンテ イ短調 Allegro moderato C-dur und Andante a-moll D968
作曲:1815~19年? 出版:1888年
楽譜・・・IMSLP

自筆譜はいわゆる「清書譜」ではなく、タイトルも日付も記されていない。筆跡から、1815年から19年頃の初期の作品と推定されている。特徴的なのは、インクと鉛筆で指使いが念入りに書き込まれていることで、そこから、この作品がピアノレッスンの教材として使用されたこと、もっと言えば教材目的で作曲されたことが推測できる。だとすると、やはりエステルハージ家の姉妹に関連する作品とも考えられる。ドイチュは、シューベルトが1818年夏のツェリス滞在以前から、ウィーンのエステルハージ邸を訪れて姉妹のレッスンをしていたという可能性を示唆していて、曲の習作的な簡潔さを考え合わせても、1818年以前に成立していた可能性は高いかもしれない。「ソナチネ」の愛称で呼ばれることもある。

ハ長調のアレグロ・モデラートは教科書的とすらいえるソナタ形式で書かれている。バスの4分音符の刻みの上で3度の重音で提示される第1主題、8分音符の伴奏型に乗ってダクティルスのリズムで始まる第2主題は、いずれも極めて古典的で、明瞭かつ純粋な性格を持つ。展開部は意表を突いた変ロ長調で始まるが、その後の転調はいささか図式的。再現は型どおりである。

イ短調のアンダンテは緩徐楽章で、プリモが旋律、セコンドが伴奏という役割から離れない。ややセレナーデ的な性格はあるものの、感情の深みや劇的な展開には遠い。ピカルディ終止でイ長調の和音で終わるが、普通に考えればこの後にハ長調のフィナーレが続いてしかるべきだろう。この作品を「ソナチネ」と捉えるならば、フィナーレを欠いた「未完」作品という解釈が妥当かもしれない。

ちなみに兄フェルディナントは、1833年に自身の作品「パストラール・ミサ」のクレドに、この曲を引用というか、そっくりそのまま編曲して用いている。フェルディナントはフランツの生前から、弟の作品を勝手に自作として発表することがあったが、フランツもそれをあまり問題にはしていなかったようだ。D968の自筆譜のプリモパートには、鉛筆の筆跡で「クレド」の歌詞が書き込まれているが、これはおそらくフェルディナントによるメモと考えられる。
「パストラール・ミサ」は1846年のクリスマスにウィーンの聖アンナ教会で初演され、「紛う方無きシューベルトの精神の遺産」と新聞で絶賛されたが、実際にはその大部分がフランツの作品の盗用だったことが判明している。
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  1. 2017/06/15(木) 21:37:14|
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アンダンテ ハ長調 D29 概説

アンダンテ ハ長調 Andante C-dur D29
作曲:1812年9月9日 出版:1888年

シューベルト初期の作品にしては珍しく、詳細な作曲の年月日がわかっている。曲の冒頭と末尾に、2度も「1812年9月9日」と記されているのだ。「1日で書き上げました!」とわざわざ強調しているようなものである。
これはD3の弦楽四重奏断章の、作曲者自身によるピアノ用リダクションである。D3はしかし、第29小節までの未完成な形でしか残されていない。D3を元に、2段譜の形で全貌をスケッチしたのがD29なのかもしれないし、あるいはD3には失われた完成稿があって、そのピアノ版がD29なのかもしれない。
D3は弦楽四重奏曲 ハ長調 D32の緩徐楽章として作曲が試みられたといわれているが、最終的にはイ短調のシチリアーノ風の緩徐楽章に取って代わられた。また弦楽四重奏曲 変ロ長調 D36(1812年11月)の第2楽章のスケッチにも本作のモティーフが現れているが、結局抹消されて最終稿には姿を見せていない。そういうわけで、この作品のテーマが完全な形で聴けるのはピアノ版のD29のみ、ということになっている。

成立事情から考えて当然だが、いかにも弦楽四重奏風の簡素な響きの作品である。
下行する3音の旋律線が特徴的なテーマは、アンセムのようでもあり、シンプルゆえに心に残る。冒頭の15小節間、長く紡がれていくメロディーはシューベルトならではといったところ。この15小節はリピートされる。
このテーマはこの後、あと4回登場するのだが、どんどんフレーズの展開が短く貧弱になってしまうのが惜しい。とりわけ2回目、ト長調で登場したあとはたたみかけるような転調で「良い線いっている」のだが、結局すぐにハ長調の終止に飛びついてしまい、ドラマティックな展開に至らない。
あくまで私見であるが、私自身作曲を試みた経験から言って、着想というのはある程度天賦の才で何とかなるものだが(そして着想が貧弱な者はもうどうしようもないのだが)、それを展開していく力は「作曲技術」によるところが大きい。これは後天的な訓練によって身につけていくしかない。
この作品も、着想は素晴らしいのだが、展開に難があるという点で、シューベルトの天才的な発想力に、作曲技術が追いついていなかった時期の作品、といっていいだろうと思う。
  1. 2014/03/09(日) 04:01:07|
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