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シューベルティアーデ電子版

ピアノ曲全曲演奏会「シューベルトツィクルス」を展開中のピアニスト佐藤卓史がシューベルトについて語る
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アレグロ・モデラート D347 概説

アレグロ・モデラート ハ長調 Allegro moderato C-dur D347
作曲:1813年? 出版:1897年(旧全集)
楽譜・・・IMSLP


D347自筆譜1ページ目
アレグロ・モデラート D347 自筆譜 1ページ目

表題もなく、発想標語(Allegro moderato)と楽器名(Clav.)だけが記されて始まった自筆譜は、3ページ目の半ば、[73]で中断されている。最後の3小節は最上声しか記されていない。
その裏面からは変ロ長調のフーガのスケッチ(D37A・未完)が始まっている。ということは、ここで作曲者は作曲をやめたということだ。キリの良い箇所でもなく、作品の全体像はわからない。途中まで書いて放棄したパターンであろう。
弦楽四重奏風の書法は、シューベルト初期の多くのピアノ曲と共通している。フーガは学習用とみられることから、サリエリのもとで実習をしていた1813年頃の作品と推定される。
何のつもりで書かれたのかもわからないが、途中で経過的に出てくる装飾的な音型や64分音符の上行音階、「運命」動機などがその後の展開のメインモティーフになっているのは興味深く、脈絡のない幻想曲風の構成とは異なる、有機的な展開を試みようとしていることが窺える。

D347自筆譜3ページ目
アレグロ・モデラート D347 自筆譜3ページ目。大譜表の4段目から下声が欠落し、3小節で中断される。

中断箇所の手前、[58]あたりから属調ト長調へ向かう傾向がみられることから、ここまでを第1主題と捉え、「展開部を欠くソナタ形式」の楽曲として補完することにした。
第2主題は、さすがに完全創作は諦め[3][4]の動機を利用してみた。主題提示の直後から小さな展開が始まる構造や、「運命」動機を低声部で保続する『未完成』第1楽章の模倣など、後期シューベルトの語法を半分遊びでオマージュしている。再現部はかなり切り詰めたが、それでもシューベルトの自筆の2倍を超える大規模な(骨の折れる)補筆となった。
10代のシューベルトが完成させていたらこんな曲にはなっていないだろうが、そもそも完成させる気はなかったのだろうから、あとは自由な創作として楽しんでいただければ幸いである。
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  1. 2022/10/04(火) 21:10:27|
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アレグロ・モデラート ハ長調 と アンダンテ イ短調 D968 概説

アレグロ・モデラート ハ長調 と アンダンテ イ短調 Allegro moderato C-dur und Andante a-moll D968
作曲:1815~19年? 出版:1888年
楽譜・・・IMSLP

自筆譜はいわゆる「清書譜」ではなく、タイトルも日付も記されていない。筆跡から、1815年から19年頃の初期の作品と推定されている。特徴的なのは、インクと鉛筆で指使いが念入りに書き込まれていることで、そこから、この作品がピアノレッスンの教材として使用されたこと、もっと言えば教材目的で作曲されたことが推測できる。だとすると、やはりエステルハージ家の姉妹に関連する作品とも考えられる。ドイチュは、シューベルトが1818年夏のツェリス滞在以前から、ウィーンのエステルハージ邸を訪れて姉妹のレッスンをしていたという可能性を示唆していて、曲の習作的な簡潔さを考え合わせても、1818年以前に成立していた可能性は高いかもしれない。「ソナチネ」の愛称で呼ばれることもある。

ハ長調のアレグロ・モデラートは教科書的とすらいえるソナタ形式で書かれている。バスの4分音符の刻みの上で3度の重音で提示される第1主題、8分音符の伴奏型に乗ってダクティルスのリズムで始まる第2主題は、いずれも極めて古典的で、明瞭かつ純粋な性格を持つ。展開部は意表を突いた変ロ長調で始まるが、その後の転調はいささか図式的。再現は型どおりである。

イ短調のアンダンテは緩徐楽章で、プリモが旋律、セコンドが伴奏という役割から離れない。ややセレナーデ的な性格はあるものの、感情の深みや劇的な展開には遠い。ピカルディ終止でイ長調の和音で終わるが、普通に考えればこの後にハ長調のフィナーレが続いてしかるべきだろう。この作品を「ソナチネ」と捉えるならば、フィナーレを欠いた「未完」作品という解釈が妥当かもしれない。

ちなみに兄フェルディナントは、1833年に自身の作品「パストラール・ミサ」のクレドに、この曲を引用というか、そっくりそのまま編曲して用いている。フェルディナントはフランツの生前から、弟の作品を勝手に自作として発表することがあったが、フランツもそれをあまり問題にはしていなかったようだ。D968の自筆譜のプリモパートには、鉛筆の筆跡で「クレド」の歌詞が書き込まれているが、これはおそらくフェルディナントによるメモと考えられる。
「パストラール・ミサ」は1846年のクリスマスにウィーンの聖アンナ教会で初演され、「紛う方無きシューベルトの精神の遺産」と新聞で絶賛されたが、実際にはその大部分がフランツの作品の盗用だったことが判明している。
  1. 2017/06/15(木) 21:37:14|
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